02 初めて知る「性同一性障害」
03 男と付き合うのは無理
04 親友に言えなかった後悔
05 たくさんのFTMとの出会い
==================(後編)========================
06 カウンセリング、そしてFTMと診断
07 家族へのカミングアウト
08 生き方を変えた人生の転機
09 多様性を認め、受け入れ合える社会に
10 自分らしく生きていこう
06カウンセリング、そしてFTMと診断
納得してもらえるまでは治療はしない
大学3年生の時、GIDの診断を受けようと専門のクリニックに行ったことがある。
「その病院はカウンセリングと診断だけでは診てくれなくて、カウンセリングと診断を受けたら、治療もその病院でする必要があると言われたんです。でも、まだ診断さえついていないのに治療の話をされたことに違和感があったんです」
その病院に疑問を感じ、数回で通うのをやめた。
「それに当時は親も納得していない時でした。周りの友人の中には、親が反対しているのに強硬突破したり、治療のお金を親に出してもらったりしている人もいましたけど、それに違和感を覚えて」
「自分はしばらく時間を置こうと思ったんです」
焦る気持ちは自分にもあった。
でも、親の気持ちを考えずに治療を進めることには抵抗があったし、学費を出してもらっているのに勝手なことをするのは違うと思った。
周囲の理解を得ながらのカウンセリング・診断
再び病院に行ったのは、社会人2年目。タリーズコーヒーに新卒で入社し、1年経った頃だ。
就活時、会社にはカミングアウトをしていなかったが、病院でのカウンセリングを受けるにあたり、徐々にカミングアウトを始めた。
「今はカウンセリングをしています」「そろそろ治療を開始します」というように、上司にはこまめに報告していったので、治療内容や今後の変化など見通しについても、少しずつ理解してもらうことができたと思う。
「僕の場合、上司やスタッフだけでなく、タリーズの常連のお客様とかにも影響を及ぼすので、まずは会社に十分な理解を得ることが大事でした」
「早く診断し、治療を進めたい気持ちは自分にもありましたが、急にいろいろ変わると周りも戸惑ってしまうので、周囲の状況を見ながらゆっくりやっていけて良かったなと思います」
受診したのは、愛知県小牧市にできた新しいクリニックだ。
カウンセリングを1年半受け、25歳の時に性同一性障害と診断が下りた。
「自分がFTMだと確信しているなら、カウンセリングにかける時間とお金がもったいないという人もいますし、そういう考え方もあると思います。でも自分は、カウンセリングを受けた1年半がとても意味のあるものでした」
「カウンセリングで自分のことを、一つひとつ振り返ることは大事だと思ったし、周囲にも状況を説明していく時間が生まれたので、理解を得やすかったと思うんです」
その後、ホルモン治療を開始した。驚いたことに、副作用はまったくでなかった。
身体的な副作用の症状はメンタル面も起因していると考えるなら、自分はゆっくり時間をかけることで、不安なく治療を始められたことが良かったのではないかと思っている。
07家族へのカミングアウト
母親にバレた日
昔からとても仲が良かった母親。
セクシュアリティのこと以外は、友達みたいに何でも話してきた。
大学2年生の時、予期せぬタイミングで母親にカミングアウトすることになった。
「実家に帰った時に胸をつぶすシャツをうっかり洗濯に出しちゃったんです。それをお母さんにつっこまれて、ごまかそうとしたけれど逃れられなくなりカミングアウトしました」
母親は一切聞く耳を持たず、泣き崩れた。
「お母さんは『私が悪かったのか』と泣いていました。あと『あんたのことを好きになる女がいるから、あんたがおかしくなるんだ』とも」
「母親なので子どもを守る気持ちがあっての発言だったと思いますが、彼女のことを否定されショックでした」
自分のことは非難されなかったが「受け入れられない」、「そういう人がいるのはいいけれど、自分の子どもとなったら話は違う」と言われた。
それ以降、セクシュアリティの話は触れられなかった。
そして、洗濯物を出さなくていいように、実家の長期滞在はやめるようにした。
理解してくれた父親
おそらく母親は、カミングアウトについて父親の耳にはいれなかったのだと思う。
父親にカミングアウトしたのは社会人になってから。
カミングアウトすると一言、「そうか」と。
でも、根拠がないと何とも言えないとも言われて、診断を受けた病院へ一緒に行った。
主治医の先生は父親に丁寧に説明してくれた。
「お父さんは先生にいろいろ質問したかったみたいで、これは治る病気なのかとか質問リストを作っていったんです。それを先生が見て、『お父さん、病気と障害の違いがわかりますか?』って」
「『病気は薬の力を使って進行を遅らせたり完治させたりできるものですが、障害はその子が社会の中で生きづらさがあるということ』」
「『もし子どもの耳が聞こえなかったら補聴器を買ってあげますよね。それと同じようにこの子は女の子として生きづらいから、男性ホルモンという道具を与えてあげるってことなんです』」
「『それができないということは、耳が聞こえなくても、聞こえないまま生きろっていうことと同じなんですよ』」と先生は説明した。
「その説明でお父さんはすごく理解できたみたいで、『先生がそう言うなら間違いないね』って言ってくれました」
父親が認めてくれたことで、母親もOKこそ出していないが、何か言ってくることはなかった。
お父さんとお母さんの間では話し合っているのだろう。
「最近もお母さんとはセクシュアリティの話はしませんが、『健康診断の結果、大丈夫だった?』としきりに聞いてくれます。母親なのでやっぱり体のことを心配してくれているんですね」
弟2人にも「女として生きるのはやめるわ」とカミングアウトした。
すると「いいんじゃん」と言って受け入れてくれた。
08生き方を変えた人生の転機
親の生き方、自分の生き方
「ある時、コーチングを受ける機会があったんですが、その時『親に依存している部分がある。親がどう思うのかをすごく気にしている』と言われたんです」
「確かにそうだなって」
幼少の頃、親から否定された記憶はなく、どんな自分でも受け入れてくれていた。
それが成長し自分の考えで行動することが増えるにつれて、親と衝突することが増え、葛藤した。
「高校の時、授業をさぼっていたことや部活に出ず遊んでいたことが親にバレて怒られ、数ヵ月無視されたことがありました。ぜんぜん話すことができずつらくて、なんとか信頼を取り戻したいって思いました」
「大学に入って軟式野球に打ち込み学校にちゃんと行くようになってから、親との関係を修復することができて、ホッとしたのを覚えています」
思えば親に認めてもらいたいという気持ちが強かった。
だからスポーツで結果を残すこともできたし、就職してからも社内コンテストで全国3位をとることもできたと思う。
でも、親は親だけど別の人であって、自分の人生ではない。
「親には親の人生があって、自分には自分の人生があるんだ。そう思えてからは、だいぶ自立して物事を考えられるようになりました」
ある時、その想いを母親に伝えた。
「お母さんが喜ぶような子どもを演じていても、後々後悔すると思うから悪いけどもう好きにやるわって」
「そしたらお母さんも『いいんじゃない』って」
今では、親友みたいに何でも話すことができ、すごく仲が良い。
母親の強さに心から尊敬し、感謝している。
彼女のおかげで強くなれた
今の自分へたどり着くまでに、大きな影響を与えてくれた人がいる。
最近まで付き合っていた彼女だ。彼女のおかげで成長できた。
「その子と付き合うまでに5回くらいフラれていたんです(笑)。でも、すごく好きだったからアプローチし続けて」
「その子は自分のようなセクシュアリティの人と付き合った経験がないから不安だったみたいです」
「でも、OKしてくれたらすぐ自分の親に、僕のことを話してくれたんです。こんなに強い人はいないなーって思いました」
「最近、当事者よりもパートナーのほうが強いんじゃないかなと思っています。パートナーは自分がその道を選ばなかったら、結婚や子どもなど将来の心配をしなくていいのに、あえてその道を選ぶわけじゃないですか」
「その覚悟とか勇気って本当にすごいと思います」
彼女は、親や会社にカミングアウトし治療を開始するきっかけを与えてくれた。
そして、男として生きていく覚悟を与えてくれた、かけがえのない存在だ。
彼女のおかげで強くなれた。
いろんな場面でカミングアウトしたり、自分のことをどんどん社会に発信していこうと思えるようになった。
しかし、彼女とは遠距離になったこともあり、今はお互いの道で頑張ろうと別れを選んだ。
ただ今でも定期的に会い、お互いに刺激し合える良き人生のパートナーだ。
09自分らしく生きていこう
自分らしく生きる人を一人でも多く
現在、タリーズコーヒーに入社して4年目。
店長を任されている。
「僕はスタッフの管理が得意。タリーズのアルバイトの年間離職率ってそれなりに高いんですけど、うちの店はこの1年1人も辞めていないんです」
「今の子は幼い頃の心の傷とか、いろいろな悩みを抱えている子がけっこういて、そういう子たちが自分と話すことで考え方や捉え方を変えて、自分らしく輝けるようサポートしていきたいと思っています」
「セクシュアリティのこともあって、僕は自分が何者なのか、自分らしいとはどういうことなのか、ということをよく考えてきました」
しかし、多くの人が意外と自分について考えてこなかったりして、壁にぶち当たったり、思い悩んでしまったりすることがある。
そんな人たちに、これまでの経験を生かして、今後は就職支援やコーチングの分野でもサポートしていきたい。
人生一度きり。だから・・・
好きな言葉は「YOLO(よーろー)」だ。
YOLO とは、「you only live once(人生は一度きり)」という意味。
一度きりの人生だからやりたいことやろう。
そういう生き方っていいよねっていう人を1人でも多く増やしたいと思っている。
現在同い年のコミュニティである90年会に参加しており、2020年の30歳になる年に日本最大級の三十路式を計画している。
そして、今後は自分のコミュニティもつくろうと思っている。
「2020年を目指して、LGBTだけでなく障害を持っている人でも他のマイノリティの人でも、普通の人でもみんなにYOLOの価値観を共有していきたいんです」
10多様性を認め、受け入れ合える社会に
アライの存在が僕の原動力
当事者だけで固まっていても、広く社会に出た時に居場所がなかったら意味がない。
だから、当事者よりも当事者を理解してくれる「アライ」の存在が大きいと思っている。
90年会の代表はストレートだが「LGBTに一番理解ある年代にしよーぜ!」といつも投げかけてくれる。
「ストレートの人からの一言ってすごく救われるし、当事者がストレートの人に言うよりも、ストレートがストレートの人に『あいつFTMだよ、めっちゃいいやつなんだよ』っていうほうが周囲もすんなり理解してくれるものなんです」
「90年会の仲間うちには、『お前のセクシュアリティはどうでもいい』って言われるんです」
「それが嬉しくて(笑)。特別な気遣いはいらなくて、当たり前に普通に接してもらえればいいんです」
僕が「FTMは普通なんだ」ってスタンスでいれば、僕と接した人は他のLGBTと出会った時にも、普通の接し方でいいんだって思えると思う。
すんなり受け入れられるんじゃないかと思っている。
「ああ、メイと一緒ね」、そう思ってもらえたらうれしい。
そうやってFTMが当たり前に存在し、受け入れられる社会になっていったらいい。
受け入れてくれた人がたくさんいたから
自分のことを、良くも悪くも特別だと思っていない。
「人間って誰しもマイナスな部分や、隠したい部分ってあると思うんです。セクシュアリティもそのうちのひとつ」
セクシュアリティも、ただの特徴のひとつだ。
「あまり深刻にならず周囲に話したら、そうなんだーって当たり前のように受け入れられるような社会になっていったらなって思います」
これまで、僕のことを受け入れてくれた人がたくさんいた。
人は一人で生きてはいけない。誰かが受け入れてくれるから、自分は存在できている。
自分を受け入れてくれたすべての人に、僕は今、心から感謝の気持ちを伝えたい。
出逢ってくれたみんなへ
今回こういった機会をもらって
自分の人生振り返ってみました!
正直、何年か前は 「こんなんなら死にたい」って
思ってた時期もあった。
でも昔の話をしていたら「あれ?いつ辛かったんやろ?」って
わかんなくなってた!
それはみんなが「メイはメイでいいじゃん」
ってそのまんま受け入れてくれたから。
背伸びしたり頑張ったりせずに
やっと自分らしく生きれるようになりました!!
本当にありがとう!!
健スポ、同期、きゅーまる。
そして、男として生きていく 勇気と覚悟をくれたはる。
沢山のみんなのおかげで 今の自分がいます!!!
どこにいても特別扱いせずに 普通にいられる場所があって
本当に幸せです!!
でも、世の中にはみんなみたいな人に出逢えなくて、
まだまだ自分を隠して悩んで生きている人が沢山いてね。
だからこの先、そういう人たちに出逢った時には、
僕にしてくれたみたいに「あ、そーなんだね」って
かる~く受け止めてあげて下さい。
僕にできることはまだまだ少ないけど、みんなの力を借りながら
少しでも誰かの勇気に繋がるように、できることからやってくよ!
だからこれからも隠さずに生きてく。
「あ、メイと同じ感じね~」ってかる~く受け入れてくれる人が
もっともっと増えるよーに!
受け入れてくれた人の全て受け入れる。
このスタンスで今度は僕がみんなに恩返ししていきます!
出逢ってくれてありがとう!