INTERVIEW

人生一度きり。やりたいことをやろう【前編】

「写真を撮られるのが苦手」と話す兼子芽衣さんだが、穏やかに微笑む表情はとても自然。優しく包容力のある人柄がにじみ出ている。話してみると、一つひとつのことに丁寧に答えてくれ、実に礼儀正しい。「礼儀や挨拶には厳しかった」というご両親の教えが垣間見えるようだ。そんな兼子さんの道のりを振り返るとともに、今後の生き方についても迫った。

2017/02/17/Fri
Photo : Mayumi Suzuki  Text : Mayuko Sunagawa
兼子 芽衣 / Mei Kaneko

1990年、静岡県生まれ。幼少期からスポーツに打ち込み、至学館大学健康科学部へ入学。大学では、軟式野球部で汗を流し、全国大会2位になるなど好成績を残す。卒業後は、タリーズコーヒーに就職。現在は店長を務めている。プライベートでは月に数回上京し、友人に会ったり同年代のコミュニティに参加したりとバイタリティあふれる毎日を送っている。好きな言葉は「YOLO~you only live once~(人生は一度きり)」。多くの人との出会いを大切にし、一度きりの人生を心から楽しむ生き方を広めていきたいと考えている。

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INDEX
01 男とか女とか関係なく仲良くしたい
02 初めて知る「性同一性障害」
03 男と付き合うのは無理
04 親友に言えなかった後悔
05 たくさんのFTMとの出会い
==================(後編)========================
06 カウンセリング、そしてFTMと診断
07 家族へのカミングアウト
08 生き方を変えた人生の転機
09 多様性を認め、受け入れ合える社会に
10 自分らしく生きていこう

01男とか女とか関係なく仲よくしたい

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みんな、ちゃんと楽しめてるかな

物心ついた時から、男女関係なく遊んでいた。

「休み時間になると自分がボールを持って、ドッヂボールやる人?って、声をかけて」

「クラスによくいる目立ちたがり屋です(笑)。おとなしい子でも自分から声をかけて遊んでいました」

「放課後もいろんな子と遊ぶ約束して、クラス全員と遊んだことを自慢して。なぜか全員と遊ぶことに意味があると思っていたんです」

集団の中にいると、みんなちゃんと楽しめているか、なじめていない子はいないかというのが気になる。

一人でポツンとしている子がいると、ほっとけない。仲間に入れなきゃと思う。

それは、大人になった今でも変わらない。

集団で遊ぶ時やなどでも、なじめていない子がいれば自分から話しかけてみんなの輪に誘う。

「女の子らしさ」を求められない環境

体育会系の家庭で育った。

勉強しろとはあまり言われなかったけれど、礼儀や挨拶に厳しく「人に迷惑をかけなければ何をしてもいいけれど、迷惑は絶対かけちゃダメ」という方針だった。

「うちには、逆上がりとか自転車とか、幼稚園のうちにできなきゃいけないリストというのがあって、できるまでやる、泣いてもやるというスタンスでした(笑)」

「僕は大丈夫でしたが、弟たちは泣いていましたね」

兄弟は弟2人。

両親は、兄弟で引き継いでいけるようにと、男でも女でも使えるものを買っていたので、変に「女の子」を押し付けられることはなかった。

服装は体操服やズボンばかりだったし、野球を始めた小学5年生からはずっと短髪だった。

中学はソフトボール部、高校では柔道部。大学時代は軟式野球部で、大学4年生の時には全国大会で2位になった。

小さい頃からスポーツ中心の生活で、運動はとても得意だ。

いつも真っ黒に日焼けしていたこともあり、女の子に見られたことがほぼなく、それが心地よかった。

お店でも「僕」と呼ばれていたし、母親も周囲には冗談混じりに「うちは男3人だから」と言っていた。

「大人になって母親にカミングアウトした時、『私がそういう風に育ててきちゃったから』とめっちゃ気にしていました」

「自分の発言でそういう方向にもっていってしまったんじゃないかと思ったみたいです」

女だと見られたくない

性別を気にすることなく自然体でいられた幼少期だったが、冠婚葬祭などきちんとした公の場では違った。

スカートやワンピースを着なければいけないことがあったのだ。

「死ぬほど嫌だったのが合唱コンクールに出た時。普段は何を着ても何も言わない母でしたが、この時はワンピースを無理やり着せられて。会場に行ったらみんなに笑われました」

そして大反抗したのは、お祭りで巫女さんの舞をやらなきゃいけなくなった時だ。

「巫女さんの衣裳が嫌だったんですよ。泣きわめいたけれど『地域の大切な行事なんだから、やらないんだったこの地域から出ていけ』って言われて。泣く泣くやりました」

女の自分が表に出るのが嫌だった。

男とか女とか関係なく仲良くしてくれる友達に、女の自分の姿を見られるのが許せなかったのだ。

だから小学6年生で生理が来た時も、すごく嫌だった。

そして、絶対に生理が来ていることを誰にもバレてはいけないと思った。

「生理中にポーチを持ってトイレに行ったらバレバレじゃないですか。それは絶対嫌だったので、バレないよういろいろと工夫していました」

02初めて知る「性同一性障害」

他の女の子とはちょっと違う

小学校高学年くらいから、自分は他の女の子とはちょっと違うなと思うようになった。

「みんなみたいにバレンタインにチョコをあげることもしなかったし、『誰が好き?』みたいな話題になれば周囲は男の子の名前を挙げましたが、自分はみんな好きでみんな友達、と答えていたんです」

男女関係なく遊んでいたが、女子と恋の話になると少しだけ周囲との違い
にとまどうことがあった。

鶴本直になりたい

小学5年生の時、TVドラマの金八先生を見て衝撃を受けた。

ドラマの中に自分と同じような子がいる。女の子だけど男の子みたいな子がいる。

この時に初めて「性同一性障害」という言葉を知った。

「すごく印象に残っているのが『なんで白か黒にわけなきゃいけないんですか。グレーじゃダメですか』というセリフ」

「小5ながらにそうだよね、とすごく納得したのを覚えています」

ドラマを見て「自分と同じだ」という安心感が生まれたとともに、性同一性障害であった鶴本直という役の子の真似をすれば「自分も男になれる」と思った。

「ドラマで黒のジャージを着て走るシーンがあって、自分もすぐに黒のジャージを買ってもらって同じように走っていました(笑)」

直役だった上戸彩の身長や体重まで調べていた。

「上戸彩さんは単に演じていただけなのに、混同して興味がわいたんです」

Yahoo!知恵袋に聞く

性同一性障害を知るきっかけとなった金八先生。

でも、ドラマの中では性の在り方について描かれているだけで、自分に当てはめてみると「自分は何者なのか」「今後どうしていったらいいのか」がさっぱりわからなかった。

誰にも相談できないので、Yahoo!知恵袋に質問した。

「自分は性別が女性だけど、女性が好きです。おかしいですか?」

「女性ですが、男の子として好きと思うのはおかしいでしょうか?」

「自分はレズビアンでしょうか?」

質問の回答を見て、なんとなくそうなのかなと思うことはできたが、どれも釈然としなかった。

03男と付き合うのは無理

3

男の子と付き合う

自分のセクシュアリティに明確に気づいたのは、中学1年生の時。

クラスの中心にいて目立っていたので、男子にもモテていた頃だった。

ある時、仲の良かった男子に告白され、普通に人として好きだと言われた。

うれしくて付き合った。

「ボーリングに行ったりゲームセンターに行ったり、友達と遊んでいる感覚と変わらなかったので楽しかったです」

「ですが、不意打ちでキスをされてしまって。それをされた瞬間に、マジで無理だーって思いました」

自分は男と付き合うのは無理だと思い知った。

男友達に女扱いされたり、女の子として見られたりすることにものすごく嫌悪感があったのだ。

初恋はソフトボール部の先輩

初恋は中学1年生の時、ソフトボール部の1つ上の先輩で、同じポジションの人だ。

「今もめっちゃそうなんですけど、けっこう恋愛体質で、いいなーと思うとグイグイいくタイプなんです」

「先輩に毎日連絡して休み時間ごとに会いに行って。部活では上下関係がしっかりしてましたけど、プライベートでは『俺がお前を守るから』ってタメ口で冗談言って(苦笑)」

いつも一緒に遊んで仲良しだったが、結局先輩には告白できなかった。

想いを秘めたまま初恋は終わった。

初めてできた彼女

中学までは勉強も運動もできて、みんなの輪の中心にいたが、高校に入ると今までの自分が通用しなくなった。

「勉強一色の進学校で、打ち解けられる友達はできず、勉強にもついていけず。しだいに登校しても授業には出ずに、部室で時間をつぶすようになりました。そんな中で唯一仲良くなれたのが彼女だったんです」

高校1年生の時、初めて彼女ができた。

「最初は友達としてすごく仲良くなって、そのうち好きなんだよね、と伝えたら、向こうも受け入れてくれて付き合うようになりました」

彼女には、自分のことをカミングアウトしていた。

「自分、ちょっと違うかもしれないんだよねっていう感じで。恋愛の話とかをしている延長で、中学の時、女性の先輩が好きだったこととかを話しました」

他の友達には彼女のことを、『すごく仲の良い友達』ということで通していた。

誰にも2人の関係は言えなかった。

04親友に言えなかった後悔

親友を傷付けた

小・中・高と同じ学校で、自分と同じ名前の親友がいた。

親同士も仲が良く、その子は自分と同じ高校に行きたいといって猛勉強し、半年で学力ランクを2つ上げて見事合格。

一緒に高校に入学した。

しかし、高校1年の時に違うクラスになり、ちょうど彼女もできたことで疎遠になってしまった。

「彼女と一緒に帰りたいけど、親友も大事だし。じゃあ、どっちと帰る?みたいな感じになってしまって」

「この時にカミングアウトして、彼女は女の子として好きで、お前は親友だということが言えていたらいいんだけど、それがどうしても言えなくて」

「親友と一旦帰って途中でバイバイして、学校に戻って彼女と帰るみたいなことをしていたんです。でも、それが周囲から漏れ聞こえたみたいで、親友は裏切られた感がすごかったようで、精神的に追い詰められてしまったんです」

その後、手紙のやり取りなど通じて関係の修復を図ったが、自分のセクシュアリティという本質のところは伝えられなかった。

結局うまくいかなかった。

「本当に大切な親友だったんですけど、当時はどうしても言えなかったんです。女の子とそういう関係であるのをバレちゃいけないというのがすごくあったから」

カミングアウトしないことで人を傷つけるのは嫌

今もまだ、その親友とのわだかまりは溶けていない。

大人になってから、何とかあの頃の気持ちや状況を伝えたいと思いSNSなどでコンタクトをとったが、受け入れてもらえなかった。

「今はこうやって生きていて、当時は言えなかったことを本当に謝りたい。これは僕の人生の中で、絶対やり遂げたいことですね」

そんな過去もあって、今は周囲に積極的にカミングアウトをするようにしている。

カミングアウトしないことで誰かを傷つけてしまうのが、もう嫌だから。

05たくさんのFTMとの出会い

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普通の恋愛ができるようになる

初めて付き合った彼女とは高校3年の時に別れた。

進路や将来の話になった時に「将来のことを考えると無理なんだ」と言われたからだ。

それ以来「普通の男にはどうしたって勝てない」、「もう誰とも付き合わない」と決めていた。

しかし、大学に入学して状況が変わった。

「高校まではひたすら隠していましたが、大学では周囲がすでにオープンだったので、自分も誰だれと付き合っているというのを普通に言うことができました」

「付き合っている彼女との写真をSNSにアップしても、誰も何も言いません」

「セクシュアリティに関して解放されたと感じました」

女子が多い体育系大学に入学

入学したのは、至学館大学だ。

スポーツ分野を学ぶ学部だったこともあり、ボーイッシュな女の子、とりわけ自分と同じセクシュアリティかな、と思える人にたくさん出会うことができた。

「最初はカルチャーショックでした。大学に普通にそういう人達がたくさんいて。だから同級生同士で『どっちなの?』って確認が入るんですよ(笑)。単にボーイッシュな女の子なのか、本当は男の子なのかという」

「同じ部活の先輩にもFTMがいて、その人に『お前、俺と一緒だよ』って言われて。それからレズビアンとトランスジェンダーの違いや、自分はFTMではないかということがわかってきました」

「今まで悩んでいたのは何だったんだろう」と思うくらい、大学生活はボーダーレスな環境だった。

日本全体がこういうボーダーレスな環境だったら良いのになと思った。


<<<後編 2017/02/19/Sun>>>
INDEX

06 カウンセリング、そしてFTMと診断
07 家族へのカミングアウト
08 生き方を変えた人生の転機
09 多様性を認め、受け入れ合える社会に
10 自分らしく生きていこう