INTERVIEW
等身大の「私」を、まだ出会っていない人たちへ届けませんか?
サイト登場者(エルジービーター)募集

夢は世界平和!ゲイの自分が歩んできた、等身大の人生を伝えたい【前編】

この日、取材のために大阪からはるばる横浜までお越しくださった梅﨑裕さん。この横浜という場所は、梅﨑さんがかつて青年時代を過ごした思い出の地でもある。バブル崩壊という時代の流れに煽られ、これまでに日本各地を転々として、職を何度も変えたことがあったと過去を語る。そうした一筋縄で通用しなかった人生を経て、「一般人の自分だからこそ、次の世代に等身大の姿を伝えたい」と、力強く言葉を紡いだ。

2018/03/06/Tue
Photo : Mayumi Suzuki Text : Mana Kono
梅﨑 裕 / Hiroshi Umezaki

1967年、山口県生まれ。高校卒業後、日本発条株式会社に就職。4年間勤めたのちに、アパレル企業に転職。その後、飲食店スタッフや介護職などの経験を経て、フラワーエッセンスに出会う。2017年5月からはフラワーエッセンスの自宅サロンを開設し、自然療法の施術やセミナー講師として活動している。

USERS LOVED LOVE IT! 51
INDEX
01 性の目覚めは早かった
02 恋愛と性に対する興味
03 ゲイコミュニティなら恋が成就するかもしれない
04 カミングアウトは社会人になってから
05 東京と地方の人口格差
==================(後編)========================
06 なんでこの仕事をしているんだろう
07 元恋人との共依存関係
08 完璧なカップルなんて、幻想だと思ってた
09 一般人こそ、等身大の姿を提示するべき
10 夢は「世界平和」!

01性の目覚めは早かった

男の子が好き

3、4歳になる頃には、自分は男が好きなんだと薄々感づいていた。

「着せ替え人形で遊んでいる時に、男の人形の裸体が、それはそれは艶かしく見えたんですよね」

「だいぶませてたんだと思います(笑)」

ほかにも、ヒーローもののテレビ番組を見ていて、「お兄ちゃんがほしい」と思うこともあった。

親が買いものに行く時には、いつも「お兄ちゃんを買ってきて」と駄々をこねていたのを覚えている。

小学校では、男子と仲良く外で遊ぶ活発な子だった。

「でも、男子と遊びながらも、女子とも仲良くしていたんです」

女の子4、5人の中に男子は自分ひとりという状況で、紅一点ならぬ白一点になることも多々。

「初めてはっきりとした恋愛感情を抱いた相手も男の子でした」

「こんなに好きなのはヤバい!って自分でも思うくらい、すごく好きだったんです」

だから、小学校高学年になる頃には、自分の恋愛対象は男だと、はっきりと自覚するようになっていた。

小学生でゲイ雑誌の存在を知る

ほかにも、セクシュアリティに関していえば、小学生の時に本屋でたまたまゲイ雑誌を見つけてしまったことも、記憶に色濃く残っている。

「子どももたくさんいるような、ショッピングセンターの中にある普通の本屋さんでした」

アダルトコーナーでもなく、普通の雑誌棚に置いてあった、水着姿の男性が表紙の本。

どう見ても、その男性の着ている水着部分が透けていた。

「えーっ!」とドキドキしながらも、気になってついつい手を伸ばしてしまう。

「こういうものが流通しているんだってことを知って、すごくびっくりしました」

それと同時に、「あぁ、やっぱりこういう世界があるんだな」と思ったし、同性を好きになるのは自分だけではないのだと確認できたような気もした。

その時は小学生ということもあって、さすがに本を買うまでには至らなかった。

だが、中学生になる頃には、色々な本屋を回ったことで、「あの本屋はゲイ雑誌を置いているだろう」という勘が、徐々に働くようになっていた。

中学1年の時だったろうか、古本屋で安くなっていたゲイ雑誌を、初めて買ったのを覚えている。

「その時、レジのおばあちゃんに『子どもがこんなの買っちゃダメ!』って怒られるかと思ってヒヤヒヤしたんですけど、『こういう本に興味があるなら、ぜひまた買いにきてくださいね』って言われたんです」

「プロの対応だなって思いました(笑)」

それからちょくちょくゲイ雑誌を買っては、親に隠れて読むようになっていった。

02恋愛と性に対する興味

恋愛に対するフラストレーション

中学では水泳部に入ったが、部活をするよりも遊んでいる方が楽しかったから、すぐに幽霊部員になって、結局退部してしまった。

「その後別の部活にも入ってみたんですけど、それもやめちゃって帰宅部になりました」

クラスでは比較的やんちゃなグループに属していたので、どちらかといえば目立つタイプだったと思う。

「でも、僕は中立ポジションだったので、自分から先陣を切って何か行動するようなことはなかったです」

その頃、「何組だったら何々君」といった具合に、気になる存在も何人かいた。

だが、ただ憧れを抱いて、目で追っているだけ。

思いを伝えることも誰かに相談することもできない。

感情のはけ口がどこにもなくて、とても苦しかった。

「どうしても気持ちを抑えきれなくて、好きな子に書いた手紙を、無記名で自宅のポストに入れたこともありました」

差出人が自分だとバレたら嫌だけど、この想いに気づいてほしい・・・・・・。

そんな矛盾した感情を抱えていた。

自分以外のゲイに会ってみたい

思春期は、とにかく恋愛や性に興味があって仕方なかった。

そんな衝動を持て余しすぎて、愛読していたゲイ雑誌の編集部に電話をかけたこともある。

「その雑誌には読者投稿コーナーがあって、若い人たちの投稿が載ったりもしていたんです」

「それで、『僕は今14歳なんですけど、誰かいい人を紹介してもらえませんか?』って、電話で相談しました(笑)」

これには編集部のスタッフも驚いたようだった。

「さすがに未成年には紹介できないから、未成年向けのページに投稿してみては」とアドバイスしてくれた。

「同年代と比べたらかなりませていたと思います(苦笑)」

「性的なことへの関心もありましたが、やっぱり、同じ当事者に会ってみたいという気持ちが大きかったんです」

その後、高校は男子校に進学。

「個人的には男だらけでとってもうれしかったんですけど、周囲には、パッと見で自分と同じようにゲイだとわかるような人はいませんでした」

今になって振り返ると、あの子はゲイだったかもしれない、あの子はトランスジェンダーだったかもしれないと思えなくもないが、もはや確認のしようもない。

03ゲイコミュニティなら恋が成就するかもしれない

叶わない恋

高校卒業後は、就職の道を選んだ。

「わりと就職率のいい高校だったし、その頃は景気もよかったので、求人は選び放題だったんです」

そうして、自動車の部品メーカー・日本発条に就職。

地元を出て、横浜にある寮での生活をスタートさせた。

もちろん、そこは男子寮。

社員数も多く、マンションの1棟丸ごと同期生が暮らしているような状態だった。

「衣食住のすべてを同僚と一緒にしているようなものなので、気持ちとしてはだいぶ複雑でした」

「だんだんとプライベートの時間がほしい、って思うようになっていったんです」

だから、寮に気になる相手がいても、あまり前向きな気分にはなれなかった。

それに、もちろん相手に「好き」だと伝えることもできない。

「想いを寄せている相手が『好きな女の子ができた』と話しているのを聞いて、すごく嫉妬したりもしました(笑)」

自分の恋は成就しない。

こちらから告白せずとも、結末は優に想像がついた。

最初から叶わない恋だとわかっているのに、どうしてこんなやるせない気持ちにならないといけないんだろう。

「だったら、ちゃんと恋が成就するような相手を選べばいいんだ!と思って、初めて新宿二丁目に行ってみることにしたんです」

ゲイの聖地・新宿二丁目デビュー

まずは、雑誌の文通募集コーナーに手紙を出し、ゲイの友だちを作ることから始めた。

「それで、手紙以外に直接会って話すようにもなって、新宿二丁目に連れていってもらいました」

その友だちには色々なお店を案内してもらったが、いわゆる “飲み屋カルチャー” は、自分にはあまり合っていないようだった。

「人がたくさんいてスゲー!とはなったんですけど、飲んでいて楽しいとはそんなに思わなかったんですよね」

きっと、飲み友だちを作るよりも、恋愛できる相手を探したかったから。

「小さい頃からませてはいたんですけど、生まれ育った山口は田舎で、周囲に自分以外のゲイがいなかったこともあって、初体験もまだだったんです」

「でも、東京で知り合ったゲイの友人はだいたいみんな体験済みだったし、みんな早い!って思ってました」

「遅れていた青春を取り戻さないと!」という焦りのような気持ちもあった。

それからは毎週末遊び歩くようになった。

「金曜の夜から月曜の朝にかけてはずっと寮に帰らない状態が続いていたので、それまではよく一緒に遊んでいた会社の同期たちは、少し怪しんでいたようでした」

04カミングアウトは社会人になってから

友人へのカミングアウト

初めてのカミングアウトも、二丁目に通い出した頃。

「高校時代の同級生で、同じように就職で東京に出てきているやつがいて、そいつを二丁目に飲みにいこうって誘ったんです」

その際、「実は自分もゲイなんだ」と伝えたが、友人は特に驚いた素振りも見せなかった。

「向こうはもともと気づいてたってわけでもなくて、人としてのキャパシティが広いタイプだったんです」

「そうなんだ、俺は全然気にしないよ」といった面持ちでサラッと受け入れてくれるような相手だったからこそ、こちらもそれほど気負いせず打ち明けられたのかもしれない。

彼以外のストレートの友人や会社の同僚には、それ以降もカミングアウトすることはなかった。

「わざわざ言う必要はないなって思ってたんです」

「でも、どこにいてもフルオープンにできた方が、絶対楽だろうなとも感じていました・・・・・・」

家族へのカミングアウト

家族へのカミングアウトは、20歳の頃。

実家に帰省した時に、当時付き合っていた彼について書いた手帳を、たまたま母に見られてしまったのが発端だ。

その後、両親に「どういうことなの?」と詰め寄られ、勝手に手帳を見られたことへの怒りも相まって、つい「自分はそういう人間(ゲイ)だから!それについてどうこう言うなら、もう二度とこの家には帰らない」と啖呵を切ってしまった。

「その時、父は『代われるものなら代わってやりたい』と泣いていました」

きっと父は、この先自分が、いわゆる順風満帆な人生は送れないだろうと不憫に感じたのだと思う。

だが、ゲイであることを否定はされなかった。

かたや母は、カミングアウトをその後まるで “なかったこと” のように扱っていた。

「カミングアウト後、実家に恋人を連れて帰ることも何回かあったんです」

弟や親戚たちもすでにゲイであることを認めてくれていたものの、母だけは頑なに認めようとしなかった。

「おばあちゃんは大正生まれのハイカラな人で、自分と彼を見て『あんたたち、ラブなんじゃろ?』と茶化してくるほどでした(笑)」

しかし、母はそれに対して「おばあちゃん、違うわよ」と否定。

そうやって母は見て見ぬ振りをしていたが、父と同じように、直接否定をするようなことはなかった。

05東京と地方の人口格差

心機一転東京へ

関東に出てきてからずっと暮らしている、横浜という街自体は好きだった。

「でも、横浜は、ゲイコミュニティに関しては東京よりもだいぶ遅れていたんです」

ネットの掲示板に書き込みをしても、横浜住まいのゲイはなかなかつかまらなかった。

「そうなると、ゲイと知り合うためにはわざわざ東京に遊びにいかないといけないので、横浜は不便だなと感じるようになったんです」

ちょうど同じ頃、仕事に関して悩んでいたこともあり、4年間勤めた会社の退職を決意する。

「次は、洋服の仕事をしたいと思いました」

小さい頃から、本当は美容師やアパレル関連といった、華やかな職種に憧れていたのだ。

「でも、美容師になるには資格がいるので、洋服屋になろうと思ったんです」

そうして上野のショップで働くことが決まり、家も都内に引っ越した。

「新しい仕事はすごく楽しかったです。それに、そこでは自分はゲイだとわりとオープンにしていました」

アパレル業界ということもあり、お堅い業種よりはカミングアウトのハードルが低かった。

「仲良くなった同僚に打ち明けても、普通に受け入れてもらえていました」

だから、これまでの人生を振り返ってみて、セクシュアリティのことで間接的にはあれども、直接後ろ指をさされるようなことは、ほとんどなかったと思う。

「ただ、恋愛ではしんどいことが多かったので、恋愛がうまくいかなくて仕事に響いてしまうようなことはありました」

「自分でも、アンバランスだなと思っていました」

沖縄に移住

その後、ヘッドハンティングされて岡山のアパレル企業に転職。

もちろん、引っ越しもして岡山で暮らしはじめた。

「でも、悲しいかな、バブル崩壊で景気が悪かったせいで、転職先の会社が半年で潰れてしまったんです・・・・・・」

気がつけばうつ状態になり、メンタルクリニックに通うことに。

「新しい職場でがんばってはいたんですけど、そこでがんばりすぎて燃え尽きてしまった感じです」

それに、恋愛やプライベートもあまりうまくいっていなかった。

そんな時に、ふと「沖縄旅行にいってみよう」と思いついた。

メンタルクリニックの担当医師にも「行っておいで」と背中を押され、すぐさま沖縄へ。

その旅は短期間の日程で終えてすぐに岡山に戻ったものの、それから2ヶ月も経たないうちに、気づけば沖縄に移住していた。
 
「最初の旅行で、『いいな!住みたい!』ってなったんです」

だが、そんな夢の沖縄での生活には、デメリットも待ち受けていた。

「ここもやっぱり人口が少ないから、恋愛対象になるようなゲイも少ないわけです」

沖縄ではミックスバーを経営していたため、少なからずゲイの知り合いはできた。

しかし、恋愛に発展するような相手は見つけられなかった。

東京と比べると沖縄は格段に人口が少ないため、必然的に出会いの数も減ってしまう。

掲示板で募集をかけても、いつも同じ人から連絡がきたり、何かしでかすとすぐ噂が広まったりと、コミュニティの狭さがストレスだった。

とはいえ、地元・山口に帰るという選択肢もなかった。

「今だからこそ、徐々に地方も平均化されてきているけど、僕が若かった頃は本当に都会と地方の格差がひどかったんです」

「だから、田舎に戻るのは嫌だって思ってました」

仕事も思うように黒字は出せず、徐々に蓄えも少なくなっていく。

「それでどうしようと思っていた時に、たまたまお財布の中に帰りの飛行機代が残っていたので、大阪にいた知り合いの家に転がり込むことにしたんです(笑)」


<<<後編 2018/03/08/Thu>>>
INDEX

06 なんでこの仕事をしているんだろう
07 元恋人との共依存関係
08 完璧なカップルなんて、幻想だと思ってた
09 一般人こそ、等身大の姿を提示するべき
10 夢は「世界平和」!

関連記事

array(1) { [0]=> int(26) }