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君はどう生きたいの? 好きな人の言葉がトランスジェンダーの扉を開けた【後編】

君はどう生きたいの? 好きな人の言葉がトランスジェンダーの扉を開けた【前編】はこちら

2021/02/10/Wed
Photo : Taku Katayama Text : Shintaro Makino
石井 エバ / Eva Ishii

1984年、東京都生まれ。ビジネスマンとして力強く生き抜く父親の姿を理想として育つ。一方で自身の女性的な部分に気づきながらも、抑えつけるしかない現実に悩む。22歳のとき、好きだった人の言葉で自分を見つめ直し、自主的にホルモン治療を始める。タイで手術を受けて戸籍変更。メキシコでの結婚生活に終止符を打った後、日本でコンプライアンス・オフィサーとしてキャリアを積んでいる。

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INDEX
01 典型的な団塊世代の両親
02 自分の評価を上げる術を身につける
03 女性として扱われることが心地いい
04 ファッションやメイクに興味を抱く
05 絶対だった父親像の崩壊
==================(後編)========================
06 自分はゲイなのか?
07 理解してもらえなかったトランスジェンダーとしての生き方
08 タイに飛んで、手術を受ける
09 メキシコでの新婚生活
10 悩んでいる人におくるアドバイス

06自分はゲイなのか?

セックスが受け入れられない

尊敬していた父親への気持ちは失墜し、軽蔑や憎悪にまで発展する。

「自分を抑えて生きていくことが、間違ったことだと気づいたんです」

性に対する認識も変化していった。

「女性として在籍したいという気持ちが強くなって、大学にいけなくなってしまいました」

クラブで夜遊びをするようになり、ゲイやレズビアンの友人ができた。

「彼らとつき合っているうちに、もしかしたら、自分はゲイなんじゃないか、と思ったんです」

女性に興味がなく、男性ばかりに恋をするのだから、そう考えても当然だった。

「ネット検索が既に簡単にできる時代でしたが、自分自身をまだ深く考えなかったので、トランスジェンダーのことを調べなかったんです 」

思い切って、ゲイの友人の紹介でゲイを自認する男性とつき合ってみた。

「でも、やっぱりイメージが違うんです。かえって、自分が男性であることの嫌悪感を感じてしまいました」

セックスは怖くて受け入れられなかった。
体に触られることにも拒否反応が生まれた。

心が訴えたのは、私は女の子なんだよ、という囁きだった。

君はどう生きたいの?

22歳のとき、パーティーで知り合ったアダムというデンマーク人に恋をする。

「11歳年上で、シスジェンダーの人でした」

許された関係は、「友だち以上、恋人未満」。でも、本気で好きになってしまった。

「ふたりでいるときは彼女みたいに扱ってくれるんですけど、パーティーなんかで人前に出ると友だちに戻りました」

北欧から彼の友だちが遊びに来たときも、男友だちとして紹介された。

「彼も、男である私が恋人だとはいえなかったんです」

もどかしい交際が続いていたとき、アダムからこんなことをいわれた。

「もっと自分のことをよく考えてみたら? 君はどう生きたいの?」

ずっしりと心に響いた。

「君は何なの? 父親や家族から “変” と思われるのが嫌なだけなんじゃないの?」

言葉を重ねられ、「分からない」としか答えられなかった。

07理解してもらえなかったトランスジェンダーとしての生き方

トランスジェンダーという選択肢

アダムに課題を突きつけられ、セクシュアリティと向き合う決意が生まれた。

「大学も行き詰まってしまって、出席日数が足りなくなっていました」

自分の名前も書きたくない、性別も書きたくない、という状態に陥る。

「ネットで調べて、ホルモンのことを知りました」

それはトランスジェンダーという選択肢を見つけたことでもあった。

さっそくクリニックを訪ねたが、否定から入られてしまう。

「足の筋肉が嫌なんですけどって相談したら、歩くのやめたら? っていわれたんですよ。信じられないでしょ(笑)」

医者と口論になり、クリニックを飛び出してしまった。

「いろいろ調べてみると、自主的に女性ホルモンを打てることが分かったんです。これでやっちゃえ、と思いました」

個人輸入のショップから男性ホルモンを抑える薬を買って、服用を始めた。
体毛が少なくなるなど、効果が出るとうれしかった。

「自分の本来の性を取り戻そう。女の子になろう、と本格的に目覚めました」

その気持ちは、「女として生きていかなくちゃいけないんだ」という決意に変わる。

決定的な衝突

女性ホルモン摂取に切り替えると、効果はさらに顕著になった。

「思い描く理想は、大学を卒業し、女性として就職することでした」

そのためには、両親のサポートを取りつける必要があった。
すでに外見はすっかり変化してるころだった。

「最初は母親に話しました。分かっていたけど、助けてあげられなかった、ごめんね、という母の言葉に涙がこぼれました」

父親は大反対だった。

「今までの人生が無駄になるぞ、と脅かされました。男として大学を卒業するか、女になるなら大学を辞めろ。このどちらかだ!」

不自由な二者択一を迫った。

「私としては、そんなことをいわれる とは思ってもみませんでした」

女になるなら覚悟しろ、とまでいわれた。
それは「勝手に生きろ。縁を切る」という意味だと理解した。

「私も自分の思いを吐き出しました」

あなたに認められたいと思って生きてきた。
それを、今、突き放そうとするのか。

「小学生のとき、ハサミで性器を切られそうになったトラウマもぶちまけました」

ふたりの衝突は激しく、決定的だった。

「その後、いい足りないことを手紙に書いて送りました。でも返信はありませんでした」

間接的に聞こえてきたのは、「あいつは病気だから仕方ない」「だが、親子の形としてたまには会いに来い」という一貫性のない一方的な言葉。

ますます父親が嫌いになった。

08タイに飛んで、手術を受ける

手術へ向けて

20代前半は、父親の理解と援助を得ることができずに苦労した。

「次の目標は手術を受けることでした。アルバイトをしながら、手術代を工面しました」

「クリニックに通って診察をもらおうとすると、すごく時間がかかるんですよ。そんなに待てない! って思って(笑)」

手術ができる状態になると、自分で病院のアレンジをしてタイに飛んだ。

「25歳のときに、オペを受けました」

帰国すると、すぐに医者に会って、戸籍変更に必要な書類をもらいました。

「え、終わったの? ってびっくりしてました(笑)」

トランスジェンダーになるきっかけをくれたAdamにちなんで、新しい名前は「Eva」とした。

女性としてのアイデンティティ

アダムとのつき合いは、それからしばらくして終止符が打たれた。

「トランスジェンダーと結婚するつもりはない」「自分の子どもが欲しい」というのが理由だった。

「本当に好きだったので、辛かったですね」

それからは、恋人になりきれない程度の相手とのつき合いを繰り返す。

「自分がトランスジェンダーだとはいわないでつき合ってましたね」

恋愛関係を築けないことに悩んだが、手術を終えて悩みはクリアした。

「女性になって、自分がどう生きていくのかもはっきりとしました」

女性としてのアイデンティティを持って生きていく自信も身につけることができた。

09メキシコでの新婚生活

差別に苛立ちを覚えるメキシコ人

大学在学中に1年間、イギリス留学を経験していた。

「手術前後に、頻繁に海外旅行もしてましたね。特に女性となってからは堂々としてました。フランスにもビザの許す限り長期滞在したり」

「ファッションやアートが好きなのでヨーロッパばかりでしたが、当時はきっと、自分のことを知らない遠くの人たちと過ごした方が、楽だったんだと思います」

29歳のとき、トランスジェンダー系のサイトでメキシコ人男性と知り合った。

「彼は子どもの頃に、メキシコからアメリカに移住した人でした。アメリカで育ち、アメリカの大学を卒業したようなんですが、白人による人種差別を経験して、苛立ちを覚えてました」

母親がアメリカ人と再婚したために、有無をいわさず連れていかれたのだった。

「ラティーノのプライドなんでしょうね。故郷に対する執着が強くて、メキシコに帰りたいといって。ぼくと一緒にメキシコに行って暮らさないか、とプロポーズされました」

メキシコに帰れば、大好きなおばあちゃんや分かり合える親戚や友だちがいるから精神的に安定すると、いわれた。

「もちろん、私がトランスジェンダーであることは承知の上でした」

2014年に結婚。メキシコ・シティでの新婚生活が始まった。

新郎は所持金ゼロ

結婚は、女性として生きるマイルストーンでもある。理想の家庭を胸に思い描きながら、メキシコへと飛んだ。

「着いた初日に、その夢は打ち砕かれました(笑)。私がメキシコに到着する前日に仕事を辞めたっていうんですよ」

しかも、お金がまったくないと告げられた。

「ないどころか、ゼロなんですよ。いったいどうするつもりなの? と聞くと、『おばあちゃんがいるから大丈夫』って」

「おばあちゃんが別荘の管理をしていて、その売上があるから、ぼくたちは生きていけるっていうんですよ」

問いただすと、ふたりが住むアパートの家賃もおばあちゃんに払ってもらっていたらしい。

「これはジェンダー、セクシュアリティに関係なく、間違えた結婚をしてしまった、と悟りました(苦笑)」

トラベルエディターからコンサルタント会社へ

当初は、1年くらい語学学校に通ってから日系企業で職を探すつもりでいたが、そんな悠長なことはいっていられなかった。

「苦労して働いて生きていくことを覚悟しましたね(笑)。現地の商工会議所に求人の問い合わせをすると、旅行会社の編集部を紹介されたんです」

メキシコ・シティ滞在中の日本人や、日本好きなメキシコ人に向けたフリーペーパーの編集が仕事だった。

「メキシコに着いて数カ月後には、もう働いていました(笑)。スペイン語も働きながら覚えました」

現地の人に比べるとマシとはいえ、サラリーは低い。

「キャリアアップを目指して、すぐに旅行会社は辞めました」

次に就いたのは、企業法務、税務、労務関係を扱う総合コンサルタント会社だった。

「ちょうどメキシコの日本人社会では有名な大御所が独立するというので、その人についていくことにしました」

秘書、コンサルタントとしてキャリアを積むことになる。

10悩んでいる人におくるアドバイス

結婚生活は4年

初めての土地・メキシコで、予想していなかった状況に見舞われつつも、結婚生活はなんとか継続した。

「初めから嫉妬深い人だったんですけど、それが度を越すようになってきんです」

すれ違った金髪碧眼の北欧系男性がこっちを見ていたといっては、私に「彼を見るな」と不満げな態度をとる。

「心が不安定なことが多くなって、おかしな行動も目立ちました」

すでに、心は疲れ切っていた。

「もう限界だと思いました」

2018年、ついに離婚する決断する。
メキシコシティでの結婚生活は4年間で幕を下ろした。

暗号資産業界のコンプライアンス・オフィサー

チリ、アルゼンチンなどを訪ねる南米傷心旅行を経て日本に帰ると、前職と似たビジネスコンサルタントの仕事を得ることができた。

「メキシコでの経験が生きる仕事でした」

その後、暗号資産に関するコンプライアンス・オフィサーに転職した。

「投資でお金を殖やしたことや、キャッシュレスが当たり前という身軽なライフスタイル 願望が、暗号資産に興味を持ったきっかけでした」

クライアントの取引をモニタリングし、マネーロンダリングなどに関与していないかを調査。関連当局に報告する堅い仕事だ。

転職して1年半。現在は、暗号資産のモニタリングツールのセールスやコンプラインスアドバイザーを担当している。

「外資系の会社で、シンガポールとインドを主な拠点としています」

仕事はすべて英語。スタッフは インド人が多い。

「自分がトランスジェンダーだということは、会社には話していません。海外では男だろうが、女だろうが、トランスジェンダーだろうが、仕事さえできれば関係ありませんからね」

その意味でも、居心地よく働くことができている。

「メキシコでは、社内でハラスメントや差別が発覚すると、会社、経営者、加害者ごとに具体的な制裁を受けるんです。その点、日本は後進国ですよね」

「仕事とは別にLGBTをサポートする慈善活動をスタートしました」

LGBT関連のイベントで知りあった、LGBTアライの女性がビジネスオーナーだ。

「具対的には、MTFやジェンダーX、Qの方々に女性ファッションの提案をしたり、交流イベントなどの開催も企画してます」

実は、個人としても、トランスジェンダーを主としたLGBTのサポート活動をしようと手術前から考えていた。

今後、法人化などの計画も考えたいと思っている。

親のいうことがすべてではない

12年前に喧嘩別れになった父親とは、それきり顔を合わせていない。

「親と自分の考え方が違って悩んでいる人は、しっかり親と対話してほしいと思います」

それは、自分ができなかったことだ。反面教師として聞いてほしい。

親のマインドに沿って生きれば、金銭的、精神的な利益が期待できるかもしれない。でも、いまは親のアイデンティティや理想に影響を受けすぎた、と後悔もある。

「今は、私の時代より更にネットでたくさんの情報が取れますよね。それを利用して、いろいろな生き方があることを知ることが大切です」

親がこうしなさい、ああしなさい、といったことが、必ずしも正しいとは限らない。親も自分と同じ人だから。

大切なことは、自分自身がどう生きたいのか、できるだけ早く答えを出したほうがいい。

「そのうえで、親と話し合えば、衝突はあっても最悪の事態は避けられるかと思います」

「自分らしく生きること、周囲の協力を仰ぐことなどのバランスを取って、うまく生き抜くことがベストです」

「自分は周りの評判や理想を気にしすぎて、自分自身のことを真剣に考えるのが遅かった・・・・・・。だから、今、悩んでいる人に、エールとアドバイスを送りたいんです」

あとがき
クールでエレガントな着こなし、ゆったりした所作のエバさん。変化に富んだ時代の話は、笑いに^_^。過ぎた苦労は、過去の一点なのだ■「親としっかり対話してほしいです」。反面教師として語るエバさんの表情は、取材中いちばん真剣だった■今よりももっと、父親が頼もしい力の象徴だった時代がある。お父さんがLGBTERの記事を読んだら、なにを思うだろう。過ぎ去った思い出は、それが喧嘩でもいつか心を温める。(編集部)

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