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胸オペから1年。これからはセクシュアリティをオープンにして、ありのままで生きたい【後編】

胸オペから1年。これからはセクシュアリティをオープンにして、ありのままで生きたい【前編】はこちら

2023/04/09/Sun
Photo : Taku Katayama Text : Hikari Katano
吉岡 はな / Hana Yoshioka

2001年、長崎県生まれ。兄の影響で4歳からサッカーを始め、中学からは親元を離れてサッカー漬けの日々を送るが、中3の夏に引退。高校生で日本縦断を経験後、世界一周をする予定もコロナ禍で断念。2023年に世界一周に再度挑戦する予定。

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INDEX
01 いつも支えてくれる家族
02 生まれる前から活発?
03 文武両道な小学生
04 スポーツ万能
05 性別違和との向き合い方
==================(後編)========================
06 中学の “理不尽” な寮生活
07 地元に戻ったけれど
08 世界一周を決意
09 胸オペのため、カミングアウト
10 カミングアウトしていくきっかけに

06中学の “理不尽” な寮生活

何をしても怒られる

サッカー選手になりたくて、県外の私立中学に進学する。

進学先は、全国大会ベスト4に入るほどの強豪女子サッカー部がある学校だ。

「私立中学への進学は、自分から行きたいって親にお願いしました」

同時に、親元を離れての寮生活が始まった。

たくさんの先輩に囲まれての寮生活は、ままならないこともあった。

なかには寮生活や厳しい練習に耐えられずに、ものの1カ月で辞める部員もいた。でも、自分は寮生活を面白がることができた。

「最初のうちはホームシックもあったと思うんですけど、みんなと過ごすのが旅行みたいな感覚で楽しかったです」

もちろん、ほかの部活の先輩もいるなかでの寮生活は、楽しいことばかりとはいかなかった。

「廊下で先輩とすれ違うとき、端に避けると『先輩のこと、避けてるのか!』って怒られて。でも避けなかったら避けなかったで、結局怒られる・・・・・・」

「先輩たちも理不尽なことで怒られてきたから、同じことを後輩にしたかったのかなと思います(苦笑)」

1年生のうちは、先輩と5人部屋。入浴も3分で済まさなければならないほど、気の休まる時間はなかった。

反対に、自分が先輩の立場になったときは、”調子のいい” 立場に立つようにしていた。

「大勢の中で話すのが苦手なので、だれかが言ってることに『そう、そう!』って同調するときもあれば、後輩をフォローすることもあって、どっちにもいい顔をしてましたね(笑)」

身体の変化は仕方ないもの

女子寮で生活することに対して、もやもやすることは別段なかった。

「周りもみんなボーイッシュで。私服もジャージの人が大半だったので、居心地が悪いなと思ったことはなかったです」

制服のスカートも、厳しい縦社会の中では「抗う」という選択肢はなかった。

「制服もちゃんと着なきゃ顧問の先生に怒られる。下にジャージをはくなんて、もってのほかって感じでした」

授業のない日には、朝5時から夕方5時まで続くような練習漬けの日々。

「この身体は当たり前で変わらない、こういうものだと思ってましたね」

サッカー一色の生活で、身体への違和を感じている暇などなかった。

07地元に戻ったけれど

やり切ったサッカー

熱心に続けてきたサッカーだったが、度重なる怪我や、強豪校のなかでの限界を感じ、中学3年生の夏の全国大会を最後にきっぱり辞めた。

「地元でサッカーをやってたときは県内で選ばれたこともあって自信があったんですけど、強豪校はレベルが全然違ってましたね・・・・・・」

「十分やり切ったなって思って辞めちゃいました」

そのまま、中学卒業を待たず、中3の9月から地元の中学校に転校した。

久々に帰ってきた実家は、やっぱり居心地がよかった。実家に戻ってきた自分を、両親は責めることもなく、歓迎してくれた。

「親はいつでも帰ってきていいんだよって送り出してくれてたので、おかえりって温かく迎えてくれましたね」

「もしかしたら両親は『せっかく私立の中学に入れてあげたのに』と思ってたかもしれないですけど、そういうことは一切言いませんでした」

それ以降サッカーとの距離は、ときどき兄とボールを蹴ったり、観戦したりする程度に留めている。

スカート姿を見られたくなくて

約2年半ぶりに会う地元の友人たちのなかに、中3の秋から溶け込むのは至難の業だった。

「いじめられたりしたわけじゃないんですけど、ほかの小学校から来てる子もいるし、すでにグループができあがってるところに入りづらくて・・・・・・」

何より、昔からの知り合いに、制服を着た自分のスカート姿を見られるのが耐えられなかった。

だんだんと学校から足が遠のき、10月からは学校に行かなくなる。そこから中学校に行くことは二度となかった。

「卒業式も出なかったです。先生が、学校に置いたままにしてた教科書と一緒に卒業証書を家に届けてくれました(笑)」

強制しない母

母は、学校に行けなくなった自分を自然に受け入れてくれた。

「お母さんは、最初のうちは学校に行きなよって言ってたんですけど、理解してくれたのか、そのうち言わなくなりました」

「自分が、一度こうと決めたら変えない性格だってわかってたからかもしれないですね」

不登校の理由も聞かれたが、「スカートをはきたくないから」とは言わなかった。

「面白くないからとか、テキトーに答えてました」

自分が学校に行けないのはわがままだ、ルールに従えない自分が悪いと思い込んでいたため、だれかに相談しようとも思わなかった。

とはいえ、中学校に行かない間、ずっと家に引きこもっていたわけでもなかった。

「図書館に行ったり、お母さんがドライブやテニスに連れ出したりしてくれました」

不登校の期間中も、よく遊んで明るかったほうだと思う。

08世界一周を決意

高校も、制服を着たくなくて

高校は、”やんちゃ” な子たちが集まる学校に進学した。

「中学はサッカーばかりで全然勉強してなかったのと、制服のスカートを着たくなくて私服で通える高校をって探したら、どこにも行けないような人が集まるような学校しかなくて・・・・・・」

進学に際しても、両親はアドバイスこそすれ、口出しはしなかった。

「サッカーをしたいならこういうところがあるよ。勉強したいならここなんかどう? とは言ってくれましたけど、ここに行きなさいとは指示されませんでした」

私服で通えるという理由で高校を選択したことは、両親には伝えなかった。

“やんちゃ” な子たちも、実際に接すると印象が変わった。

「入学式で、真っ白なスーツを着てる人とか、金髪の人とかいて怖いなって思ったんですけど、いちご牛乳とか飲んでる姿を見るとかわいいなって思えるようになりました(笑)」

クラスが少人数だったこともあり、クラス全体で仲良くなった。

私服で登校しても周りに奇異の目で見られることもなく、制服の苦痛から解放された。

ある本との出会い

ある日、図書館で不思議な本を見つける。『SHOUT69』という、ある”自由人” の名言をまとめたものだ。

その本のなかの一文を読んで、雷に打たれた。

「『1年の時間と100万円を用意して、世界一周に行ってみよう』みたいなことが書かれてて。それを読んで、よし、世界一周しよう! って」

世界一周の資金を貯めるために、高1の冬から通信制の高校に切り替え、日中はパン屋でアルバイトに励む。

見事、高校生のうちに100万円を貯めることに成功した。

まずは日本縦断から

アルバイトを頑張った甲斐があり、100万円以上貯めることができたので、余ったお金で日本を歩いて縦断する旅に参加することを決める。

「高校生たちで歩いて日本縦断しようって企画があったんです。知り合いの家に泊めてもらいながら、多い日は1日4、50キロ歩いて、沖縄から北海道最北端の宗谷岬まで縦断しました」

「旅の中で稼いだお金を使って日本縦断するっていう旅だったので、路上ライブをして稼いだお金で電車に乗ったりもしました」

日本縦断を始める前は、とてつもなく大きなことに挑戦しようとしているように感じていた。

「でも、日本縦断し終えてからは、大きなことでも毎日こつこつ続ければだれでもできるんだって思えるようになりました」

一緒に旅をしたメンバーやお世話になったスタッフとは、家族のように絆を深められた。

日本縦断を達成したことで、世界一周への挑戦を前に弾みをつけることもできた。

09胸オペのため、カミングアウト

FTMとの出会い

通信制の高校でのテスト受験後、沖縄にいる友人の家に泊まったときのことだった。

「泊めてもらった子の友だちのなかに、手術をして戸籍の性別を変えたFTMの子がいるって話をされて。その子と似てるから、あなたもFTMなのかと思ったって言われたんです」

そのときは、まさか自分がトランスジェンダーだとは思わなかった。でも、手術で身体を変えられることや、戸籍の性別を変えられることに興味を持ち始める。

「身体は変えられないものだ、どうしようもないって思ってたので、手術できるんだ! 性別変えられるんだ! ってことが衝撃的で」

そこから、トランスジェンダーについて調べ始めた。

「調べてみると、自分と重なるような特徴が載ってて、自分もトランスジェンダーなんじゃないかって、思うようになりました」

もちろん、完全に確信を持てたわけではなかった。

治療をしたあとに「女性として生きたい」と考えが変わる可能性も考えた。男性のことを好きになったら、身体への違和感が消えるかもしれないとも思った。

「でも、そのときは胸がすごい嫌だったので、自分が歳を取ったときに胸を取らなかったら後悔するんじゃないかって思ったんです」

性別違和(性別不合/性同一性障害)の診断をもらい、胸オペを受けようと決意する。

新型コロナで延期に

高校卒業後は世界一周の旅に出ようと考えていた矢先、新型コロナが流行し始める。

「2020年の3月に卒業してそのまま出発するつもりだったのに、その3月に行けなくなってしまって・・・・・・。仕方なく旅行代金を返してもらいました」

世界一周は止む無く中断せざるを得なかった。その代わり、香川のテーマパークで住み込みのリゾートバイトを始めることにした。

「香川を選んだ理由は、讃岐うどんが食べたかったから。九州のうどんってコシがなくてやわらかいんですけど、自分はそれが苦手なんです(笑)」

休日には讃岐うどんの店を回り、滞在中に50件ほどの店を訪れた。おかげでお気に入りの店に出会うこともできた。

胸オペの前に両親へカミングアウト

胸オペをする前に、両親にカミングアウトしなければならない。

まずは日本縦断の際にお世話になった「お母さん的存在」である年上の女性に相談した。

「その人に、『もし、自分の子どもにカミングアウトされたらどんな気持ちになる?』って聞いたら、『うれしいと思う。隠されたほうがつらい』って言われて、親にカミングアウトする決心が固まりました」

香川でリゾートバイト中だったこともあり、まずは手紙とLINEで母に伝えた。

「そのときは香川に行ったばかりでホームシック気味だったこともあって、電話だと泣いちゃいそうだなと思って手紙で伝えました」

母は、必ずしもLGBTやトランスジェンダーについて知識があったわけではなかった。それでも、自分を全面的に理解し、受け入れてくれた。

「よくわからないけど、そのまま好きに生きていいよ。自由にしたいように、手術したり、名前を変えたりしていいよって言ってくれました」

父には、母から伝えてもらった。父からも母と同じように自由に生きてよいとLINEが届いた。

カミングアウトしても、どこへ旅に出ても、治療をしても、元気に生きてさえいてくれればいい。

そう伝えてくれる両親のことは、とてもありがたいと思っている。

10カミングアウトしていくきっかけに

胸オペから1年

香川でリゾートバイトをしながら月1で東京のクリニックに通い、性別違和(性別不合/性同一性障害)の診断を受け、2021年6月に念願だった胸オペを受けた。

手術先は、いつもなんでも自由にさせてくれる両親から珍しく指定された病院を選んだ。

「両親が、手術はしていいけど身体が心配だからって、両親が調べて一番いいと思う病院で治療してほしいって言われたんです」

かつては「乳がんになったら、胸を摘出できるのに」とさえ思ったこともあるほど嫌悪感を抱いていた胸と、ようやく別れを告げることができた。

胸オペから1年以上経ち、傷もだんだん目立たなくなってきた。

胸がなくなってうれしいというよりは、マイナスがゼロになったような心地よさがある。

「胸オペしたその年の夏からシャツ1枚で過ごせるようになりました! 初めてシャツ1枚で過ごせるようになってうれしかったです」

「胸オペした次の春には沖縄で泳ぎました。ちゃんと泳ぐのは10年ぶりくらいだったんですけど、感動しました」

手術や術後経過は想像以上につらいこともあったが、今は「無いはずのものがある」状態から解放された日々を送っている。

父においしいコーヒーを

香川でのリゾートバイト勤務を終え、現在はカフェで働き始めている。

「バリスタを目指して研修も受けました」

父の影響で20歳からコーヒーを飲むようになったことが、カフェで働き始めたきっかけだ。

「いつかお父さんに、おいしいコーヒーを淹れてあげたいなって思ってます。まだお父さんには言ってないですけど(笑)」

長らく延期となっていた世界一周旅行も、いよいよ始めたいと考えている。

「2、3月にフィンランドでオーロラを見たいと思ってるので、そこに合わせてスタートさせたいなって考えてるところです」

「世界一周にもいろいろな方法があるんですけど、自分はアフリカ、中南米を含めてすべての地域を回りたいと思ってます。ハワイ島のマウナケアにはぜひ行きたいですね」

今もっとも楽しみなことは、世界一周を終えたあとに見える新たな景色だ。

LGBTERをカミングアウトするきっかけに

現在自認しているセクシュアリティはXジェンダーだ。

「クリニックで『吉岡 ”くん”』って呼ばれたことがあって。トランスジェンダーに配慮してそう呼んだんだと思いますけど・・・・・・」

「それまでは自分は男性になりたいんだって考えてたんですけど、実際に男性扱いされるのもなんか違和感があったんです」

ホルモン治療やさらなる手術も、当面は予定していない。

「いずれ子宮も摘出できたらなとは思いますけど、胸オペが想像以上につらかったので、ちょっとまだ決断しきれてないですね・・・・・・」

いずれは、自分のセクシュアリティをオープンにしてありのままで生活したいと考えている。

でもまだ、ごく親しい間柄の友人にしかできていない。

「香川にいたとき、友人に月1で東京に通ってたのを不思議がられて、カミングアウトしました。そこから近しい人には少しずつ伝え始めてます」

「一歩を踏み出す勇気が欲しくて、胸オペから1年経ったのを機に、今回LGBTERに応募しました」

この記事が公開されれば、まだカミングアウトしていない友人にこの記事を読んでもらうこともできる。

「話してないとウソをついてるわけじゃないけど、後ろめたさは残りますよね」

そして、カミングアウトがうまくいかなかった例をたくさん知って不安を覚えていた時期もある。

でも、周りに恵まれているおかげで、今のところ人に打ち明けても否定されたことはない。

「カミングアウトすると心をもっと開けるし、相手のことを大切にしようって思えるんです」

世界一周で、温かい人の輪をこれからも大きく広げていきたい。

あとがき
「自由に生きていいよ」。カミングアウトのとき、お母さんはいった。少し昔をふり返る吉岡さんの表情から、その言葉は「どんな決断をしてもあなたを信じてる、愛してる」と聞こえるようだった。お父さんへのコーヒーは、もうおいしく淹れたかな■親御さんのご相談は多い。〔子どものことは親が一番わかってる〕は、親の身勝手になることも。混乱した場面をへても “あなたを大切におもってる” と、伝わるといい。スタイルなんてない。おもいのままに、何度でも。(編集部)

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