02 一緒に遊ぶのは男の子だけ
03 男の子になりたいけれど・・・
04 女の子らしくなれない
05 墓場まで持っていく覚悟
==================(後編)========================
06 高校辞めます宣言
07 でも大学に行きたい
08 初日から激しい動悸
09 資格を取るなら行政書士
10 いつの間にかセクシュアリティをオープンに
06高校辞めます宣言
高校中退
高校に進学すると、より一層内気になっていった。
「クラスメイトが楽しそうにキャッキャ話してる声を聞くだけで動悸がするようになっちゃって・・・・・・」
だれかにいじめられてたわけではない。
「だれが悪いとかいうことでもなく、ただ内なるもやもやと、思春期の悩みが重なったんだと思います」
「人の目線が過剰に気になってしまって、人が大勢いる環境が怖くなってだれにも話しかけられなかったです」
部活は中学から続けていた吹奏楽部に入り、部活動だけを楽しみになんとか1年生のうちは乗り切った。
でも、2年生になると、クラス替えで知り合いがまったくいない環境になり、限界に達する。
「2年生になって1カ月くらいで親に高校を辞めるって宣言して」
もちろん、両親には高校を辞めたい理由を聞かれたはずだが、このときもなんと答えたかほとんど記憶がない。
「とにかく『辞めたい』って繰り返してたんじゃないかな」
しばらくは両親も自分の気が変わるかもしれないと考え、すぐに中退はしなかったものの、状況は変わらず結局高校を中退した。
寝られない「ニート」生活
ストレスの原因であった学校を辞めても、精神的苦痛から完全に解放されたわけではない。
「ニートになったんですよね・・・・・・。人生のレールを踏み外したなって思ってました」
寝付けない夜が続く。
「寝られなかったのは、やっぱり落ち込んでたんだろうと思います」
たびたび外出はしていたので、まったくの引きこもり生活というわけではなかったが、アルバイトなど社会的接点を持つでもなく、”ニート“ としてしばらく過ごした。
07でも大学に行きたい
都会へのあこがれ
高校を中退して特段何もしない生活を送りながらも、なにも考えられないほどのどん底にいるわけでもなかった。
「勉強は苦手ではなかったので、大学には行きたいって思ってました」
「地元が田舎なので、都会に出たいって気持ちが強かったですね」
受験勉強のために予備校に通い始める。
両親は、高校に馴染めず中退した娘が大学進学を機に上京したいと言い出すことを心配したはずだが、反対はしなかった。
「親は、地元でもいいんじゃないの? とは言ったし、なんで東京に行きたいのって思ったはずですけど、地元の大学にしなさいとは言わなかったですね」
地元の大学も受験したが、両親はあくまでも自分の意思を尊重してくれた。
都会に行けばLGBTQ当事者と出会える
そのころはすでに自分がLGBTQ当事者であると自覚していた。
「男の子みたいに背も伸びないし筋肉質にもならない自分の姿を見るのが嫌で、できるだけ鏡を見ないようにしてました」
「理想と現実の差を直視したくなかったんですよね」
都心での生活にあこがれた理由の一つに、LGBTQ当事者との出会いもあった。
「都会に行けば、LGBTQ当事者の知り合いができるんじゃないかって思ってました」
一方、当時もすでにネット上のLGBTQ当事者のコミュニティはあったが、そういったものを調べたことはなかった。
「そういうコミュニティがあるって思いつきもしなかったです」
「都会に行けば、LGBTQ当事者に出会えるはず」という思いのもと、都会生活へのあこがれを膨らませていた。
08初日から激しい動悸
楽しみにしていたはずなのに・・・
東京の大学に無事合格し、都心の世田谷で一人暮らしを始めた。
心待ちにしていた都会での生活。
だが、上京初日から異変が生じる。
「動悸が止まらなくなって。その日に寝たらなんとか収まったんですけど」
「でも、いざ学校が始まったらまた動悸が出るのが、その後、何か月か続いちゃって・・・・・・」
大学ではなんとなく一緒に行動する友人が一応でき、強豪のビッグバンドサークルに入部して頻繁に練習に参加したが、一方で動悸が改善する兆しはなかった。
そんな大学1年生のある夜、とうとうパニック発作が起きてしまう。
「ベッドの上で、汗がバーッと出て、暑くなったり寒くなったりして。『離人感』っていうんですけど、自分がここにいるはずなのにいないような、幽体離脱してるような感じもして。そんな状態が夜中ずっと続いて・・・・・・」
心の病との戦いが本格的に始まった。
引きこもり、大学も中退
動悸やパニック発作はその後も改善せず、発作を度々引き起こすようになってしまう。
「何回も発作が出るようになってからは大学に行かなくなっちゃって」
どう対処すればいいかわからなかった。
相談できる人もいなかった。
だれにも助けを求められないまま家で一人きりでこもり続けた。
「ネットで調べて『多分、パニック障害ってやつだ!』とはわかったんですけど、病院に行く勇気もなくて。・・・・・・きっと、自分の中に精神科に対する偏見があったんですよね」
大学1年生が終わるタイミングで、とうとう親に状況を打ち明けた。
「母に、たしかLINEで伝えたと思います。そうしたら、実家に帰ってきなさいって言われて」
上京してきた母親に連れられ、実家に戻った。大学もそのまま中退する。
療養中に影響を受けた海外のエンタメ
地元に戻ってからは、2週間に1回通院して治療を受けた。
「あのころは、どうやって今日一日を生き延びるかで毎日が精いっぱいでした」
「上京初日に動悸が激しくなったのは、うれしい気持ちも不安な気持ちも一緒くたに極度な興奮状態になって、それを脳がストレスと感知したからだろうって医者に言われました」
療養に専念するなか、好きだった海外の映画やドラマを片っ端から視聴した。
「洋画のなかには、LGBTの人が出てる作品が多くて、びっくりしました。海外ドラマも、たとえばレズビアンカップルが養子を育てていたりするんです」
さらに調べてみると、ハリウッドセレブのなかにはLGBTQ当事者であることをカミングアウトしていたり、アライであることを表明していたりする人が少なくないことを知る。
「自分も女性を好きになって悩んだり、性別がどっちつかずで悩んだりしてたけど、セクシュアリティで悩んでふさぎ込んで、一生終わるのってもったいないって思うようになって」
「LGBTQ当事者であることは恥ずかしいことで、だれにも言えないって思ってたけど、そうじゃないんだって考えが変わってきたんです」
「洋楽界でも、マドンナとかレディーガガとかのメッセージを読んで、悩む必要なんてないんだ! って勇気をもらえました」
粘り強く治療を続けたことと、海外のエンタメのおかげで、少しずつ気持ちが上向きに変わっていった。
09資格を取るなら行政書士
行政書士もエンタメの影響
療養生活を1年ほど続けたあと、将来について考えた。
「まずはリハビリもかねて専門学校に行ってみるかと」
どの職業に就きたいかを考えたときに思い出したのが行政書士だった。
「小さいころに見た『カバチタレ!』って行政書士のドラマの再放送を思い出して。資格を取るなら行政書士って、子どものころ漠然と思ってたんです」
「行政書士だと、資格を取るのに学歴制限がなくて。中卒でも試験に受かれば資格を取れるんです」
専門学校を卒業後、パートで働きながら資格の勉強を続け、3回目で合格。見事行政書士になった。
行政書士の資格を取っても
行政書士として地元付近で求人を探すも、なかなか見当たらなかった。
少し足を延ばして名古屋で就活をするも、学歴の “傷” のせいでうまくいかなかった。
「高校、大学を中退したせいか、書類選考で全然通らなくて」
なんとか2社面接までこぎつけたが、1社はその後不採用。
「もう1社は、残業で毎日帰宅が深夜12時くらいになるって言われて・・・・・・。こちらからお断りしました」
どこも雇ってくれないなら自分でやるしかない。
一念発起、いきなりだが自分の行政書士事務所を開業する決意を固めた。
10いつの間にかセクシュアリティをオープンに
両親へのカミングアウト
大学を辞めたころ、母親に悩みを吐き出すようにカミングアウトした。
セクシュアリティのもやもやを自分の中で留めておくことが限界になったのだ。
「お母さんは私を娘だと思って育ててきたと思うけど、私は ”娘” じゃないよって言いました」
「性別を変えたいとは思ってないけど、小さいころから男の子になりたいと思ってきた。趣味は男の子向きだし、女の子を好きになったこともあるって」
母親は冷静に受け止めてくれた。
「母から『高校生のころから、トランスジェンダーなんじゃないかって思ってたよ』って言われたんですね。でも私は別に性別移行したいわけじゃないんだって答えて。そうしたら今までの思いがあふれて、バーッとしゃべって・・・・・・」
途中からはなにを話したかよく覚えていないが、母は否定することなくすべて受け止めてくれた。
母と話している最中、父が帰宅。その流れで父にもカミングアウトした。
「今まで二人の前で無理に女の子らしく、男らしくしようとしたことはなかった。二人の前ではありのままでいたし、それはこれからも変わらないって、泣きながら話しましたね」
「父もちょっと泣いてたと思うんですけど、言ってくれてありがとうって」
普段の静かな姿には似つかない父の涙。
きっと子どもである自分が今まで悩んできたことに対するものだったのだろうと思っている。
そうだ、LGBTQフレンドリー行政書士になろう
両親にカミングアウトしたあと、友人の一人にカミングアウトする以外は、自分のセクシュアリティを積極的にオープンにしてこなかった。
LGBTQ当事者と積極的につながろうとも思わなかった。
「まだ療養中だったこともあって、セクシュアリティ云々以前に、積極的に人と縁を築こうっていうエネルギーがなかったんです」
そのあと、行政書士事務所を開業するにあたって、なにを専門分野にするか調べているときだった。
「全国に何人かLGBTを専門にしている先生がいらっしゃって、私もこれでいいじゃんって」
開業してからセクシュアリティを少しずつオープンにしていこうかと考えていた矢先だった。
父が意外な縁を運んでくれた。
かつてLGBTQフレンドリーな福利厚生を設けている会社を経営していた知人に自分のことを紹介したという。
母を経由して事後報告的に知らされた。
その人がLGBTQ当事者や活動家に自分のことを紹介し、その後、みるみるうちに人の輪が広まっていった。
「もともとLGBTQ当事者の知り合いやコネもあるわけでもなかったので、周りに ”固められた” 感じですね(笑)」
「ここまでサポートしてもらったら覚悟してやるしかないと思って、開業と同時にSNSでLGBTQフレンドリー行政書士です! って書くようになりました」
現在は自分のセクシュアリティを完全にオープンにして事業を続けている。
開業して、早くも1年と数カ月が過ぎた。奮起して始めた行政書士の仕事だが、常にエネルギッシュに活動できているというわけではない。
「辞めたい気持ちと頑張ろうって気持ちが交互にやってきますね(笑)」
「LGBTQのイベントを開いたあとに、参加者から『お話を聞けて良かったです』って言ってもらえると、よし、頑張るか! って思えます」
試験で学んだことと実際の業務はイコールではない。日々勉強し、試行錯誤しながら進んでいる。
セクシュアリティで悩んだ時間も糧に
美濃加茂市の隣・関市で、2022年から「関市パートナーシップ宣誓制度」が導入された。
岐阜県内の市町村で同性パートナーシップ制度が導入されたのは、関市が初めてだ。
「知人が関市のLGBT担当の方とお知り合いで、そのつながりで私が友だちと始めたLGBTサポート団体と関市の市役所さんとで、イベントを開催させてもらいました」
でも、ゆくゆくは地元である美濃加茂市でも同性パートナーシップ制度が導入されるなど、LGBTQ当事者がより生きやすい場所になってくれたらと願っている。
「関市が岐阜県のモデルケースになって、ほかの地域にも広まってくれたらいいな、って思ってます」
14歳から20代前半までの長期間、つらい日々が続いた。
一時は、大切な期間を無駄に過ごしたと思うこともあったが、今は考えが変わってきた。
「しんどい期間を長く過ごしてきた分、つらい人に寄り添えるんじゃないかと思うんです」
「遠回り」をしながらも、ようやくたどり着いた行政書士という仕事。
どうせならセクシュアリティに悩んだ期間も、LGBTQ当事者であるということも、すべてをプラスに生かしていこう。
自分のようにつらい思いをしている人を、一人でも多く救うために。