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性同一性障害の診断が下りて10年、今やっと自分に向き合える。【後編】

性同一性障害の診断が下りて10年、今やっと自分に向き合える。【前編】はこちら

2018/11/07/Wed
Photo : Tomoki Suzuki Text : Kei Yoshida
本橋 真美子 / Mamiko Motohashi

1990年、東京都生まれ。「親戚のおばちゃんと結婚する」と家族に宣言して以来、好きになる相手は女性ばかりだったため、自分のセクシュアリティに気づき、体に違和感を感じるようになる。中学生になって、自分は性同一性障害かもしれないと母親に告げるが聞き入れてもらえず、違和感を抱えて思い悩んだ。そして高校1年生の時に性同一性障害の診断が下りるも、職場でのパワハラ、父親との死別、交通事故などにより治療を断念。いよいよ今年から再開の予定。

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INDEX
01 いつでも兄妹3人で
02 生えてこない男性器
03 いじめに屈することなく
04 リストカットの痛み
05 カミングアウトは早めに
==================(後編)========================
06 好きな子には何でもしてあげたい
07 パワハラを受けてパニック障害に
08 あとを引く交通事故の被害
09 大好きだったお父さん
10 性同一性障害の診断から10年

06好きな子には何でもしてあげたい

好きなブランドの洋服を

カミングアウトしてからも、高校のクラスメイトは変わらず接してくれた。

「男子と遊ぶ時は公園でゲームやったり、女子と遊ぶ時はカラオケ行ったりしてました。歌うのはいつもラルク アン シエルでした」

好きな子もいた。しかし、相手はクラスメイトではなかった。

「SNSで知り合った中学2年生の女の子と付き合ってました。ラルクが好きってところで意気投合して」

「その子は仙台に住んでいたので、毎月1回、アルバイトで稼いだお金で夜行バスに乗って、仙台まで会いに行ってました」

「それで、会うたびに彼女が欲しいものを買ってあげてました。好きなブランドの洋服とか。1着2万円くらいするやつ」

高校生のアルバイト代で毎月仙台と東京を行き来して、さらに2万円ものプレゼントをするのは、決してラクではない。

しかし、好きな子が望むことには応えてあげたかった。

「でも、結局浮気されちゃって・・・・・・」

「1度目は許したんですが、2度目はさすがに許せないなと思って、自分から別れを切り出しました」

福岡まで夜行バスで

次に付き合ったのは、福岡に住む10歳年上の女性。

やはり、きっかけはSNSだった。

「その時も福岡まで通ってましたね。毎月、夜行バスで13時間かけて(笑)」

「彼女には障がいがあったので、体調と相談しながら、滞在先のホテルの周りを散歩したりしてデートをしていました」

しかし、その彼女も浮気が原因で破局を迎えた。

遠距離恋愛だったため、頻繁に会うことも難しく、彼女は寂しさを埋めるように浮気に走ってしまったのかもしれない。

「それも、いつも決まって2年近くで別れちゃうんですよ」

「携帯の更新時期と重なっているので、あ、また2年かって(笑)」

相手の女性はどちらもヘテロセクシュアルだった。

その証拠に浮気相手は男性だった。

付き合っている時、彼女たちはきっと男性として見ていてくれたのだろう。

07パワハラを受けてパニック障害に

音楽に携わる仕事がしたい

子どもの頃からミュージシャンに憧れていた。

音楽の専門学校の体験入学に何度か参加したこともあり、高校を卒業したら、専門学校で音楽を学ぼうと思っていた。

「音楽は聴くのも演るのも好きなので」

「でも、いざ願書を取り寄せようと思ったら、その専門学校がなくなってしまうと聞いて・・・・・・」

「どうしようかと悩んでいる時に、アルバイトをしていたコンビニのオーナーから、店長として働かないかと声をかけてもらったんです」

そして、せっかくだからとそのままコンビニに就職した。

しかし、音楽に携わる仕事への興味が、どうしても高まってきてしまう。

「今まで、コンビニでしか働いたことがなかったから、別の世界が見てみたいという気持ちもありました」

そこで、音楽配信サービスを行う会社に転職した。

配属されたのは管理部。

着メロを配信したり、資材を管理したり、広報誌の情報を集めたりと、仕事の内容は幅広く、面白かった。

しかし、広報部の50代の女性スタッフから言い掛かりをつけられるという事件が起こる。

首元を捕まれ、怒鳴られて

「ちょうどその時期、パソコンのWindowsをバージョンアップしないといけないタイミングだったんです」

「本来は、その女性スタッフと自分が手分けしてやるべき仕事だったのに、なぜか自分だけに押し付けられて・・・・・・」

「結局、手が回らなくて作業が追いつかなくなってしまって」

困り果てて部長に相談したところ、後日行われた全体ミーティングでそのことが話題に上がった。

「ミーティングが終わって、会議室を出たところで、その女性スタッフに首元を掴まれて、『あんた、何で言ったの!?』って詰め寄られて」

「それからパニック障害の発作が出るようになっちゃったんです」

発作が出てしまうと、過呼吸に陥って、しばらく仕事ができなくなる。

このまま仕事を続けるのは無理だと思い、部長に退職を申し出た。

「部長からは、部署を異動することも提案されました」

「でも、部署が変わったとしても、その人が社内にいることは変わらないので、何かのきっかけで、また発作が出てしまうだろうと思いました」

「大勢の前で怒鳴られたこともトラウマになってしまって、別の部署に行くこと自体も怖くなってしまったんです」

職場が入っていたビル内の、周りに誰もいない場所で発作が起こってしまったこともあった。

落ち着くまで廊下の端に座って、ひとりで耐えていたところ、心配した部長や他のスタッフが迎えに来てくれた。

やりたかった音楽の仕事。なんとか続けたいとは思った。

そして3ヶ月、パニック障害を抱えながら勤め続けた末に、限界を感じて退職した。

1年半の勤務だった。

08あとを引く交通事故の被害

激しい痛みや強張り

実はパニック障害以外にも現在抱えている病がある。

線維筋痛症という、全身の骨格筋に激しい痛みや強張りが生じる疾患だ。

「3年前に交通事故で、右半身を強く打ってしまったんです」

友だちが運転する車の後部座席に、もう1人の友だちと乗っていた時のこと。

スピードを出しすぎる友だちに「スピード落として」と言った直後の出来事だった。

「車は右側を下にして横転してしまいました」

「怖かったです・・・・・・。全部がスローモーションのように見えました」

「隣に座っていた友だちを押さえるような格好で右半身を強く打って」

救急車で運ばれ、集中治療室で治療を受けた。

運転していた友だちはあごの骨を折り、隣に座っていた友だちは頰の骨にひびが入り、自分は目の下の骨を骨折した。

命に別状はなかったが、目の下に後遺症が残った。

「麻痺してしまって、瞼がほとんど動かないんです。今でも2週間に1度は病院に通って、麻痺を緩和させる注射を打っています」

やっと9つめの病院で

麻痺だけではなく、発熱とともに右半身に激しい痛みを感じることがあった。

「誰かに体を掴まれて、握りつぶされそうになっているような痛みです」

痛みに耐えきれず、治療してほしいと病院で診察を受けるも、痛みの原因が分からず、治療の方法がはっきりしない。

最初の病院で分からなかったので次の病院へ、そこでも分からなかったので、また次の病院へ。

そうして、ようやく線維筋痛症という病名に行き着いたのは、9つめの病院だった。

レディー・ガガが活動を休止した理由がこの病だったことから、多くの人に知られるようになった線維筋痛症。

まだ確実な原因を特定されておらず、通常の血液検査やCTスキャン、MRIでも異常を発見できないため、治療に到るまでが難しい。

確実な原因は特定されていないが、発症には何らかの身体的外傷や心的外傷が起因していることが多いと言われており、今回も事故の怪我やトラウマが引き金になっているのではないかという診断だった。

「でも、そのことが分かったのは、事故から1年半くらい経ってしまったあとだったんです。もう、保険金を受け取ってしまったあとだったので」

「今も、痛くて目が開かなくなることがあります」

歩くにも困難が伴うので、普段から折りたたみ式の杖を持ち歩く。

現在は障害者手帳を受け取り、目の下の麻痺と線維筋痛症を抱えながら生活している。

仕事は、音楽配信サービスを行う会社を退職したあと、18歳の時に離婚してから離れて暮らしていた、母親のスナックを手伝っている。

09大好きだったお父さん

「俺、いつ死ぬか分からないんだからな」

18歳の時に両親が離婚した。

突然、母親が家を出て行ったのだ。

「そしたら、その翌年に父が亡くなってしまって」

「もともと血圧が高かったのに、お酒が好きで、痛風の薬ばかりを優先して飲んでいて、血圧を抑える薬を飲んでいなかったせいか、脳幹出血で・・・・・・」

「ほんと、冗談のように『俺、いつ死ぬか分からないんだからな』って父が言った2日後に亡くなってしまったんです」

実家には、兄と自分と妹の3人だけが残された。

成人したばかりの兄と、次の職を探していた自分。

そして妹はまだ高校生だった。

3人だけで生活するのは苦しかったが、母親の力を借りるのは気が引けた。

「当時は、自分たちを置いて出て行った “裏切り者” だと思っていたんで」

実家を売ろうという話も出た。

今後の生活費のことを考えて、兄と妹は売ることに賛成していたが、自分は反対だった。

そして結局、実家は売らず、再びコンビニで働かせてもらって、なんとか兄と自分で生活費を稼いだ。

妹の学費だけは母親から援助してもらった。

父親が亡くなってから5年間、兄妹3人で力を合わせて生きた。

「あの頃が一番辛かったですね」

「両親が離婚して、パワハラにあって、父が亡くなって・・・・・・」

「特に、お父さんが亡くなったことが、とても辛かった」

「生きていくために、何をすればいいのかさえも分からなかったから」

生活費などの他に、法事のことも、税金のことも、分からないことだらけだった。

「親戚のおばちゃんに教えてもらいながら、なんとかしました」

兄妹だけで生きていくのは辛かったが、改めて気づけたこともあった。

「父が亡くなって、親のありがたみをすごく感じました」

「料理ひとつとってもそうです。父がつくってくれていたのを思い出して・・・・・・」

たまに父のにおいが

自分は、いわゆる “お父さんっ子” だった。

一緒にいる時間が長かった分、母親よりも父親のほうに懐いていた。

「パワハラにあって、パニックの発作を起こしやすい時期があったんですが、そんな時は父の部屋で、父と一緒に寝てました」

大好きな父親と一緒なら、安心して眠ることができた。

亡くなったあとは、自分の部屋ではなく父親の部屋で眠った。

「部屋にいると、たまに父のにおいがスッと通る時があるんですよ」

「妹と『お父さん、今いるよね』って話したりしています(笑)」

亡くなったはずの父親の気配を感じる。

もしかしたら、今も兄妹たちを見守っているのかもしれない。

しかし、その実家から離れ、2年前からひとり暮らしをしている。

妹はそれよりも前に結婚して、すでに実家にはいなかった。

今、実家にいるのは兄とその妻だ。

「妹が嫁に行ってから、兄が結婚して、しばらく3人で暮らしていたんですが・・・・・・」

「交通事故にあったあとすぐに、居づらくなってしまって」

目の下の麻痺と線維筋痛症を抱えながらのひとり暮らし。

もう一緒に住むことはないが、手助けが必要な時には、母親の家に滞在することもある。

痛みのために、行動に限界がある時もあるが、母親のスナックで働きながら、なんとかひとりで生きていこうと頑張っている。

10性同一性障害の診断から10年

やりたい時にやれなかったけど

「父にも、体に対する違和感のことは話していました」

「カミングアウトして、これからのことを相談した時も、『自由にしていいよ、自分の思うように生きなさい』と言ってくれました」

両親の離婚、パワハラ、父親の死、交通事故、後遺症、ひとり暮らし。

さまざまな困難が次々に巻き起こったため、性同一性障害という診断が下りてから、10年近くの年月が過ぎてしまっていた。

「もう少ししたら、ホルモン治療を始めようと思っています」

「手術も全部する予定。戸籍も変えたいです」

「治療をしようと思ったタイミングで、パワハラにあったりとか、父が亡くなったりとかで、やりたい時にやれなかったけど」

やっと今、自分の体と向き合えるようになったのだ。

もちろん今でも、困難な状況は続いてはいるが・・・・・・。

治療して、手術して、戸籍を変えて、男性として生きたい。

その気持ちに揺らぎはない。

それと同時に、今まで治療ができないままの状態だったからこそ、分かったこともあった。

「治療していなくても、できることはたくさんあるということ」

「あと、カミングアウトのやり方次第で、周りとの関わり方が大きく変わるということがわかりました」

自分が性同一性障害であること、体は女性だけど心は男性であること、時に説明を加えながら、包み隠さず、ストレートに伝える。

高校生の時から実践している。

相手が初めて会う人だったとしても。

「いや、むしろ、初めて会う時にこそ、カミングアウトしておいた方がいいなって思います」

「事実を知って、それで距離をおきたいならそれでもいいし、付き合ってくれるなら仲良くしたいし」

最初から伝えておいた方が、自分との付き合い方を相手が選べるから。

できるだけ、初めから勇気を出して伝えたい。

ゆっくりと解決できるように

治療とともに、目標としていることがある。

「いろんなところに行ってみたい」

「行ったことのない県に行きたいんです」

昔からひとり旅は好きだった。

友だちや恋人を訪ねて、夜行バスで行き来するのは楽しかった。

「今行きたいのは尾道。『蒼穹のファフナー』とか、アニメ作品の聖地なんですよ。行ってみたいですね」

「あとは、バンドのセッションイベントを企画したい」

「自分もベースを練習しているけど、自分が演るのではなく、いろんな人に参加してもらえるようなイベントにしたいです」

目標としてチャレンジしてみたいことは尽きない。

そして、そんな自分を振り返って、今こう思う。

「パワハラとか病気とか、いろんなことがあって、それまでは普通に歩いていたのに、今はスピードダウンして歩いているような状態」

「ままならない部分もあるけれど、何か思ってもみなかったことが起きた時に、ゆっくりと解決できるようになりました」

「慌てずに、自分と向き合う。そういうことも大切だと思っています」

あとがき
LGBTERの公開案内に、「待ってました!」。本橋さんからの返信。取材後、ホルモン治療を始めて数回、やっと取り戻せている毎日。変化する身体にうれしさがあふれるメールだった■家族のこと、いじめのこと、事故、病気・・・期待が砕かれた時の話も、過去の誰かに語りかける時も本橋さんは優しい口調だ。今も心配ごとが消えたわけではないけど、「ゆっくりと解決できるようになった」と教えてくれた。今やっと、自分の希望に向き合えている。明日もいい日になる。(編集部)

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