02 思春期はいつも “ 一方通行 ”
03 ” 魔法使い ” になってしまう前に
04 やっと見つけた、本当の自分
05 「私、カメラマンになります」
==================(後編)========================
06 レスリー・キーとの出会い
07 ブログでのカミングアウト
08 すこしずつ、オープンに
09 いつかは、ふたりで暮らしたい
10 みんなに “ フラット ” な社会へ
06レスリー・キーとの出会い
「今しかないよ、やりなよ」
「OUT IN JAPAN」、5年間で1万人のLGBTのポートレート撮影を目指すカミングアウトプロジェクトだ。
その第一回目が開催される。
「現在の彼女と付き合いだして3ヶ月目くらいで、そのことを知ったんです。すぐに、応募したい、私もレスリーに撮ってほしい、そう思いました。でも、ちょっと待てよ、と。私、親しい友だちにも家族にも、カミングアウトしてない、ヤバイ、と気付いたんです」
レスリー・キーに撮ってもらうという夢が叶うかもしれない。
でも、そのためにはカミングアウトしなければならない。どうしようどうしよう。
そこで背中を押してくれたのは、彼女だった。「今しかないよ、やりなよ」
そして、幸運にも夢は叶った。
「感動しました。手紙に書いたことが現実になったんです」
夢が叶った、そのあと
その撮影のときに自分がカメラマンとして活動をしていると伝えたこともあって、第二回目からはスタッフとして声がかかり、プロジェクトに参加することになった。
夢が叶っただけでなく、憧れの人と仕事をするまでになった。
今の小林さんには、まさに順風満帆という言葉がぴったりだ。
しかし、もちろんその前に大きな関門もあった。
カミングアウトだ。
「家族には『実は今日、レスリー・キーに撮ってもらうんだー』と言ってはいたんです。でも、なんの撮影なのかは説明してなくて。撮影のあとも、その話題には触れられず・・・・・・。その話題になったら、自分が同性愛者だって絶対バレると思ったんで」
「でも・・・・・・、これ、カミングアウトするためのプロジェクトだったよな・・・・・・、レスリーに会うためだけじゃなかったもんな・・・・・・、で、やっぱり言わなきゃって」
そこで、とうとう決意が固まった。
07ブログでのカミングアウト
「自分らしく生きるのは、時に・・・・・・」
レスリー・キーにポートレートを撮影してもらった、第一回「OUT IN JAPAN」の情報が解禁になったとき、自身のブログでこんな言葉を発信した。
「父、そして4人の弟たちよ、、、
話したいことがあります。
姉は
女の子と付き合っています。
直接言えない情けない姉をどうか
許してください。
(中略)
やっぱり自分はそうなのかなと
思った時に涙が止まりませんでした。
自分らしく生きるのは
時に怖いものだと思いました。
(中略)
もしかしたら孫の顔を見せるのが
遅くなるかもしれません。
ごめんね。
家族のみんなにどんな反応を
されても受け止めるつもりです」
さりげなく、やさしい愛
すると、すぐにお父さんからコメントがあった。
「俺は、兄弟のことも、あなたのことも、応援してるよって。特に、LGBTのこととか女の子と付き合っていることとかには触れずに。それが、とてもお父さんらしくて、ありがたかったんです」
お父さんは、いつもブログやフェイスブックをチェックしてくれていて、時折コメントを書いてくれていた。
その日も、そのさりげないコメントが、何よりも心に響いた。
「お父さんは19までは俺が育てるけど、二十歳になったら自由に生きなさいって言ってくれてました。実は、そのコメントをくれたあとも、何も言わないんです(笑)。でも、たまに『おねえちゃん、8チャン見て』とかメールをくれるんです。で、テレビを見てみると番組で同性婚を取り上げていたり。そうやって、いつだって気にかけてくれているんです」
否定することも、大げさに肯定することもなく、自然に受け入れてくれたお父さん。
今も、「隠してても、私やっぱりレズだってバレちゃうんだよね」とお父さんに話をふっても、「そっかぁ、ハハハ」と笑い合える関係だ。
08すこしずつ、オープンに
カミングアウトしてよかった
実は、家族へのカミングアウトは、ひとつ年下の弟に直接話したのが一番最初だった。
「OUT IN JAPAN」での撮影についての話の流れから、そのプロジェクト主旨を説明したのだ。
そして、「実は、レズビアンなんだよね」と打ち明けた。
「姉、レズだったの? ウケる! って反応でした(笑)。でも、いいんじゃんって言ってくれました。下の弟たちも、レズなんだ、ハハハ……ぐらいで(笑)」
「末っ子の中学3年生の弟に関しては、思春期だったので心配でしたが、意外にも同級生にオープンのゲイの子がいるらしくて、逆にびっくりしました」
レスリー・キーに撮ってもらいたい、というところから始まったカミングアウト。
背中を押してくれた彼女、受け入れてくれたお父さん、笑ってくれた弟たち、みんなに感謝したいと小林さんは言う。
「カミングアウトして本当によかった。しなきゃよかったということは・・・・・・ ないですね」
いつかは、お母さんにも
しかし、家族のなかでカミングアウトをしていない人がひとりいる。
お母さんだ。
小林さんが子供の頃に離婚して、現在は再婚して別の家庭をもっている。
昨年彼女と一緒に、お母さんの家族が暮らすオーストラリアを訪れたときは、お祖母さんや叔母さんたちには伝えることができた。
「望まない妊娠もないし、いいんじゃない」という気軽な反応だった。
「もしかしたら、宗教上の理由からか、お母さんは同性愛にいい印象がないのかもしれなくて。私も慎重になっています。いつかは言えたらいいなと思っています」
カミングアウトして本当によかったと胸を張って言えたとしても、決して押し付けはしない。
離れて暮らしていても、いつか「実はね・・・・・・」と言える日がくるまで、家族としての絆はつなぎ続けていく。
09いつかは、ふたりで暮らしたい
3年以内には、一緒に
カミングアウトをするきっかけをつくってくれた彼女。
お付き合いは、まだ1年とちょっとだが、とても仲良く過ごしているという。
「年下ですが、ものすごく天然に見えて、実はとってもしっかりしているんです。彼女とは、3年以内には一緒に住みたいな、なんて思っています」
そして、ふたりには「子どもを生みたい」という共通の夢がある。
「いつかは二人の間に子供が欲しいと話しています。どんな風に授かるかはまだ分かりませんが、精子を提供してもらうか養子にするか。もっと経済力をつけて、いつか子どもと一緒にあたたかい家庭をつくるのが夢です。出来れば大家族がいいなって思っています」
大家族の楽しさや幸せを知っている小林さんと彼女の未来もまた、賑やかな笑い声が聞こえてきそうだ。
まだまだこれから
そんな風に未来についての相談事は尽きないが、すべては周囲にふたりの仲を認めてもらってから。
実は、小林さんも彼女の両親と会っており、パートナーとして受け入れてもらっている。
これから、すこしずつ家族としての関係を深めていくことになるだろう。
「今は別々に暮らしているけれど、一緒に住むためにがんばって働きます」
そう、彼女らは二十歳のボーダーラインを越えたばかり。
まだまだこれから、だ。
たくさんの祝福や幸福とともに、さまざまな困難に出合うこともあるだろう。
でも、「彼女は、とてもキレイなんです」と語る表情には、一点の曇りもない。今、彼女との未来に向かって、迷いなく進んでいるのだと感じた。
10みんなに “ フラット ” な社会へ
彼氏は? ではなく、恋人は?
小林さんが今一番熱中していることは、やはり写真を撮ること。
特に、LGBTの人たちを撮るのが楽しくてたまらないのだ。
「私がレスリーに対して思ったように、『この人に撮ってもらいたい』と思ってもらえるカメラマンになりたい。当事者同士だと、撮影の現場で家族のようにスグ仲良くなれるんです。それがうれしくて。カメラマンとしてのゴールは分かりません。ただ撮るだけです」
自分が撮ったLGBTの人たちの写真が、ネットで、雑誌で、イベントで、街で、いろんな人の目に触れる。
それは、社会にとって、とても意味のあることだと小林さんは語る。
「もっと社会がフラットになってほしいんです。LGBTという存在が取り上げられることもないくらい、フツーになってほしい。例えばここに、同性カップルの写真が飾ってあっても、『え、ナニコレすごくない?』じゃなくて、『あ、イイね』くらいの」
「彼氏いるの?」「どんな男性がタイプ?」……、かつて悩まされた質問だ。
これらが、「恋人はいるの?」「どんな人がタイプ?」と変わっていけばいい。
男女の組み合わせだけでなく、さまざまなカップルが存在することが当たり前な社会。
ジェンダーの壁のない ”フラット” な社会。それが、小林さんが目指す社会だ。
LGBTとユルくつながる
そして最近では、新しくイベントを立ち上げた。
立ち上げたといっても、「本当にユル〜い会なんです」と笑う。セクシュアリティ不問で、誰でも参加できるイベント。
映画を観たり、ゲームをしたり、ただしゃべったり。毎回テーマを変えて開催していこうと考えているという。
「LGBTの知り合いがひとりもいない、ストレートの友だちを連れていったんです。でも、普通に仲良くなってましたよ。ユル〜くつながっていました」
何かを一緒に楽しむことにセクシュアリティは関係ない。
それを証明したいという想いが込められたイベントだ。
小林さんが撮影した写真に触れた人が、LGBTの存在を知る。小林さんが企画したイベントに訪れた人が、LGBTの理解を深める。そんな風に、凸凹がすこしずつ削られ埋められ、誰もが自分の進みたい道を安心して歩けるような “フラット” な社会になっていくだろう。