INTERVIEW
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写真が放つ力を信じて。【前編】

「初めて作品として撮らせていただいた写真なので、お見せするのはすこし恥ずかしいんですが・・・・・・」そう言って、小林聖美さんが手渡してくれたのは、FTMクラブイベント「GRAMMY」のオフィシャルフォトブック。登場するFTMの人たちの生き生きと輝く表情や、自信に満ちたポージングを見るにつけて、制作に関わった全員が各々思い切り楽しみながら、”人生は楽しい” ── そんな想いを伝えようと一生懸命に取り組んだ様子が伝わってくる。「もっともっと写真を撮りたい」と語る、小林さんが目指すものとは?

2016/04/15/Fri
Photo : Mayumi Suzuki  Text : Kei Yoshida
小林 聖美 / Kiyomi Kobayashi

1992年生まれ、東京都出身。お母さんの故郷であるフィリピンで生まれたのち、幼い頃から現在まで東京都内で暮らしている。両親の離婚後は、お父さんと4人の弟と同居していたが、就職を機に一人暮らしをスタート。スポーツ用品メーカーに3年間勤めたのちに、カメラマンを目指して退職。現在はフリーランスのカメラマンとして、主にLGBT関連のイベントなどで撮影活動を行っている。

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INDEX
01 4人の弟をもつ、活発なお姉ちゃん
02 思春期はいつも “ 一方通行 ”
03 ” 魔法使い ” になってしまう前に
04 やっと見つけた、本当の自分
05 「私、カメラマンになります」
==================(後編)========================
06 レスリー・キーとの出会い
07 ブログでのカミングアウト
08 すこしずつ、オープンに
09 いつかは、ふたりで暮らしたい
10 みんなに “ フラット ” な社会へ

014人の弟をもつ、活発なお姉ちゃん

写真が放つ力を信じて。【前編】,014人の弟をもつ、活発なお姉ちゃん,小林 聖美,レズビアン

野球やサッカーが好き

ひとつ年下の弟、ひとつ間が空いて年子の弟たち、そして一番下の弟は中学3年生だ。

家族はみんな仲が良く、ひとり暮らしを始めてからも、月に2回は実家に帰り、わいわいと食卓を囲んでいるという。

そんな環境もあってか、活発な女の子だった。家のなかで過ごすよりも、外で野球やサッカー、泥遊びをしているのが楽しいタイプ。

友だちも、女の子よりも男の子のほうが多かった。

初恋は、同じクラスの男の子。元気がよくて、顔が好みだった。

しかし、女の子の友だちと ”好きな男の子の言い合い” で盛り上がるだけで、バレンタインにチョコレートを渡すわけでもなく、付き合ってほしいと告白をするわけでもなく、静かに恋は終わった。

年上の女性への、淡い憧れ

「初恋って、どんな感じだった?」

もし、そんな質問を投げかけられたなら、きっと、その男の子のことを話すだろう。

でも実は、もうひとつ、小学生の小林さんには秘められた想いがあった。

それは恋と呼ぶには、あまりにも淡く、感情としてかたちを成していなかったのかもしれないが。

「保健室の先生が、好きだったんです。いつも、すごく優しくしてくれて。あるとき、ヨシヨシと私をあやすように抱きしめてくれたんです。そしたら、胸がキュンと・・・・・・。 『オ、なんだこの感情は?』という感じでした(笑)。あったかい場所だったなぁ、保健室って」

積極的に学級委員を務めたり、女だから男だからと垣根をつくらず、気の合う友だちと遊んだりと、溌剌と過ごしていた小学生時代。

クラスの男の子が気になったり、年上の女性の先生に憧れたりと、きっと世間一般の小学生女子と大きくは変わらない少女時代だった。

02思春期はいつも ”一方通行”

丸坊主で部活に打ち込む

中学校からは女子バレーボール部に入部。

運動部のなかでもハードな部類に入るバレー部でも、へこたれることはなかった。

むしろ、気合いを入れるため、チームメイトと3人で、自ら丸坊主にしたこともあった。

「夏だったので(笑)。シャワーを浴びるたびに髪を拭くのも面倒だし、とにかく暑いし。友だちの家のガレージで、バリカンでバーーーーッと。でも、そんな状態でも、気になってる男の子に告白したりもしました。今考えると、よくそんな頭でコクれたなと」

坊主のときは、さすがになかったというが、告白 ”する” だけでなく、告白 ”される” ことも何度かあった。

しかし、両思いになることもなく、誰かと付き合うことはなかった。

その後、中学校の卒業式の日に告白した男の子と、とうとう付き合うことになった。

実は、告白当時は彼女がいたという彼氏。

略奪してまで成就させた恋だったが、別々の高校に進学し、お互いに部活が忙しくなり、たった一ヶ月ほどでお別れとなってしまった。

レズビアンではないことを証明したい

「高校に入ってからも、告白したりされたりがあったんですが、お互いの想いがどうにも一方通行で付き合うまでには至らず。周りはみんな彼氏がいるし、もう初体験しちゃっているし、友だちから『レズだろ、オマエ』って言われるし、とても焦っていたんです」

「で、無理やり付き合ってみるんですが、『あ、ちがう』ってなって2週間とかで、なにもしないまま別れてしまっていました」

彼氏をつくることで、レズビアンではないことを証明したかった。

でも、一方で、自分のなかの ”女の子を好きだと思う気持ち” にも、気付き始めていた。

それは、小学生のときに保健室の先生に抱いた淡い感情よりも、さらに明確な恋。

同じ高校に、いいなと思う女の子がいた。しかし、その感情と向き合わないようにしていた。

自分が同性愛者かもしれないという可能性を見たくはなかったから。

03“魔法使い” になってしまう前に

写真が放つ力を信じて。【前編】,03“魔法使い” になってしまう前に,小林 聖美,レズビアン

初体験をしなければ

いいなと思う女性は、高校を卒業したあと、就職した先でも見つけてしまった。

それは、職場の先輩。

仕事のあとの飲み会には、先輩を追いかけて参加していた。

「告白できるはずもなく、酔っ払った勢いで抱きしめちゃったりするくらいで。もしかしたら私の好意がバレてて、先輩からは警戒されてたかも(笑)。でも、みんなからレズだろって言われても全力で否定してました」

そして19歳のとき。

友だちからこんな話を聞かされた。

「二十歳までに初体験をしないと魔法使いになる」

実際にはあり得ない話だが、二十歳になっても未経験者であることは、それほどに奇異な存在だと周りから認識されてしまうということなのだろう。

小林さんも、もちろんそんな都市伝説を信じたわけではない。でも、未経験であることは恥ずかしいことなのだと、これ以上言われたくなかった。

「とにかく、二十歳までにやらなきゃと思いました。で、あるとき、友だちに紹介してもらった男の子と飲みに行ったんです。それで、もう今日しかないって思って」

わざと終電を逃して、その彼と一晩を過ごした。

晴れない気持ち

「あ、ちがう・・・・・・ だめだ」

すぐに思った。

彼とは、男性とは、付き合えない。これ以上はセックスなんてできない。

海外旅行に行くから、しばらく連絡がとれなくなる、と伝えたきり音信を絶った。

結果的に彼を傷つけることになってしまったが、ひとつだけ得るものがあった。

それは、 ”経験済み” という看板だ。

これで、周りからからかわれることもない。

それでも職場では、「彼氏いないの?」「好みの男性って、どんなタイプ?」「合コンやろうよ」といった言葉が日常的に投げかけられる。

ときには、同性愛者を笑いのネタにしている場面を目にすることもある。

「いやいや、彼氏じゃなくて彼女がほしいんですよね」と冗談ぽく返すこともできず、自分は同性愛者かもしれないのだと相談できる相手もなく、日々鬱屈した気持ちは積み重なっていった。

04やっと見つけた、本当の自分

やっぱりそっちなんだ

男性との初めての経験。

それが、自分が同性愛者かもしれない可能性と向き合うきっかけとなった。

それから、「自分が何者であるか」をネットなどで調べ出した。

そこで見つけたのが、LGBT成人式。性的マイノリティの当事者をはじめ、さまざまな境遇にある人々が、”成りたい人に成る” ためのイベントだ。

「ひとりで行ってみたんです。そしたら思ってたよりもたくさんの人がいて。掲示された写真を見て、文章を読んでいるうちに、『私、やっぱりソッチなんだ』と思って、泣きそうになったんです。で、すぐに帰ってしまいました」

初めて出会った当事者の人たち。

”仲間” とも言える存在かもしれない彼らに出会い、うれしいよりも安心するよりも、まず「どうしよう」と困惑した。

「みんなに何て言えばいいんだろう・・・・・・、本当の自分を見つけてしまったという感じ。その事実を、すぐには受け止められませんでした」

初めてのカミングアウト

誰にも言えない、何て言えばいいのか分からない。

そんなとき、レディ・ガガがバイセクシュアルであることを公言したというニュースが流れた。

「レディ・ガガが大好きな、あの子なら受け入れてくれるかも」そう思って、女友だちを呼び出した。

「回転寿司屋のカウンターに座って、『実はね・・・・・・』って。友だちは驚いていたけれど、『まぁ、いいんじゃない? レディ・ガガもそうだし』って言ってくれました。彼女は、私にとって一番最初の理解者です。でも、そのとき自分はバイだと伝えました」

ささやかな逃げ道だったのだろうか。

女性だけでなく男性とも付き合えるということを、友だちにアピールしたかったのだ。

その後、徐々に当事者の知り合いが増え、さまざまな声を聞くごとに、自分はレズビアンであるという意識が固まっていった。

そしてあるとき、当事者が集まるバーベキューに参加し、そこで出会った女性と付き合うことになった。

人生で初めての、同性の恋人だ。

しかし、社会人と学生という環境の違いから、10ヶ月ほどで別れが訪れてしまった。

とは言え10ヶ月。今まで男性と付き合った期間に比べると、ダントツで長かった。

05「私、カメラマンになります」

写真が放つ力を信じて。【前編】,05「私、カメラマンになります」,小林 聖美,レズビアン

写真が教えてくれた感動

あるとき、人生の転機となる出来事があった。

勤めていた会社が海外支援をしている国への、視察に同行することになったのだ。

行き先はスリランカ。

お父さんから譲り受けたミラーレス一眼カメラを携えて、孤児院などを回った。

「写真を撮ってたら、ちびっこたちがワーーーッて集まってきて。撮った写真を見せると、すごく喜んでくれたんです。写真を撮るって、なんて楽しいんだろうと感動しました。『この子たちは、どんな大人になるんだろう』とか思いながら、夢中で撮りましたね」

そのときの感動が忘れられず、小林さんはカメラマンになることを決意する。

しかし、そのときはカメラマンになるための道筋が見えていたわけではない。

ただただ、私がやりたいことはコレだ、という確かな想いだけがあった。

また、職場で感じていた閉塞感も、退職という選択肢を浮かび上がらせたのかもしれない。

例えテレビでオネエタレントが自らのキャラクターで笑いをとっていて、世の中にそれを許容する風潮があったとしても、例えまったく悪意がないとしても、同性愛者をネタに笑っていた職場の人たちに、カミングアウトすることは気が引けた。

「スリランカから帰って、ちょうど1年後くらいに、『カメラマンになりたいので、会社を辞めます』と上司に伝えました。そのあとはツイッターでカメラマンを探して、連絡をとって、撮り方を教えてほしいとお願いしたり、スタジオでプロの仕事を手伝ったりして、徐々にカメラの扱いを覚えていきました」

撮れば撮るほど楽しくなってくる。

一直線にカメラマンへの道を走っていた。

憧れの写真家への手紙

そんなとき、ある写真家のトークショーが都内で行われることを知った。

その写真家の名前は、レスリー・キー。

世界のファッション誌で数多くのスターを撮り下ろし、さまざまなチャリティ活動にも力を入れている人物だ。

LGBTへの理解を広めるため、当事者のありのままの姿を撮影するプロジェクトについても知られている。

東日本大震災のチャリティ写真展で彼の写真を見てから、ずっと憧れの存在だった。これはチャンスだ。どうしても彼に会いたい。

そしてトークショーのあとの握手会にも参加し、手紙を渡した。

「私はレズビアンです。いつか私も撮ってもらいたいです」

2年後、なんと、その夢が叶う日がやってきたのだ。

<<<後編 2016/04/18/Mon>>>
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06 レスリー・キーとの出会い
07 ブログでのカミングアウト
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10 みんなに “ フラット ” な社会へ

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