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性別適合手術を受けて、なりたかった自分に近づいた【後編】

性別適合手術を受けて、なりたかった自分に近づいた【前編】はこちら

2019/06/13/Thu
Photo : Ikuko Ishida Text : Shintaro Makino
長堀 久美 / Kumi Nagahori

1988年、埼玉県生まれ。小3で出会ったソフトボールに魅せられ、高校卒業までの10年間、ひたすら白球を追った。男子に興味を覚えない自分を、レズビアンかも? と自己診断していたが、結婚を求める女性に会ってFTMを自認。今年、タイで手術を受け、男性としての一歩を踏み出した。

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INDEX
01 やさしいお母さんと厳しい父親
02 人生を変えたソフトボールとの出会い
03 ほかの女の子と違う? という疑問はなかった
04 ひたすらボールを追った中学時代
05 もしかして、自分はレズビアン?
==================(後編)========================
06 セクシュアリティの落ち着き場所を模索
07 手術を受けて結婚したい。現実的になったFTM
08 ジレンマのなかで崩壊した、ふたりの関係
09 突然降ってきた父親代りの子育て
10 オレも手術を受ける!

06セクシュアリティの落ち着き場所を模索

先生にいわれるままに就職

高校を卒業したら、体育大学へ進学したいという希望があった。

「スポーツに関係する仕事に就きたいと思っていたんです。でも、家の経済状態がよくなくて、働いて欲しいといわれました」

先生に相談すると、大手の印刷会社への就職を勧められた。

「はい、分かりました、ってそのまま就職しました」

元来、他人まかせのほうが楽、という指向がある。

「それなら、それでいいか、って思ってしまうんです。言い合いをするのも面倒ですしね」

転職をしたいと考えたこともあるが、結局、最初に就職した会社に13年間、勤続している。

「いつも安定しているほうを選んでしまいます。仕事だけでなく、普段の生活でもそうです」

「冒険したいという気持ちはあまりないですね」

ボーイッシュなレズビアン?

「就職したら、女らしく生きようと心に決めてました」

中学生のときに、女らしくなることにチャレンジして失敗していた。

就職をして環境が変わるタイミングは、再チャレンジのチャンスでもあった。

「相変わらず化粧はしませんでしたけど(笑)。セクシュアリティのことは考えずに、仕事に集中するようにしました」

高校時代の恋愛体験では、隠れて女の子とつき合う辛さも知った。

「面と向かってはいわれませんでしたけど、陰では『気持ち悪い』とか、いわれていたと思いますよ」

その頃はまだ、FTMに関する知識はなかった。

「ボーイッシュな女の子でレズビアン」。自分の立ち位置をそう分析していた。

社会人になって3年ほどが経ったとき、新宿二丁目のレズビアンイベントに参加してみた。

「掲示板で見て、興味が沸いて、ひとりで出かけました。いろいろな人がいるなあ、というのが率直な感想でした」

でも、自分とはどこかが違う人たちだ、という印象も持った。

07手術を受けて結婚したい。現実的になったFTM

8歳年上の彼女

社会人になってからも、高校のOGたちのソフトボールチームに顔を出していた。

そこで3歳年上の先輩と仲良くなる。

「初めはその先輩が自分のことを好きだったみたいなんです。でも、自分はあまり興味がなかったので、気がつかないフリをしていました」

先輩と遊びに行くときには、彼女の幼馴染が一緒にくることが多かった。3人で食事をする機会が増え、そうこうするうちに・・・・・・・。

「ある日、先輩の幼馴染のほうから告白されたんです」

過去に男性とつき合ったことはあるが、女性とつき合うのは初めてだという。

そのとき、自分は20歳。8つの年の差があるふたりの交際がスタートした。

「お互いに社会人で実家住まい。会うのは大変でした」

彼女の部屋は、母屋と繋がってはいるが、離れのような変則の造りになっていた。

「仕事が終わってから、こっそり忍び込んで・・・・・・。家に帰るのは午前3時頃が常でしたね」

それから仮眠を取って職場に向かう。そんなつき合い方が2年間、続いた。

「見つかりそうになって、慌ててベッドの中に隠れたこともありました(笑)」

そんなスリリングな関係を続けながらも、彼女は家族につき合っている相手がいることを秘密にしていた。

FTMであることを両親にカミングアウト

彼女と出会ってから2年後、アパートを借りて一緒に住むことになった。

「彼女の結婚願望は強かったですね」

結婚をするためには、手術を受けて戸籍を変える必要がある。徐々にFTMに関する知識も深まっていった。

「ネットでいろいろな情報を集めました。トランスジェンダーの人が書いた本も読みました」

病院を探したのは、21歳のときだった。

通院を始めると、カウンセリングの先生から「できれば、家族には話しておいたほうがいい」とアドバイスを受ける。

「最初にカミングアウトしたのは、すぐ上の姉と弟でした。『別にいいんじゃない』と、ふたりとも軽く受け入れてくれました」

次はお母さんだ。

お母さんも、「自分の人生でしょ。自分で決めたことなら、好きに生きなさい」と後押しをしてくれた。

「高校のときに彼女を連れてきたりしてたから、うすうす気がついていたんでしょうね」

洋服はいつもメンズばかり。
朝帰りがずっと続いている。

一緒に生活をしていれば、何かあるな、と察しても当然だった。

お母さんはすんなりと受け入れてくれたが、父親はそうはいかなかった。

「女と結婚だなんて、いっときの迷いだ。お前は生まれたときから女だ!」と、まったくの門前払いで突き返されてしまった。

「父親の反応は予想していました。それは仕方ありません」

08ジレンマのなかで崩壊した、ふたりの関係

彼女の父親も猛反対

反対をしたのは、自分の父親だけではなかった。

「彼女のお父さんも猛反対でした。そんなことをするなら、二度と帰ってくるな、といわれていました」

そんな状況のなかで、カウンセリングと検査は続けた。

ところが、何度、病院に通っても、なかなか治療や手術のスケジュールがはっきりとしない。

「彼女からは、早くして、もう待てない、と急かされてました」

両方の父親は大反対。
本格的な治療はいつまでたっても始まらない。

スムーズさを欠くうちに、次第に彼女との関係がギクシャクしていった。

「最後は、こちらの気持ちが離れていった感じでしたね」

いつしか、別れようか、という話になり、4年間のつき合いはついに解消。

ふたりはそれぞれの実家に戻っていった。

懐かしい知り合いからの連絡

せっかくSRS(性別適合手術)の決断をして、染色体検査も済んでいた。

「でも、別れてしまったら、もう手術のことはどうでもよくなってしまいました」

結婚という目標がなくなれば、手術も必要がなかった。

「自分には手も足もある。目もちゃんと見える。世の中には、もっと苦しい状況で悩んでいる人がいる。自分は自分のままでいい、そう思えました」

再び、「ボーイッシュな女性」に戻り、いつもの職場に通う平穏な生活が再スタートした。

そんなときに、懐かしい人から連絡があった。

「19歳くらいのときに掲示板で知り合って、ときどき遊んでいた女性でした」

すでに結婚して子どもがいるが、自分で飲食店をオープンした。

飲みにきて、というメッセージだった。

「懐かしいのと、以前、けっこう好きだったこともあって、その店に行ってみることにしました」

再会して1年足らずで同棲

彼女は同い年。再会したのはふたりが26歳のときだった。

「個人経営の居酒屋で、彼女が調理もして、まったく一人で切り盛りしていました」

話を聞くと、子どもが欲しくて結婚したが、相手に対するもう愛情はないという。子どもはまだ1歳にもなっていなかった。

彼女の夫は金銭面でだらしなく、すぐに浪費してしまう。どうやら彼女にも金を借りているらしかった。

「その店に通ううちに、離婚するからつき合ってよ、と告白されました」

再会後、1年も経っていなかった。

09突然降ってきた父親代りの子育て

突然の子育てが始まる

その話からすぐに離婚が成立。3人での暮らしが始まった。

「夜泣きをあやすわ、オムツは替えるわ、突然の子育てですからね。最初は戸惑いました」

もちろん、家族にも紹介、すんなりと受け入れてもらった。

「会社の同僚には子どもを育てていることを話しました。子連れの男性と暮らし始めた、と思っていたみたいですよ」

ずっと3人での暮らしを続けるのだと思い描いた。

「彼女は結婚にはこだわっていませんでした。このままでいいなら、それでいいか、と納得していました」

手術は必要がなかったし、彼女が望まなかった。リスクがあるし、お金もかかるというのがその理由だった。

27歳のときに一戸建てを購入。

将来のライフスタイルが鮮明になった。

小さな嘘の蓄積に不信感

順調に思えた3人での生活だが、次第に彼女の身勝手さが顕著になってきた。

「父親の仕事をフルタイムで手伝うから、という理由で、彼女のお母さんも一緒に住むことになったんです」

4人の生活になると、子どもの世話はお母さんまかせで、まったく顧みなくなった。

「仕事だといっては、深夜まで飲んでくる。だんだん好き勝手、やり放題になっていきました」

会話のなかに嘘が多くなったのも、その頃だ。最初は小さな嘘だったが、それが積み重なり・・・・・・。

「だんだん、彼女のいうことが信用できなくなっていきました」

子どももお母さんも、他人まかせ。
一人で苦労しているのが、理不尽に感じるようになった。

初めて開いたドア

だんだん家の居心地が悪くなり、バーに足を向けるようになる。

「新宿にある2’s CABIN というバーで、初めてFTMの人たちと知り合いました。こんなに自由な生き方があるのか、とショックを受けました」

新しい世界のドアが開くと、自分の境遇がますます情けなくなった。

「去年の6月、話し合って、彼女とは別れることにしました」

5年間の夫婦同然の生活。子どもも5歳に成長し、なついていた。

しかし、別れる意志は揺るがなかった。

家族のために買った家で、一人暮らしが始まる。

「3LDKの家に一人で住んでいます。ぜいたくでしょ(笑)」

10オレも手術を受ける!

手術を決断、同僚にもカミングアウト

ある日、驚きの連絡があった。

高校のソフトボール部でカミングアウトをしていた、あの友人が突然、手術を受けると言い出したのだ。

「それまで、手術は必要ない、といい続けていたので、本当に驚きました」

そして、「自分もやる!」という気持ちになった。

「FTMの人と話をする機会が増えて、本当は自分もこの機会を求めていたと感じたのかもしれません」

それまでは、「家族に迷惑をかける」など、いろいろな言い訳を探して自分をごまかしてきたような気がした。

ホルモン注射の治療を始めたのは、2017年9月。

「今度はトントン拍子に話が進みました」

2019年1月にタイで手術を受けることが決まった。もちろん、友だちも一緒だ。

「仲がいい会社の同僚にもカミングアウトしました。6人での飲み会の席で、『実は、みんなに話したいことがある』と切り出しました」

みんなの反応は、「あ、そうだったんだ。全然、分からなかった。別にいいんじゃない」。

「そんなに悩んでいたんだ、と気づかいの言葉ももらいました」

SRSに際して長期休暇を取るために、会社にも正式に報告。今後は男性社員として働きたいという意志も、きちんと伝えた。

「手術が終わって帰ってきてからも、大きな変化はなかったですね。みんな普通に受け入れてくれました」

更衣室や制服もすぐに換えてくれた。傷つけるような言葉をいう人もいない。

「会社には感謝しています」

戸籍変更、名前はそのまま

「バンコクには初めて行きました。暑いけど、いいところですね。楽しかったです」

思えば、10年越しに叶えた夢だった。

「不思議なんですけど、ついにやった! という達成感はなかったですね」

あまり変わった感じがしない、手術をしたんだよな、というのが素直な感想だ。

「ようやく終わった、という気持ちです。声が低くなったのと、筋肉質になったのがうれしいですね」

「こうなりたかった、という自分に近づいた手応えはあります」

戸籍は男に変わったが、名前を変えるつもりはない。

「女性向きの名前だけど、別に気になりませんから。誰からも、久美、と呼ばれていましたから、急にそれが変わるほうが恥ずかしいですよ(笑)」

心残りは、父親にまったく受け入れてもらえないことだ。

「手術を受けることを報告に行ったら・・・・・・。手術をして戸籍を変えるなら、もう二度とオレの前に顔を見せるな!」

にべもなく、そう言い下されてしまった。

「人それぞれの考え方があるから、仕方がないと思います」

ひとつずつ、新しいことに挑戦

「これまで、あまりに他人まかせに生きてきたって、反省しているんです。今は、それを変えたいという気持ちが強いですね」

結婚のことも、手術のことも、子育ても、振り返れば、きっかけは相手からだった。これからは、自分でも意志をもって、積極的に出していきたい。

手術に踏み切ったのも、自分で判断をしたという実感を得たかったからかもしれない。

石川まさきさんからLGBTERを紹介してもらったんですけど、最初は尻込みをして、オレが語れることなんか、何もない、と思って・・・・・・」

でも、できる限り、自分のことを話すことが必要だと思い直した。

「今、二丁目で働いてみたいんですよ。いろんな人に出会いたいですね」

「話すことが苦手なので、練習にもなりそうじゃないですか。仕事なら話せるでしょ、きっと(笑)」

LGBTの活動家になりたいとは思わない。自分の目で見えることを伝えることができれば、それで十分だ。

勇気を出して、ひとつずつ新しいことに挑戦してみたい。

「パートナーは、今はいなくてもいいかな、と思っています。パートナーがいると、その人に一生懸命になりすぎてしまうんですよ(苦笑)」

あとがき
ゆったりと落ち着いた話した方が心地いい。久美さんは飾ざらない。見栄もなければ、嘘もつかない。そんな印象は、取材の終わりまで変わらなかった■話すことが苦手という。というよりも、相手のことを否定しないから、きっと久美さんに聴いて欲しい人は多いだろう■色々な人に出会うこと。それは、自分の考え方の枠を広げたり,新たな知識を得て人間として成長できる機会。今、ジワジワと新しい久美さんが始まっている。調和? 刺激? 何を求めても楽しめそうだ。(編集部)

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