02 人生を変えたソフトボールとの出会い
03 ほかの女の子と違う? という疑問はなかった
04 ひたすらボールを追った中学時代
05 もしかして、自分はレズビアン?
==================(後編)========================
06 セクシュアリティの落ち着き場所を模索
07 手術を受けて結婚したい。現実的になったFTM
08 ジレンマのなかで崩壊した、ふたりの関係
09 突然降ってきた父親代りの子育て
10 オレも手術を受ける!
06セクシュアリティの落ち着き場所を模索
先生にいわれるままに就職
高校を卒業したら、体育大学へ進学したいという希望があった。
「スポーツに関係する仕事に就きたいと思っていたんです。でも、家の経済状態がよくなくて、働いて欲しいといわれました」
先生に相談すると、大手の印刷会社への就職を勧められた。
「はい、分かりました、ってそのまま就職しました」
元来、他人まかせのほうが楽、という指向がある。
「それなら、それでいいか、って思ってしまうんです。言い合いをするのも面倒ですしね」
転職をしたいと考えたこともあるが、結局、最初に就職した会社に13年間、勤続している。
「いつも安定しているほうを選んでしまいます。仕事だけでなく、普段の生活でもそうです」
「冒険したいという気持ちはあまりないですね」
ボーイッシュなレズビアン?
「就職したら、女らしく生きようと心に決めてました」
中学生のときに、女らしくなることにチャレンジして失敗していた。
就職をして環境が変わるタイミングは、再チャレンジのチャンスでもあった。
「相変わらず化粧はしませんでしたけど(笑)。セクシュアリティのことは考えずに、仕事に集中するようにしました」
高校時代の恋愛体験では、隠れて女の子とつき合う辛さも知った。
「面と向かってはいわれませんでしたけど、陰では『気持ち悪い』とか、いわれていたと思いますよ」
その頃はまだ、FTMに関する知識はなかった。
「ボーイッシュな女の子でレズビアン」。自分の立ち位置をそう分析していた。
社会人になって3年ほどが経ったとき、新宿二丁目のレズビアンイベントに参加してみた。
「掲示板で見て、興味が沸いて、ひとりで出かけました。いろいろな人がいるなあ、というのが率直な感想でした」
でも、自分とはどこかが違う人たちだ、という印象も持った。
07手術を受けて結婚したい。現実的になったFTM
8歳年上の彼女
社会人になってからも、高校のOGたちのソフトボールチームに顔を出していた。
そこで3歳年上の先輩と仲良くなる。
「初めはその先輩が自分のことを好きだったみたいなんです。でも、自分はあまり興味がなかったので、気がつかないフリをしていました」
先輩と遊びに行くときには、彼女の幼馴染が一緒にくることが多かった。3人で食事をする機会が増え、そうこうするうちに・・・・・・・。
「ある日、先輩の幼馴染のほうから告白されたんです」
過去に男性とつき合ったことはあるが、女性とつき合うのは初めてだという。
そのとき、自分は20歳。8つの年の差があるふたりの交際がスタートした。
「お互いに社会人で実家住まい。会うのは大変でした」
彼女の部屋は、母屋と繋がってはいるが、離れのような変則の造りになっていた。
「仕事が終わってから、こっそり忍び込んで・・・・・・。家に帰るのは午前3時頃が常でしたね」
それから仮眠を取って職場に向かう。そんなつき合い方が2年間、続いた。
「見つかりそうになって、慌ててベッドの中に隠れたこともありました(笑)」
そんなスリリングな関係を続けながらも、彼女は家族につき合っている相手がいることを秘密にしていた。
FTMであることを両親にカミングアウト
彼女と出会ってから2年後、アパートを借りて一緒に住むことになった。
「彼女の結婚願望は強かったですね」
結婚をするためには、手術を受けて戸籍を変える必要がある。徐々にFTMに関する知識も深まっていった。
「ネットでいろいろな情報を集めました。トランスジェンダーの人が書いた本も読みました」
病院を探したのは、21歳のときだった。
通院を始めると、カウンセリングの先生から「できれば、家族には話しておいたほうがいい」とアドバイスを受ける。
「最初にカミングアウトしたのは、すぐ上の姉と弟でした。『別にいいんじゃない』と、ふたりとも軽く受け入れてくれました」
次はお母さんだ。
お母さんも、「自分の人生でしょ。自分で決めたことなら、好きに生きなさい」と後押しをしてくれた。
「高校のときに彼女を連れてきたりしてたから、うすうす気がついていたんでしょうね」
洋服はいつもメンズばかり。
朝帰りがずっと続いている。
一緒に生活をしていれば、何かあるな、と察しても当然だった。
お母さんはすんなりと受け入れてくれたが、父親はそうはいかなかった。
「女と結婚だなんて、いっときの迷いだ。お前は生まれたときから女だ!」と、まったくの門前払いで突き返されてしまった。
「父親の反応は予想していました。それは仕方ありません」
08ジレンマのなかで崩壊した、ふたりの関係
彼女の父親も猛反対
反対をしたのは、自分の父親だけではなかった。
「彼女のお父さんも猛反対でした。そんなことをするなら、二度と帰ってくるな、といわれていました」
そんな状況のなかで、カウンセリングと検査は続けた。
ところが、何度、病院に通っても、なかなか治療や手術のスケジュールがはっきりとしない。
「彼女からは、早くして、もう待てない、と急かされてました」
両方の父親は大反対。
本格的な治療はいつまでたっても始まらない。
スムーズさを欠くうちに、次第に彼女との関係がギクシャクしていった。
「最後は、こちらの気持ちが離れていった感じでしたね」
いつしか、別れようか、という話になり、4年間のつき合いはついに解消。
ふたりはそれぞれの実家に戻っていった。
懐かしい知り合いからの連絡
せっかくSRS(性別適合手術)の決断をして、染色体検査も済んでいた。
「でも、別れてしまったら、もう手術のことはどうでもよくなってしまいました」
結婚という目標がなくなれば、手術も必要がなかった。
「自分には手も足もある。目もちゃんと見える。世の中には、もっと苦しい状況で悩んでいる人がいる。自分は自分のままでいい、そう思えました」
再び、「ボーイッシュな女性」に戻り、いつもの職場に通う平穏な生活が再スタートした。
そんなときに、懐かしい人から連絡があった。
「19歳くらいのときに掲示板で知り合って、ときどき遊んでいた女性でした」
すでに結婚して子どもがいるが、自分で飲食店をオープンした。
飲みにきて、というメッセージだった。
「懐かしいのと、以前、けっこう好きだったこともあって、その店に行ってみることにしました」
再会して1年足らずで同棲
彼女は同い年。再会したのはふたりが26歳のときだった。
「個人経営の居酒屋で、彼女が調理もして、まったく一人で切り盛りしていました」
話を聞くと、子どもが欲しくて結婚したが、相手に対するもう愛情はないという。子どもはまだ1歳にもなっていなかった。
彼女の夫は金銭面でだらしなく、すぐに浪費してしまう。どうやら彼女にも金を借りているらしかった。
「その店に通ううちに、離婚するからつき合ってよ、と告白されました」
再会後、1年も経っていなかった。
09突然降ってきた父親代りの子育て
突然の子育てが始まる
その話からすぐに離婚が成立。3人での暮らしが始まった。
「夜泣きをあやすわ、オムツは替えるわ、突然の子育てですからね。最初は戸惑いました」
もちろん、家族にも紹介、すんなりと受け入れてもらった。
「会社の同僚には子どもを育てていることを話しました。子連れの男性と暮らし始めた、と思っていたみたいですよ」
ずっと3人での暮らしを続けるのだと思い描いた。
「彼女は結婚にはこだわっていませんでした。このままでいいなら、それでいいか、と納得していました」
手術は必要がなかったし、彼女が望まなかった。リスクがあるし、お金もかかるというのがその理由だった。
27歳のときに一戸建てを購入。
将来のライフスタイルが鮮明になった。
小さな嘘の蓄積に不信感
順調に思えた3人での生活だが、次第に彼女の身勝手さが顕著になってきた。
「父親の仕事をフルタイムで手伝うから、という理由で、彼女のお母さんも一緒に住むことになったんです」
4人の生活になると、子どもの世話はお母さんまかせで、まったく顧みなくなった。
「仕事だといっては、深夜まで飲んでくる。だんだん好き勝手、やり放題になっていきました」
会話のなかに嘘が多くなったのも、その頃だ。最初は小さな嘘だったが、それが積み重なり・・・・・・。
「だんだん、彼女のいうことが信用できなくなっていきました」
子どももお母さんも、他人まかせ。
一人で苦労しているのが、理不尽に感じるようになった。
初めて開いたドア
だんだん家の居心地が悪くなり、バーに足を向けるようになる。
「新宿にある2’s CABIN というバーで、初めてFTMの人たちと知り合いました。こんなに自由な生き方があるのか、とショックを受けました」
新しい世界のドアが開くと、自分の境遇がますます情けなくなった。
「去年の6月、話し合って、彼女とは別れることにしました」
5年間の夫婦同然の生活。子どもも5歳に成長し、なついていた。
しかし、別れる意志は揺るがなかった。
家族のために買った家で、一人暮らしが始まる。
「3LDKの家に一人で住んでいます。ぜいたくでしょ(笑)」
10オレも手術を受ける!
手術を決断、同僚にもカミングアウト
ある日、驚きの連絡があった。
高校のソフトボール部でカミングアウトをしていた、あの友人が突然、手術を受けると言い出したのだ。
「それまで、手術は必要ない、といい続けていたので、本当に驚きました」
そして、「自分もやる!」という気持ちになった。
「FTMの人と話をする機会が増えて、本当は自分もこの機会を求めていたと感じたのかもしれません」
それまでは、「家族に迷惑をかける」など、いろいろな言い訳を探して自分をごまかしてきたような気がした。
ホルモン注射の治療を始めたのは、2017年9月。
「今度はトントン拍子に話が進みました」
2019年1月にタイで手術を受けることが決まった。もちろん、友だちも一緒だ。
「仲がいい会社の同僚にもカミングアウトしました。6人での飲み会の席で、『実は、みんなに話したいことがある』と切り出しました」
みんなの反応は、「あ、そうだったんだ。全然、分からなかった。別にいいんじゃない」。
「そんなに悩んでいたんだ、と気づかいの言葉ももらいました」
SRSに際して長期休暇を取るために、会社にも正式に報告。今後は男性社員として働きたいという意志も、きちんと伝えた。
「手術が終わって帰ってきてからも、大きな変化はなかったですね。みんな普通に受け入れてくれました」
更衣室や制服もすぐに換えてくれた。傷つけるような言葉をいう人もいない。
「会社には感謝しています」
戸籍変更、名前はそのまま
「バンコクには初めて行きました。暑いけど、いいところですね。楽しかったです」
思えば、10年越しに叶えた夢だった。
「不思議なんですけど、ついにやった! という達成感はなかったですね」
あまり変わった感じがしない、手術をしたんだよな、というのが素直な感想だ。
「ようやく終わった、という気持ちです。声が低くなったのと、筋肉質になったのがうれしいですね」
「こうなりたかった、という自分に近づいた手応えはあります」
戸籍は男に変わったが、名前を変えるつもりはない。
「女性向きの名前だけど、別に気になりませんから。誰からも、久美、と呼ばれていましたから、急にそれが変わるほうが恥ずかしいですよ(笑)」
心残りは、父親にまったく受け入れてもらえないことだ。
「手術を受けることを報告に行ったら・・・・・・。手術をして戸籍を変えるなら、もう二度とオレの前に顔を見せるな!」
にべもなく、そう言い下されてしまった。
「人それぞれの考え方があるから、仕方がないと思います」
ひとつずつ、新しいことに挑戦
「これまで、あまりに他人まかせに生きてきたって、反省しているんです。今は、それを変えたいという気持ちが強いですね」
結婚のことも、手術のことも、子育ても、振り返れば、きっかけは相手からだった。これからは、自分でも意志をもって、積極的に出していきたい。
手術に踏み切ったのも、自分で判断をしたという実感を得たかったからかもしれない。
「石川まさきさんからLGBTERを紹介してもらったんですけど、最初は尻込みをして、オレが語れることなんか、何もない、と思って・・・・・・」
でも、できる限り、自分のことを話すことが必要だと思い直した。
「今、二丁目で働いてみたいんですよ。いろんな人に出会いたいですね」
「話すことが苦手なので、練習にもなりそうじゃないですか。仕事なら話せるでしょ、きっと(笑)」
LGBTの活動家になりたいとは思わない。自分の目で見えることを伝えることができれば、それで十分だ。
勇気を出して、ひとつずつ新しいことに挑戦してみたい。
「パートナーは、今はいなくてもいいかな、と思っています。パートナーがいると、その人に一生懸命になりすぎてしまうんですよ(苦笑)」