02 自分を開いたら世界も開けた
03 子どもの頃からずっと、そして今も愛を求めている
04 男でも女でもなく、「健太は健太」
05 好きな人に「好き」と言える!
==================(後編)========================
06 ゲイであることを強みにしていきたい
07 同世代には同世代の声が響くはず
08 僕が「ゲイは素晴らしい」と思う理由
09 この家族だったから今の自分がある
10 夢に向かって
06ゲイであることを強みにしていきたい
1聞かれたら10話します!
LGBTの人たちは、自らのセクシュアリティについてコンプレックスを抱いていることが多いように思う。
トロントのような光景がまだまだ見られないこの国では、それは致し方ないことだろう。
だから、自らのセクシュアリティを周囲に開かず、ひとり悩み苦しんでいる人は少なくない。
「でも僕は、語弊があるかもしれないけど、LGBTとしての自分をうまく使っていこうと思う」
例えば、ストレートの女性の人に「ゲイの友だち、ほしかったんだよね」と言われることがよくある。
「それを否定的に捉えるというか、よく思わないゲイの人はたくさんいるのかもしれませんね。『ゲイをアクセサリーだと思うな』って」
「でも僕は、そう言われたら『よっしゃ、ゲイのことを知ってもらうチャンスだ』と考えます」
「だって、自分のことを理解してもらうには友だちになるのが一番でしょう?」
何より、「友だちになりたい」と言われたら素直にうれしい。
「僕に興味を持ってくれた、ゲイを知ろうとしてくれた、ということでしょう? 僕はよろこんで友だちになります」
「そして、1聞かれたら10話しますよ(笑)」
当事者にも伝えたいことがある
ゲイについて話したいというのは、ゲイに関する間違った情報ばかりが世の中に流れているからだ。
ゲイは女性になりたいと思っている。
ゲイはスカートをはきたい、化粧をしたい。
ゲイはみんな、オネエ言葉で話す。
だから、ゲイは気持ちが悪い。
「極めつけは、『ゲイカップルのセックスは、どちらかが男でどちらかが女になる』とか」
「いやいや、ゲイのカップルはどちらも男だから(笑)」
女性になりたい、女性らしい格好をしたいと思っている人もいるだろう。
でも、それがゲイのすべてではないということを、世の中の人たちに知ってほしい。
ゲイの人、自分はゲイかもしれないと悩み苦しんでいる人にも伝えたい。
「実際、自分は肌で感じているけれど、ゲイのことを好き、あるいはセクシュアリティなど関係なく好き、という人もたくさんいるんです」
ある時、30代のゲイに「ゲイは恥ずかしいことだから、誰も言っていない」と言われて、びっくりした。
「セクシュアリティをオープンにする、しないは本人の自由で、僕がとやかく言えることではありません」
「でも、『ゲイは恥ずかしいこと』と思っているのは、あまりにも悲しい」
ゲイの世界はこんなにも素晴らしいのに、なぜそう思うのか。
自分とは考え方がまったく合わないからと、それ以上、話をすることも会うこともなかった。
「でも、今考えると、彼もこれまでの経験から『ゲイは恥ずかしい』と思わざるを得なかったのかもしれない」
「だから、僕は彼とのつながりを切るのではなく、『いいや違うよ、全然恥ずかしいことなんてないよ』と言って、もっと話をすればよかったなあと、今なら思います」
自分も、恋人と手をつないで歩いていたりキスをしてると、すれ違う人から心ない言葉を投げつけられたりする。
「その時はもちろん、傷つきますよ」
「でも、そんな人間のためにいつまでも落ち込むなんて、時間とエネルギーの無駄」
「僕は、自分の好きな人たち、敬愛する人たち、そしてゲイであることに迷いや悩んでいる人たちのために時間とエネルギーを使いたいんです」
07同世代には同世代の声が響くはず
”ただのゲイ” の立場で語っていく
いま、テレビなどで活躍しているゲイの人たちは少なくない。
その人たちのおかげで、世の中にゲイの存在が知られるようになったことについては、感謝している。
「ただ、テレビ局側の『ゲイとはこういうもの』という思い込みに合わせて、”からかわれキャラ” を演じている人もいるように感じてしまって」
そういう人たちのことを、快く思っていないゲイは決して少なくない。
ただ、テレビは視聴率を稼がなくてはいけないし、出演する人にしても、テレビ局のオファーに100%応えるのがプロ、と考えてキャラを演じているのだろう。
「だから僕は、普通に恋をし、勉強し、仕事をしている ”ただのゲイ” の立場で語っていくことが、大切じゃないかと思っているんです」
実は、いま通っている大学を進学先として選んだのは、将来ファッション関係の仕事に就きたいからではなかった。
当時は、セクシュアリティについて悩み、自分に自信が持てないでいた。
「ファッション業界では多くのゲイが活躍している。その業界を目指す人が学びにくる場所なら僕を受け入れてもらえると思ったし、将来的にもファッションの道に進んだほうが生きやすいんじゃないか」
「そう考えて、進学したんです」
でも、ゲイであることをオープンにし、毎日楽しく暮らしている今、あえてファッションにこだわる必要もない。
”ただのゲイ” でいい。
今はそう思っている。
若い世代の関心を高めたい
ただのゲイとして、というほかに、自分が発信することの意義は「若い世代が語る」ことだと考えている。
現在、この国にLGBT差別がなくなるように、同性婚が認められるようにと活動しているのは30代以降、おもに40代、50代の人たちだ。
自分が、ゲイとして前を向いて楽しく生きていられるのは、その人たちの尽力のおかげだと思う。
たとえば、彼らが一生懸命働きかけ、勝ち取ってくれたパートナーシップ条例。
これがメディアで大きく報道されたことによって、いかにセクシュアルマイノリティが生きづらさを抱えてきたかを、ストレートの人たちに知ってもうらうことができた。
「ただ、同世代には同世代の声が響きやすいというか、とくに僕ら20代やその下の世代はテレビのニュースをあまりに見ないし、新聞も読まない人が多い」
「だから、とくにストレートの人たちは、LGBT関連の報道に接することもなくて、LGBTについてほとんど知らないのが現状です」
それに、自分も含めて若い世代は「大人たちの言うことなんて興味ない、関係ない」と考えがちだ。
「若い世代には若い世代の声のほうが、断然、響きやすいと思うんです」
「でも、20代で、LGBT当事者として発信している人がまだいないんですよね。とくにゲイの世界では」
「だったら、自分が発信者になればいいじゃん」
そう気づいたらますます、他人からの言葉で傷ついた、落ち込んだ・・・・・・なんて言っていられなくなった。
08僕が「ゲイは素晴らしい」と思う理由
情が厚くて、やさしくて
ゲイとして生きるようになって、しみじみ感じることがある。
ゲイは、情に厚く、相手のことをおもんばかる人が多いということだ。
「ゲイを始めLGBTは、日本ではまだまだ差別されることも少なくないですよね」
「そうやって傷ついたり苦しんだりしているから、人の傷みがわかるのかもしれない」
人のことをすごく大事に考えて、他人の考え方を頭から否定することがほとんどない。
すべてにおいて寛容的だ。
「それは、自分自身が否定されて悲しい思いをした経験があるからなんじゃないかな」
「もちろん、個々の性格があるからゲイの全員が全員、やさしくていい人なわけではないと思いますけど(笑)」
「少なくても僕の周りにはひとりの人間として素敵な人ばかりなんです」
だから自分も、ゲイとしての誇りを持ち続けていられるのだ。
よろこびや幸せを感じられる
もともと喜怒哀楽が激しい性格で、感激屋。
ゲイと自認したら、その部分がますます大きくなった。
「ゲイを否定する人たちもいる中で、『ゲイは最高だと思うよ』『そんなことで落ち込まないほうがいいよ』と言ってくれる人がいるありがたみ、その言葉の温かさを、以前の100倍くらい強く感じます」
だから今は、「幸せだなあ」と毎日思う。
「ゲイは素晴らしい、幸せだとばかり言っているから、『考えが甘い』と言われることもあります」
「でも、心からそう思っているんです」
カミングアウトしてからの日々を振り返ってみると、自分がポジティブな気持ちでいれば物事はどんどんプラスの方向へ進んでいく。
自分がプラスの言葉を発していると、周りからもプラスの言葉が返ってくる。
逆に、ネガティブな気持ちになると、ネガティブスパイラルの中にどんどん入っていく。
悪口を発すると、悪口が返ってくる。
「そのことを日々実感しているから、僕は『ゲイは素晴らしい』と言い続けたいんです」
09この家族だったから今の自分がある
すんなりと受け入れてくれた
家族へのカミングアウトにも、迷うことはなかった。
「僕は子どもの頃から『〜するべき』『〜あるべき』と言われるのがすごくイヤで反発していたことを家族も知っているから、『何を言っても健太は考えを曲げないだろう』と、受け入れてくれるんじゃないかと思っていました(笑)」
カミングアウトをしたのは、父親と姉とで旅に出かけた日。
久々に3人揃って、みんな、心も体もリラックスしていた。
「タイミングはここだろう!と思って」
恋をするたび、姉には「今、いい感じの人がいるんだ」と伝えていた。
実は、それは全員男性で、しかも外国人であることを打ち明けると、姉は少し驚いていたようだった。
「ゲイについて、父親も姉もほとんど知らなかったので、ゲイだと自認した経緯から今、自分はどんな暮らしをしているのかまで、いろいろ話をしました」
話を聞き終えると、姉はひとこと「幸せなの?」と聞いた。
「心から幸せだと言えるよ。もし生まれ変わっても、またゲイとして生まれたい。父親にも、そう話しました」
父親は、「自分が信じる道を行きなさい。応援しているから」と言ってくれた。
ユニークな家族だからこそ
家族の理解が得られず苦しんでいるLGBTも多いなか、父親からも姉からも否定されない自分は、「幸せすぎる」道を歩んでいると思う。
かつて、「なんで、こんな家に生まれてきたのか」と複雑な家庭環境を恨んでいたが、今は家族のことが大好きだ。
自分がゲイであることをすんなり受け入れてくれたから、ということもあるが、それだけではない。
「僕はずっと親の愛情に飢えていたけど、母親が病気で、そのためにも父親はうんと働かなくちゃいけなかった」
「となれば、子どもをかまってやりたくてもそうできなかった。今は、そう思えるんです」
一緒にいる時間が少なかったせいもあるのか、親に考え方や生き方を押し付けられた記憶もない。
「こんな面白い家族、ほかにないだろ、って思う(笑)。だからこそ、僕の生き方も否定せず、応援してくれるんだろうなと」
母親の体調がいい時には、一緒に飲みに行くこともある。
「今は、僕にとって家族は愛すべき存在です」
10夢に向かって
独自のメディアサイトをつくりたい
ゲイに関するポジティブな情報を発信したい。
そのために今、学業のほかにネットメディアで、エディター&ライターの見習い中だ。
「僕がまだ悶々としていた頃、LGBT情報メディアやゲイの人たちのブログに本当に救われたんです」
「もちろん、そこにはネガティブな情報もあって、悲観的になったり、やっぱり日本は住みにくいなと思ったりもしましたけど、そういう現実があるということも知ったし、それを乗り越え前を向いて生きて幸せをつかんでいる人がいることも知りました」
だから自分でも、所属した会社のメディアを通じてサイトを立ち上げ、ゲイの人たちのため、とくに自分はゲイなのかどうかと悩んでいる人たちのために、ポジティブな情報を発信していきたい。
職場の上司にも、自分の思いを伝えた。
「熱心に耳を傾けてくれて、『おもしろい』と言ってもらえました」
「ただ、僕にはまだまだエディタースキルもネットビジネスのノウハウもないから、まずはここで勉強して、力がついて構想が固まったら企画書を出しなさい。会社としても積極的に取り組んでいきたい、と」
いざサイトが立ち上がった時、自分が編集長になれるかどうかはわからない。
「『でも、ゲイの当事者がいなければサイトは成り立たないから、君はキーマンだね』と言ってもらえました」
サイトオープンに備え、海外のゲイ情報を集め、調べるなどして目下、勉強中だ。
誰もが「何もあきらめなくていい」社会に
現在、東京・渋谷区と世田谷区、三重・伊賀市、兵庫・宝塚市、沖縄・那覇市、北海道・札幌市で、日本でも同性間パートナーシップ証明制度、あるいは宣誓制度を開始するなど、同性間パートナーシップをめぐる法制度が整い始めている。
しかし、同性間の結婚が法的に認められるようになるまでには、まだまだ時間がかかりそうだ。
「結婚する、しないは別として、同性間にも結婚という選択肢があることが大事だと思うんです」
「実際、話をしてみると僕のように『本当に好きな人と結婚したい』と思っている同性愛者はいっぱいいます」
自分は、同性間結婚が認められている国で暮らすという目標があるから、強く明るくしていられるが、日本で暮らす限りは結婚はできないと、多くの同性愛者があきらめの中で暮らしている。
でも、「ルール」が嫌いな自分は、こう思う。
「同性結婚はダメだなんて、いつ誰が決めたの? 納得できる理由を聞かせてほしい」
「そういうことを言うと、大人たちはすぐ『憲法が』と言う。僕だって、憲法を変えるのがむずかしいことは知っているし、そこまでしなくても、法律を改正したり、新しく作ることはできますよね」
この5月、台湾で、アジアで初めて同性婚が合法化されることに決まった。
あの時、合法化を祝うパレードをしていた同性愛者たちの晴れやかな顔。
「あきらめずにがんばって、自分たちで権利を勝ち取ったというよろこびにあふれていて。感動しました」
同性結婚に限らず、日本では、いや海外でもまだ「LGBTだから無理、できない」とされることが、まだまだある。
でも。
自分の生きたいように、生きる。
誰もがその権利を持っているはずだ。
ひとりひとりが、夢をあきらめることなく希望を失うことなく生きていける社会になるように。
「直接、自分が何をできるかまだわかりません。でも、LGBTを認める社会全体の空気づくりに少しでも役に立ちたい。そのために僕は、自分自身について多くの人に話し、自分で得た情報を発信していこうと思っているんです」