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生まれ変わるとしたら、またゲイとして生まれたい【前編】

自分のセクシュアリティを理解し、カミングアウトしてからは「幸せでいっぱいの毎日」だという荻野健太さん。もちろん、いいことばかりではないけれど「幸せになれる、幸せになる!」と信じて突き進んでいるからこそ、夢や生きる目標を見つけることができた。手がかりもつかめた。明るくて、前向き。恋も勉強も仕事も、これと決めたらまっしぐら。そんな荻野さんの発する言葉にホッとしたり、勇気をもらえる人は少なくないだろう。

2017/09/04/Mon
Photo : Mayumi Suzuki  Text : Yuko Suzuki
荻野 健太 / Kenta Ogino

1995年、神奈川県生まれ。文化学園大学現代文化学部国際ファッション文化学科に在学中。学業とネットメディアの仕事、そしてアルバイトと毎日フル回転で、1日の睡眠時間は平均2時間。高校時代に1か月間、カナダへ語学留学し、英語は読み書きも会話も得意だが、夢の実現に向けてさらなるスキルアップのために勉強中。

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INDEX
01 やっぱり、そうだった
02 自分を開いたら世界も開けた
03 子どもの頃からずっと、そして今も愛を求めている
04 男でも女でもなく、「健太は健太」
05 好きな人に「好き」と言える!
==================(後編)========================
06 ゲイであることを強みにしていきたい
07 同世代には同世代の声が響くはず
08 僕が「ゲイは素晴らしい」と思う理由
09 この家族だったから今の自分がある
10 夢に向かって

01やっぱり、そうだった

薄々気づいてはいたけれど

昨年の11月が大きなターニングポイントだった。

「自分のセクシュアリティはゲイだと認め、その事実を受け入れることができたんです」

それまで「自分は何なんだろう?」と、心の中がモヤモヤしていた。

モヤモヤの正体を突き止めようと思えば、できたのだと思う。

でも、あえて見て見ぬふりをしていた。

「薄々はわかっていたんです」

高校時代、語学留学で1か月間、カナダのトロントで暮らしたことがある。

「街に入ったその日、地下鉄に乗っていたらめちゃくちゃキレイな女の人が2人、手をつないで座っていました」

「その時、僕はかなり派手な格好をしていたんですけど、その姿を見て彼女たちが『あなたのスタイル、すごくいいわね!』と声をかけてくれて」

自分のスタイルをほめられてうれしかったのはもちろん、女性同士のカップルが堂々と手をつないで楽しそうにしていることに、衝撃を受けた。

「その後、バスに乗って窓の外を見ていると、あちこちの家にレインボーフラッグが掲げられていたり、街なかにゲイバーやゲイクラブがあったり」

子どもをはさんで3人で手を繋いで歩いているゲイのカップルとも出会った。

「彼らのことを誰も振り返って見たりしない。かといって、無視をしているわけでもないんですよね」

「日本と全然違って、ここ、最高じゃん! って思いました」

と思うということは・・・・・・。

自分は、ゲイなのかもしれない? 

認めるわけにはいかない

でも、その思いを必死に打ち消した。

「自分がゲイだと認めたら、夢を失ってしまう。それがイヤだったんです」

夢。

それは「結婚すること」。

子どもの頃からずっと、結婚して幸せな家庭を築きたいと願っていた。

この国では、結婚は異性間でするものと決まっている。自分は男だから、結婚するなら相手は女性だ。

だから当然、自分も女性と結婚するものだと思ってきたのだ。

自らのセクシュアリティについて考えたこともなかった。

「小学校の頃は遊ぶのに夢中だったし、中学時代は陸上部で長距離ランナーとして練習に打ち込んでいました」

「学校外でもビーチバレーとバレーボールのクラブチームに入っていたりして、とにかくスポーツに命をかけていたから(笑)」

「それ以外のことを考える時間も心の余裕もなかったんです」

でも、高校に進む頃になると、周りの友だちのようには、女の子に対して心がときめかないことに気づき始めた。

「でも、もし自分がゲイだとしたら、最大の夢である結婚ができない」

「だから、ゲイだと認めるわけにはいかなかったんです」

認めたら自分の人生は終わりだ、と思っていた。 

02自分を開いたら世界も開けた

成人式を終えて、考えた

心の中には、「大学進学を機に自分のセクシュアリティをオープンにしよう」という自分もいた。

「でも結局、結婚したいからゲイとは認めたくない、という自分のほうが勝ってしまって」

そして、女の子とつきあい始める。

「とにかく結婚して幸せになりたかったから、一生懸命、彼女のことが好きだ、好きだ、好きだ・・・・・・って自分に叩き込んで」

「でも、当然そんなことを続けられるわけがなくて、2か月くらいで別れました」

ダメじゃん、俺。

成人式も終えて大人になったのに、こうしてずっと、自分に嘘をついたまま生きていくのか。

新宿二丁目にデビューする

そんなことを考え続けていたら苦しくなって、ある日、ゲイ向けの出会い系アプリを始めてみた。

「そうしたら、すぐにインドネシア人の友だちができて、彼と一緒にゲイクラブに行ってみたんです」

「僕にとっては、それが新宿二丁目デビューの日でした」

そこは楽しい空間だった。

年上の男性にナンパされたが、それに対してまったく抵抗がなかった。

「むしろ、こんな僕でも気に入ってもらえるんだって、うれしくて」

初めて男性の恋人ができて、SEXもした。

「その時、『あ、僕はこっちだ』って」

「たぶん、開き直ったんでしょうね」

そこから人生が大きく変わり始めた。

「目の前が、パーッと開けたんです」

03子どもの頃からずっと、そして今も愛を求めている

甘えたかった、愛がほしかった

「結婚したい」という思いは、物心ついた頃からあった。

両親の仲がよく、幸せな家庭に育った人はそう思うようになると言うが、自分の場合はむしろ逆だ。

「父親と母親の仲が悪いというより、家族関係がちょっと複雑で・・・・・・」

母親は病を患い、入退院を繰り返していた。1回の入院が何年かに及ぶことも。

時には、息子である自分のことも分からなくなってしまうこともあった。

振り返れば、母親と一緒に暮らした期間はトータルで5年ほどしかないかもしれない。

父親は仕事で忙しい。

「同級生たちの家では、家族そろってご飯を食べ、休みの日には遊園地に行ったりしている」

「なのに、なぜ僕の家ではそれができないのか」

「その理由はわかっていて、それを僕は受け入れなくちゃいけなかったけど、やっぱり親には甘えたかったんですよ」

でも、甘えてはいけない、幸せになりたいと言ってはいけない。

「そんなことを言って、親を困らせちゃいけないと思っていました」

日中は、祖母が自分の面倒を見てくれていた。

愛情を持って接してくれていたが、でも、やっぱり父親や母親の愛がほしかった。

なんで、こんな家に生まれてきたのか

姉が2人、妹が1人いるが、妹は母親が養育できないため施設で暮らすことに。

自分が願う家族の形から、どんどん離れていくーー。

小学校4年生の時、姉の1人が自ら命を断った。

「きっと家庭環境に耐えられなかったんでしょうね。第一発見者は僕でした」

ショックで、1か月くらい口がきけなくなってしまった。

母親も調子を崩し、また入院。

「救急車を呼んで、母と一緒に乗り込むのは僕。そんなことを何十回もやってきていたから、また母に付き添って救急車に乗った日も平然としていたんです」

「そんな僕の姿が、病院関係の人たちには抜け殻のように見えたんでしょうね」

「カウンセリングに通わされるようになりました」

自分の境遇を話すと、それを聞いたカウンセラーたちはみな、泣いてしまう。

ただ、そこでいくら同情してもらっても、しょうがなかった。

「僕がほしかったのは、親の愛情に包まれた温かい家庭だったから」

親に向かって、「僕はなんでこんな家に生まれてきたの?」と言ったこともある。

「そんな経験をしてきたからこそ、自分は結婚して幸せな家庭を築きたいと、強く思うんでしょうね」

04男でも女でもなく、「健太は健太」

インディ・ジョーンズに憧れて

家では大きな屈託を胸に抱えていたが、「元気な子」だった。

「映画『インディ・ジョーンズ』が大好きで、インディに憧れていました。実在の人物だと思っていたんです(笑)」

あんな冒険がしたい!と、マンションの屋上に上がって叱られたり、あの木に登りたいという一心で、いつの間にかよその家の庭に入って怒られたり。

思い返せば、そういう時はたいてい一人だったような気がする。

「面白そう、やってみたいと思うとその瞬間、行動に移しちゃう。だから、みんなに合わせて遊ぶ、ということがなかったんです」

そもそも団体行動が苦手だった。

他の子たちがやっている遊びを、自分も面白いと思えば一緒にやったが、輪に入りたくて大して好きでもないことに何となくつきあう、ということはなかった。

「それで寂しい思いをしたことはなかったですね」

「ひとりでインディをやって木に登っていたほうが、ずっと楽しかったから」

「ルール」という言葉がきらい

今でも鮮明に覚えていることがある。

ある夏、保育園でスイカ割りが行われた日のことだ。

「すいかが割れるまで、園児がひとりずつ順番に棒を振り下ろすわけです。自分の番が来たとき、僕は絶対に当ててやろうと思った」

「でも外れてしまったから悔しくて、先生に『もう1回やりたい!』と言ったんです」

でも、「1人1回と決まっているからダメ」と先生がいう。

「それに腹が立って、めちゃめちゃ泣きました。まあ、わがままなんですけどね(苦笑)」

昼寝もいっさいしなかった。

「だって、僕は眠くない。先生に、なんで昼寝の時間があるのか聞くと『それがルールだから』と言うんです」

「自分は全然眠くないのに、誰が決めたかわからないルールに、なぜ従わなくちゃいけないのか、わからなかった」

その時から「ルール」という言葉がきらいになった。

とはいえ、何にでもやみくもに逆らっていたわけではない。

ダメだという理由に納得ができれば、先生の言うことを聞いた。

団体行動は苦手だったが、協調性がなかったわけでもないように思う。

そんな自分を、クラスメイトたちはどう見ていたのだろう。

仲間はずれにされたり、いじめられたりした記憶はない。

「そういえば、”健太枠” というか、男の子からも女の子からも『健太は健太』と言われてました。あきれられていたんでしょうか(笑)」

昨年、Facebook上で自分がゲイであることを明かした時、昔のクラスメイトたちは誰も驚かなかった。

「すごい長文の投稿だったんですけど、『読んで、感動した』『そのままゲイの道を突き進め』と、みんなが言ってくれたんです」

自分は自分でいい。

みんなのおかげでそう思える自分は、とても恵まれている。

本当にありがたいと感じている。

05好きな人に「好き」と言える!

本当の自分でいられる幸せ

ゲイであることを自認してから、自らのセクシュアリティについては完全オープンに。

「よくよく考えれば、日本では同性間の結婚が認められていないけど、海外には許されている国がある」

「自分もそういう国で暮らせば、結婚という夢を叶えられるんですよ」

だったら、ゲイであることを隠す必要はない。

海外で暮らすために、英語の勉強にも本腰を入れ始めた。

「夢を実現するための具体的な目標ができて、将来のビジョンがパーっと開けた感じです」

そして何より、自分に嘘をつかなくてもよくなったことが、うれしい。

「好きだと思った人に、心から『好き』と言える。こんなに幸せなこと、ありませんよ」

実際に恋愛となると、相手のあることだからままならず、胸が痛くなったり、眠れない夜もある。

でも基本、毎日とても楽しい。

友だちの目にも「生まれ変わったみたい」と映るようだ。

好きになったら、一途

ゲイカップルには、オープンリレーションシップ(恋愛関係にある人同士が、同時期に複数の異性を交際すること)のスタイルを取る人が少なくないと言われている。

「オープンリレーションシップの関係にあるゲイカップルは、他のカップルよりも幸せで、いい関係でいられるというアメリカの調査結果があるんです」

「実際、僕の知り合いの間でも『その方がつきあいが長く続くよ』という声が聞かれます」

「でも、僕は好きになったらその人しか目に入らない」

「オープンリレーションシップなんて信じられないと言ったら、ある人に『一途だと言うけど、じゃあ最長、どれくらいつきあったの? 結果が出ていないのにそんなこと言わないほうがいい』と言われて一瞬、凹みましたけど・・・・・・」

たしかに、自分のような考え方は同じセクシュアリティの中で、少数派かもしれない。

「でも、ひとくちにゲイと言っても人それぞれで、恋愛スタイルだってみんな同じでなくてもいいはず」

「恋の駆け引き、と言うんですか? そういうのが、僕は苦手」

「そんなことじゃ絶対に幸せになれないよ、と言われたりもしますけど、この考え方を変える気はまったくないんです」

ひょっとすると世の中の人たちも、ゲイ=「恋多き人たち」というイメージを持っているかもしれない。

でも、そうじゃない人たちだっている。

ゲイのみんながみんな、新宿二丁目に出かけているわけではない。

「LGBTではない世の中の人たちにはもちろんのこと、まだ自分のセクシュアリティについて悩んだり迷ったりしている人たちにも、イメージではなくリアルなゲイの姿を伝えたい」

「だから僕は、ゲイであることを公表し、ゲイについて積極的に発信していきたいと思っているんです」


<<<後編 2017/09/06/Wed>>>
INDEX

06 ゲイであることを強みにしていきたい
07 同世代には同世代の声が響くはず
08 僕が「ゲイは素晴らしい」と思う理由
09 この家族だったから今の自分がある
10 夢に向かって

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