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性同一性障害の息子がいたから、知れた喜びも寂しさもある。【後編】

性同一性障害の息子がいたから、知れた喜びも寂しさもある。【前編】はこちら

2018/05/21/Mon
Photo : Mayumi Suzuki Text : Ryosuke Aritake
鈴木 恵子 / Keiko Suzuki

1958年、東京都生まれ。長兄の紹介で夫と出会い、結婚し、一男一女を出産。幼い子どもを連れて、転勤生活を送る。娘が18歳の時、「自分は男だと思う」と打ち明けられ、それまでに経験したことのない衝撃を受ける。葛藤しながらも、娘 “麻未” が息子 “麻斗” になっていく過程を見守り、現在は息子の活動を支援している。

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INDEX
01 アクティブな私と聞き上手な夫
02 知り合いのいない地方都市
03 目が離せなかった愛おしい娘
04 思いがけない告白と否定する心
==================(後編)========================
05 性同一性障害の子どもを受け止める時
06 性別よりも大切なこと
07 自分自身も周囲も変えていく息子
08 喜びも寂しさもすべてが本当の気持ち

05性同一性障害の子どもを受け止める時

求めた理想の答え

麻未が病院に通い出して数回目の診察、「一緒に行っていい?」と連れていってもらった。

「麻未の状態を知りたかったわけではなくて、医師の先生に『男ではありませんよ』って言ってほしくて、ついていったんです」

性同一性障害の診断では、血液検査をするわけでもレントゲン写真を撮るわけでもない。

一般的な病気の検査と違い、素人でも分かりやすい判断基準があるわけではないと感じていた。

医師に「『私は男みたいです』って診察を受けた人は、みんな男になるんですか?」と聞いた。

「そんなことはないですよ」という答えが返ってきた。

「診察した結果、『あなたは違いますよ』って診断も、私はあるべきだって思ったんです」

「だから、先生に、娘である証拠みたいなエピソードを話して、『それでも男なんですか?』って詰め寄りました」

■性同一性障害である理由

我が子が女性である理由を必死に話した私に対して、医師はこう話し始めた。

「例えば、イスに座る時、お母さんは足を閉じるけど、今、麻未さんは当たり前のように開いて座りますよね」

「足を組む時、お母さんは膝の上に膝を重ねるように組むけど、麻未さんは膝にくるぶしを乗せるように組むんです」

「この子は、脳が男の子なんですよ」

医師の具体的な説明が、スッと胸に入ってきた。

「先生の話がわかりやすくて、脳が男ということがあるのか、って腑に落ちたんです」

「それまでは、絶対に違う、って切り捨てていたのに」

医師の話を聞いた後、肩で風を切る歩き方など、麻未は男性なのだと感じる部分がいくつも思い浮かんだ。

帰り道で「ちょっとわかった気がする」と、伝えた。

新しい名前

v麻未は「専門学校のみんなにも話したい」と、積極的にカミングアウトし始めた。

学校では当事者第一号だったらしく、私も教師に呼び出された。

「いざ学校に行ったら、先生が3人も4人もいて、そんなに大袈裟なの!? って驚きました(笑)」

教師に会うなり、「面倒な生徒ですみません」と口をついて出ていた。

医療系専門学校の教師たちは「そんなこと言わないで。我々は医療従事者だから偏見はないし、何でも言ってください」と言ってくれた。

その話し合いでは、どのトイレを使うか、呼び名はどうするかといった、具体的な話が進められた。

「何年も前、 “あさと” って名前をどこかで聞いた時に、男の子だったらあさとがいいな、って思ったんです」

「だから『呼び名を決めてください』って言われた時、私の中で “あさと” って決まっていたんです」

“麻未” という名前は、夫がつけた。

“麻斗” という新しい名前は、私がつけた。

06性別よりも大切なこと

同じ立場の存在

麻未にカミングアウトされてから、性同一性障害についてとことん調べた。

一時期、2番目の兄の仕事を手伝っていた頃に、PCやインターネットを覚えたことが生きた。

「ネットで検索して調べながら、医療系の本も買ってきていました」

「でも、性同一性障害の情報を知りたいというより、誰かに同意してほしかったんだと思います」

娘が性同一性障害であることを、誰かに話したかった。

しかし、最初は自分自身で否定していたため、親戚にも友だちにも打ち明けられなかった。

夫も月に2回しか帰ってこないため、誰にも吐き出せなかった。

そんな時に、FTMやMTFの子を持つ親たちのブログを見つけた。

「いろんなブログにコメントして、返事がきたらまたコメントしていました」

「絶対に認めない」と言う人がいれば、「小さい頃からそうかと思っていた」という意見の人もいた。

「受け取り方は違っても、同じ立場の人がいることがわかって、ホッとしましたね」

「性同一性障害の子がいるなら、その分の親もいるから当たり前なんですけど、それでも安心感がありました」

ただネット上で会話するだけでなく、性別適合手術や戸籍変更に関しても調べて、知識を得ていった。

「生きていれば何でもいい」

2011年3月11日、震災が日本を襲った。

単身赴任で岩手に住んでいた夫と、連絡が取れなくなった。

夫が住んでいた地域は、津波に襲われていた。

「生きているか死んでいるかもわからない状態で過ごした時期があって、落ち着かなかったです」

専門学校3年で、名前を変えて生活し始めていた麻斗は、実習で栃木に行っていた。

学校から「被害があった場所に行っている生徒は、家に帰りなさい」という指示が出た。

麻斗は7~8時間かけて、栃木から千葉の実家に帰ってきた。

「麻斗と主人の無事を知った時に、生きていれば何でもいいや、と思いました」

カップ麺などだけで過ごしていた時期を超え、ようやくいままでと同じ生活を取り戻し始めた頃には、考え方が変わっていた。

「男とか女とか、そんなのどうでもいいやって」

「健康で、この世に存在してくれていれば、それで十分だと思いましたね」

07自分自身も周囲も変えていく息子

変化に募る寂しさ

麻斗は専門学校に通いながら、ホルモン治療を始めた。

だんだん声が低くなり、ホルモンの影響でニキビも増え、男性に近づいていく。

「変わる姿を見るのは複雑で、『よかったね』とは言ってあげられなかったかな」

「麻未ちゃんじゃなくなるんだな・・・・・・って、正直寂しかったですね」

「でも、本人は楽しそうでしたよ」

性別適合手術の話題が出始めたのは、麻斗が働き始める頃。

「1年間で80万円貯めて、タイで手術をする」と話していた。

「その頃には、私の中から否定の感情はなくなっていたから、『自分の思うようにやりな』って背中を押しました」

「痛いだろうなとか、万が一命を落としたらとか、体の面での心配はありましたよ」

でも、「行っておいで」と伝えた。

自分で決めたこと。

これから先に進むための段階だから。

「ありがとう」の言葉

タイに向けて出発する空港から、麻斗が一通のメールを送ってきた。

その中に、「生んでくれてありがとう」という一文があった。

「麻斗もきっと、なんで産まれてきたんだろう、って思った時期があったんだと思うんです」

「それでも、今は『ありがとう』って言えるくらいに前を向けているんだなって」

タイから帰ってきてからは、さっぱりしているように見える。

「手術を終えて、戸籍も変えて、積極的になりましたね」

「ずっと甘ったれの麻未ちゃんのイメージがあったけど、今はまったくなくなりました」

親を頼らなくなり、「自分のことは自分で決める」というやる気がみなぎっている。

「1人じゃ何もできないのに、男になれるのかって心配だったけど、どんどん頼もしくなってきていますね」

受け入れようとしてくれた人たち

父の葬儀のことだった。

麻斗がパンツスーツで出席した時、兄の嫁である義姉は遠慮なく「なんでスカートをはいてこなかったの?」と注意していた。

義姉は、素直な人だった。

「麻斗のことを話した時、『なんであんなこと言っちゃったんだろう。スカートをはけだなんて、悪かったな』って言っていましたね」

親戚にも、麻斗のことを伝えていった。

近くに住んでいて、麻斗をかわいがってくれた2番目の兄は、最後まで核心に触れようとはしなかった。

「否定するでも肯定するでもなく、話題に出さない感じでしたね」

自分が子どもの頃から仲が良かった従姉妹は、「恵ちゃん、本当に辛かったよね」と声をかけてくれた。

「娘がいる従姉妹は共感して、泣いてくれたんです」

それぞれ反応は違ったが、拒否反応を示す人は1人もいなかった。

08喜びも寂しさもすべてが本当の気持ち

一生残る寂しさ

「いまさらだけど、『やっぱり女だったよ』って言ってくれないかな、って思うことも、たまにありますよ」

息子が産まれて、次は女の子がほしいな、と思ったところに麻未が産まれた。

心からうれしかった。

いつか夫に、娘とバージンロードを歩かせてあげられると思っていた。

「主人が何か言っていたわけではなくて、私自身がガッカリしている部分が大きいです」

「街を歩いている母娘連れを見ると、女の子だった頃に戻りたい・・・・・・って、思いますね」

これまでの人生を、なかったことにはできない。

カミングアウトされた時に、1つだけ約束をした。

「成人式の写真を撮るまでは、女の子でいてほしい」と。

麻斗は、振袖を着て、写真を撮ってくれた。

「私の中で、今日から男だね、って区切りをつけたかったんです」

「麻斗が男であることを反対も否定もしないけど、この寂しさは一生残ると思います」

「20年間、女の子を育てさせてくれたから、まぁいいかな、って気持ちもあるんですけどね」

親だから伝えられること

現在働いているドラッグストアで、こんな出来事があった。

「ポイントカードの名前を変えたい」と訪れた子がいた。

外見は女性だと感じたが、変更後の名前は男性に多いものだった。

「理由は聞かずに、すぐに受けつけました」

「ポイントカードの登録書類とか、性別の欄って必要なんだろうか、って思いますよね」

そう感じるようになったのは、 “麻未” が “麻斗” に変わったから。

家族から性同一性障害という言葉を聞き、自ら調べていなければ、他人事と思いながら生きていただろう。

「おかげさまで、いろんな経験をさせてもらっています」

「講演会で、舞台に立ったりね(笑)」

息子が行っているLGBTに関する活動を手伝うことに、恥ずかしさは感じない。

むしろ、不安を抱えている当事者の親に向けて、「意外と平気だよ」と伝えていきたい。

「私が一番求めていたものが、同じ立場の人と話すことだったんですよね」

「だから、同じように葛藤している親御さんがいたら、話を聞いてあげたいなって」

今なら「絶対にいいことがあるよ」と、言ってあげられると思う。

「視野が広くなって、偏見がなくなったし、人生が変わりました」

「面白い子を産んじゃったな、って思います(笑)」

あとがき
恵子さんは、明るくて元気なお母さん。それは、涙にくれた時間も重ねたひとつの姿。インタビュー中もにじむ、今も複雑な気持ち。親思う心にまさる親心だと感じた■苦しくなったとき、その原因と感じたことの反対だったらと考える。例えば性同一性障害でなかったら、とか。そして、それを[解決]しようと思い、苦しくなった事実は[問題]にしてしまう。人生は、事象を2分割できるほど単純かな? バランスなんだと、 恵子さんは体現している。(編集部)

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