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LGBTの声を、みんなへ政府へ届けるために。【前編】

「日本には差別を禁止する法律がないんです。国際的な視点から見ると、あって当たり前なのに。人種やジェンダーなど、生まれもっての要素によって差別されることなく平等に生きる権利は、法律によって守られるべきだと思います。そこが日本の最も大きな問題なんです」。山下瑛梨奈さんの言葉のもつ熱量は、とても高い。何を原動力として、それほどの熱を放つのか。そのひとつには、幼少期の記憶があった。

2018/05/06/Sun
Photo : Mayumi Suzuki  Text : Kei Yoshida
山下 瑛梨奈 / Erina Yamashita

1986年、愛知県生まれ。父親の仕事の都合により、小学3年生から中学1年生までをアメリカのサウスカロライナ州で過ごす。同志社大学卒業後、マンチェスター大学大学院で国際政治学部修士号を取得。貿易会社に2年間務めたのち、2013年にアムネスティ・インターナショナル日本のキャンペーンコーディネーターとして入局。国内外において難民や児童労働などさまざまな問題に取り組むなか、主にLGBTと人権の問題を担当している。

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INDEX
01 法律によって守られた社会に
02 アジア人というマイノリティ
03 日本で感じたカルチャーショック
04 難民問題からNGOの活動へ
==================(後編)========================
05 LGBTの人たちの声を届ける
06 根底にあるジェンダー差別
07 市民の意識と法整備
08 大切なのは想像力と共感力

01法律によって守られた社会に

社会のためにできること

アムネスティ・インターナショナルは、1961年に発足した世界最大の国際人権NGO。

人権侵害のない世の中を願う市民の輪は世界中に広がり、今や700万人以上が活動に参加している。

死刑廃止、性と生殖の権利、難民と移民、テロとの戦いと人権、児童労働といった、さまざまな問題に取り組むなか、山下瑛梨奈さんは主にLGBTと人権の問題を担当している。

「もともと社会のために何かしたいという想いはありました」

「大学生の頃は、語学力を活かして外国人の方の生活のサポートを行うボランティアをしていました」

法学部を選んだのは、いつか何かの役に立つと思ったことが理由。

「法律は社会をつくる大きな要素だから、きちんと学んでおかなければと思っていました」

「でも、学生時代は具体的にどんなかたちで役立てるのか分かっていなくて」

ただ漠然と、法律に守られた社会をつくることで、人を守りたいという想いだけが、確かにあった。

アジア人に対する差別

語学を習得したのは、小学3年生から中学1年生までをアメリカで暮らしていた経験から。

父親の仕事の都合で、家族5人でサウスカロライナ州に移住したのだ。

「滞在中に妹が生まれて、6人家族になったんですけどね(笑)」

「語学を習得できたことや、多様性ある社会が当たり前だと知れたことはもちろん、心を育む経験になりました」

「そして、人権に関わる活動をしたいと思うようになったのも、アメリカでの経験がきっかけです」

「私たちが住んでいたサウスカロライナ州は、かなり差別意識が強い地域で、黒人への差別は当たり前でしたし、アジア人に対する差別もありました」

地域に暮らしているアジア人は、自分たち家族だけ。

アメリカで暮らし始めた当初は、語学の壁だけでなく人種の壁にもぶつかった。

「アジア人というだけでいじめられたりとか」

「英語が話せなくてコミュニケーションがとれないから、コミュニティから排除されたりとか」

「だからこそ、語学を学ぼう、文化を学ぼうと強く思ったんです」

「自分が直面している困難を乗り越えるために」

アメリカで過ごした4年間、困難とともに、大きな学びもあった。

02アジア人というマイノリティ

車から「平らな顔!」と言われて

「辛い経験として、はっきりと覚えていることが2つあります」

「1つは、クラスでグループ発表をすることになった時に、クラスメイトから『英語が話せないならやらなくていい』と言われたこと」

「その時には、なんとかコミュニケーションがとれるレベルにまで語学を習得できていたんですが・・・・・・」

通っていたのは現地のパブリックスクール。

語学学校で準備をする時間もなく、アメリカに到着した翌日には学校に通い始めたのだ。

「あともう1つは、学校の帰り道で通りかかった車が急に停まって、中から高校生くらいの人に『平らな顔!』と言われたことですね」

でも、両親に心配をかけたくなくて、誰にも話しはしなかった。

「きっと兄弟もみんな、同じような壁に直面していたんだと思います」

そしてある日、忘れられない出来事が起こった。

アジア人が満点なんて

「兄弟は姉、兄、私、妹の4人なんですが、ひとつ上の兄が学校のテストで満点をとったんです」

「兄は、ものすごい頑張って勉強したのに、学校側が『英語も話せないアジア人が満点なんてとれるはずがない』と言い出して」

カンニングしたんじゃないか、という疑いまでかけられた。

「さすがに両親も抗議したんですが、結局はテストをやり直すことになってしまったんです」

「でも、そんな辛いこともたくさんあったけど、相対的に見ると楽しかったという気持ちの方が多いんです」

「両親は、私たち兄弟が差別を受けた時には抗議の声を上げてくれて、しっかりと支えてくれたし」

「兄弟も仲良くて一緒に頑張れたし、なんだかんだで仲良くしてくれる友だちもいました」

「先のグループ発表の時も、私、結局発表したんですよ(笑)」

「同じグループのクラスメイトが『この子は英語が話せるし、グループ発表だからみんなでやろうよ』って言ってくれたんです」

「語学力とか、そんなの関係ないよね」って、そんなことを言ってくれたのがうれしかった。

03日本で感じたカルチャーショック

漢字が分からない

小学校3年生の時は、アメリカなんて得体の知れない国に行きたくなかった。

でも4年後に思った。「日本に帰りたくない」と。

「必死に勉強して、英語を話せるようになってきて、成績も上がってきて、ようやくいい感じに慣れてきた時に、日本に帰らないといけないなんて」

「帰ってきたら帰ってきたで、今後はまた、新たな壁にぶつかって、突き落とされるんです」

漢字が分からず、教科書が読めかったのだ。

「先生に『こんな漢字も書けないの?』って言われたこともありました」

言語だけでなく、アメリカと日本の文化の違いも大きかった。

「日本の学校には制服がありますが、アメリカでは肩を出すのはNGとか校則はあっても、基本的には私服です」

「制服に抵抗はなかったし、同じ服を着ればいいからラクだな、とは思うんですが」

「自分には似合わないな、と思っていました」

個性を尊重するアメリカと、個性を抑えようとする日本。

その違いは教育にも表れていた。

黒髪じゃないとダメ

「アメリカの学校では、語学が得意でない私に個人チューターが付いてくれて、英語を教えてくれるんですよ」

「私がクラスのみんなに日本語を教える機会もつくってくれました」

生徒の得意なことと不得意なことを見極めて、得意は伸ばし、不得意はサポートしてくれるのだ。

「日本は服装も勉強も、すべて統一させようという雰囲気があります。髪の色も黒じゃないといけないとか」

「兄も私も水泳をやっていたので、塩素のせいで髪が茶色くなってしまっていたんです」

「そのことを兄が学校で咎められたそうで」

「結局、母が先生に髪が茶色い理由を説明してくれたんですが、なんで黒髪じゃないといけないのか、怒りを覚えました」

そんなカルチャーショックが積み重なったせいだろうか。

ストレスから半面顔面麻痺を患ってしまったこともあった。

それでも、持ち前の負けず嫌いな性格と、「なんとかなるさ」という前向きさで、次々に現れる壁を乗り越えていった。

04難民問題からNGOの活動へ

アムネスティとの出合い

高校を卒業し、大学では法学部へ進学。

学んでいくうちに難民問題に関心をもち始め、マンチェスター大学大学院では研究テーマとして選んだ。

「難民問題を含む、多様性、共生文化、共生社会などをテーマに学びました」

「難民がどのように社会に受け入れられ、または受け入れられないのかを調べていくうちに、難民問題に取り組んでいるアムネスティに行き着きついたんです」

インターンとして参加するようになり、大学院を卒業。

希望としては、アムネスティに入局したかった。

しかしNGOの新卒採用は難しい。

社会のことは一般企業でも学べる。

「経験を積んでから、またNGOの活動に戻ろうって思いました」

そして、輸入家具を取り扱う貿易会社に就職した。

キャンペーン担当に

「商品を開発することは楽しかったです」

「でも、安い価格で仕入れて高く売るのが基本の貿易の世界では、現地の労働者の賃金を値切ってでも、安く仕入れなくてはいけないのが辛くて」

「業界の価格競争のなかでは仕方ないことかもしれないんですが、どうしても仕入れ先の家族とか生活が気になってしまいました」

疑問に思っても、新人の身では口に出せなかった。

それでも学ぶところはたくさんある。

なんとか続けていこうと2年が経った、ある日。

「アムネスティからキャンペーン担当のポジションが空いたので、やってみないかと連絡があったんです」

「もう少し貿易の仕事も学びたかったんですが、これを逃したら、あと何年待つことになるか分からないなと思い、やってみようと決断しました」

キャンペーンとは、社会制度の改善のために行う市民活動のこと。

国際人権NGOであるアムネスティでは、国際人権の基準から政府に対して提言し、制度の改善を目指している。

制度の改善を政府に訴えかけるため、一緒に声を上げる人を募るのも、キャンペーンにとっては重要なことだ。

「そのためにはまず、問題について多くの人に知ってもらう必要があります」

「ただ、知ってもらうだけでなく、行動を起こしてもらえるように、きっかけをつくるのも私の仕事だと思っています」

目の前にある問題が、不利益を被っている個人の問題なのではなく、その背景にある社会の問題であると理解すること。

社会に属している自分こそが、声を上げなければならないと気づくことが重要なのだ。


<<<後編 2018/05/09/Wed>>>
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05 LGBTの人たちの声を届ける
06 根底にあるジェンダー差別
07 市民の意識と法整備
08 大切なのは想像力と共感力

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