02 「床屋とパーマ屋にはならない」
03 女の子がうらやましい
04 『薔薇族』は読んでみたいけど
05 やっぱり自分はゲイかもしれない
==================(後編)========================
06 男性に抱きしめられたかった
07 改めてのカミングアウトはしない
08 南アフリカで学んだこと
09 覚悟を決めて、起業
10 コミュニティのなかで生きる
01両親が教えてくれた旅の楽しさ
学校を休んで家族旅行に
生まれも育ちも東京都北区。
昔ながらの商店街で理容室と美容室を営む両親の長男として生まれた。
「うちの商店街は結びつきが強くて、子どもの頃から近所の方にかわいがってもらっていたという記憶があります」
「2歳のときに火傷したとか、自分が覚えてないことまで、店のお客さんが覚えていてくれていたり」
「みんなに見守られている、という感じでした」
父の理容室、母の美容室はともに週末が稼ぎどき。
6つ年上の姉と自分は学校が休みでも、両親は働いていた。
「だから家族旅行は平日。店が休みの月曜とか火曜に行ってました」
「学校を休んでまで(笑)」
「土日もずっと仕事だったんで、両親なりに、定休日はできるだけ子どもと一緒に時間を過ごしたかったんだと思います」
家族旅行は、今も大切な思い出のひとつ。
たまに写真を見ては当時を思い出すこともある。
「よく車で伊豆に行ってましたね。あと、夏休みには青森にある父の実家にも、10時間くらいかけて車で行ってました」
「移動時間が長いので、姉と私は後部座席のシートとフロアで、2段ベッドみたいにして寝ることもありました」
「楽しかったですね(笑)」
学校を休んで、家族と旅行。
「いいのかな?」と少しだけ不安になりながらも、家族と過ごす貴重で特別な時間は、ワクワクと心踊るものだった。
白衣を着た父が恥ずかしい
しかし子どもの頃は、両親に対して複雑なおもいもあった。
父兄参観や運動会など、両親が学校に来るとき、スーツ姿の父親たちのなかに、毛染め液のシミがついた白衣を着た父がいるのが嫌だった。
「胸ポケットにクシとかが挿さってて、カッコ悪い・・・・・・って」
「親には格好いい存在でいて欲しかったから」
「せっかく仕事の途中に駆けつけてくれたのに、子どもだった自分は『恥ずかしいから、もう学校に来なくていい』なんて言っちゃって」
「スーツを着たビジネスマンの親に憧れていたんです」
父は寡黙なタイプ。母は社交的で、近所のまとめ役的存在。
商店街の会合のときには、いつも両親の営む店に人が集まった。
「父は家に友だちを招くのが好きだったので、店が終わったあとによく誰かがうちの居間に来ていました」
「タバコと酒のにおいがして、『あ〜、また来てる、あのおじさんたち』って・・・・・・嫌でしたね(笑)」
そんな父も、かつてはスーツを着て会社に勤めていた時代もあった。
一念発起して退職し、理容師になったのだ。
「父は、誰かに仕えるのが苦手なタイプだったんだと思います」
「自分も、将来は会社に勤めて成功するんだろうと思っていたのに、気づけば独立してますし・・・・・・」
「血は争えませんね(笑)」
02「床屋とパーマ屋にはならない」
自分は女の子っぽい?
小学生のとき、クラスの人気者の男の子を目で追っている自分に気づく。
「駆けっこの速い子とか、男の先生とか」
「どういう感情かは分からないけれど、とにかく気になって」
「その頃は、男性は女性を好きになるものだと思っていたので、男性が気になるのは『好き』という感情だとは思ってなかったはず」
「でも、クラスの友だちはなんとなく気づいてたみたい」
他の男の子よりも女の子っぽい。
「“オカマ” とからかわれることもあったし、ふざけて蹴られたりしても、『自分が女の子っぽいからいじめられているのかな』と考えてしまうこともありました」
自分は、他の男の子とはもしかしても何かが違うのかも。
ほんの少しの違和感をうっすらと感じた。
エリートにならなくちゃ
クラスでは、あまり目立つほうではない大人しい生徒だった。
時間があれば、机に向かって勉強をするようなタイプ。
「本当は私立の小学校に行きたかったのに、公立だったから、中学は私立に行かなければと、勉強ばかりしてました」
「私立中学に入って、高校は都内の進学校に行って、最終的には東大という自分なりのゴールがあって」
「小学生なのに、なんだかすごいですよね(笑)。エリートにならなくちゃいけない意識みたいなのが強くて」
親は、せっかく大学を出たのに、理容師なんてやっている。
自分はそんな風になってはいけない、という考えがあった。
「両親に向かって『自分は絶対に床屋にもパーマ屋にもならない』って宣言したこともありました」
「親を傷つけちゃいましたね・・・・・・」
エリートになるためには、と習い事にも通った。
算盤、ピアノ、習字、空手、進学塾。
遊ぶ暇を惜しんで励んだ。
「みんなは遊んでるのに自分だけ塾かぁ・・・・・・。なんて思ったりもしてましたが、自分はみんなと違う中学校に行くんだから、という目標をモチベーションとして、がんばってました」
「勉強が好きというよりも、勉強をしている姿を大人たちに見せて、褒められるのが好きだった、というのもあると思います」
しかし、受験勉強の成果は思わしくなく、中学校もみんなと一緒の公立へ入学することになってしまった。
「ショックでしたね。上には上がいるんだと知って」
「でも、小学校の友だちと一緒に中学生活を送ることができたので、それはそれでよかったのかなとも思います」
「みんなとは小学校でお別れだな、とか思ってましたけど(笑)」
私立中学に入ることができなかったことが悔しくて、高校こそは絶対、私立に、と小学校時代よりもさらに勉強に精を出した。
03女の子がうらやましい
アイドルみたいになりたい
中学校ではテニス部に入る。
部活は楽しくて、体育倉庫に行くときは一層ワクワクした。
「他の運動部に憧れの男の子がいて、ここが彼の部室かぁ、中にいるかもって思いながら部室のドアを眺めたりしていました(笑)」
「中学校からは、さらに視線は女の子よりも男の子にいくようになったと思います。無自覚でしたけど」
しかしその反面、女性アイドルも好き。
新人が登場するたびにチェックした。
「明菜ちゃんとか河合奈保子ちゃんとかが好きでしたね」
「女の子が好きというよりも、自分もああいう風になりたい、あの子たちはズルイな、って感じだった気がします」
フリルのドレスを着て、ステージで歌うアイドルがうらやましかった。
姉とカラオケに行くと、女性アイドルの曲を歌った。
と同時に、男性の曲も歌ってカモフラージュした。
「制服も詰襟なんて着たくなかったし、バッグも女子生徒が持っているような革製のがよかった」
「髪の毛が長いのもいいなって思ってたし・・・・・・」
「なんで男の子は髪の毛を短くして、詰襟を着なきゃいけないのか、こんなのおかしい、ってずっと思っていました」
“そっち側” には行きたくない
しかし、自分がなぜそういう風に思うのか。
その点に向き合う気にはなれなかった。
「自分が、女の子のように男の子のことを見ているのか、それとも男の子だけど女の子になりたいと思っているのか、よく分からない感じ」
「向き合って、しっかり考えたら、“そっち側” に行っちゃうんじゃないかと感じていたんだと思います」
「”そっち側“ には行きたくないという意識がありました」
同性愛という言葉さえも知らなかった時期。
男の子は男の子を好きになっていいのか、好きになったその先には何があるのか、何もかも分からない。
“普通” の男の子ではない側。
自分はそっちじゃない、でも、もしかしたらそうかも・・・・・・。
そんな考えを紛らわすため、机に向かった。
とにかく高校は私立に行かなくちゃ。
「クラスの男子が、女子のことで騒いだりしても、話の輪に加わらずに『自分は勉強で忙しい』ってアピールしてました」
さらには、友だちに「誰が好きなの?」ときかれれば、本当に好きなのかどうかも確かでない女の子の名前を挙げる。
そればかりか「好きです」と書いた手紙をその子に渡したりもした。
自分はもしかして・・・・・・。
ふと浮かんでくる疑念。
勉強で紛らわして、女の子に興味があるふりをしてごまかした。
04『薔薇族』は読んでみたいけど
私立高校デビュー
高校は、中学受験で挫折した悔しさをバネに、また、恋愛に心を乱されることなく、一心不乱に勉強したかいあって、立教新座高校に入学。
そこから人生が大きく変わる。
「エスカレーターで大学に上がれるので、もう勉強しなくていい。一気に解放された気分でした」
同級生たちは、育ちがよく、マナーもよくてスマートな上、まだ高校生ながらブランドもののバッグで登校している生徒も多かった。
そんなオシャレでキラキラした世界に仲間入りしたのだ。
「モチベーションが上がりましたね」
「自分も親にせがんでブランドのバッグを買ってもらって、学校帰りに友だちとディスコに行ったりしてました(笑)」
“立教ボーイ” といえばオシャレな男子生徒の代名詞。
高校でも入部したテニス部では、お揃いのブルゾンをつくり、チームメイトたちと並んで、胸の「R」の文字を周りに見せつけて歩いた。
「中学校までは、ずっと地味なタイプだったけど、やっと気持ちが明るくなった感じでした」
自分はもしかして・・・・・・。
その点には向き合えずにいたが、あるとき、小さな事件が起こる。
“オカマ” だと思われなくない
同じクラスにいた、女性っぽい男子生徒。
周りから “オカマ” とからかわれても動じないような子だった。
その子の机のなかに『薔薇族』があったと他の男子生徒が騒いだ。
「それがゲイ雑誌ってことは知ってたので、『うわっ、読みたい!』と思ったんですが、そんなこと言い出せるはずもなく」
その子と一緒にいたら、自分もきっと “オカマ” だと思われる。
ましてや、『薔薇族』を読んだってことがバレたら何て言われるか。
その頃には、同性愛の存在は知っていた。
自分がそうだと思われるのも嫌。
自分で、そうだと認めるのも嫌だった。
「周りの友だちで、ませてる子たちは初体験も済ませていたりもして」
「自分は小学、中学と、地味に生きてきて、恋愛らしいことは何もなかったから、高校では女の子とお付き合いできるように、自分もがんばらなきゃ、って思っていました」
高校は男子校だったので、他校の女子生徒とグループデートもした。
「そんなときに『薔薇族』を目の当たりにして、あらま・・・・・・って感じで(笑)」
キラキラした学生生活、恋愛への憧れ、『薔薇族』への興味。
いくつもの新しい世界への扉が同時に開かれ、高校時代はあっという間に過ぎていく。
「でも、気分が解放されすぎちゃって、ぜんぜん勉強しなくて(笑)」
「あっという間に、学力は落ちちゃいました」
今度は、大学に上がれるかどうかという不安が湧いた。
05やっぱり自分はゲイかもしれない
パーティのときはすごい
「大学には、滑り込みセーフで、なんとか上がることができました(笑)」
「あと、ずっと漠然と『エリートになる』と目指していたものの、具体的な職業は見えてなかったんですが、ようやく方向性が見えてきて」
「ホテルとか旅行会社とか、サービス業がいいなと」
子どもの頃、両親に連れて行ってもらった旅の楽しい記憶。
そこから、高校生になると友だち同士で旅に出るのも好きになった。
そこで、大学では社会学部観光学科を専攻する。
ツーリズム(観光)の経済的・社会的効果などについて考える、ツーリズム概論を学んだ。
「でも、入学と同時に体育会の軟式テニス部に入ってしまって・・・・・・。大学4年間は勉強というよりもテニス漬けでした」
「関西の方へ遠征試合に出かけたりする旅も楽しかったですね」
部では事務やプレイングマネージャーを担当。
先輩やOBとのつながりが深い部だったので、彼らとの連絡係も務めた。
もっともやりがいを感じたのは、会合のセッティング。
特に、他大学と一緒に開催するパーティは全力で盛り上げ役に徹した。
「試合では弱いのに、パーティのときはすごいよねって言われたり(笑)」
「パーティ大好きの私にぴったりの役でしたね」
ゲイが集まる映画館へ
上下関係が厳しいなかでの人付き合いも部で学んだ。
合宿では後輩が先輩の食事を用意して、布団をしいた。
その分、先輩は後輩が問題に直面したときや就職活動の際、的確にサポートしてくれる頼もしい存在となった。
「パーティや飲み会は大切なコミュニケーションの場でした」
そんななか、初めての恋人ができた。
相手は女性だった。
恋愛にスポーツに勉強に・・・・・・。
周りの大学生と変わらない青春時代。
「でも、ちょうどその頃、母が癌だということが分かって。あと1年しか生きられないというなかで、闘病が始まりました」
そして、程なくして母が他界する。
肉親の死を前に、なにか吹っ切れた気持ちになった。
「人間って、本当に死んでしまうんだな、って思ったときに、生きているうちに何事も試してみないと、って思ったんです」
「女性と付き合って、特に違和感はなかったし、今までちゃんと向き合おうとしてこなかったけれど、もしかして自分は男性とも付き合えるんじゃないか・・・・・・」
「そう思って行動を起こしました」
その頃には、新宿二丁目のことも、上野にゲイが集まる映画館があることも知っていた。
二丁目は刺激が強すぎるかもしれないと考え、まずは映画館にひとりで訪れた。
そこで、疑念は確信に変わる。
やっぱり自分は男性が好きなんだ。
「恥ずかしかった」
「自分のすべてがさらけ出されたようで」
見ないようにしてきた自分自身を初めて直視したことで、本当にこれでいいのかと困惑する。
しかし、不思議な達成感はあった。
<<<後編 2020/03/08/Sat>>>
INDEX
06 男性に抱きしめられたかった
07 改めてのカミングアウトはしない
08 南アフリカで学んだこと
09 覚悟を決めて、起業
10 コミュニティのなかで生きる