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今が、同性愛者であることを、周りに打ち明けるタイミングだった。【後編】

今が、同性愛者であることを、周りに打ち明けるタイミングだった。【前編】はこちら

2018/07/26/Thu
Photo : Mayumi Suzuki Text : Ryosuke Aritake
笹原 一也 / Kazuya Sasahara

1969年、北海道生まれ。小学校低学年から中学年にかけて、親の離婚と再婚を経験。15歳の時、男性同性愛者向け成人雑誌を偶然見たことがきっかけで、同性が気になり始める。調理師免許の取れる高校に進み、18歳で就職とともに札幌に移住。30代で統合失調症を発症し、10年以上に及ぶ闘病生活を送る。現在は就労継続支援の事業所に勤めている。

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INDEX
01 外で遊ぶことが好きな普通の男の子
02 それぞれの形で愛してくれた3人の親
03 淡い思いを抱いた青春時代
04 同性にドキッとする感情と罪悪感
05 女性との交際と遂げられない最後
==================(後編)========================
06 同性愛者としての人生の始まり
07 思いがけない病気との戦いと現在
08 今だからできたカミングアウト
09 当事者だから伝えられること
10 掲げた夢は “豊かに生きていくこと”

06同性愛者としての人生の始まり

男性とのおつき合い

15歳で、ゲイ雑誌を見た時から、心の奥にある衝動の正体がわからなかった。

ずっと、自分が何者なのか、探っているような感覚だった。

「おつき合いしていた女性と別れた時に、男性の方が向いているのかな、って思いが強くなったんです」

21歳の時だった。

ゲイ雑誌の巻末に、文通相手を募集するコーナーがあった。

同じ札幌に住む男性のコメントを見つけ、手紙を出した。

「出してみたらどうなるんだろう、って単純な好奇心だったと思います」

「返事が来て、会うことになりました」

相手は、40代後半の男性だった。

初めて会った日に、交際が始まった。

「おつき合いと言っても、ドライブしたり食事に行ったり、やることは女性と変わらなかったです」

「ただ、女性とつき合っている時は、自分が主導でプランを練っていました」

「その男性の時は、相手主導でいろんなところに連れていってくれたんですよ」

交際が進むにつれて、彼のことを大切に思うようになっていった。

「一緒にいやすかったんだと思います」

同性愛者という自覚

ある日、デート終わりにいい雰囲気になった。

「この人とだったらいいかな、って思ったんですよね」

「その時に、初めて性行為が成り立ちました」

自分は女性を愛せないんだ、と思い知らされた。

はっきりと自身のセクシュアリティが固まった気がした。

同時に、得も言われぬ恐怖心にも襲われた。

「一晩過ごして、本当に良かったんだろうかって」

「当時、HIVが騒がれていた時期で、それも頭にありましたね」

「結局、その男性とは、それっきり会わなくなってしまったんです」

しかし、この出来事がきっかけで、恋愛対象は女性から男性へと変わっていった。

「その時点で、自分は同性愛者だって認識がありました」

ゲイ雑誌で知ったコミュニティに赴き、新たな出会いを探した。

魅力的な男性と、交際がスタートすることもあった。

「一番長い人で、1年半ぐらいおつき合いしましたね」

07思いがけない病気との戦いと現在

突然の精神疾患

20代半ばで、札幌から地元の滝川に戻った。

「母が糖尿病を患って、療養が必要になったので、面倒を見るために帰りました」

地元の日本料理の店に勤めた。

30代に入り、突然てんかん発作を起こし、病院に運ばれた。

「自分は記憶にないんですけど、急に職場で倒れたらしいんですよ」

目を覚ますと、病院のベッドの上だった。

医師に「精神分裂病」と診断された。

「今は『統合失調症』という名前に変わりました」

「病名を聞いた時は、自分が? って感じでした」

書店で専門書を買い、症状を知ると、自分に当てはまる部分が多く見つかった。

入退院を繰り返す日々

1年のうちに、入退院を何度も繰り返し、仕事ができる状態ではなくなった。

医師からも「今、働くのは無理だよ」と言われた。

「当時、症状がひどい時は、幻覚や幻聴に襲われることもありました」

病気の原因は1つに絞れないが、職場の環境もあったのではないかと思う。

「調理師って職人の世界なので、上司は厳しいし、部下との板挟みにあうこともあるんです」

「いつの間にか、大きなストレスを抱えていたんだと思います」

「職場で何度か過呼吸を起こしたこともあって、その延長線上に病気があったのかもしれません」

母親は、糖尿病が良くなっていなかったため、心配はかけられなかった。

「自分が入院しても、母はお見舞いに来られる状態ではなかったので、手続きも準備も自分でしていましたね」

「症状が良くなったと思うと、また悪くなって、1年の半分以上は入院していました」

生活保護費をもらいながらの生活が、十数年続いた。

闘病生活の経験

現在は、就労継続支援の事業所に勤めている。

「退去後のアパートの清掃や原状回復を行う仕事をしています」

「2年ぐらい前に、ようやく病状が落ち着いて、働けるようになりました」

しかし、一般企業に勤めるのは、まだ早い。

社会復帰の準備段階として、就労継続支援の事業所に入った。

現在は、薬さえ服用すれば、症状はほとんど出ない。

「完全に治ったわけではないけど、安定期に入っているので、冷静な判断もできます」

「入院中に、うつ病や双極性障害の方と話す機会もあったので、今はその経験を発信したいです」

同じように精神疾患で悩んでいる人がいたら、思いを分かち合うことはできる。

十数年に及ぶ自分自身の経験を、伝えることもできる。

「精神疾患を持ちながらLGBTに関わっている人がいたら、一緒に話してみたいですね」

08今だからできたカミングアウト

重しを人に背負わせること

自分が同性愛者であることは、交際相手以外には言わないつもりだった。

「カミングアウトって、その人が置かれている環境を、よく考えないといけないと思うんです」

「自分の中にある重いものを、誰かに背負わせるようなことだと思うので」

「自分のセクシュアリティのせいで、人が悩んだり苦しんだりするぐらいなら、自分の中だけで抱えていくって決めていました」

5年前、小学3年の頃から育ててくれた母が、この世を去った。

自分自身を伝える決意

2018年に入り、地元で初めてLGBTに関する講演会が開催された。

「50歳を目前にして、後半の人生を考えた時に、自分に正直になって豊かな人生を送りたい、って思ったんです」

「もし、その講演会で自分に発言の機会が与えられたら、同性愛者であることを言おうって」

手放しでカミングアウトに肯定的になったわけではない。

3人の親は先立ち、自分には兄弟もいない。

親戚づき合いもほとんどなかったため、身近な人に負担を負わせることはなかった。

だから、自分自身のことを、周囲に話してみようと決意できた。

定員30名の講演会には、40名近い申し込みがあったらしい。

イベント後半には、2チームに分かれてのグループミーティングがあった。

「1人ずつ発言する機会があったので、『当事者でゲイなんです』って話させてもらいました」

「同じ席の方々はストレートの方も多かったので、いろんな質問を受けました」

自分のことを話しながら、人の経験談も聞くこともできた。

「勢いで言ったところもあるけど、気持ちがすごくラクになりましたね」

打ち明けられる側の気持ち

グループミーティングの隣の席には、息子からゲイであることをカミングアウトされた女性が座っていた。

「カミングアウトされた人の気持ちを聞いたことがなかったので、いろいろ質問させてもらいました」

その女性は、こう話していた。

「最初はショックで悩んだけれど、息子は何があっても息子だから応援しようって決めた」

その言葉に、驚かされた。

「その方の決意はすごいと思ったし、カミングアウトされる人の気持ちを知れて、勉強になりました」

もし、今も親が生きていたら、カミングアウトしていなかったと思う。

「やっぱり、両親に背負わせるわけにはいかない、って考えると思います」

「自分が打ち明けてもいいと思える条件が揃った今が、言うタイミングだったんだと思います」

09当事者だから伝えられること

同じ問題の共有

初めてのカミングアウトを経験してすぐ、「LGBT成人式」に参加した。

ゲイ以外のセクシュアリティの人に会う、初めての機会だった。

「男の人だと思って話していたらFTMだったり、すごくかわいらしいレズビアンだったり」

「いろいろな方と話せて、新鮮でした」

中には「カミングアウトし始めているけど、親には言えない」と話す人がいた。

「セクシュアリティは違うけど、抱えている問題は同じなんだ、って感じました」

マイノリティであるが故の生きづらさは、共通のものであることを知った。

「これからの人生を豊かにするためにも、さまざまな境遇の人と関わっていきたいです」

当事者が集まりやすい場

「地元に近い札幌市が、政令指定都市で初めてパートナーシップ制度を導入したんです」

札幌では、LGBTフレンドリーを表明する企業も増え、当事者向けのイベントも頻繁に開催されている。

そして、滝川市の市議会議員・舘内孝夫氏が、同性愛者であることをカミングアウトした。

「舘内さんとはもともと友人だったので、彼のカミングアウトは、私を動かすきっかけの一つになりました」

自分の身の回りで変化が起きているが、すぐに広まっていくわけではない。

「田舎って、都市部より人との距離が近いので、LGBT関連のイベントがあっても集まりにくいんですよね」

「近所の人に見られているかもしれないから」

「でも、小さかったとしても輪ができて、少しでも広がっていけばいいかな、って思ってます」

「個人的にも、当事者が集まりやすい場を作れたらいいな、って考えています」

「ゆくゆくは、ストレートの方にも情報発信していける土壌ができたら、いいですよね」

事実を伝えていく意義

最近は、親しい友だちにも打ち明けるようにしている。

「話した人の中には、『理解できない』って言う人もいますし、自然と連絡が来なくなった人もいます」

「でも、そういう反応もあってしかるべきだと思いますね」

「『男同士で気持ち悪い』って思う人がいて当然だし、自分も逆の立場だったら、理解するってなかなか難しい」

ただ、全否定するのではなく、ある程度の知識を得た上で、判断してほしい。

「話を聞いてもらった上で、『自分には無理』って思われるなら、仕方ないです」

「でも、もし『わかるよ』って言ってくれる人が1人でも2人でも増えるなら、自分は言い続けていくんじゃないかな」

カミングアウトによって離れていった人もいるが、得たものも大きい。

プラマイゼロどころか、むしろプラスだと思っている。

10掲げた夢は “豊かに生きていくこと”

自分自身で選択していくもの

本当に愛せる人は誰なのか。

悩み続けた時期があったから、同じ悩みを抱えている人の思いを共有できると思う。

「自分の時はこうだったよ」と、経験を話すこともできる。

「若い頃に、悩みを相談できる場所があったら、良かったのかなとは思いますね」

「当時は、今ほど情報が出回ってはいなかったので、迷う時期も長かったです」

「今の子どもたちは、これだけの情報の中から、選び取ることが大事ですね」

若ければ若いほどセクシュアリティに柔軟だが、はっきりしていない部分も多いはずだ。

「早い段階で、同性が好きかも、って思うかもしれません」

「でも、いろんな情報を得ていく中で、異性のことを好きになる可能性もあると思うんです」

「自分も小さい頃は女性が好きだったけど、今は男性が恋愛対象になっています」

幼い内は、恋愛なのか友情なのか、判断できないこともあるだろう。

「自分自身で情報を得て、選択していくものじゃないかな」

「だから、他者が『あなたは同性愛者だよ』と促すのは、違うと思います」

周囲の大人は判定するのではなく、さまざまな世界を教えてあげることが役割ではないだろうか。

「大人の自分たちが、ちゃんとした情報を伝えてあげないといけないですよね」

「自分は当事者として伝えられることを、伝えていきたいと思っています」

願うは “普通の生活”

残りの人生は “当たり前” に生きていきたい。

「何もしないまま、ずるずると後半の人生を過ごしたくはなかったんです」

「人として、普通に生きていきたいだけなんです」

「そのためには『セクシュアリティなんてわからない』って言う人に、説明することも必要だと思います

「LGBTと呼ばれる人に対する理解が深まるならば、そういう活動もしていきたいですね」

自分のことをわかってくれる人が増えていけば、当たり前の生活を送れるから。

「今は新しい環境の中で、新しい出会いを得られることが楽しいです」

「そして、将来的にはパートナーと呼べる人と出会えたらいいな、って思います」

願いは一つ。

未来のパートナーと、ごく普通に生きていきたい。

「カミングアウトしたことで、一歩か半歩かわからないけど、前に進んでいる感覚はあります」

それが、僕にとっての “豊かに生きる” ということ。

あとがき
LGBTER初の北海道から、笹原一也さん。伝わるものは、他者とつくる穏やかな世界だった。一也さんが過ごした青春時代、LGBTを取り巻く環境は今とは大きく違う。時代ゆえのご苦労を想像した取材になった◼年齢や性別、社会的な立場・・・ 何かにチャンレジする時におもう “間に合わない” の感覚はなんだろう? と自問する。もしかして言い訳??(汗) ◼一也さんの魅力は、その制限を外していること。必要な設定とそうでないこと。まずは自分と相談してみる!(編集部)

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