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無知だった自分を省みて、LGBTを支援【前編】

LGBTの割合は左利きと同じだけいるって!? 自分の周囲にもたくさんいたはずなのに、まったく気づかずに生きてきた。「そんな自分が恥ずかしいと思った。大企業の経営陣にも、この現状を知らないまま事業推進をしているのでは?」。企業研修を通して、LGBTの存在に目を開いてほしい。そして、みんなが働きやすい環境を作ってほしい。それは、きっと難しいことではない。

2020/01/22/Wed
Photo : Yoshihisa Miyazawa Text : Shintaro Makino
屋成 和昭 / Kazuaki Yanari

1974年、京都府生まれ。株式会社アウト・ジャパン代表取締役。小学校はサッカー少年、中学はビーバップを地でいくツッパリ、そして、大学では学生劇団で役者を目指した。人材ビジネス、コンサルティング事業の経験を経て、現在はLGBTの働きやすさをテーマに企業研修を推進している。

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INDEX
01 LGBTが働きやすい環境をサポート
02 やんちゃでモテた中学生
03 高校3年で芝居の魅力を知る
04 難関大学に合格! 目標の学生劇団に入団
05 演劇を中心に回った、充実した学園生活
==================(後編)========================
06 まだマイナーだった人材ビジネスを目指す
07 LGBTと向き合って知った、自分の問題点
08 3年連続で娘とレインボーパレードに参加
09 公開! 研修でウケる話
10 簡単に解決できることがある

01 LGBTが働きやすい環境をサポート

企業も対応の必要性を感じ始めている

株式会社アウト・ジャパンでは、LGBTに関する企業向けの研修・セミナーを行っている。社名の「アウト」は、カミングアウトの意味だ。

「ぼくが参加したのは3年前ですが、その頃はホームページの問い合わせなどほとんどなかったのに、今は倍々ゲームで増えています。多いときは、週に3件くらい問い合わせがありますね」

「業種はさまざまですけど、そろそろウチの会社も何かしなくちゃいけないのでは? と、みんな感じ始めているんでしょうね。その動きを感じます」

なかには、社員からカミングアウトされて、「大変なことになった!」と慌てて駆け込んでくるケースもある。

「緊急性が特に高いのは、MTFさんの場合ですね。女として生きたい、更衣室を変えて欲しい、女子トイレを使いたい・・・・・・」

「LGBTの内情を知らない人事は、どうしたらいいか、パニックになっちゃうみたいです」

「すぐ来てください! とSOS発信をする人もいます(笑)」

その点、FTMの場合は違和感が小さい。

「ちょっと小柄な男性が男子トイレの個室に入っても、それほど問題にする人はいないんでしょうね」

必要なのは、92%の人たちの意識改革

相談を受けると、担当者に会いにいく。

「だいたい、ダイバーシティ推進室のような部署が担当するんですが、残念ながら、現状としては、まったく要領を得ないこともありますね」

ダイバーシティ推進室といっても、女性の活躍やシルバー人材の活用が主な仕事であることが多い。

LGBTに関する基礎知識がまったくない担当者もいる。

「相談者さんは、トランスジェンダーさんですよね? と聞いても、それ、何ですか? と、聞き返されることもあります(苦笑)」

手術は済んでます? 戸籍は変えました? と聞いても混乱するばかり。

「基本的には担当者との打ち合わせになりますが、当事者を交えての面談を持つこともああります」

「現場の部署から聞いた話を、弊社にただ伝えるだけで、伝言ゲームになってしまうこともあるんです。それでは、正しい状況が把握できません」

カミングアウトは勇気が必要だし、そこまでして会社に残りたいんだから、何とかしてあげるべきだ、ということは分かってもらえる。

「でも、どうしたらいいか分からない。助けてください、という感じです」

LGBT研修、今は、人事、経営陣、総務を対象にするのが一般的。大きな企業の場合は、数回に分けて行うこともある。

「営業に行くと、ウチにはLGBTは一人もいません、とはっきりという人もいます」

「世の中の8%はLGBTですよ、と説明しても、まさか、と信じてくれないこともありますね」

いろいろな現場に直面するたびに、問題なのは8%のほうではなく、92%の人たちの意識である、という思いを強くする。

02やんちゃでモテた中学生

キャプテン翼が大好きなサッカー少年

生まれも育ちも京都。

両親と妹一人の4人家族で育った。小学校でサッカーに出会い、夢中になる。

「『キャプテン翼』の全盛期でしたね。寝るときに布団の中にサッカーボールを入れようとして、母親に叱られたこともあります(笑)」

小学4年生のときにサッカー少年団に入ると、うまくなりたい一心で練習に打ち込んだ。

「まだ、Jリーグがない頃でした。ヒーローといえば、マラドーナ、プラティニ。日本の選手でいえば、木村和司だったかな」

ただ、将来、サッカー選手になりたいという夢は描かなかった。

「笑い話ですけど、親に将来の夢はサラリーマン、といっていたらしいです(笑)」

クラスでは、よく喋るムードメーカーだった。

「通知表には、『男の喋りは、みっともない』と書かれました(笑)。男は寡黙なほうがいい、という時代だったんですかね」

父親は九州出身。自動車整備工場で働くメカニックだった。

「母親に何から何までまかせっきりの人で、電子レンジも使えませんでした(苦笑)」

一方の母親は口うるさく子供をしつけるタイプ。

「でも、サッカーもやらせてくれたし、勉強のことも気にかけてくれました」

父親は給料日にパチンコに行っては、いつも負けて帰ってきた。

「それが夫婦喧嘩の原因になるんで、給料日は嫌いでしたね」

妹は2歳年下だ。

「あいつにいわせると、意地悪なお兄ちゃんだったみたいですよ(笑)」

兄の悪さをいつも押しつけられた。その恨みは大人になっても忘れられないという。

やんちゃしまくった中学時代

中学生の頃は、ビーバップ世代真っ只中。奇抜な格好をして目立ちたいと思っていた。

「洋ランを着て、足が4本入るような太いドカンを履いて。まあ、やんちゃしまくりました」

流行っていたのは、「ビーバップ・ハイスクール」「シャコタン・ブギ」「湘南爆走族」など。登場人物を真似て、思い切りツッパった。

「何だったんでしょうね。大人ぶりたい、反発したい。そんな気持ちだったのかなぁ」

親が学校に呼び出されることもしばしばだった。

「あの頃は電話がなるたびにビクッとしたと、母親はいってました(笑)」

「サッカー部には一応、入ったんですが、小学生の時のようには一生懸命になりませんでした。ほかに面白いことがありすぎて・・・・・・(笑)」

中学のサッカー部の顧問は、持ち回りで担当するだけで、サッカーを熱心に教えてくれる人ではなかった。

「部活の友だちも、みんな茶髪で、チャラチャラしたタイプでした」

それでも3年生のときに市内大会で目標の成績をあげることができた。

なりはツッパリ、テストは上位

「勉強はしなかった。まったくしなかったですね」

ところが、テストの結果はクラスでも上位だった。

「授業に出ないから、テスト前に真面目なやつにノートを借りるんですよ。それを丸暗記すると100点が取れるわけです」

しかし、なぜか、ノートを貸してくれた友だちは60点だったりする。

「お前のノートに全部、答えは書いてあったじゃないか。何で、できへんのや。オレの妹でも満点を取れるぞ」

そんな、いじりの発言を思い出すと心が痛い。

結果的に、見てくれはひどいツッパリだが、勉強はとてもよくできる、という一風変わった中学生になった。

「とにかく、目立ってましたね。それで、まあ、よくモテました!」

中学の3年間は、とにかく楽しい日々だった。

03高校3年で芝居の魅力を知る

高校に入って生活態度を一変

とにかく目立っていた中学生。
自分を気に入ってくれる先生と、目くじらを立てる先生にはっきりと分かれた。

「京都大学出身の数学の先生がよく話しかけてくれて、進路の相談にも乗ってくれました」

中3の秋になると、地元の公立高校を目指して受験勉強にも取り組んだ。

「母親が家庭教師までつけてくれたんですよ。そのおかげで第一希望の高校に合格しました」

意気揚々と高校へ登校してみると、茶髪も赤いシャツも自分一人だった。自転車置き場には、派手に改造したチャリがポツンと一台だけ。

「上級生が、『お前が屋成か』と見に来ることもありました」

周囲から完全に浮いているようで、すぐに居心地が悪くなる。

「中学のときも自然じゃないというか、無理をしていたんでしょうね。まともな学生たちに囲まれたら、急に恥ずかしくなりましたよ」

この学校でやっていくなら・・・・・・と、気持ちを入れ替えて、生活態度をガラリと変える。

熱心にならないシラケ世代

部活は、友だちに誘われて剣道部に。

「サッカー部も考えたんですが、違う世界もいいかなぁ、と」

しかし、あまり真剣に練習に取り組むことはなかった。

「シラケ世代、と呼ばれる時代でした。何に対しても熱心にならないというか、どこか覚めていましたね」

そんななかで出会ったのが、演劇だった。

「3年生のときに、クラスの出し物で主役を演じたんです。それがきっかけでしたね」

鴻上尚史が率いる、早稲田大学出身の劇団『第三舞台』に憧れた。

「高校にも演劇部はありましたけど、全員女の子で、目指していた芝居もまったく違いました」

振り返ってみれば、小学生の頃は「喋りすぎる」と言われた。目立つことが好きで、人前で話すのも得意だった。

「オレは役者に向いているかもしれない、と思ったわけです」

演劇への興味は、大学へと持ち越されていく。

04難関大学に合格! 目標の学生劇団に入団

公衆電話で聞いた合格の報

大学で学生劇団に入りたい、という目標は次第に明確になっていった。

「でも、調べてみると、そこそこの大学でないと劇団はないんですよ」

関西の難関私立大学といえば、関西大学、関西学院大学、同志社大学、立命館大学、いわゆる関関同立の4校がよく知られる。

しかし、現役で合格したのは、ワンランク下の大阪学院大学だった。

「校舎がきれいなのがウリの学校でした(笑)」

不合格ではあったものの、もう一年しっかりと勉強をすれば、関関同立のどこかに合格できるという手応えがあった。

「宅浪という条件で、親に浪人を認めてもらいました」

ラジオ講座などを利用して、一年間、黙々と受験勉強に打ち込んだ。

そして、合格発表の日・・・・・・。

「当時はネットもない時代ですよ。公衆電話で受験番号を入れると、合否を教えてくれるサービスを利用しました」

結果は、見事、関西大学に合格!

「うれしかったですね。公衆電話のなかで、よっしゃあ! と、でっかいガッツポーズですよ(笑)」

その公衆電話から、親戚の叔母さんに合格の報告をした。

「何を言っているのか分からなかったが、とにかく喜んでいるのが伝わった、と後で言われました。よっぽど、興奮していたんでしょうね」

演劇を熱く語る日々

「大学は大阪でしたが、実家から通うことができたので、4年間、京都から通学しました」

専攻は法学部だった。「7人の女弁護士」というテレビドラマが評判になっていた頃だった。

「理屈っぽいところがあるから、法律は向いていたんでしょうね」

特に刑法の授業には興味を持った。

例外が起こらないように法律が整備され、逆に法律の網にかからなければ有罪にはならない。そんな理路整然とした世界に惹かれた。

サークルは、もちろん演劇部だ。

「入学した初日に入部しました」

関西大学演劇研究部は「学園座」といった。自由な気風で、個性的な人が集まっていた。

「部員も多かったですよ。ぼくらの学年だけで15人くらい。全体で40人以上いましたね」

「ほかのサークルの部室は10時に鍵が閉まるサークル棟にあったんですが、演劇部だけホールの隣の一室を使っていました」

つまり、24時間使い放題。いつも誰かしら部員がいる、居心地のいい溜まり場だった。

「そこに住んでいるみたいな、主(ぬし)のような8回生の先輩もいました(笑)」

演劇といっても、いろいろなスタイルがある。

「アングラをやりたい人もいれば、当時、人気があった『キャラメルボックス』のような面白い芝居が好きな人もいました」

お互いの演劇論を戦わせたり、どうでもいい演出の細部を熱く議論したり・・・・・・。

学生劇団ならではの活動に夢中になった。

05演劇を中心に回った、充実した学園生活

学園座の民主的なシステム

学園座は春夏秋冬に公演をしたが、演目を決めるシステムが独特だった。

「こんな芝居を打ちたい、という案を複数の演出家が提案するんです。それに対して、一緒にやりたいと賛同する部員が集まると、その芝居が成立するわけです」

逆に、十分な賛同を得られなければ、芝居は成立しない。極めて民主的なシステムといえる。

「どうしても通したい先輩が、後輩にメシをおごりながら、『一緒にやろうぜ』と口説いたりしていました(笑)」

また、その演出に向いていると判断されれば、1回生でも主役を張ることができた。その意味でも民主的だった。

「オリジナルの台本を書く人もいれば、すでにある台本を脚色して使う人もいました」

同じ台本でも、演出家や役者によって、出来上がるものは大きく異なる。それが芝居の醍醐味でもある。

演劇活動で知った喜び

4年間で、役者として4、5回、舞台に立った。

「でも、とうとう主役にはなれませんでした。才能が足りなかったのかな?」

しかし、主役だけでは話は進行しない。見事な脇役がいることで光るシーンもある。そこには脇役のプライドがある。

「その頃から老けて見えたので、お父さん役なんかが多かったですね(笑)」

大道具、小道具、照明、音響。多くの人が関わらなければ、ひとつの舞台は成り立たない。

「舞台に立たない部員も、公演の際は、全員が裏方として手伝いました」

みんなで力を合わせて何かを作り上げる。かけがいのない喜びを感じる場だ。

「神戸大学でしたけど、佐々木蔵之介さんが同年代でした」

ほかの劇団との交流も大いに刺激になった。

 

<<<後編 2020/01/25/Sat>>>
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06 まだマイナーだった人材ビジネスを目指す
07 LGBTと向き合って知った、自分の問題点
08 3年連続で娘とレインボーパレードに参加
09 公開! 研修でウケる話
10 簡単に解決できることがある

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