02 白い髪と白い肌が受け入れられる環境
03 周りの友だちと私の違うところ
04 アルビノという病気だった私
==================(後編)========================
05 自分自身で閉ざしてしまった未来
06 ようやく見つけられた将来の希望
07 当事者の親が抱える苦悩や迷い
08 見てほしいのはキャラクターや思考
01自由にのびのびと育ててくれた家族
穏やかで控えめな両親
横浜で育ったひとりっ子。
両親の愛情を、一身に受けてきた。
「父も母も落ち着いていて、前に出るような人ではないかな」
「寂しがり屋なところもあって、私が1人暮らししようと思った時に、『本当は出ていってほしくない』って空気を発してました(笑)」
母は控えめな人だったが、しつけに関しては厳しかった印象がある。
「片づけをするとか、靴を揃えるとか、娘にはきちんとしてほしかったんだと思います」
父はほとんど怒ったことがない、大らかな人。
「体型は細いんですけど、知り合いから『しゃべり方がくまのプーさんみたいだ』って言われるくらい、おっとりしてます」
食卓に上らないアルビノの話
両親は、娘の自分がアルビノ(眼皮膚白皮症)であることを、重く受け止めていないようだった。
「母は、学生時代に勤めていたアルバイト先の隣のお店に、アルビノの店員さんがいたらしいです」
「アルビノでも普通に働けることを知ってたから、ネガティブにならなかったのかな」
「父も、気にならなかったみたいですね」
しかし、産まれてすぐ、アルビノであるか確定するための検査を行う際には、両親も苦しんだという。
「検査のためにお腹の皮膚を一部切り取る時に、私が泣いてしまう声を聞いて、『申し訳ないと思った』って、言ってましたね」
「でも、両親も悲観はしてないから、日常生活の中でアルビノの話題が出ることは、ほとんどなかったです」
唯一、頻繁に言われていたことは「日焼け止めを塗りなさい」。
「メラニンがないに等しいので、紫外線を浴び続けると日焼けせずに、火傷になっちゃうんですよ」
「昔の日焼け止めはベタベタして、ニオイもきつかったから、嫌だった記憶があります(苦笑)」
アルビノの人は、弱視であることも多い。
「私もあんまり目が良くないんですけど、日常生活は普通に送れる程度です」
「人によっては、盲学校に通う人もいますね」
アクティブな習い事
やりたいことは、比較的自由にやらせてもらえる家庭だった。
ピアノに新体操、ボーイスカウトなど、両親はさまざまな習い事を体験させてくれる。
「教室に連れていってくれて、やるかやらないかの選択は委ねてくれる感じでした」
「特に楽しかったのは、ボーイスカウト。小学生の間、ずっと続けてましたね」
同世代の子どもたちと班に分かれて、キャンプをしたり、オリエンテーリングをしたり。
「運動は苦手だったけど、アクティブなことが好きだったんですよ」
「同じ班の子たちと、きょうだいみたいな関係性ができていくのも、楽しかったです」
ほんの少しだけ、きょうだいに憧れた時期もあった。
02白い髪と白い肌が受け入れられる環境
漫画が好きなおとなしい子
幼稚園から小学校にかけては、集合住宅に住んでいた。
幼稚園児の頃から、両隣の家に同い年の女の子と男の子が住んでいて、家を行き来して遊ぶほどの仲だった。
「幼いながらに、性別によって遊びが違うことが不思議でしたね」
「女の子とは遊びが合うけど、男の子の好みは全然理解できなくて(苦笑)」
遊びの種類に違いはあっても、3人で仲良く過ごす日々。
2人から、髪や肌の色について、何か言われるようなことは一度もなかった。
「その子の親御さんたちも普通に接してくれたし、理解のある環境でした」
その友だちの影響か、小学校に上がってからも、同級生から外見について茶化されたことはない。
「小学生の私はおとなしくて、休み時間に漫画を描いたり、放課後に公園で漫画を読んだりしてました」
「学級委員をやるタイプではなくて、図書委員とか保健委員とかをやってましたね」
「その子はあなたのお子さんですか?」
幼稚園児の頃の記憶で、今でも鮮明に覚えていることがある。
自分が補助輪付きの自転車で公道を走り、母が歩いて付き添ってくれていた時のこと。
見知らぬ男性が近づいてきて、母に「その子はあなたのお子さんですか?」と、聞いた。
「母が覚えているかわからないですけど、私はすごく覚えてます」
「当時の私は、知らないおじさんが急に話しかけてきたことが怖かったし、なんでそんなことを聞くのかわからなかったんです」
母は感情を出すことなく、「そうです。生まれつきで」と答えていた気がする。
「小さい頃の方が、今よりもっと日本人離れした外見だったから、おじさんも聞いたのかもしれないです」
「その頃は、外見について人に何か言われたことがなかったから、単純に不思議だったんだと思います」
03周りの友だちと私の違うところ
自分にフィットしないクレヨン
周囲との違いを、初めて感じたのは小学生になってから。
図工の授業で、自画像を描くことになった。
「その時はクレヨンを使ったんですけど、描こうとしても、クレヨンの色が自分にフィットしないっていうか」
自分の髪の色は、黄色でもなければ黄土色でもない。
肌の色も、みんなが当たり前のように使っている肌色だと濃すぎる。
肌色の上に薄く白いクレヨンを重ねて、自分の白い肌に近づけた。
「どの色もしっくり来なくて、友だちとは違うのかな、って感じましたね」
「でも、その違和感を人には言えなかったです。言ったら、心配をかけちゃいそうで・・・・・・」
自分の中に違和感を抱いたものの、友だちや教師との関係は変わらないまま。
「同じ学年に母子家庭の子や発達障害かもしれなかった子がいて、よく同級生からいじられていたんです」
「その光景を見て、なんで自分も人と違うのに、いじられずに仲良くしてもらってるんだろう、って思ってました」
人と違うといじめられやすい、という感覚があったのかもしれない。
「その頃、赤ちゃんポストのニュースが、よく報道されていたんです」
「なんで五体満足の子が赤ちゃんポストに預けられて、私は両親やおばあちゃんに大事にされてるのかな、ってモヤモヤしました」
「贅沢すぎる悩みだと思うんですけどね」
純粋すぎる疑問の声
小学校高学年になり、初めての経験をする。
「学校の廊下を歩いてた時に、1年生ぐらいの男の子から、『お姉ちゃんはどうしてそういう色なの?』って、質問を投げられたんです」
「それまで面と向かって聞かれる経験がなかったので、初めて現実を突きつけられた感じでした」
男の子の表情から悪意は読み取れず、純粋な疑問や興味なのだと察した。
「母が話していたように『生まれつきだよ』って説明したら、男の子は納得したように歩いていっちゃいました」
「私はそこから走って、泣きながら保健室に行きましたね」
漠然としたショックの感情を、1人では抱えきれなかった。
「あんまり覚えてないけど、保健室の先生には泣いてる理由を話したと思います」
世の中の関心レベル
横浜市で、人権作文のスピーチコンテストが開催された。
授業の一環として、全員が作文を書くことに。
「自分の中の違和感は消えていなかったから、人との違いを認めることをテーマにしました」
「狭いコミュニティの中で受け入れられても、一歩外に出ると受け入れられない世界が待ってる、って内容で書いたんです」
家族や友だちに守られてきた自分にとって、1年生の男の子のひと言は、あまりにも衝撃的だった。
その作文は高評価を得て、学校の代表に選出される。
「まずは区の予選があったんですけど、さっそくそこで脱落しちゃいました(苦笑)」
「予選を通過したのは、聴覚障害を抱えた子だったんです」
「今は比較するものじゃないって思うけど、当時は、私みたいな見た目に問題がある子より身体障害がある子の方が大変なんだ、って思っちゃったんですよね」
スピーチの評価を、悩みの深さや世の中の関心レベルの指標のように感じてしまった。
04アルビノという病気だった私
疾患である「アルビノ」
肌や髪の色が薄いことは、生まれつきの個性だと思っていた。
「経過観察のため、定期的に眼科や皮膚科には行っていたけど、病気の自覚はまったくなかったです」
小学校の卒業式、最後のホームルームで、入学時に提出した書類が返却された。
「その書類をなんとなく見た時に、『眼皮膚白皮症』って、書かれていたんです」
ネットで「白皮症」を検索すると、アルビノの子どもを育てている女性のブログに行きつく。
「小さい頃の私にそっくりな赤ちゃんの写真が載っていて、自分もこれなんだ、って認識しました」
「病気だったことを知って、半分ホッとしたけど、半分はショックでしたね」
アルビノは遺伝疾患で、「メンデルの法則」に出てくる、劣性の形質を持つ豆と近しいものだと知る。
「アルビノの人の中には、親やきょうだいもアルビノという人がいることを知りました」
クラスで孤立しない方法
誰に何を言われたわけでもないが、普通になりたい、という思いが増していく。
「髪を染めたい、と思ったこともありました」
「そこまで好きじゃないキャラクターものも、友だちとお揃いで持ったりしてましたね」
「できるだけみんなと同じ。孤立しないように、って考えが強かったんだと思います」
当時の自分に無理をしている感覚はなく、中学生になっても、いじられるようなことはなかった。
「自然と、趣味が合う人と一緒にいるようになった気がしますね」
中学3年生の頃には、仕草や言動が女の子っぽい男の子と、一緒にいることが多くなる。
「小学校から一緒の子で、なんとなく気が合ったんですよね」
「成長してからトランスジェンダーだってわかったんですけど、当時も特に違和感はなかったです」
上下関係の厳しい吹奏楽部
中学時代、特に打ち込んだものは吹奏楽部の活動。
漫画『のだめカンタービレ』に感化され、100人規模の吹奏楽部に入る。
「吹奏楽部って上下関係が厳しくて、理不尽なことで怒られるんですよ(苦笑)」
「被害妄想的なところもあるけど、先輩の当たりが自分にだけ強い気がして、もしかしてアルビノのせいなのかなって」
「人との違いでモヤモヤしてる上に、先輩との関係にも悩んで、当時はいっぱいいっぱいでしたね」
思春期に抱いた悩みも、両親に打ち明けることはなかった。
「日常生活の中でアルビノの話題が出ないから、逆に家族の中ではタブーなのかも、って思っちゃったんです」
「アルビノであることの悩みを話したら、家族関係が変わっちゃうんじゃないか、と思ったら口に出せなかったです」
モヤモヤを心の奥に隠し、吹奏楽部は3年間続けた。
「先輩が引退したかと思えば、後輩の指導方法に苦戦したり、大変でしたね(苦笑)」
「でも、音楽が好きだったし、同期の結びつきは強かったから、続けられました」
<<<後編 2019/12/28/Sat>>>
INDEX
05 自分自身で閉ざしてしまった未来
06 ようやく見つけられた将来の希望
07 当事者の親が抱える苦悩や迷い
08 見てほしいのはキャラクターや思考