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MTFの私だから、男性のいい部分も女性のいい部分も自分のものにできる【後編】

MTFの私だから、男性のいい部分も女性のいい部分も自分のものにできる【前編】はこちら

2024/03/30/Sat
Photo : Yasuko Fujisawa Text : Ryosuke Aritake
望月 かれん / Karen Mochizuki

1992年、栃木県生まれ。幼い頃から性別に対する違和感を抱いていた。28歳の頃に「LGBT」という言葉を知り、自身がMTF(トランスジェンダー女性)であると自認。ホルモン治療やSRS(性別適合手術)を行い、2023年5月に戸籍変更。同年7月に勤めていた会社を退職し、現在はパーソナルトレーナーとして活動。

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INDEX
01 幼い頃から抱いていた “違和感”
02 平穏に生きるための防衛本能
03 男子としての生活と募る憧れ
04 夢を諦めて閉ざした心
05 アメフト部で味わった達成感
==================(後編)========================
06 “男らしさ” という強迫観念
07 ようやく知った本来の自分=MTF
08 大切な人たちへのカミングアウト
09 「望月かれん」として生きるため
10 私にはまだまだ叶えたい夢がある

06 “男らしさ” という強迫観念

見つからないやりたいこと

大学卒業後は、信用金庫に入社。

「舞台の道は諦めていたので、特にやりたいことがなかったんです」

「昔から数学が得意だったから、その能力を活かせるところがいいかな、くらいの気持ちで金融機関に就職しようと」

大学で励んだアメリカンフットボールを、社会人リーグで続けるほどの覚悟はなかった。

しかし、男らしくあるため、ウエイトトレーニングは続けた。

「大学4年間やり切った時に、燃え尽き症候群みたいになってしまって、プライベートでもやりたいことが見つからなかったんです」

「とりあえずトレーニングは続けるけど、ゴールがないからモチベーションも保てない。スポーツなら大会もあるし、頑張れるんじゃないか、と思いました」

そのタイミングで見つけたのが、社会人の相撲サークルだった。

自分自身を追い込む

裸にふんどしを締めてぶつかり合う相撲は、男らしさの極致のように感じた。

「男らしくならなきゃ、という強迫観念が強すぎて、視野が狭くなってたんです」

「少しでも気が緩むと男らしく生きられなくなっちゃうから、厳しいほうに身を置かなきゃ、って自分で自分を追い込んでました」

「自分を甘やかすこと、妥協することはいけないことだ、って思い込んでたんです」

小学生で野球をやっていた頃から、「お前は真面目すぎる」と、言われ続けてきた。

周囲から真面目に見えていたのは、男らしくいるために妥協できなかったから。

「自分の中の違和感は、誰にも話したことがありません。人に泣き言を言ってるようじゃ男らしくない、って思いもあったからです」

「父から言われた『男らしくしろ』という言葉が、染みついちゃってたんですよね」

やめられないこと

親には、社会人になってから相撲を始めたことも話していた。

「当然『なんで相撲にしたの?』って聞かれるので、『やりたくないんだよね』って答えたんです」

両親からは「しんどいなら、やめてもいいんじゃない?」と言われたが、「それでもやめられないんだ」と返すしかなかった。

「『なんでそんなに真面目なんだ』って母に言われて、『真面目に育てたのはあなたたちだろ』ってケンカになることも、よくありましたね」

相撲の次はどこに行けばいいんだろう。
そう考えると、しんどさを感じるようになっていった。

「その頃は、急に涙があふれて、止まらなくなることもありました」

精神的にも肉体的にもしんどかった相撲は、半年ほどでやめた。

07ようやく知った本来の自分=MTF

ずっとやりたかったこと

男らしさの追求をやめて、ある程度の時間が経ち、やりたいことをやろう、と思えるようになっていく。

「中学生の頃にやってみたかったジャズダンスを習い始めたのが、26歳の頃です」

その時は女性に近づきたい、という思いではなく、子どもの頃の夢を体験したい、という気持ちだった。

「女性的というよりは中性的な表現を楽しみたい、って感覚だったと思います」

「でも、いざ習い始めると、ダンスの先生は男性らしい力強い動きを教えてくれるんですよね」

スクールの仲間からも男として見られ、女性のしなやかで可憐な動きは求められない。

「やりたいことをやるという意味ではクリアしたけど、何か違うんだよな、ってモヤモヤはありました」

同じ頃、バレエも習ってみたい、という気持ちも湧いてくる。

しかし、インターネットで調べてみると、男性は受け付けていないスタジオがほとんどだった。

「その時も、女の子に生まれてたらできたのかな、って考えて、そんなことを考えてしまう自分は変だって感じました」

「LGBT」という4つの文字

信用金庫からの転職を経て、その頃は建設会社の経理部門に勤めていた。

福利厚生のひとつに、eラーニングで受けられる研修があり、暇があると見ていた。

「当時は資格の勉強をしてて、その一環でウェブ研修を見てたんです」

「研修動画のひとつを見ていたら、『LGBT』ってアルファベットが出てきました」

まったく知らない言葉だったが、「T=トランスジェンダー」が気になった。

「その動画を見てからは、『LGBT』で頭がいっぱいだったことを覚えてます」

関連する動画をいくつも見て、何日も「LGBT」のことばかり考えた。

「私がTだとすると、って仮定したんです。理系的な頭で論理的に考えていくと、どうやらマッチするんですよ」

「いままでの出来事や違和感って、私がMTF(トランスジェンダー女性)だからなんだって」

MTFの自分のギャップ

MTFだと自認した瞬間は、ようやく違和感の正体を突きとめた、という安堵の気持ちが大きかった。

しかし、すぐに押し寄せてきたのは焦燥感と絶望感。

「いままでの時間を無駄にしてきた焦りと後悔が、ものすごく大きかったです・・・・・・」

「これからどう生きていこう、って不安も出てきました」

ジャズダンスもバレエもやりたい、キレイな服を着たい、女性としての自己表現をしたい、とさまざまな思いがあふれてくる。

「でも、自分はアメフトや相撲で体を鍛えてきたし、職場では建設業の作業着を着てるし、理想と現実のギャップがすごくて、何から始めればいいかわからなかったです」

自分を変えようにも、動き出すことすらできなかった。

「YouTubeでさつきぽんやかずえちゃん、杉山文野さんの動画を見て、知識を入れていきました」

08大切な人たちへのカミングアウト

少しずつ変わる自分

LGBTQやMTFに関する情報を集めた後、メンタルクリニックを訪ねた。
そのクリニックで、戸籍変更やSRS(性別適合手術)のことを知る。

「すぐに診断や手術ができるわけじゃないと知って、不安でしたね」

「そうこうしてる間に時間が過ぎていって、やりたいことができない、って焦りがありました」

その焦りを感じ取りながらも、医師はひとつずつ丁寧に進めてくれた。

「ホルモン治療を始めた時も、すぐには変化がなかったから、モヤモヤしました」

「でも、ちょっとずつ肌の質が変わってきたり、ひげが生えにくくなったりして、うれしかったです」

「いつまでも味方でいる」

両親には、メンタルクリニックに通い始めた頃に、カミングアウトした。

「まだ体は男の状態だったけど、『実は心が女性なんだよね』って、直接話しました」

両親ともに、最初はキョトンしていた。「男より男らしかったのに」と、驚きを隠せないようだった。

「だけど、お父さんが『性別に関係なくお前はうちの子だから、引き離したりしない。いつまでも味方でいるから』って、言ってくれました」

「お父さんは厳しい人だから、ケンカになると思ってたけど、意外にも理解が早かったです」

そこから父はLGBTQについて勉強し、柔軟に受け入れてくれた。

「お母さんは泣いてました。ショックを受けた感じではなくて、私に対しての涙だったのかな。『いままでごめん』って、言われました」

両親から、否定や拒絶をされることはなかった。だから、自分の生きたい道を進もうという勇気が持てた。

友だちへのカミングアウト。受け入れてくれた仲間

大学のアメフト部で仲が良かったメンバーにも、打ち明けた。

最初は両親と同じように、「男にしか見えなかった」と、驚かれた。

「彼らも『一緒にやってきた仲間だから、これで仲悪くなるとかはないし、いつでも相談してね』って、言ってくれたんです」

「いまだに男性だった頃の名前で呼んでくるけど、受け入れるのにも時間がかかるだろうし、大目に見てあげようかなって(笑)」

勤めていた建設会社でもカミングアウトし、服装について相談した。

「社長も役員も同じ職場の人たちも、みんな受け入れてくれて、『女性の服装でいいよ』って、認めてくれました」

「それから女性を観察して、所作を真似するようになったんですけど、男性の時よりもしっくり来ましたね」

「心と体の性別が一致してる人ってこんな感じなんだ、って初めて知って、自分が『真面目すぎる』と言われていた意味が、やっとわかりました」

ようやく自然な形で生きられるんだ、と実感した。

09 「望月かれん」として生きるため

気になった人の目

ようやく本来の自分で、日々を過ごせると思っていた。

「ようやく自分が着たい服を買えるとか、そういう喜びはすごく感じてました」

「一方で、ホルモン治療を始めた頃は今より筋肉がついてたので、外に出るのが恐い、っていう葛藤があったんです」

「この体で女性の服を着て出かけたら、後ろ指をさされるんじゃないか、って不安が大きかったです」

不安を抱えずに出かけられるようになるまでは、1年ほどの時間がかかった。

「体つきが変化してきたのもあるけど、心のあり方も変わったからだと思います」

人の目が気になるからこそ、なぜ人は自分を見るのか、分析した。

そのなかで見えてきたのは、人を見る理由は「変な服装」「男っぽい」というネガティブなものもあれば、「あの人キレイ」「あの服かわいい」というポジティブなものもあること。

そして、人は街中で見かけた他人を、案外すぐに忘れてしまうということ。

「人が見てくる理由を考えても時間のムダだし、すぐに忘れちゃうものだ、って心をトレーニングして、気にしないようにしていきました」

私なりのトライ&エラー

心を鍛えると同時に、失敗も繰り返してきた。

「すっぴんで外に出たこともあるし、ひげを剃り忘れて人前で恥ずかしい思いもしました。保育園くらいの子に『オカマだ』って言われて、傷ついたこともあります」

冷や汗をかくような思いをするたびに、失敗の原因を振り返り、試行錯誤した。

「着たい服を着て出かけよう、と思っても、玄関に立つと恥ずかしくなるんです」

「この服おかしくないかな、って何度も何度も鏡の前に立って、やっぱり怖いから今日は出かけない、って諦める日もたくさんありました」

初めて女性の服を着て外に出たのは、あまり人がいない真夜中。

冬場にロングコートを着て、ほとんど肌が出ていない状態で少しだけ歩いた。

「堂々と出かけられるように、勉強しました。女性らしい体つきとか、そうなるための鍛え方とか」

「MTF当事者にとってはつらいけど、成長にはトライ&エラーが必要だと思います」

「エラーして始めて気づけることがあるし、キレイな人ほど、過去の傷を抱えながら、勉強してるんですよね」

「男性禁止」の現実

もともとはホルモン治療をして、容姿が女性らしくなればいい、と思っていた。

「SRSを受けるつもりはなくて、戸籍も男のままでいいかな、って思ってたんです」

女性として外に出られるようになった頃、バレエをやりたい、という気持ちが再び芽生える。

「あるバレエスタジオに申し込みに行ったんです。でも、『規約で男性は禁止なんです』って言われてしまって・・・・・・」

その時点で、身近な人からは女性として接してもらえる容姿にはなっていたと思う。それでも、「男性禁止」と言われてしまった。

「その時に、戸籍を変えるしかないのか、って思いました」

「これからも社会生活を送る中で、不都合なことがあってはいけないから、SRSを受けて変えようって」

2023年5月にSRSを受け、戸籍を女性に変更した。

10私にはまだまだ叶えたい夢がある

パーソナルトレーナーの仕事

2023年に入った頃から、建設会社の退職を考え始めた。

「男だった頃の仕事を惰性で引きずってる感じがして、このままはイヤだ、って感じたんです」

新たな道を考え始め、見えたのはパーソナルトレーナーの仕事。

「かつてのアメフトや相撲、現在のジャズダンスやバレエの経験が活きる仕事だと思ったんです」

アメフトや相撲のために筋肉をつけてきたから、「体を大きくしたい」という男性にトレーニングを教えられる。

女性らしい体つきを研究し、シルエットを細くする努力をしてきたから、「ダイエットしたい」という女性のニーズにも応えられる。

「私は両方の経験があるから、男性も女性も指導できる。私にしかつかめないチャンスだ、って思いました」

SRSの術後にリハビリをしながらトレーナーの勉強をして、すぐに資格を取得した。

「7月末に退職するって決めてたので、それまでに資格を取って、準備しました。思いついたら、早かったですね」

今は、提携しているスポーツジムで指導をしながら、お客さんに名前を知ってもらっているところ。

「まだ始めたばかりだけど、すごく面白い仕事でやりがいを感じてます」

「MTF当事者の相談にも乗りたいから、自宅を訪問してのトレーニング指導もしたいと思ってます」

「私も外に出るのが恐かったから、トレーナーに家に来てもらえたら安心じゃないかなって」

男性と女性のいいところ

学生時代は言葉にならない違和感を抱え、やりたいことをいくつも諦めてきた。

「今は後悔していません。あの環境で、別の生き方はできなかったと思うから」

「諦めたり間違ったりしてきたけど、自分らしく生きる人生を模索していたあの頃の自分を、褒めてあげたいです」

男らしさを追求した経験があったから、今の自分がいる。

「アメフトはもうこりごりだけど、いちスポーツとしては好きです。アメフト部にいたから、男性の健気で素直でエネルギッシュなところも知れました」

「あの頃の私を否定する気はありません。当時の経験も成長の糧になってるし、男性のいいところは自分の中に残しておきたいから」

「その上で、女性のいいところも取り入れたい。両方のいいとこ取りができたら、きっと人として成長できますよね」

そんな自分になれたら、やりたかったことに自由に楽しく挑戦できる。

「夢はたくさんあります。ジャズダンスの先生のおかげで、今はバレエスタジオにも通えているので、いつか大きな役を取って舞台に立ちたい、って野望があるんです」

「ビジネスの面でも、いろんな人の問題解決のお手伝いをしたい、って目標があります」

「やりたくもないアメフトや相撲を続けられた私にとって、やりたいことはお茶の子さいさいなんです(笑)」

幼い頃から描いてきた夢が、まだまだたくさんある。

夢をつかむ準備を整えた私に、怖いものはない。

あとがき
かれんさんは、静かで透明感がある。男であろう! と勇み立つしかなかった時代は、写真を見るまで想像がつかなかった。男子アメフト部も相撲サークルも、女性である自分を仕舞い込むには適した所属先だったと知る■いまはやっと、自分の “好き” に向き合えていると笑った。やりたいことを語る表情は、すでに達成したかのような清々しさ。出来事にどんな意味を見出し、自身にどう反映させていくのか。これからのかれんさんが、いかようにもできる ♪(編集部)

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