INTERVIEW
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「MTFだからこうあるべき」って決まりは、ないんだよね。【前編】

鮮やかなファッションに身を包み、待ち合わせ場所に現れた瓜生勝さんは、その場をパッと明るくする華やかさがあった。そして、ひとたび話し始めると、大らかな包容力にあふれ、初対面とは思えない安心感を覚えさせてくれる。瓜生さんのハッピーな生き様には、1人で抱え込んでしまった思いとたくさんの人の支えがあった。その一部始終を、少しだけ覗かせてもらおう。

2023/03/18/Sat
Photo : Yoshihisa Miyazawa Text : Ryosuke Aritake
瓜生 勝 / Masaru Uryu

1987年、東京都生まれ。幼い頃から男性に興味を抱き、ゲイと自認するも、18歳の時にトランスジェンダーというセクシュアリティを知り、自身がMTFだと認識。不登校などを経験しつつ高校を卒業した後は、男性パートナーと同棲しながら働く日々を送る。現在はインターネット関連の仕事をしながら、占いやアクセサリーの製作を行っている。

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INDEX
01 幼い頃に知った「人と人をつなぐ方法」
02 “生きづらさ” を感じ始めた時期
03 ゲイ? 恋愛対象は男性という自覚
04 カミングアウトする必要のない家族
05 華やかな成功に隠された影
==================(後編)========================
06 「ゲイではなくMTF」という気づき
07 “人生のリミット” が消えた理由
08 30歳を超えても生きられた私
09 なくしていきたい固定観念
10 私の「生き様」が未来につながる

01幼い頃に知った「人と人をつなぐ方法」

20年続けている「占い」

生まれは東京都八王子市。小学4年生で、神奈川県相模原市に引っ越した。
幼い頃から、スピリチュアルなものが好き。

「昔から不思議なものが好きで、お寺さんや神社さんによく行ってたんです」

「その中でたまたま出会った方が占い師で、いろんなお話を聞かせてくれたんですよね」

話の中で、「占いをしてるんだけど、興味ある?」と聞かれ、「知りたいです」と答えた。

「その師匠に占いを教えてもらい始めたのが、8歳くらい。占いや魔術といった、スピリチュアルなものをいろいろ勉強しました」

「15歳くらいから、占いでお客さんを取り始めて。といっても、お金はもらっていなかったので、鑑定だけです」

「専門は天然石を使う占いですけど、タロットも使うし、生年月日で見ることもあります」

15歳から始めて、35歳になった今でも占い稼業は続けている。

縁をつないでいく方法

占いというと、未来を言い当てるものと思われがちだが、実際は一般的なイメージと異なる面もある。

「基本はカウンセリングやセラピーのようなもので、占いは付属品なんですよね」

「相手の悩みを聞いて、占いという方法を用いて選択肢を提示するようなイメージです」

占いを学ぶにあたって、心理学の勉強もした。

「例えば、『手相を見たいから手を出して』と言われた時の手の出し方で、自信があるかないかといったことがわかるんです」

「自信がある人には決意の後押しをして、自信がない人には選択肢を提供する。心境に合わせて、対応が変わってきます」

その人の心をフッと軽くすることが、占いの役割だと考えている。

「その人が少しでも肩の荷を下ろせたら、それが一番です」

「だから、金銭的な部分でも負担をかけたくなくて、基本的にお代はいただいていません」

「師匠から言われた『円を取るのではなく、縁をつなげ』の言葉が、根本にあるんです」

「私自身は縁に恵まれてきたと感じているから、自分でも素敵な縁をつないで、誰かの役に立てたら、って思ってます」

02 “生きづらさ” を感じ始めた時期

男性への不信感

小学生の頃、二度の転校を経験した。

「今思うとびっくりするんですけど、転校初日から『今日一緒に遊べる人!』って、呼びかけるテンションの人間だったんです(笑)」

「幼いながらに、人気者の転校生になるためには気に入られなきゃ、って思いがあったのかもしれません」

結果的に、友だちが多くできた記憶がある。

「当時は明るいタイプだったし、ぽっちゃりしてて体も大きかったので、いじめの対象にならなかったんですよね」

「ただ、二度目に転校した学校で、休んだ日に配られたプリントがグシャグシャになって机の中に入れられてたんです」

グシャグシャにしたのは、担任の教師だった。

「私が休んでる日に、先生が私のことを変なあだ名で呼んでたって、同級生から聞いたこともありました」

「やや男性不振になってしまって、どうして人はそういうことをするんだろう、って占いや心理学にさらにのめり込みましたね」

学校では、校長と教頭、担任、両親との面談が行われ、担任は厳しく注意された。

「それでも自分の中には怨恨が残ってしまい、先生と同じ空間にいたくなくて、不登校になりました」

「親は『行きたくなければ行かなくていいけど、自分で学校に連絡しなさい』って、感じでしたね」

「実際に自分で学校に電話してたし、きっと子どもっぽくない子どもだったんだと思います」

しんどかった制服

小学校高学年は、学校に行ったり行かなかったりする日々が続いた。

そして、地元の中学校に進学。

「最初の1~2カ月は、普通に登校してたんです。でも、制服で男女をはっきり分けられるのがしんどくて・・・・・・」

当時は、MTF(トランスジェンダー女性)というセクシュアリティは知らなかった。それでも、なんとなく男の枠にはめられることに、苦しさを感じる。

「制服がきっかけで、完全な不登校になってしまったんです」

「その時の担任の先生から、フリースクールを教えてもらいました」

中学校の担任は「そこに行けば出席日数に反映されるし、勉強もできるし、同じような子がいるからしんどくないんじゃないかな」と、親身になってくれた。

結果的に、中学3年間ほとんどをフリースクールで過ごした。

03ゲイ? 恋愛対象は男性という自覚

ゲイかもしれない自分

MTFは知らなかったが、ゲイは知っていた。

「小学5年生くらいで性教育の本を読んで、ゲイってジャンルを知ったんです」

「その頃から男性が好きな自覚があったし、女の子とは同族として仲良くしてる感覚があったから、自分はゲイなんだろうなって」

物心がついた頃から、恋愛や性的興味の対象に男性がいることは気づいていた。

「誰しも1個上の先輩が気になるとか、あるじゃないですか。それが男性だったんです」

「でも、学生の間は、自分から告白するようなことはなかったですね」

「相手の男の子はストレートだから、こっちに引き込んじゃダメだ、相手のライフスタイルを乱しちゃいけない、って思ったんです」

男友だちという関係で終わる恋ばかりだった。

欲しかった話し相手

中学生の頃は、インターネットを通じてゲイに関する情報を収集していた。

「当時はゲイ専用の掲示板があったので、年齢を偽って書き込んでました(笑)」

掲示板を通じてゲイの人と知り合い、メールで連絡をする。

「当時は年上の男性に魅力を感じて、20~25歳くらいの社会人の方とよくやり取りしてました。自分を甘やかしてくれる人がいいな、みたいな(笑)」

「でも、直接会いたい、触れたい、って欲があったわけではないので、メールでの連絡だけ。ただ話せたら十分だったんです」

戸惑いはなかったゲイというセクシュアリティ

中学生になると体つきが男性的に変化してくるが、そこは苦ではなかった。

「声変わりした記憶がないくらい声が高いし、ヒゲもほとんど生えないので、あんまり気にならなくて」

「太ってたから、体ががっちりすることもなくて、嫌悪感みたいなものはありませんでした」

「そもそもゲイだと思ってたから、男らしくなることにも抵抗はなかったんです」

自分がゲイであることにも、とまどいの感情はない。

「ネットで海外のゲイの人の情報を集めて、日々の生活や仕事について知って、生きていく術があるならゲイでもいいのかなって」

「ちっちゃい頃から男性が好きだから、結婚も出産もできないんだろうな、って諦めてたところもあるんです」

ストレートの男性と同じように、結婚して子どもをもつことを、自分に課すことはなかった。

「あと、小さい頃から親に言われてたことが、自分の中に残ってたんですよね」

「『お姉ちゃんと勝は、つけるものを間違えて生まれてきちゃったんだね』って、冗談をよく言われてて(笑)」

04カミングアウトする必要のない家族

自由でラフな家庭

大工の父と専業主婦の母の間に産まれ、4人きょうだいの末っ子として育った。

父はゴリゴリの職人で、母は子どものやりたいことを自由にさせてくれる人。

「両親とも、『勉強しなさい』『男はこうありなさい』って、言うタイプではなかったんです」

「『人に迷惑をかけたらダメ』『犯罪をおかしたらダメ』とは言われたけど、基本的には『やりたいことをやりなさい』って家で、苦しさや窮屈さはなかったですね」

きょうだいとは年が離れている。一番上の兄が20歳差、二番目の兄が14歳差、姉が7歳差。一番上の兄とは、親と子のような感覚。

「甥っ子や姪っ子の方が、歳が近いんですよ。ちっちゃい頃から一緒に暮らしてたので、弟や妹みたいな感じです」

「年齢の近い姉も7歳離れてるので、ケンカするわけでもなく、私が後ろをついて歩いてるような関係でした」

愛のある冗談

姉は、2人の兄に囲まれて育ったからか、男勝りなタイプ。

「女の子のパンツが見えると、『フー!』とか言う人だったんですよ(笑)」

「私はちっちゃい頃から女性的な子だったので、そんな私と姉を比較して『つけるものを間違えて生まれてきちゃったんだね』って、言われてたんです」

非難の意味がまったく込められていない、純粋な冗談の言葉だった。

「両親やきょうだいから、差別的な扱いをされたことは一度もありません」

女性的な振る舞いや好きなおもちゃを、否定されるようなことはなかった。

親主導のコイバナ

年齢を重ねても、セクシュアリティに関して、家族から否定的な発言をされることはない。

「私、家族にカミングアウトしたことがないんです。っていうのも、家族が自然に受け入れてくれるから、言う必要がなくて」

自分から、恋愛について話したことはない。しかし、家族の方から話を振ってくる。

「学生の頃から、親に『まーくん(勝)は、絶対に○○くんのことが好きだよね』って、言われることがありました。きっと、両親は気づいてたんでしょうね」

社会人になってから男性のパートナーを家に連れていっても、家族は当たり前のように受け入れてくれた。

「家族がやさしい人たちで、本当にありがたいな、って感じます」

05華やかな成功に隠された影

明るい高校生活

中学卒業後は、不登校やいじめに悩んだ子たちが集まる高校に進む。

「近い境遇の同級生が揃っていたからか、みんなやさしかったので、たまに休みながらも通えました」

「高校ではセクシュアリティもオープンにしてたので、みんなからは『ママ』って呼ばれて(笑)」

同級生の前では「あの男の先輩、かっこいいから抱きたいんだよね」と、おちゃらけて見せていた。

「高校の友だちからは、いつもニコニコしてて、なんでも話を聞いてくれる人だと思われていたと思います」

「でも、内心はまだ病んでたというか、心が壊れないように、明るいキャラでプロテクトしてたのかも・・・・・・」

本当の自分を知っていたのは、担任教師だけだった。

積み重ねた自信

高校1年生の終わり頃、担任から「3年生を送り出す会で指揮者をしてみない?」と、声をかけられる。

「殻に閉じこもる私を見て、先生が『やってみたら変われるかもしれないよ』って、背中を押してくれたんです」

「その提案を受けて、指揮者をやったら、思ったよりずっと楽しくて」

生き生きと指揮をする姿を見た担任は、さらなる提案をしてくれた。

「地域の生涯学習センターが開催する発表会みたいなものがあって、先生が『歌が好きなら、そこで歌ってみたら』って」

「せっかく教えてもらえたなら、と思って出場したら、グランプリをいただけて、自信がつきました」

同じ頃、神奈川県の高校生を対象にしたファッションショーが開催される。

通っている高校にはファッションショーチームがあり、毎年出場していた。

「2年生の時にそのチームに参加させてもらって、衣装やメイクのデザイン、演出、構成を考えました。その経験が、すごく楽しかったんです」

「その時に考えた衣装やメイクは、今の私のファッションのベースになってます」

経験を重ねるたびに学校が楽しくなり、2年生から3年生にかけては皆勤賞。

「先生もびっくりするくらい、私が変化していった時期でした」

20歳での店じまい

一方で、自分の人生については、プラスに捉えられなかった。

そのきっかけのひとつは、幼い頃から見ていた『金八先生』『ラスト・フレンズ』といったドラマやゲイバーのママさんのドキュメンタリーなど。

「当時のテレビ番組を見ていると、私みたいな人は堂々とハッピーな人生を歩めないのかな、って思えてしまって」

「占いは続けてるけど、それで稼ぎたいわけじゃないし。かといって、20歳になってニートになったら、親に迷惑をかけるし」

高校生の頃は、歌手になりたい、という夢を密かに抱いていた。

「でも、オーディションを受けても通らなくて、絶望しかなかったです」

「ゲイであることで幸せになれないなら、早めに人生を終わらせてもいいんじゃないかって」

来たる20歳を、人生のリミットと考えた。

「親に迷惑をかけるくらいだったら、親の親権がなくなるタイミングで、店じまいしてしまった方がいいよねって・・・・・・」

 

<<<後編 2023/03/25/Sat>>>

INDEX
06 「ゲイではなくMTF」という気づき
07 “人生のリミット” が消えた理由
08 30歳を超えても生きられた私
09 なくしていきたい固定観念
10 私の「生き様」が未来につながる

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