INTERVIEW
等身大の「私」を、まだ出会っていない人たちへ届けませんか?
サイト登場者(エルジービーター)募集

「レズ」といわれて悩んだけど、私は私。胸を張って、そういえるようになった【後編】

「レズ」といわれて悩んだけど、私は私。胸を張って、そういえるようになった【前編】はこちら

2020/12/28/Mon
Photo : Mayumi Suzuki Text : Shintaro Makino
荻野 佳織 / Kaori Ogino

1986年、群馬県生まれ。小学校のときに始めたテニスを中・高と続け、大学ではフロアボールの日本代表となる。女の子ばかり好きになる自分に疑問を抱き、大学では心理学を専攻。オフ会を通じて初めて恋愛を体験すると、俄然、自分に自信が持てるようになった。現在、障害者雇用に特化した人材サービスでキャリアを積んでいる。

USERS LOVED LOVE IT! 44
INDEX
01 小学校の目標は、友だち100人!
02 女の子3人組の冒険
03 レズじゃないの、といわれたショック
04 女の子との恋愛は悪いこと
05 心理学に問う、私って何? 
==================(後編)========================
06 フロアボールで日本代表
07 思いもかけない出来事
08 振り袖をめぐって、20歳のカミングアウト
09 オフ会デビューでパートナーと出会う
10 SOGIという言葉を知ってほしい

06フロアボールで日本代表

アジアフロアボール選手権に出場

「実際にプレイしてみると、かなり激しいスポーツでした(笑)」

あまり激しくない、は裏切られたが「日本代表」は本当だった。

「フロアボールの競技を日本に広めたのが、顧問の先生だったんです」

その関係で、男女とも日本代表チームは大学のOG、OBを中心に構成されていた。
A代表の選手たちを間近で見ると、さすがに気合が違う。

「先輩たちは、平日は仕事をして土曜日に練習。試合は日曜日に組まれていました」

世界に出るためには、それだけのハードな生活に耐えなければならないのだった。

しかし、学生の選手層は、まだそう厚くない時代。

「大学1年のとき、シンガポールで行われた、アジアフロアボール選手権に出場しました」

「練習はつらかったけど、途中でやめようとは考えなかったですね」

国内トップクラスの練習環境にも恵まれ、4年間、フロアボールに打ち込んだ。

男にならなきゃダメ?

大学で好きになった相手も、やはり女性だった。

「高校の頃、同性の恋人がいた、という人でした」

今度こそ、と期待したが、またしても片思いに終わってしまう。

いっとき親しい間柄になれたと感じていたが、ある日、呼び出されて「男じゃないから、つき合えない」と、はっきりいわれてしまった。

「その人は、私をフッた後、先輩の男性とつき合ってましたね」

男にならないと恋愛はできないのか。
また、同じ問題に立ち返ってしまった。

知りたいけど、決めたくはない

それからも片思いの連続だった。

「何人か、いいなあと思う人は現れたんですが、まるっきりうまくいきませんでした。「自分を好きになってくれる人を探している感じでしたね」

ふられることを繰り返すうち、恋愛願望だけが膨らんでいった。
そのうち自分はレズビアンなのか? という疑問も強くなった。

「自分のセクシュアリティを知りたくて、ネットで調べました」

レズビアン、FTM。自分は、どっちかなのか?
でも、自分の正体を知りたい気持ちと、ラベリングをしたくない気持ちが入り乱れる。

当時、『おっぱいをとったカレシ』という漫画にも出会った。

「体は女で心は男。でも、男の体になりたいわけじゃない、という設定に共感を覚えました」

07思いもかけない出来事

男子からの告白

セクシュアリティに悶々とするうち、思いがけないことが起こった。

「同じ部活の男の子から告白されたんです」

ジャニーズっぽい感じで、背も低くて、雰囲気が好みに近かった。

「中性的で女の子っぽかったし、今思えば、自分がこうなりたい、という感じでした」

相手としては悪くない。でも、男性と本気でつき合う自信はない。きっと好きになれるのは女子だけど、でもそんな人が現れる保証はない・・・・・・。

いろいろな思いが渦巻いた。

「悩んで、悩んで、考えて、考えて、誠意をもって、『ごめんなさい』をいいました」

もっと軽く、当たり障りのない返事をしてもよかったのかもしれないが、必要以上に真剣に自分の気持ちを説明してしまった。

え? 嘘だった?

告白の真相が分かったのは、それから2年以上経ってからだった。

「私を送り出す送別会の時に、部活の先輩や同期たちが、居酒屋の駐車場に並んで土下座していたんです。そうしたら、あのときはゴメン、っていうんです」

いったい、何が起こったのか、さっぱり分からなかったが、なんとあの告白はいたずらだったというのだ。

「しかも、現場となった同期の家のロフトで、みんな、こっそり聞いていたというんです」

本当は、「嘘だよ~」と驚かすはずが、私があまりに真剣に答えたんで、出るに出られなくなったというのだ。

悪ふざけにもほどがある・・・・・・。

「その時は、人を傷つけることを平気でする人たちなんだ、と思って、悲しくなると同時に、ガッカリしました」

08振り袖をめぐって、20歳のカミングアウト

地元スーパーにUターン就職

恋人は現れず、親しかった人たちからひどいことをされ、傷心のまま大学生活が終わりに近づいた。

「親は高崎に帰ってきてほしい、という希望でした」

帰省したときに、さりげなく、新聞の求人広告を見せられることもあった。

「考えた末、親のいうことを聞いて、Uターン就職をすることにしました。「まずは自分がしっかり生きていく分だけ稼げればいいかな、というくらいの気持ちでした」

実は、家事があまり得意でなく、一人暮らしに苦労したこともあった。

就職先は地元のスーパーマーケットだ。

「売り場の部門マネージャーなどを任されました」

事務職よりは体を動かす仕事のほうが合っている。そんな意味でも、楽しく仕事をすることができた。

「お客様と話したり、同僚と相談したり、人と接するのも好きでした」

家族との同居に戻って、家族のありがたみを再認識した。妹との関係もスムーズになる。

「母には、いろいろと助けられましたし、妹は中学生になっていたんで、話も合うようになりました」

振り袖を着る、着ない

大学の4年間は、髪を短くし、ネクタイをするなどボーイッシュな格好で通す。

「就職して地元に戻るときに、また髪を長くしました。成人式で振り袖を着るか、着ないかで、母ともめたので、気を遣ったんです」

その背景には、20歳のときのカミングアウトがある。

「振り袖はどうするの?」と聞かれ、「着たくない」と答えたときだ。

この際、カミングアウトしてしまおうと、「実は・・・・・・」といいかけが、母に「聞きたくない」と制止されてしまったのだ。

「当時、見ためも男みたいだったし、なんとなく気がついていたんでしょうね」

母に遮られ、「そういうことだから」と濁すのが、精一杯だった。
それと同時に、やっぱり、人にいっちゃいけないことなんだと悲しくなった。

「おじいちゃん、おばあちゃんが私の振り袖姿を楽しみにしていたから、説明するのが大変だったんだと思います。振り返ると、申し訳なかったなと」

結局、成人式はスーツを着て参加した。

妹にはいわないで

髪を伸ばして、両親との同居がスタートすると、セクシュアリティの話題は封印された。

「母にしてみれば、その話はなかったことにしたかったんでしょうね」

つらいが、仕方がないことと諦めた。

「家族とはいっても、違う人間ですからね。逆の立場で理解が難しい心境だったら、私もそうしていたかもしれません」

父親は地元新聞社の印刷局に勤めているため、昼夜が完全に逆転している。

「朝、私が起きる時間に、お父さんが寝る、という生活でした」

もともと、寡黙な性格。父親にカミングアウトをするチャンスは訪れそうもなかった。
母にうっすらカミングアウトをした際、「大人になるまで妹にはいわないでよ」と釘を刺されていた。

「その言葉をずっと律儀に守っていました」

そして、妹が20歳になったら打ち明けようと、一人でルールを決めた。

09オフ会デビューでパートナーと出会う

東日本大震災に遭遇

就職して2年が経った頃、LGBT関連のオフ会に参加することにした。

「大学のときから興味はあったんですが、部活が忙しくて参加する機会がありませんでした」

もし、大学でオフ会にデビューしていたら別の人生があったかもしれない、と今でも思う。

意を決して、出かけたが・・・・・・。

「高崎駅で乗り換えようとしていたら、東日本大震災に遭ったんです」

とんでもないタイミングで、とんでもないことが起こってしまった。
電車は不通になり、とてもオフ会どころではなくなってしまう。

「びっくりしました。当たり前ですが、すぐに家に帰りました」

仕切り直して、再びオフ会にエントリーしたのは、1年以上経ってからだった。

「東京でのバーベキューパーティーでした」

待ち合わせは、駅の改札口。
ひと目で何となく分かる雰囲気の人たちが、20〜30人集合していた。

「こんなにたくさんの人がいるんだ、という驚きが最初の印象でした」

独特な雰囲気の集団は、迫力があった。

「みんなでかたまって駅から歩いている姿は、ちょっとシュールでしたね(笑)」

意中の人に声をかけられる

リアルで当事者に会うのは初めての経験だ。

「すっごく緊張しました。主催者でもないのに、一生懸命、お肉を焼いたりして(笑)」

どう振る舞ったらいいのか分からず、とにかく甲斐甲斐しく動き回った。

「何もしないで、じっと座っているのは、居心地が悪かったんでしょうね」

次第に緊張もとけ、話が弾むようになった頃、バーベキューは終了となった。

そのとき、「二次会があるみたいだけど、行かない?」と、声をかけてくれた人がいた。

「実は、駅から歩いているときに、一番いいなあ、と思った人だったんです」

バーベキューでは、3つほど離れた席に座っていたため、あまり話ができなかった。

「行きます! と答えて、二次会では隣に座りました」

初めての交際に感激

ふたりの交際はすぐに始まった。

「8歳年上なんですけど、そんなに年上のような感じはしないです(笑)」

ふんわりとやさしい、お姉さんのような存在だ。

私の誕生日が近いと知ると、「どこか行きたいところある?」と聞いてくれた。

「ディズニーランドに行きたい、といって、一緒に行ったんですけど・・・・・・」

しばらく経ってから、「夏のディズニーなんて信じられない。暑いなか、歩き回って汗だくになるじゃん」と、打ち明けられた。

「そのときは、我慢してつき合ってくれたんでしょうね(笑)」

小学校の男子みたいに、無邪気なところもかわいくて楽しい。

「会えるだけでうれしい、連絡がくるだけでドキドキする、という感じでした」

探し求めて、ようやく出会った、念願のパートナーだ。

「浮かれまくってましたね(笑)」

自分のことを好きになってくれた人がいる。それだけで、感激だった。

10 SOGIという言葉を知ってほしい

硬かった両親の表情

パートナーとの恋愛が熱くなればなるほど、東京と高崎の距離が遠く感じられた。

「一緒に住みたいね、という話になりました」

パートナーが高崎に来てくれることを快諾してくれた。
本当にありがたかった。

「両親には、一緒に住みたい人がいるから保証人になってほしい、と頼みました」

パートナーの名前をいったので、相手が女性であることは伝わったはずだ。

「保証人のお願いをしながら両親の反応を見て、紹介するかどうか、決めるつもりでした」

しかし、そのときのふたりの表情は硬かった。

「これはまだかな、と思って、先送りにしました」

妹には、彼女が社会人になったタイミングで、女性と暮らしていることを話した。

「なんとなく知ってたよ、といわれました」

そして、一人だけ蚊帳の外に置かれているのが寂しかった、と不平も漏らされた。

「そういう事情で、まだ家族にパートナーを紹介できていないんです」

今は、いつかみんなが笑顔で会えるタイミングを待っている。

パートナーシップ宣誓を申請

ようやくふたりの生活が始まったが、思わぬ展開が待っていた。高崎にアパートを借りて、わずか1年半後のことだった。

「私が千葉の店に転勤になってしまったんです。せっかく来てもらったのに・・・・・・ ってショックでした」

相談の結果、ふたりで千葉に引っ越すことに。
幸いにも、千葉はパートナーの出身地だった。

「『私の地元だから、千葉に戻れるのはちょっと嬉しいかな。だから気にしないでいいよ』っていってくれて。いつも彼女のこういった明るさにとても救われているんです」

パートナーには、これまでもたくさん救われてきた。

交際を始めてから、もう10年近く経つ。

「2年前に、パートナーシップ宣誓もしました」

千葉市で制定されたばかりの制度に申請し、証明カードを発行してもらった。

「このカードがあると、病院などで家族と同等の扱いを受けることができるんです」

宣誓の記念日は、2月22日。

「パートナーが猫好きなので、猫の日にしました。覚えやすくて便利です(笑)」

人材サービスで力を発揮

2年前、8年間勤めたスーパーを辞め、転職を決意する。きっかけは、パートナーの病気だった。

「椎間板ヘルニアの手術をパートナーがすることになったんですけど、スーパーでは十分な休みが取れなかったんです」

パートナーがつらいときに一緒にいてあげられない不便を感じた。

「もっと自分らしい仕事を見つけたい、という気持ちもありました」

そして、出会ったのが、パーソルチャレンジという人材サービスの特例子会社だった。

「はたらいて笑おう、がグループ全体のビジョンです。当社は、障害者採用の成功ではなく、定着までを考えた障害者雇用の成功を目指し、オフィスワークでの障害者雇用における先駆的な取り組みとマネジメントを実施しています」

特色は、障害への配慮、生産性向上を実現する仕組みや体制の開発・体系化を行い、培ったノウハウを人材紹介や雇用支援事業を通じてお客様に提供してることだ。

「ひとりひとりの特性に合った業務を振り分け、またスムーズに業務ができる仕組みをメンバーと一緒に考えて、「業務の見える化」をするのが私の仕事です」

PCのタイピングが速い人、ミスを見つけるのが得意な人など、特性に合っている業務を担当してもらっている。

「一人一人の特性を生かして、ミスマッチがないことを心がけています」

自身が学んできた経験が生きる職場だと満足している。

「私は、話の流れで採用面接のときにカミングアウトしてしまいましたが、社内制度が整っていると聞いて、安心して入社しました。社内でコミュニティを結成し、LGBTに関わる研修を実施しています。」

同性同士のカップルであっても結婚お祝い金が出たり、慶弔の休みを取ることができる。
力を入れているのは、SOGIという言葉を知ってもらうことだ。

「LGBT」はカテゴリー分けの要素が強いのに対して、「SOGI」はすべての人のセクシュアリティをまとめて表す特徴がある。

セクシュアリティは誰にでもある。マイノリティだけのものではない。

「決めなくていいんだ、と気づいたら、楽になりましたね」

「自分が何か」を決める必要はない。私は私、で十分だ。
それは、10代で抱いた「私って何?」という疑問への答えでもある。

「コミュニケーションを取るためには、まず、相手を知ること。それができれば、自分のことも、相手にもっと知ってもらえると思います」

他人の目ばかりを気にしていた自分が、今、胸を張って歩いている。

あとがき
慎重さと大胆さのバランスが佳織さんだ。遠慮がちだった少女時代の印象はどこへ? 人に鍛えられたことは間違いない。それは筋トレのようだと思った。鍛錬で手に入れた今■[自分の気持ちにフタをする]は、インタビューでよく発せられる表現。器用に部分だけを覆えるフタは持てないから、自分が消えかかってしまう。何に集中し、誠実であろうとするか? 佳織さんのそれは歳を重ねるごとにはっきりと輪郭をもった。そう、誰にも左右されない軸でもある。(編集部)

関連記事

array(1) { [0]=> int(87) }