INTERVIEW
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山形から発信し、LGBTの理解の輪を広げていく。【前編】

「周りに不思議がられることもあります。『お母さん、今日は遅くなります』って電話をしていたら、親に対する話し方じゃないよって言われたり(笑)」。それほど髙橋明さんの丁寧な話し方は徹底されている。職場ではもちろん、親しい友人にも、家族にも、その態度を崩すことはない。聞けば、それは中学生の頃からだという。もしかしたら当時、周囲との関係性に悩みながら、ようやく見出した処世術のようなものかもしれないが、もはやそれは生き方となり、周りの誰も傷つけることのない、柔和な好人物として確立しているように思えた。

2024/03/06/Wed
Photo : Taku Katayama Text : Kei Yoshida
髙橋 明 / Akira Takahashi

1990年、大阪府生まれ。2歳まで児童養護施設で育ち、山形県の両親に養子として迎えられる。7歳のとき、クラスメイトの男子に恋愛感情を抱いたことから、自分の性的指向が同性であることに気づく。LGBTという言葉を知ってからは、自分はG(ゲイ)なのだろうと考えていたが、自分のなかに女性的な視点もあることから中性あるいは両性という立ち位置でのXジェンダーであると自認する。

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INDEX
01 優しい母、ちょっと怖い父
02 男の子が好きな男の子
03 部活の先輩に初めての告白
04 男だけど “僕” も “俺” も言えない
05 自分は本当にお母さんの子ども?
==================(後編)========================
06 BLで知った男性同士の恋愛
07 告白した相手から「うれしくない」
08 ゲイではなくXジェンダー
09 職場での思わぬカミングアウト
10 誰かの “勇気” になりたい

01優しい母、ちょっと怖い父

花火や服を買ってきてくれた父

「地元は山形県の新庄市という小さな田舎町です」

「幼いときの一番古い記憶といえば、母によく映画館に連れ行っていただいたことですね。出かけた思い出は、おもに母との思い出です」

「父は、お約束を破るかただったので(笑)。家族で出かける約束を、すっかり忘れちゃうんですよ」

母と手を繋いで歩いて行ったり、母の自転車の後ろに乗ったり。
ゲームセンターや公園、いろんなところに連れて行ってもらった。

「母は優しいですね。父も優しいんですが、あんまり優しさを表に出さなくて、どちらかというと亭主関白なタイプです」

「寡黙だったし、ちょっと怖かったですね(笑)」

でも、時折見せてくれた小さな優しさをよく覚えている。

「夏になると花火を買ってきてくださったり。洋服も、自分が選んだ服を私に着てほしかったみたいで、なんの前触れもなく、洋服を買ってきてくれていました」

「バイクを乗っていたりする父でしたので、おしゃれでしたね」

遊園地や海へ行った家族3人の思い出もある。

かわいいものが好き

同い年の友だちが近所に男女5人ほどいて、子どもの頃はいつも一緒に遊んでいた。

「女の子とはお人形遊びをしていました。ワンちゃんのぬいぐるみとか、ネコちゃんのぬいぐるみとかで(笑)」

「男の子も一緒に遊ぶときは、鬼ごっことか缶蹴りをやっていましたが、ラジコンとかゲームとか、いわゆる男の子が好きそうな遊びには全然ハマらなかったんです。ポケモンとかデジモンは好きでしたが」

女の子が好きそうな、かわいいもののほうが好きだった。
そんな自分を隠そうとも思わなかった。

そして、小学1年生のとき “気づき” があった。

「前の席に座っていた男の子に、ほかの子とは違う感情を抱いたんです。ただ純粋に仲良くなりたかっただけかもしれないんですが、手を繋ぎたいとか、ドキドキするような感覚があって」

「その感覚を知ってから、女の子に目がいかなくなったんです。女の子に対しては恋愛的な感情がまったくなくて、ただ一緒にいて楽しいって感じで。それは、なんというか、女の子同士の楽しさって感じでした」

「女の子と一緒に、好きな男の子のことを話すのが好きだったんです(笑)」

02男の子が好きな男の子

担任の先生に恋を

ゲイとかLGBTとか、セクシュアルマイノリティとか、そんな概念なんて知らない小学1年生。

周りは自分をそのまま受け入れてくれ、“男の子が好きな男の子” として、女の子の友だちと一緒になって恋バナで盛り上がった。

「好きな男の子に対して女の子が恥ずかしくてきけないことを、私は男の子だから『代わりにきいてきて』とお願いされることもありました(笑)」

1〜2年生は、そんなふうに無邪気に過ごしていたが、3年生になって、友だちとのあいだでちょっとした事件が起こる。

「当時、あだ名をつけるのが流行っていて、私がクラスの女の子を、その子が嫌がっているあだ名で呼んじゃったんです」

「私が完全に悪いんですけど、そのことがきっかけで、3年生のときはいじめの対象になってしまって・・・・・・・」

「つらかったですけど、親に迷惑をかけたくないから相談もできなくて、結局クラス替えのある5年生になるまで耐えました」

5年生でクラスの担任になったのは男性の先生だった。

「先生は、私が4年生までいじめられてたことを知っていたんだと思います。クラスに馴染めないでいる私のことをいろいろ気遣ったりしてくれて・・・・・・。そんな優しさを好きになってしまいました(笑)」

「憧れと好きを混同していた感じもありますけど」

「周りのみんなは先生のことをからかったりしてましたね。いじられキャラというか、慕われるタイプの先生だったと思います」

いつか運命的な絆で結ばれたい

5年生になって、女の子の友だち3人と仲良くなり、いつもそのグループで一緒にいた。

「女の子の友だちが好きな男の子にプレゼントを渡したいっていうので、手伝ってあげたりもしました」

「新しいクラスでは、男の子の友だちもできたんですけど、話が合わなくて・・・・・・。特に『あの女の子、いいよね』とか話をされても、なんて答えたらいいのかわからなくて」

「男の子との会話に興味がもてなかったんです」

その頃にハマっていたのはテレビアニメ『デジモンアドベンチャー』。

主役の子どもたちが、運命的に巡り会ったデジモンや仲間との関わりから人間として成長していくストーリーに共感した。

「特に、登場人物同士の関係性がすごくいいなって」

「パートナー、兄弟、血のつながらない親子・・・・・・本当にいろんな関係性があって、自分ごとのように思えたんです」

「なかでも恋愛関係とかではなく、運命的な絆で結ばれたパートナーの存在が羨ましいなって思って。いつか、自分にもそんなパートナーができたらいいな、とも思いました(笑)」

03部活の先輩に初めての告白

カミングアウト後も偏見なく

中学校では、バドミントン部に所属。
バドミントンは小学4年生のクラブ活動から続けていた。

「せっかく小学校からやっているから、中学でも続けてみようという気持ちと・・・・・・顧問の先生がカッコよかったことと、3年生の先輩がカッコよかったことが入部した理由です(笑)」

「部長がとにかく面倒見のよいかたで、いろいろ教えてくださったり、励ましてくださったり。先輩なのに、私にも対等に接してくださって」

憧れは次第に、確かな恋心へと変わっていった。

「先輩が卒業する前に、生まれて初めて想いを伝えることができました」

「私は “男の子が好きな男の子” なんです、とカミングアウトするかたちでの告白だったんですが、先輩も私がそうだとわかっていたみたいで」

「それでも偏見なく接してくれていました」

「先輩に『ずっと憧れてました』って言えてよかったです」

どちらかというと女の子視点

先輩と後輩。上下関係が出来上がっている部活という世界で、些細だけれど重大な出来事があった。

“話し方”に関わることだ。

「部活に入った当初、小学校のときのバトミントンクラブでは意識したことのなかった、上下関係というものがよくわかっていなくて」

「先輩を○○さん、○○くんって呼んでいたところ、『○○先輩と呼びなさい』って、言われてしまったんです」

それからより一層、相手に対して丁寧語や尊敬語を使うようになった。

そんな丁寧な話し方は、女の子友だちとばかり話していたせいもある。

「小学校から仲が良かった女の子3人も一緒に、バドミントン部に入ったこともあって、クラスでも部活でも、ずっと女の子と話していたんです」

「女の子といるほうが自然体でいられる感じがして」

「男の子とは、なにを話せばいいのかわからないんです。緊張もしますし」

「たとえば、あの頃は『ハリー・ポッターと賢者の石』という映画が流行っていたんですが、女の子とは『あの台詞がよかった』『あの男の子がカッコよかった』って話題で盛り上がるんですが、男の子は魔法とかアクションの話になってしまうんで・・・・・・」

女の子との話のほうがおもしろかった。
自分の視点は、女の子に近かったのかもしれない。

04男だけど “僕” も “俺” も言えない

同級生にも敬語で話す

男女の違いを意識しだす小学生の頃。
女の子とばかり一緒にいる男の子は、クラスでも目立っていたのかもしれない。

「かわいいものが好きだったので、鉛筆とか小物とか、女の子からもらって使ってたりすると、『また女の子のもの持ってきてる!』って男の子から、からかわれることがありました・・・・・・。イヤでしたね」

「ある日、男の子から呼び止められて、『あの女の子とあんまり仲良くしゃべるな』と言われたこともあります。『なんでですか?』と理由をきいたら、その子のことが好きだから嫉妬してしまうって(苦笑)」

そんな話をしているあいだも、同級生に敬語を使う。

「部活で○○先輩って言えなかったことから、敬語とか礼儀について、思いっきり勉強したんです。それからは、先輩はもちろん、同級生にも、後輩にも、家族にも敬語を使っています」

一人称は “私” か “自分”

周りからよく「変だよ」と指摘されたのは一人称のこと。

その頃から自分のことを “私” と呼んでいた。

「中学生なのに、男の子なのに、僕や俺って言わないのは変だよって言われるたびに、言ってみようと努力してみたんですけど、どうしても僕も俺も言えなかったんです・・・・・・」

「悩んだ結果、“自分” ではダメでしょうかと周りにきいてみて、そう呼ぶことにしました。慣れるまでに時間はかかりましたけど(笑)」

友だちを呼ぶときも、呼び捨てにすることはできなかった。

「仲のいい友だちだと呼び捨てで呼び合うのがふつうだったので、“くん”と “さん” を付けて呼ぶ私には『距離を感じる』とか『壁がある』とか言われることもありました」

「でもいくら『呼び捨てで呼んで』って友だちに言われても、できなくて。最終的には『“くん” と “さん” でお願いします』って友だちに伝えました。自分のこだわりだったんですかね・・・・・・頑固なので(苦笑)」

男らしくすることにも抵抗があった。
そもそも “男らしさ” とはなんなのかがわからなかった。

サッカーとかバスケとか、スポーツが得意なのが男らしさ?
荒っぽい言葉使いが男らしさ?
俺が守ってやるぞ、みたいなのが男らしさ?

「周りの男の子たちを見て探ったんですけど、よくわからなくて」

「自分は男だという自覚があって、体に対しても違和感はないんですけど、男らしくしたいって気持ちがまったくなかったんです」

05自分は本当にお母さんの子ども?

両親どちらにも似ていない

中学時代は激動だった。

「父が失業してしまって、生活が苦しくなってしまったんです」

「学習に必要なものを買うお金も、修学旅行に行くお金も出せなくて、進路相談とか親子面談とかも多かったですね・・・・・・」

「バドミントンのラケットやシューズを買うお金もなくて、先輩から『いつ買うの?』ってきかれたりして、つらかったときも」

「でも、事情を知ったその先輩からあとで『心無いこと言っちゃってごめんね』って言われて、逆に気を遣わせてしまって申し訳なく思ったり」

「両親も、精神的にかなり落ちてしまっていました」

そんななか、かねてからの疑問を母に投げかけたことがあった。

「自分は、本当にお母さんたちの子ども?」

「幼い頃から、私は目鼻立ちがはっきりしていて、周りから『外国人! 外国人!』って、からかわれることもあったくらいで・・・・・・両親どちらにも似ていなかったんですよ。それから、ずっと気になっていて」

「実は、養子として迎えた子どもなんだよ」

母から、思いもよらない答えが返ってきた。

両親と過ごしてきた時間

「両親には子どもができなくて、でもどうしても子どもがほしくて。大阪の児童養護施設から養子として迎えたのだと、母は教えてくれました」

「衝撃でしたけど、話してくれたのはうれしかったです」

「そのときは、その話を聞いて産みのお母さんに会いたいとか、施設に戻りたいとかっていう気持ちはなかったですね」

「両親とは、いままで過ごしてきた時間があったんで」

「もちろん当時の生活はすごいしんどくて、学費のこととか両親に話しにくいこともあったんですけど、でも両親と一緒にいたいと思いました」

高校は働きながら学べるようにと定時制に進む。

その頃には父も復職し、生活を立て直すこともできた。
そして現在も実家で暮らしている。

「大人になったいまは、産みのお母さんに会いたいですね」

「でも児童養護施設の場所もわからず、どこの病院で産まれたのかもわからなくて、会えるかどうかわからなくて」

「もしお会いできたら『産んでくれてありがとう』って言いたいなと思っています」

 

<<<後編 2024/03/10/Sun>>>

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06 BLで知った男性同士の恋愛
07 告白した相手から「うれしくない」
08 ゲイではなくXジェンダー
09 職場での思わぬカミングアウト
10 誰かの “勇気” になりたい

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