02 幼い頃に抱いた苦手意識
03 「女子」「男子」に対する違和感
04 世界が広がった高校時代
05 親身に話を聞いてくれた先生
==================(後編)========================
06 大学で得たLGBTの知識
07 ノンバイナリーというセクシュアリティ
08 自分に意味をくれるボランティア活動
09 母親にカミングアウトした日
10 これからを生きる自分たちのために
01さまざまな面で支えてくれる家族
にぎやかな5人きょうだい
奈良県で生まれ、5人きょうだいの2番目として育った。
「姉、自分、妹、妹、弟の5人きょうだいです。弟とは15歳離れてて、今は小学1年生です」
「一番下だけ男の子なので、『姉が4人います』って言うのは、イヤだろうな(笑)」
妹たちはそれぞれ4歳と6歳離れていて、姉は2歳上。
「妹たちとは昔からよく遊んでたんですけど、親が妹のために買ったブロックで、自分がずっと遊んでることもありました(笑)」
「お姉ちゃんとは仲良しってわけではないけど、信頼関係は強いと思います。年齢が近い分、お姉ちゃんからの影響は大きくて、背中を見て育った部分がありますね」
両親も含めた7人家族での生活は、とてもにぎやか。
「今でこそ全員が揃うことが珍しいですけど、小さい頃はおもちゃを取り合ったり、しょうもないことでケンカしたり」
「気がついたら妹や弟がいた感覚で、両親がどういう計画を立ててたのかは、わからないです(笑)」
力強く頼もしい母
「お母さんは頼りがいがあって、自分の中でもっとも信頼してる人です」
「非常に心が強い人だな、って感じるんですよね」
いつだったか、自分がAさんからBさんへの書籍の受け渡しの仲介役となったことがあった。
特に期限は定められず、Bさんに会う機会もなかったため、書籍を渡すのが1年後になってしまった。
「Aさんが『なんでそんなに遅かったの』って、怒っちゃったんですよね」
その際に、母が「期限を伝えてないのに怒るのはおかしい」と、仲裁してくれた。
「争いごとに対して、客観的な意見を話して場をまとめられる姿がかっこよくて、頼もしいなって」
「自分は精神的に弱い部分があるんですけど、相談相手は大体お母さんですね」
きっかけとなった母の支え
幼い頃から、母になんでも話せたわけではない。
「小さい頃は言葉で表現するのがヘタで、ケンカ腰になってしまうことも多かったですね」
「でも、小学3年生の頃にあった困難を母と乗り越えたから、今はちゃんと話そうと思ってます」
小学3年生の夏、精神的な理由からか食欲不振に陥ってしまい、半年ほど、まともにごはんを食べられなかった。
「最初はお母さんも『食べなさい』って、言ってました。でも、自分は食べずに痩せていく一方なので、お母さんがいろいろ工夫してくれたんです」
食事の間、他愛のない話をしたり、テレビをつけて気を紛らわせたりしてくれた。
母の支えがあって、少しずつ食べられるようになっていった。
「理由もわからずによくつき合ってくれたな、って感謝の気持ちが大きくて、それからちょっとずついろんなことを話せるようになっていきました」
02幼い頃に抱いた苦手意識
わずらわしい人間関係
小学生の頃の自分は、多分影が薄かった。
「幽麗と勘違いされるんじゃないかってくらい(笑)。何しろ話すのが下手だったので、一緒に遊ぶのを友だちに嫌がられた時、何も返せなかったんです」
「結果的に『一緒に遊ぼう』と誘うことは減って、誘われるのを待つようになりました」
「完全に1人の世界に浸れる読書が好きになって、人と関わる頻度は減っていったと思います」
友だちと遊ぶよりも、妹たちと遊んでいる時間の方が長かったように思う。
「小学校高学年や中学生になると、いじめも出てきて、何のために人と一緒にいるんだろう、って疑問が湧いてきました」
「トラブルに巻き込まれるのがイヤだから、だったら友だちを作らなければいいんじゃないかって」
中学3年生になると受験期が到来し、1人で過ごす時間が長くなる。
「その時に、やっぱり1人って気がラクだな、って実感してしまったんですよね」
中学生の頃は、ほとんど人と関わろうとしていなかったかもしれない。
拒否したスキンシップ
小学生の頃は、習字と絵画を習っていた。
しかし、あまりにも学校の成績が悪かったため、習字と絵画をやめ、塾に通うことになる。
「親が『塾に行きなさい』って言うんだったら、やむを得ないな、って感覚でした」
「もともと習字はつまんなかったので、未練もなかったんです」
「絵画は好きだったし、先生の教え方もうまくて、賞も取ったりしていたので、手離すのはイヤでした」
ただ、それ以上にイヤなことがあった。
「絵画の先生は子どもの絵を褒める時に、頭をなでるんですけど、それがイヤだったんです(苦笑)」
決してセクハラ的なものではなく、大人が子どもを褒める際の一般的なスキンシップだった。
「その先生に限らず、基本的にスキンシップが苦手な子どもだったんですよ」
「幼い頃の写真を見返すと、お父さんに抱っこされるのを拒否してる写真もあります。別に先生や父さんに限らなくて、人に触れられるのが単純に苦手でした」
イヤな理由はわからない。でも、人から触れられることに、苦手意識を抱いている。
「小学生の時も先生からのスキンシップから逃れたくて、絵画教室をやめて、塾に行くようになりました(笑)」
03 「女子」「男子」に対する違和感
部活と勉強漬けの毎日
中学生になってから人間関係が希薄になった理由は、もう1つある。
部活と勉強で忙しくなったから。
「当時は体が弱くて、お母さんに『運動部に入りなさい』と言われたので、しぶしぶ陸上部に入ったんです」
「1年生の頃は走るのも遅かったので、やめそうになったことは何度もあります。でも、お母さんの期待が大きくて、やめるなんて選択肢はなかったですね(苦笑)」
希望の高校に進むためには、成績も良くないといけない。そのため、勉強にも力を入れた。
「朝練やって、授業に出て、放課後も部活があって、さらに塾に行って。部活と勉強以外のことは、興味も関心も薄れていきました」
「3年生になったらリレーのメンバーに選ばれるようになったし、希望の高校にも進めたので、3年間よく頑張ったなって(笑)」
モヤモヤした校則
通っていた中学校は、男女差別ともいえるような校則や慣例が存在していた。
「例えば、『委員長は男子、副委員長は女子でなければならない』って、校則があったんです」
出席名簿は、男子は青、女子は赤で記され、明確に性別で分けられていた。
部活が始まる前に、顧問に練習メニューを聞きに行った時には、「なんで女のお前が来るんだ」と言われる始末。
「陸上部は男女混合だったんですけど、自分が女であることが怒られる原因になることに、違和感を覚えた記憶があります」
「さらに、顧問の先生が『なんで男が来ないんだ』って、男の子たちを怒ってたことにも嫌気がさしました」
「男女で分けられることが普通の学校だったけど、それがなんとなくモヤモヤしてたんですよね」
「女なら」「男なら」
自分の学年では、女子は男子に話しかけてはいけない、という暗黙のルールがあった。
「男子に話しかけると『モテようとしてる』ってレッテルを貼られて、女子からいじめられるんです」
席替えでモテる男子の隣になっただけで、いじめのターゲットになる。
「いじめを避けるため、男子とはほとんどしゃべらなかったですね」
女友だちと話していると、男性アイドルの話題が上がることが多かった。
何の気なしに「女の子なら、このアイドル知ってるでしょ」という流れで、話が進んでいく。
「自分はアイドルに詳しくないし、イケメンって概念がよくわからなくて、話についていけませんでした」
「その頃から、『女ならイケメンが好き』とか『男なら重いものを持つ』とか、性別を理由に縛られることに、強い違和感があったんです」
「身体的なことに違和感はなかったけど、社会的な性役割に引っかかったんですよね」
しかし、当時は部活と勉強に追われる日々。その違和感と向き合う時間はなかった。
「忙しさに圧倒されていたので、自分の感情は放置の状態だったんだと思います」
04世界が広がった高校時代
憧れの委員長
高校生になってからは、一気に世界が開けたような気がする。
「進学した高校は、男女で分けられるようなルールはなくて、教室の席も男女混合の出席番号順でした」
「クラスメイトのほとんどがほかの中学から進学してきた初対面の人だったことも、良かったですね」
中学生の頃、本当は委員長や部長といったリーダーになってみたかった。
しかし、小学生の頃から知っている人たちから「曲渕は頼りない」と思われていたため、立候補しても選ばれることはなかった。
「高校は個々のイメージがまだ固まっていないから、『やりたい!』って言うと、スムーズに任せてもらえました」
「目立って恥ずかしいって感情はなくて、委員長をやりたい、って気持ちが圧倒的に大きかったんです」
最初は、司会などを任されても頭が真っ白で、何をしゃべっていいかわからなかった。
それでも未熟ながらにリーダーシップを磨き、自分に自信をつけていく。
慕ってくれた友だち
図書委員長を務めながら、勉強にも励んだ。
「通っていた中学校の偏差値が高かったからか、高校でもトップクラスに入れました」
「順位的には優等生だったので、クラスメイトには『わからないことがあれば、光雪に頼めばなんとかなる』って、思ってもらえていたように思います」
自分から人に話しかけにいくことはあまりなかったが、周りが話しかけてくれた。
「周りの子が、帰り道で遠くから名前を呼んで『またね』って言ってくれたり、集会で壇上に上がると『頑張れ!』って応援してくれたり」
「中学時代とはまったく違ったから、自分が何か変なことしちゃったのかな、って心配になりました(笑)」
きっと周りのその行動は、親しみからくるものだったように思う。
「性別に対するモヤモヤも薄れたし、環境って大事ですね」
本当にやりたかったこと
高校では、美術部とボルダリング部を兼任していた。
「お母さんから運動部を続けるように言われていたので、珍しさに魅かれてボルダリング部に入りました」
「ただ、練習するためにボルダリングの施設に行って、交通費も利用代もかかったので、費用的に続けられないなと思って半年でやめました」
その頃には図書委員長を任され、部員が足りず美術部長にもなったため、ボルダリング部の活動をする体力も残っていなかった。
「お母さんには『なんで運動部じゃないの』って猛反対されましたけど、絵で賞を取って納得してもらいました」
美術部で毎年参加していた「読書感想画コンクール」で、二度、賞をもらうことができた。
「それでお母さんも納得してくれて、やりたい放題させてもらってました」
「過去の自分は絵を描くことはずっと我慢していたようで、美術部の活動はすごく楽しかったです」
05親身に話を聞いてくれた先生
尊敬する人
高校3年生の数学の先生は、授業に竹刀を持ってくる人だった。
もちろん体罰のために使うわけではないが、威圧感はたっぷり。
「竹刀を持って『この問題なんや?』って聞いてくるから怖すぎて、みんな背中が震えて、答えを言う声もガッタガタでしたね(笑)」
「自分にとっても、恐怖の対象でしかなかったですよ(笑)」
そんな数学の先生に、尊敬の念を抱くようになる。
ある人間関係がきっかけで、学校で過呼吸になったり、遅刻を繰り返したりした時期があった。
「でも、担任の先生が異変に気づいてくれたおかげで、カウンセラーにつなげられました」
しかし、スクールカウンセラーとは相性が合わず、途中から行かなくなった。
「そんな時に、数学の先生から呼び出されたんです」
授業以外での関わりがなかった数学の先生は、自分の事情を知らないはず。
「呼び出された理由を聞いたら、『お前は学校で一度もとびきりの笑顔を見せたことがない』って。そこで見破られたことに驚きました」
「怖かったけど授業はわかりやすくて、先生のおかげで数学の成績も上がったので、既に一定の信頼は置いてたんです」
だから、悩んでいる人間関係のことも打ち明けた。
先生は話を聞く間ずっとメモを取りながら、真剣に耳を傾けてくれた。
「おそらく残業にあたる時間に、何日も自分の話を聞いてくれたんです」
「そこまでしてくれたのは、その数学の先生だけでした」
高い洞察力と話を聞いてくれる居心地の良さに心が揺れ、憧れるようになっていく。
魅かれた理由
数学の先生に憧れ、自分も同じように教師になりたいと考えた。
「先生になるために、教育学部のある大学に進んだんです」
しかし、教師になるための勉強をしていくうちに、何かが違うと感じ始める。
「改めて、あの先生のどこに魅かれていたんだろう、って考えたんです。よくよく振り返ると、授業自体に魅かれたわけではなくて、人柄に魅かれてたんですよね」
「だから、先生になるのは違うなって(笑)」
あの先生のように、真摯に他者と向き合い、変化に気づける人でありたかったのだ。
「進路は教師からシステム関係に変えたけど、先生がもつ人柄への憧れの気持ちは変わってません」
<<<後編 2022/11/26/Sat>>>
INDEX
06 大学で得たLGBTの知識
07 ノンバイナリーというセクシュアリティ
08 自分に意味をくれるボランティア活動
09 母親にカミングアウトした日
10 これからを生きる自分たちのために