INTERVIEW
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「レズビアン」「教員」である前に、私は「私」として生きる【前編】

スポーツに打ち込んできたことが一目でわかる、軽やかな身のこなしと快活な対応。「すくすく育った」という言葉がよく似合う、まっすぐな人だ。そんな伊藤唯さんも、一人の人間として悩み、苦しみ、暗い海の底を漂った経験をもつ。「立場もセクシュアリティも関係なく、みんなただの人間。誰もが自分らしく生きられる社会になれば」。そう語る伊藤さんの、弱さも悔しさも全部ひっくるめた、等身大の姿を追った。

2021/01/01/Fri
Photo : Rina Kawabata Text : Koharu Dosaka
伊藤 唯 / Yui Ito

1986年、東京都生まれ。幼い頃からボーイッシュで、女の子が大好きだった。体育大学進学後に初めて女性と付き合い、レズビアンを自認するように。8年間の中学校教員生活を経て、北海道で地域おこし協力隊として活動するが、適応障害と鬱を患い退職。現在はスクールサポートスタッフとして働いている。

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INDEX
01 二卵性双生児の妹
02 強くて活発な女の子
03 女の子と付き合いたい
04 本気の片思い
05 レズビアンとしての生き方
==================(後編)========================
06 充実していた教員生活
07 プツンと切れた糸
08 地方で見た “現実”
09 母との衝突、探る距離感
10 誰もがただの、一人の人間

01 二卵性双生児の妹

にぎやかな家族

両親はともに陸上自衛官。父が教官で、母が教え子だった。

伊藤家待望の第一子は、なんと双子。二卵性双生児の妹として生まれたのが私だ。

「姉とは昔から性格が正反対だけど、仲はすごくいいですね」

喜びが2倍なら大変さも2倍の双子育児。さらに、3年後には妹、8年後には弟が生まれ、4人きょうだいとなる。

共働きの両親は忙しかったが、2人で力を合わせ、子どもたちを懸命に育ててくれた。

「当時はめずらしかったのかもしれないけど、父も子育てに『参加する』という姿勢ではなく、しっかり『父親』をやっていたと思います」

優しくてまめな父が “アメ” なら、母は “ムチ” だ。

母は、負けず嫌いで気が強くて、しつけに厳しい人。

「箸の持ち方や靴紐の結び方は、小さい頃から徹底的に叩き込まれました。『できなくて困るのは自分なんだから、ちゃんとしなさい!』って」

「厳しかったけど、おもてなしが好きで気前のいいところもあるし、決断力とか行動力はすごい。父は完全に尻に敷かれていて、母が我が家の法律です(笑)」

ドラえもん・ドラミちゃん事件

物心ついたときから活発で、ボーイッシュな子だった。

「姉は女の子らしい服装や遊びが好きだったけど、私はスカートもお人形遊びも嫌でした」

子どもながらに「男だから」「女だから」とカテゴライズされることに抵抗があった。

象徴的なのが、3歳の頃の「ドラえもん・ドラミちゃん事件」だ。

「幼児園のみんなで、お面をかぶって踊る機会があったんですけど、男の子はドラえもん、女の子はドラミちゃんのお面をかぶることになって」

「先生に『ドラえもんがいい!』って言ったら、『唯ちゃんごめんね。女の子はドラミちゃんって決まってるの』って言われて」

「なんで? 私はドラえもんがいいのに! 自由に選ばせて! って思ったことをよく覚えてます」

「『男女』で勝手に分けられて、好きなものを選べないことが納得できなかったんです」

家庭内でも、男女の扱いの差に違和感を覚える。

「姉と私、妹は、小学校に上がった頃には、母から一通りの家事を教え込まれました。けど、弟は大きくなっても『男の子だからやらなくていい』って言われてて。男とか女とか関係ないじゃん! って思いましたね」

02強くて活発な女の子

「かっこいい」と思われたい!

運動神経抜群で、体格もよかった小学校時代。
男の子に混ざって、外で走り回ったり、ドッヂボールをしたりした。

「走るのはそこらの男の子より速かったし、ドッヂボールでもボールをバンバンぶつけてました(笑)」

女の子が好きだという気持ちは、この頃にはすでに芽生えていた。

「一緒に遊んでもつまんないけど、見てるぶんには可愛い。かっこいいところを見せようって、頑張ってました」

その甲斐あって、「唯ちゃんかっこいい!」と言われることも。
しかし、彼女たちが好きになるのは、いつも男の子だった。

「自分に向けられる『かっこいい』は、なんで『好き』には繋がらないのかな、ってよく考えてました」

「可愛い子が『〇〇くんのこと好き』って言ってると、私の方が走るの速いのに・・・・・・って、モヤモヤしちゃって」

ただ男に生まれただけで、女の子の「好きな人」に簡単になれるなんて。

「男になりたい」という気持ちはなかったが、男の子に対する羨ましさがあった。

第二次性徴期で訪れた変化

自分にとっては、男の子は単なる遊び相手でありライバルだ。
しかし、男の子にとっての自分は、あくまでも “女” 。

そのことに気付いたのは、4年生のときだった。

「周りの子より発育が早くて。月経はまだ来てなかったけど、胸が膨らんでたんですよね」

「ある日、仲が良かった男の子に、いきなり胸をガッと掴まれたんです。不意打ちでびっくりしたし、すごくショックだった・・・・・・」

この事件をきっかけに、男の子から異性として見られることが苦手になる。

「その後も男の子と遊んではいたけど、警戒するようになりました」

「胸が大きくて注目されるのが本当に嫌で、猫背が癖になったり、暑い時期でも体育のときにジャージが脱げなくなったり」

普段は対等に遊んでいる男の子たちが、自分を友だちではなく “女” として見ることが、悔しくて悲しかった。

03女の子と付き合いたい

“女” として見られることへの嫌悪感

中学生になる頃には、周囲の男の子たちが第二次性徴期を迎え、別人のような成長を遂げる。

背が伸び、力が強くなり、スポーツでも負けるようになった。

「小学生のときはかけっこで勝ってた子にも、当たり前のように抜かされました」

中学に進学し、周りの女の子が次々と恋をしても、男の子を恋愛対象として見ることはない。

「好きになれないのは今だけかな? 大人になって、自分と合う人が現れたら好きになるのかな? って思ったりもしたけど・・・・・・」

「やっぱり、胸を揉まれたときのことが嫌だったんでしょうね」

「中学校でも、ヤンキーの先輩がふざけて、胸の大きい子に『何カップ?』とか『揺れてる揺れてるー!』とか言ってたのがすごく気持ち悪くて」

思春期になり、性的な目を向けられやすくなったことで、男性に対する抵抗感はより強くなっていった。

女の子に抱くときめき

一方、女の子に抱いていた淡い気持ちは、「付き合いたい」「触れたい」という明確な意識へと変化していく。

「部活仲間に、可愛い女の子がいたんです。冗談で触れられたときは、すごくドキドキしました」

相手にとってはただの女の子同士のじゃれ合いでも、自分はそれ以上のものを感じる。

しかし、そんな気持ちは本人にはもちろん、誰にも明かすことはなかった。

「その子が『あー! 疲れた』って、私の肩に頭を乗せてきて、動揺して顔が真っ赤になったことがあったんです。そしたら『なんで赤くなってるの? 嫌だー!』って言われて」

「あ、赤くなったらダメなんだ、変に思われるんだって気付いて。中学では、女の子となるべく触れ合わないようにしてました」

ただ、幸いにして「女の子が好きなのはおかしい」と気に病むことはあまりなかった。

「一番近い存在の姉が恋愛にまったく興味を示さなかったから、無理して男の子に恋する必要はない、人それぞれだなと思えたんです」

女の子を好きな気持ちを隠し通すモヤモヤはあったが、姉の存在のおかげで、深く悩みすぎることなく多感な時期を過ごせた。

04本気の片思い

大好きだった部活の先輩

高校のとき、初めて本気の片思いを経験する。相手は、バスケ部のひとつ上の先輩だった。

「厳しいけど優しくて、芯のあるかっこいい人でした」

「好きすぎて、会話するだけで顔が真っ赤になっちゃうんです。周りからも『なんか赤くなってない? ○○のこと好きなんだー!』ってからかわれて」

「必死で否定してました」

自分のせいで、大好きな先輩に迷惑をかけたくない。
そんな思いから、なんとか「先輩として憧れている」で通そうとする。

「信頼してる同期には、『私、先輩のこと好きなのかな? でも迷惑だよね・・・・・・』って、言えたりしたんですけど。他の人に知られるのは怖かったですね」

“カモフラージュ” の苦しさ

日に日に加速する恋心。

はやし立てられて先輩に迷惑をかけないよう、仮の “好きな人” をつくって周囲に報告した。

「カモフラージュのつもりで、男子バスケの同期の子を好きって設定にしてました(苦笑)」

バレンタインデーには、“好きな人” である男の子にチョコレートを渡す。
自分で決めたことだったが、渡した後は、なぜか涙があふれた。

「何やってるんだろう、なんで好きな人に好きって言えないんだろう、どうしてここまでして、自分の本当の気持ちを隠して生きなきゃいけないのかな、って」

「虚しかったし、切なかったです」

気持ちを伝えることはできなかったが、先輩が引退するときには、部の伝統にのっとってジャージを交換してもらった。

「先輩は人気者だったから、私なんかがお願いしたら迷惑かも、って迷ってたんですけど。相談に乗ってもらってた同期に背中を押されて、勇気を出せました」

「いい思い出です」

こうして、甘くほろ苦い初恋は幕を閉じた。

05レズビアンとしての生き方

レズビアンの後輩との出会い

高校卒業後は、1年の浪人生活を経て日本体育大学に進学。
見学に行ったサッカー部の自由な雰囲気に惹かれて、入部を決めた。

ここでの出会いが、人生を大きく変えることになる。

「2年生になったとき、私と同じくバスケ部出身の後輩が入ってきたんです。意気投合して、毎日メールするようになったらすごく楽しくて」

後輩は高校時代、女性と付き合った経験があったという。
聞いたときは驚いたが、素直に「羨ましい」と思った。

「『周りの人は知ってたの?』って聞いたら、『みんな知ってたけど、自分たちがよければいい、と思って気にしてませんでした』って」

後輩の言葉に衝撃を受け、自分の中に新しい価値観が生まれるのを感じた。

女性同士で付き合ってもいいんだ。
レズビアンでも、堂々としていていいんだ。

「そう言いきる後輩がすごくかっこよく見えて、だんだん恋愛対象として好きになっていきました」

「後輩は私の同期のことが好きだったけど、恋愛相談にのるうちに『私を見て』って気持ちが膨らんでいって。人生で初めて、女性に告白しました」

予想通り断られたが、告白を機に、体の関係を持つようになる。

「後輩の好きな人はノンケさんだったんで、叶わぬ恋がつらかったみたいで。私はとにかく好きだったから、寂しさを埋めるのに利用していいよ、って・・・・・・」

初めての彼女

体の関係を持つようになって1年半。紆余曲折の末、ようやく恋が実った。
人生で初めての両想い。嬉しくて楽しくて仕方なかった。

「一言で表すなら、ハッピー! って感じでした(笑)」

「自分の好きな人が、自分のことを好きでいてくれる。その喜びを噛みしめてましたね」

高校のときとは違い、ストレートに思いを伝えることができた恋。
世間のカップルと何ら変わりなく、愛の言葉の交換や、ちょっとしたやり取りを楽しんだ。

同性カップルである自分たちを、周囲は当たり前のように受け入れてくれた。

「部にはノンケの人も当然いたけど、女性に恋をしてもいい、相手がどんな人であっても好きな人と付き合うのが当たり前、って空気があったんです」

「だから部内ではオープンでした。『最近彼氏とどう?』っていうのと同じように『彼女とどう?』って聞いてくれる環境だったので、ストレスが全然なくて。恵まれてましたね」

目の前の恋愛を思いきり楽しんだ大学時代。
一方で、漠然と、いつかは “ちゃんとしよう” という気持ちがあった。

「今は学生だからいいけど、どこかでこういうことをやめないと・・・・・・って、ぼんやり思ってました」

大学生活や初めての交際を経て、間違いなく視野が広がったと感じている。

それでもなお、“常識” という見えない鎖は、自分を解放してはくれなかった。

<<<後編 2021/01/06/Wed>>>

INDEX
06 充実していた教員生活
07 プツンと切れた糸
08 地方で見た “現実”
09 母との衝突、探る距離感
10 誰もがただの、一人の人間

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