INTERVIEW
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ピアスとタトゥーと性別適合手術と戸籍変更と。ベストな自分になるために。【前編】

待ち合わせしたカフェの席に着き、ドリンクを飲もうと外されたマスクから、ニュッと現れる口元のピアス。耳も、やはりシルバーのピアスで埋め尽くされ、パンツの裾からは極彩色のタトゥーがのぞく。生まれて、育った、そのままの体でないことは、“不自然” だと表現する人がいるかもしれない。しかし、久喜ようたさんのストーリーを聞けば、いまこの姿、この状態でいることが、とても “自然” なことなのだとわかる。

2022/07/20/Wed
Photo : Mayumi Suzuki Text : Kei Yoshida
久喜 ようた / Yota Kuki

1987年、千葉県生まれ。幼い頃から絵を描くことが好きで、漫画やアニメにハマり、中学からはビジュアル系バンドに夢中になる。同性愛や性同一性障害が身近な環境のなかで、経験した初めての恋愛は、同性である女性の先輩。「こうありたい」という自分であり続けるため、ピアスやタトゥーを体に施し、胸を切除し、子宮卵巣を摘出し、戸籍を男性に変更した。デザイナー、イラストレーターとして中野区を拠点に活動中。

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INDEX
01 描いた絵をやぶかれて
02 まるで売れっ子漫画家のように
03 クラスでヒーロー戦隊を結成
04 家出の常習犯
05 BLとビジュアル系バンド
==================(後編)========================
06 「女性を好きになっても自然だった」
07 レズビアン? Xジェンダー?
08 疲れ果てて、死のうと思った
09 男性への性別移行は望んでいないけど
10 私にとってノンバイナリーがベスト

01描いた絵をやぶかれて

絵を描けばなんでもつくれる

物心ついたときから絵を描くのが好きだった。

「幼稚園で、画用紙に園庭を描いたんです。1枚描いたら、もう1枚貼り合わせて園庭の続きを描いて・・・・・・」

ここを花壇にしよう、ここは遊具を置こう。
自分で好きなように園庭をつくることができると発見した。

「お金がなくても、技術がなくても、絵を描けば園庭がつくれる! その楽しさが、いまも続いて、作品づくりに発展してる感じです」

小学生の頃は、学校でも家でも、ひたすら絵を描いていた。

「学校から帰ってきたら、すぐ友だちんチに遊びに行って、帰ってきたら自分の部屋の机の “下” で絵を描いてました」

机の “上” では描かない理由がある。

「9歳のとき、お母さんに『絵を描いたよ』って渡したんですよ。そしたら、『人間の目はこんなに大きくない。鼻はこんなにとんがってない』って言って、バリッとやぶかれてしまって」

「それから、家族に絵を見せるのが苦手になってしまって、ひっそりと机の下で絵を描くようになったんです」

何者かでありたい

対して学校では、描いた漫画や絵本をクラスの友だちに見せていた。

「漫画2本と絵本1本、同時に連載を3本もってる感じでした(笑)。新作が描けたからと週に1回、ノートをクラスに回す、みたいな」

「描いていた漫画は、バトル系の内容が多かったです。7人のヒーローが7人の敵と戦う、みたいな。漫画とアニメの影響ですね(笑)」

「特に、『魔法騎士(マジックナイト)レイアース』って漫画が大好きで。女の子がロボットみたいなのに乗って、剣を持って戦う設定が、初めて読んだとき、『すげー、カッケーッ』って衝撃だったんです」

絵本のほうはバトル系ではなく、動物が主人公のほんわか系だ。

「犬のノディくんが主人公なんですけど、お父さんが発明家で(笑)。お父さんの発明したものを使って友だちと遊ぼう、って内容でした」

「カレンダーとか、キャラクターグッズも自作してました(笑)」

そんな創作活動に込められた自らの想いは、いまならばわかる。

「誰かに、認めてもらいたかったんだと思います」
「何者かでありたいって想いが、昔から、根っこにあって」

「褒められるとうれしいし、みんなの喜ぶ顔が見たいから、次の作品も頑張れるし、創作を続けていけるし、自分も生きられるのかなって思います」

「でも、この頃描いていた漫画は、どれも途中で終わってるんですよ。物語を完結させるよりも、プロットを考えるほうが楽しいのかも(笑)」

02まるで売れっ子漫画家のように

認めてもらえたうれしさが原動力

自分が描いた作品を読んで、クラスメイトが喜んでくれる。

「小学生のときは漫画2本と絵本1本の連載3本。中学生の時は、バスケ小説を書いてました。小説もまた、キャラクター設定を考えるのが好きなだけで、そもそもバスケの試合をしない展開っていう(笑)」

バスケ小説は400字詰めの原稿用紙に、1日1〜10枚ずつ書いて、「読みたい」というクラスメイトたちに回していた。

「その頃には、クラスのみんながキャラクター設定とかに対してアドバイスしてくれたりするんですよ(笑)」

「結局、原稿用紙300枚以上は書いたと思います。その原稿用紙の裏には、ハイライトとなる絵も描いてました」

まさに、売れっ子漫画家のような勢いの創作活動だった。

クラスメイトを喜ばせることができた達成感と、認めてもらえたうれしさが、創作活動の原動力となっているのは、イラストレーターとしてキュピー人形や画用紙に油性マジックで線画を描くいまも、同じだ。

最初の描き始めに10分

「描き始めて、描き進めていくのが楽しんですよ。うわーいって。描いている途中から、もう次にどう描こうか自分自身が楽しみで」

「描きながら、あ、こうやりたいな、やってみよう、みたいなことを繰り返しつつ描いてます(笑)」

また、キューピー人形と紙では、描き始めが大きく異なる。

「紙に描く場合だと、ある程度下書きをして描けるんですが、キューピーの場合は、下書きが一切できないんで」

「ここがこうなってるから、こう描こう、ってキューピーの体を眺めながら、頭の中でレイヤーを思い浮かべて、描いていく感じです」

「どこから描き始めるのかもすごく悩むし、失敗すんじゃないかって怖くなることもあります。最初の描き始めに10分くらいはかかりますね」

「描き始めてしまえば、そこから融通を利かせながら描いていくから大丈夫なんですけど、最初はなんかすっごいドキドキするんですよね」

ドキドキしながら描き始めて、楽しみながら描き進めて、描きあげた作品を見た誰かの表情やコメントがまた次の作品への原動力を生む。

そうやって、いまも描き続けている。

03クラスでヒーロー戦隊を結成

ホワイトとレッド

小学校からの友人がいる。

「小学生の頃、その友人と一緒に “ヒーローセブン” というユニットをつくったんですよ」

「友だちがホワイトで、うちはレッドでした」

「教室に『ヒーロー募集!』って張り紙をして、オーディションをしました。応募してくれた人に『なにがしたいの?』って面接したり(笑)」

「合格したら、じゃグリーンね、あなたはブラック、で、イエロー・・・・・・って、ヒーローが増えていきました」

ヒーローセブンの活動内容は、主に新聞づくり。
その名も「ヒーロー新聞」に、近所の駄菓子屋情報などを書いて掲示した。

「どんどん応募がきて、『はい採用』ってなるんだけど、だんだん色のレパートリーがなくなってしまって。グリーン、ブラック、イエロー、オレンジ、パープル・・・・・・じゃ次は黄土色ね、って(笑)」

増えていくヒーローたち。
新聞づくり以外には、特筆することもない活動内容。

それでも、ヒーローを結成するのは楽しかった。

遊びに夢中で怒られて

ヒーローセブンのレッドでありリーダー。
しかも、売れっ子漫画家なみに連載を抱えるクリエイティブな存在。

でも、クラスでは意外にも、いつも教室で静かに絵を描いているような控えめな存在だった。

「ホワイトが言うには、うちはぜんぜん目立たない子だったそうで(笑)」

「でも、なにかやるときは、おもしろいことをやってくれるやつ、って感じだったとか」

目立たない子だったとはいえ、友だちはたくさんいた。

「朝は早くに起きられなくて、集団登校する班の班長さんに『起きられたらポケモンのシールをあげるから』って言われて、やっと『ヤッタァ!』って起きられるような子でした」

「幼稚園の頃は、まったく誰ともしゃべらない子だったんですが、小学生のときはほんとよく友だちと遊んでましたね」

学校では、遊びに夢中で注意を受けることもしばしばあった。

「授業中に、校庭のさくらんぼの木に登って、ずっとさくらんぼを食べていたのを、学校イチ怖い先生に見つかって、怒られて」

「素直に怒られればいいものを、先生のいる渡り廊下からは死角になっている窓を見つけて、そこから逃げて、さらに怒られたり(笑)」

「ほかにも、掃除をサボっていて怒られたり」

楽しいことに夢中になりすぎて、周りが見えなくなるときも。
そんな一途さは、子どもの頃から変わらない。

04家出の常習犯

家族団欒の記憶がない

「むかし、お母さんに、めちゃめちゃ怒鳴られたのを覚えてます」

「なにか言い合いになって、お母さんが机の上のものをバシャーッてはたき落として・・・・・・。『あんたの考えていることは、昔から、一切なにもわからない!』って言われました」

料理など家事は、ひととおり母親がやってくれていたと思う。
しかし、家族みんなで食卓を囲んだ記憶などはない。

「あんまり記憶がないんですよ」

「小学校の頃とかは、家族の様子や家の状態を覚えてないんです」

そのためか、母親に怒鳴られた理由も曖昧にしか覚えていない。

「お母さん、私のことが、本当によくわからなかったんでしょうね」

「うちは、テンションが上がると、ずっとしゃべってるような子だったので。それでいて急に3日間くらいずっとしゃべらないこともあったり」

「お母さんは、育児ノイローゼとかになってたのかも・・・・・・」

母親に引き止めてほしかった

そんな小学生の頃の家族との記憶のひとつに、家出がある。

「よく『家出する!』って、お母さんに言って、出て行ってたんです」

「手提げ袋に、ぬいぐるみと、レイヤースの漫画と、ノートとペンを入れて。そしたら荷物が少なすぎて、その袋がすごいブカブカで」

「これが、自分の必要な荷物のすべてなんだ・・・・・・と思ったのを覚えてます」

その手提げ袋を持って、住んでいたマンションのエントランスに佇む。
近所の人が心配して声をかけてくれ、家まで送ってくれることもあった。

「引き止めてほしかったんだと思います、お母さんに」

「家出する」って言ったなら、「行かないで」と言われたかった。

「一緒に買い物へ行ったら、物陰に隠れて、お母さんの様子を窺うんですよ。探してくれるのを期待して」

「でも、探さないでそのまま行っちゃうんですよ、お母さんは。それで、毎回泣いてましたね。同じことを何百回と、やりました」

父親との記憶は、もっと少ない。

仕事熱心な真面目な人で、毎朝、自分が起きる時間にはもう出かけていて、一緒に遊んだ思い出も、ほとんどない。

「意味なく、うちの足を踏んできて、ちょっかいを出してきたりとか、家の中でゴルフの練習をして電灯を割ったり・・・・・・不思議な人でした(笑)」

家族との思い出は少なくとも、テレビで見たアニメのことはしっかりと覚えている。その頃からアニメと漫画にどっぷりだった。

05 BLとビジュアル系バンド

cali≠gariとの出会い

アニメと漫画、そして中学からはその延長で声優にも興味をもった。
そしてもう2つ、熱中したものがある。

1つはBL小説だ。

「友だちの友だちが、お姉ちゃんの本棚から持ってきたという小説を読んだんです。『なんだこれは!』ってなって、読み続けていたら、別の友だちが来て、『うちのお母さんが腐女子だから、家の壁一面にBL小説用の本棚があるよ』って言うので、うおーってなって(笑)」

そして2つめはビジュアル系バンド。

「ちょうど中学2年の頃から、いろんなインディーズバンドがデビューしてきて、そのなかで友だちが教えてくれたcali≠gari(カリガリ)というビジュアル系バンドを見たときに衝撃を受けて、一気にのめり込みました」

「ギタリストがゲイの方で、短髪に眼鏡をかけていて、ビジュアル系としては異色だし、ギャルソンとか着てて、コンバース履いてて、かっこよくて、楽曲もテクノ要素があってサブカルな感じがいいし、歌詞も好きだし・・・・・・どハマりしましたね」

「あと、ビジュアル系バンドでゲイを公表しているのは、当時はその人しかいなくて。男性同士の恋愛観や、ビジュアル系特有の死生観にも、ほわーっっ、そうなんだなぁー、って惹かれました」

しかし中学生が、実際にライブを見にいくことは難しい。

当時はYouTubeも存在せず、ネットでライブ動画を見ることはできないため、ファンによるライブレポートを読み込んだ。

「お金を貯めて、やっと買ったCDは、歌詞カードを隅々まで読んで、毎日延々と繰り返し聴いてました」

「影響を受けすぎて、先生に怒られたことも(笑)」

「そのギタリストの『日本人だったら英語を使わないで、まずは日本語を使えるようになりなさい』って言葉を変に解釈して、英語の授業で、日本語をしゃべり続けるなんてことをしてしまって・・・・・・」

「『日本人なんだから、きれいな日本語を使いなさい』ってことなのに・・・・・・こじらせてましたね(笑)」

美しければ男性でも女性でも

そして高校進学。
大好きなcali≠gariのトートバッグで通学した。

「うちの高校、男女比が9:1で、女がめちゃめちゃ少ないんですよ。で、入学初日にクラスのリーダー格の女子が『トイレ集合ね』って言ったのを無視したら、それからハブられてしまって(笑)」

「そしてその1週間後くらいに、女の先輩から呼び出しをくらったんです」

「ボコられるかと思ったんですが、『cali≠gari好きなの?』って」

なんと上級生にはビジュアル系バンド好きが多く、すぐに仲良くなった。

それから軽音部に入部はしたが、学校にはあまり行かず、バイトに精を出し、その軍資金でライブハウスへ通った。

「ビジュアル系のファンを “バンギャ” っていうんですが、そのバンギャといつも一緒にいました」

「バンギャ文化ってのがあって、私のまわりでは女の子同士で恋愛している子がわりといたんです。オープンなんですよね」

「美しかったら男性でも女性でもいい。好きになったらいい。そういう感じだったのかなって思います」

 

<<<後編 2022/07/23/Sat>>>

INDEX
06 「女性を好きになっても自然だった」
07 レズビアン? Xジェンダー?
08 疲れ果てて、死のうと思った
09 男性への性別移行は望んでいないけど
10 私にとってノンバイナリーがベスト

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