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17歳の私へ。「明日が来る」と思えば、生きる自信がうまれる【前編】

「セクシュアリティは変化するものだと、ずっと感じてきました。セクシュアルマイノリティの人たちに、自分らしく生きることを知ってほしい」と、自らLGBTERに応募してくれた安間梓さん。高校中退を余儀なくされたり、恋人からDVを受けたりするなど、つらい過去を持ちながら、安間さんが明るく笑える理由とは? 安間さんが大切にしている「明日」というキーワードを基に、話を聞いた。

2018/07/10/Tue
Photo : Taku Katayama Text : Sui Toya
安間 梓 / Azusa Anma

1983年、熊本県生まれ。地元の小・中・高校に進学したが、家庭の事情で17歳のときに中退。28歳のときに14歳上のMTFのパートナーと結婚し、30歳で通信制高校に復学。現在はNPO法人PROUD LIFEに勤めながら、社会福祉士、言語聴覚士の資格を取得するため通信制大学で学んでいる。

USERS LOVED LOVE IT! 17
INDEX
01 母に怯えた幼少時代
02 突然、いじめが始まった
03 恋した相手は女性教師
04 私、レズビアンだと思う
05 高校中退とDVの始まり
==================(後編)========================
06 誰かといなければ生きていけない
07 結婚相手はMTF
08 私の気持ちを聞いて
09 1人でも生きていける自信
10 「また会おう」が生きる力になる

01母に怯えた幼少時代

17歳の暗転

家の借金が原因だった。

年齢を偽って勤めたスナックが、最初の職場。
学歴も資格もない者が就ける仕事は限られている。

毎日、「明日を生きよう」「明日を生きればきっと何かある」と、明日が来ることだけを励みに生きてきた。

そうして1日1日を生きた先に、現在のパートナーとの出会いがあった。

30歳で高校に復学し、34歳になったいま、通信制の大学で学んでいる。

17歳の頃には思い描けなかった私がいま、ここにいる。

先天性の病気と手術

生まれ育ったのは、熊本県阿蘇市からほど近い町。

生まれたときから体が弱かった。

2歳のときに、尿道に先天性の病気があることがわかる。

薬を飲んでいたが、39度や40度の高熱が頻繁に出る。左側の尿道から尿が腎臓に戻ってしまうのだ。

4歳のとき、病気を治すため、4時間かかる大きな手術を受けた。

手術後しばらくは、尿道にカテーテルを通して生活。とても痛かったことを覚えている。

熱が出るたび入院と退院を繰り返していたため、保育園にはあまり通えなかった。

子どもの頃、外で遊んだ記憶はほとんどない。

母のヒステリー

体の弱い子どもを抱えて奔走することへのストレスもあったのだろうか。

父が出張で家にいないとき、母は、ヒステリーを起こすことが多かった。

「ごはんを炊いていないという理由で、よく怒られていました。炊いておいて、と頼まれてはいなかったのですが・・・・・・」

「当時、私は小学校2年生。涙をいっぱいに溜めながら、なぜ怒られるんだろう、とずっと考えていました」

そんな母の姿を、父は知らなかった。

父が家にいるとき、母の態度はコロッと変わり、優しかったからだ。

その頃、海外出張が多かった父は、よくお土産を買ってきてくれた。女の子が好きそうな、かわいいリップクリームや、きれいな香水。

父の気持ちは嬉しかったが、私はそれらを受け取ることが怖くて仕方なかった。

母の嫉妬。

お土産をもらった数日後には、母に八つ当たりされることがわかっていたからだ。

「いつも、親の顔色をうかがっていました。周りからも『大人の顔色をうかがう、子どもらしくない子どもだ』と言われていましたね」

02突然、いじめが始まった

体のしびれと拒食

4歳のときに受けた手術は無事に成功し、病気は完治。小学校では、体育の授業も問題なく受けることができた。

小学4年生まで、家で母のヒステリーに耐える以外は、何の心配もなく過ごしていた。

ところが、5年生でクラス替えをした直後から、突然いじめが始まった。

何かきっかけがあったわけではない。

「いつもニコニコしていて気に食わない」「気持ち悪い。菌がうつる」

それまで仲の良かった友だちを含め、クラス全員から、急にそんな言葉を浴びるようになった。

ストレスで一杯の心を察知し、体は正直な反応を示した。

「心身症になってしまったんです。体がしびれて動かないし、食事もとれない」

「拒食のようになってしまい、母親がびっくりして病院に連れて行きました」

読書が唯一の楽しみだった

医者から入院を告げられ、原因を探る中で、娘がいじめられていることを両親は初めて知った。

「いじめをどう解決するか、父はずっと学校側とやりとりしてくれていました」

「6年生が終わる頃に『自分の娘がいじめに遭っている』と、全校集会で話してくれたんです」

「学校や教育委員会とも話し合って、担任の先生も替えてくれました。それから、いじめがピタリとおさまりました」

いじめは終わったが、父から「もう学校には行かなくていいよ」と言われた。

卒業式まで学校には行かないことを決め、家でずっと本を読んでいた。

「覚えているのは、ミヒャエル・エンデの『モモ』です。分厚い本なのに3日で読み終わっちゃいました」

「本って面白いと思って、色々なジャンルの本を読みました」

「横溝正史のミステリも読んでいました。今考えると、6年生にしては渋い選択ですよね(笑)」

03恋した相手は女性教師

転校と不登校

中学校は、1学年10クラスのマンモス校だった。

仲の良い友だちもでき、小学生の頃とは一転して、楽しい日々を過ごすことができた。

しかし、中2の途中で、隣町にある父の会社の社宅へ引っ越すことになる。

転校先の中学校では、すでにグループができており、馴染むことができなかった。

「不登校になってしまったんですが、その中学校では不登校の子のために特別学級をつくってくれていました」

「他にも不登校の女の子がいて、ゲーム好きという趣味が合い、よく一緒に遊んでいました」

当時、特別学級によく来てくれる英語の先生がいた。25歳前後の女性の先生。

中性的でクールな雰囲気だが、話しかけると優しく応じてくれた。

「その先生のことを好きになりました。でも初恋だったので、好きという気持ちなのか、憧れなのか、区別がつかなかったんです」

先生への初恋

「相手は女性なのに、なぜ好きなんだろう?」という疑問は抱かなかった。

「すてきな人だから好き、と素直に思ったんです。自分が普通じゃないとは全く思いませんでした」

クラスには馴染めなかったが、その先生がいたから、中学校に通うのは楽しかった。

英語を頑張ったら、2人きりで教わる機会はないと思い、英語は頑張らないと決めていた。

中3の冬休み、「英語が苦手だから教えてほしい」と、先生に受験対策をお願いした。

「2人きりで、隣に座って教えてもらいました。すごくドキドキして、私はこの先生に恋しているんだと実感しましたね」

「卒業まで、ついに思いは伝えられなかったけれど、あの冬休みの個人授業は、私の中ですごく輝かしい思い出です」

「誰かと付き合いたい!」

高校は、家から少し離れた女子校を選んだ。

毎日スクールバスに乗って通い、友だちもたくさんできた。

「高校生になると、皆で彼氏の話をするじゃないですか。友だちの話を聞いているうちに『私も誰かと付き合いたい!』と思いました」

「友だちに紹介してもらって、他校の男の子と知り合いました。2つ年上の、サッカー部のキャプテンの子です。その子と、熊本市内にデートに行くことになったんです」

ところが、デートから帰ってきた夜、38度の熱が出た。

「手をつないだのがいけなかったのかな(笑)。『手をつなごう』と言われて、ちょっと嫌だと思いながらつないだんです」

「その男の子から、家に頻繁に電話がかかってきましたが、ずっと無視していました」

結局、その男の子とは、その後も連絡を取らずに終わってしまったが、誰かと付き合いたいという欲は消えなかった。

できれば、自分のタイプの人と知り合いたい。

「そう思っていたときに、母親が携帯を持たせてくれたんです」

自分の携帯を手に入れて、最初に見たのはレズビアン専用のサイトだった。

04私、レズビアンだと思う

恋している実感がほしかった

自分がレズビアンであるという自認があったわけではない。

英語の先生への記憶もみずみずしく、「女の人と付き合ってみよう」という程度の軽い気持ちだった。

「レズビアン専用のサイトは、18禁でした。当時は16歳でしたが、18歳と嘘をついてプロフィールを載せたんです(笑)」

「そのサイトで知り合い、最初に付き合ったのは、既婚者の女性でした」

恋人ができたと周りにアピールしたいわけではなかった。

色々なことを経験したいという気持ちもあったが、それ以上に「恋している」という実感が欲しかった。

恋愛体質という自覚はある。

「MTFやFTM、Xジェンダー、クエスチョニング・・・・・・。色々な人と付き合ってきました。今のパートナーに出会うまでに24人か25人かな(笑)」

「よく『ヤドカリみたい』と言われます。隣の家が気にいったら、まっすぐ隣の家に行く(笑)」

母へのカミングアウト

「私、レズビアンだと思う」

母にそう告げたのは、高校2年生のときだった。意図してカミングアウトしたわけではない。

「当時付き合っていた彼女のことを、日記に書いていたんです。鍵付きの日記でしたが、うっかり鍵を開けたまま、机の上に置いてしまいました」

「母親が掃除をするために部屋に入ってきて、中身を見られちゃったんですよね」

高校から帰宅後、母から「ちょっと買い物に行こう」と誘われた。その道中で「あんた同性が好きなの?」と聞かれたのだ。

バイセクシュアルという言葉を知らず、表現がわからなかった。だから「うん、レズビアンだと思う。女の子も好きだから」と告げた。

「案の定、口論になってしまいました。母親から『あんたなんか生まなきゃ良かった』と言われましたね」

「それから20代半ばまで、ことあるたびに『結婚しろ』『子どもができないなんて』と散々言われました」

レズビアンの自認は今もない

あのとき日記を見られなければ、カミングアウトをすることはなかったかもしれない。

なぜなら、30代になった今も、レズビアンという自認はないからだ。

男性が嫌いというわけではない。付き合う機会がなかっただけで、何人かいいなと感じる男性もいた。

性別は限らず、好きなのは中性的な雰囲気の口ベタな人だ。

「女の人の方が中性的な人が多いから、女の人と付き合っているという自覚しかないんです」

「好きな人と付き合っているだけで、性別は関係ないと思っています」

「その考え方は、父の影響が大きいかもしれません。人に国境や肌の色は関係ないというのが、父の口ぐせでしたから」

後ろめたい気持ちがないからこそ、学校の友だちに、恋人の話をすることもあった。

「友だちは受け入れてくれていました。『見た目男でしょ。でも女なんだよ』と恋人の写真を見せたら『カッコいいじゃん』って」

「だから学校では、私は男も女も関係ないと、堂々と言うことができました」

父のことは信頼していたが、自分から話す気にはなれなかった。

母のリアクションを見て、父にも同じリアクションをされたら傷付くと思ったからだ。

「若くないから考え方が固いんだ、と思ったんです。友だちが分かってくれたら、それでいいやと考えていました」

05高校中退とDVの始まり

初めての職場はスナック

意図せずカミングアウトをしたのと同じ頃、母が新興宗教にハマり始めた。

借金はみるみる膨れ上がり、800万円に達した。

その借金が原因で父は仕事を失い、車上生活をしながら土方で働くことになった。

両親は離婚。

自分も高校を中退して働かなければならなかった。

「私は母に勧められたスナックで働いていました。そのときに、12歳年上のFTMの人と知り合って、付き合うことになったんです」

「住むところがないと言うと『じゃあオレのところ来いよ』と言ってくれました。それで、彼のアパートに一緒に住むようになりました」

ところが、一緒に暮らし始めて少し経った頃、彼の会社が倒産。引っ越しをしたことで、スナックには通勤できなくなり退職した。

生活費を稼ぐため、コンビニとお菓子屋の2つのアルバイトを掛け持ちする日々が始まった。

「でも、私が家計を担い始めてから、彼のDVが始まったんです。1年半のあいだ、毎日精神DVと性的DVが続きました」

孤立

勤め先のお菓子屋では、時々、アルバイトも交えて会議をすることがあった。

会議が終わった夜8時過ぎ、携帯を見ると、いつも彼からの着信履歴が30〜40件ほど残っていた。

休みの日は、出かけることを禁止され、家の鍵を渡してもらえなかった。

「携帯のアドレス帳も管理されて、友だちとは連絡するなと言われました。親とも連絡を取るなと言われて、プリペイド携帯だけ持たされました」

「そうやって、周りからどんどん孤立させていくんです。DVを受けていることに、自分ではまったく気付きませんでした」

「機嫌のいいときは『君のこと大事にするよ』と言ってくれることもあり、私にはこの人しかいないと思いこんでいたんです」

母からの電話

彼のもとから逃げ出したのは、母からの連絡がきっかけだった。

持たされていたプリペイドの携帯に、母からたまたま電話がかかってきたのだ。

「その前日に、彼に初めて手を挙げられたんです」

「母親から『元気なの?』と聞かれたので『昨日殴られた』と言ったら、『こっちに来なさい』と言われました」

母はその頃、再婚して福岡に引っ越していた。

「荷物は持たなくていいから、服と貴重品だけ持って早く来なさい」と言われ、彼がいない隙に荷物をまとめて、福岡へ向かった。

しばらく福岡で暮らしていたが、たまにヒステリックになる母に耐えられないと感じることも多かった。

「母親とうまくいかなくて、DVの彼のところに戻っちゃったんですよ。半年くらいまた彼と一緒に暮らしたんですけど、やっぱりDVは止まらなかった」

「もう一度母に電話したら『福岡市の近くに引っ越したから、ここに来なさい』と言われました」

当時は、彼か母かの2択しか考えられなかった。

父はその頃、アパートを借りて住んでいたが、父と2人で住むのは、申し訳ないという思いがあった。

共依存関係からの解放

再び福岡に行ってからも、彼とは連絡を取り続けていた。

しかし、彼が泊まりがけで福岡に遊びにきたことで、本当に関係が切れた。

「一緒にホテルに泊まって、朝起きてから、福岡市内を案内しろと言われたんです。それで、案内している途中で、彼とプリクラを撮ったんですね」

「そうしたら、彼の顔がなぜか半分しか写っていなかったんですよ。今考えると笑える話なんですけど、彼がプリクラを見て怒りだしたんです」

「もう帰ると言って、バス乗り場に行っちゃったんです。追いかけなきゃと思っていたときに、仲の良いFTXの友だちから電話がかかってきました」

友だちからの電話は「今から仕事が終わるから、夕ご飯を一緒に食べに行こうよ」という誘いだった。

その言葉で目が覚め、彼が向かったバス乗り場とは逆の方向に歩き出した。

その後、友だちだったFTXの子とは恋人関係になり、彼の話をしたところ「それはDVだよ。気付いてよかったね」と言われた。

当時、19歳。

共依存の関係からようやく抜け出した。

 

<<<後編 2018/07/12/Thu>>>
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06 誰かといなければ生きていけない
07 結婚相手はMTF
08 私の気持ちを聞いて
09 1人でも生きていける自信
10 「また会おう」が生きる力になる

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