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“トランスジェンダーだからできないこと” なんて、ひとつもない。【前編】

「楓って名前は親父がつけてくれたんです。花言葉がきれいだからって。それで最近、改めて調べてみたら “美しい変化” という意味もあるみたいで。いい名前ですよね」と、背筋を伸ばしてハキハキと話す竹原楓さん。トランスジェンダーFTMだと自認してからも、深く思い悩むことはなかったと言うが、それは単に恵まれた環境にいたからだけでなく、何か自分から引き起こしたものもあるだろうと、現在、自分自身に向き合い、答えを探しているところだ。

2020/07/15/Wed
Photo : Tomoki Suzuki Text : Kei Yoshida
竹原 楓 / Kaede Takehara

1992年、愛知県生まれ。第二次性徴期を迎えた頃から、自分の体に違和感を抱き始める。それでも、あるがままの自分を受け入れ、前向きに学生生活を送っていたところ、高校1年生のときに初めてFTMと出会い、自分もそうであると確信。アルバイトをしながら貯金をして高校3年生でホルモン治療を開始し、その後就職して生活が安定した2019年5月に性別適合手術を受けた。LGBTへの理解を広めるために、自らの考えを発信する方法を模索中。

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INDEX
01 カミングアウトする必要がなかった
02 待望の “長女” として可愛がられたけれど
03 どうして男女で分けるの?
04 FTMという存在に出会って
05 生理も胸もなくしてしまいたい
==================(後編)========================
06 「性同一性障害なんです」「へぇ、そうなんだ」
07 家族への性別適合手術の説明は5分で終了
08 職場のスタッフ一人ひとりに向き合おう
09 僕の彼女は本当にかっこいい
10 やりたいことを見つけるのが大事

01カミングアウトする必要がなかった

「FTMだから、できない」

別に隠しているつもりはないが、あえて言うこともないと思っていた。

女性の体で生まれて、女子生徒の制服を着て、女子バレー部に所属していたのに、いま男性として生きているということを。

家族にも友だちにも、職場の仲間にも受け入れられ、あるがままで世の中に溶け込んでいた。

「でも、性別適合手術を受けてから、自分のことを発信していきたいという気持ちになったんです」

「Twitterを見ていると、セクシュアリティについて悩んでる10代の子がすごく多いのが気になって」

「FTMだから◯◯できないのがつらいとか、トランスジェンダーじゃなかったら好きな人とも一緒にいられるのに、とか」

自分は、あまりそういう風に考えたことがなかった。

たまたま偏見にぶつからないまま生きてこられたとも言えるけれど、こんな生き方もある、こんな考え方もあると、悩める10代に伝えたくなった。

「手術をする前は、カミングアウトしようなんて気持ちはまったくありませんでした」

「もちろん面接のときには伝えてあるので、上司や役職のある人は知っているんですが、バイトの子たちはたぶん知らないと思います」

「もしも知られたら、説明するのも面倒くさいし、自分に対する態度が変わったら嫌だな、とか思って」

「SNSのプロフィールにはセクシュアリティについて触れなかったり、触れていたらアカウントに鍵をつけたりしてました」

性別適合手術を受けたら変わった

いつも “普通” に生きることを目指してきた。

普通の人は、自分のセクシュアリティを説明しない。
普通に仕事して、普通に好きな人と一緒にいられたら、それでいい。

しかし、手術を受けたあとから考えが変わった。

「思い返したら、自分にも自分のセクシュアリティに対する偏見があったと気づいたんです」

「10代の頃は、ものすごくガニ股で歩いたりしてました(笑)」

「それが男らしさだと勘違いしていたんですね」

「つまり、自分自身が一番自分のセクシュアリティを受け入れてなかったんです、あの頃は」

「だから、いま悩んでいる人たちのなかにも、自分に対する偏見があるから苦しんでいる人がいるんじゃないかと思うんです」

自分のなかの偏見に気づき、それを手放したら、ラクになった。
そのことを伝えられたら、救われる人もいるんじゃないか。

だからいま、自分が今までどう考えて、どう生きてきたかを思い出し、これから誰かに伝えていくための準備をしている。

02待望の “長女” として可愛がられたけれど

夕飯はみんなで揃って

生まれは愛知県豊橋市。
頑固な父と優しい母のもと、2人の兄と1人の妹とともに育った。

「親父にとっては、待望の娘だったから可愛がられてたそうです。母ちゃんが言うには、兄たちとは差別してるくらいに(笑)」

「どこに行くにも、ずっと抱っこされてました」

実は竹原家には、父がつくった厳格なルールがあった。

夕飯は夜8時に家族6人が揃って食べる。
絶対に外泊はしない。

「小学生の頃はよかったけど、高校になっちゃうと8時に帰るのは難しかったですね(笑)」

「でも、家で暮らしている間は守れ、と親父が厳しくて」

「なんとか時間までに帰って、みんな揃って夕飯を食べてました」

片親家庭に育った父は、祖母が仕事で家におらず、兄弟も早くに亡くしてしてしまい、いつも一人きりで夕飯を食べていたという。

「親父のなかで、夕飯はみんなで食べるっていう理想の家族像が出来上がっていたんだと思います」

「母ちゃんも親父のルールに従ってましたね」

「たまにママ友とランチするくらいで、夜間に出かけることはありませんでした」

外泊禁止も、どうやら父の実体験から生まれたルールのようだった。

父が子どもの頃、友だちの家に遊びに行ったところ、「迷惑だ」「帰ってもらえ」と友だちの両親が話している言葉を聞いてしまったのだ。

どれほど相手が「泊まっていい」と言っても、本心は分からない。
自分と同じように、相手の表向きの厚意だけを信じて外泊させて、子どもたちを傷つけることはしたくない。

「子どもの頃は、なんで8時なんだ、なんで外泊しちゃいけないんだ、って親父のことが嫌いでした」

「でも、家族を守るためだったんだと思うと、いまなら納得できます」

スカート姿は1回で見納め

そんな子どもの頃の記憶のなかで、鮮烈に残るものがある。

幼稚園に通っていた頃、スカートをはきたくないと泣いたことだ。
理由は覚えていない。その後、はいたかどうかも覚えていない。

もうひとつ覚えているのが、制服以外でスカートをはいたのは、小学生のときに母から懇願された、たった1回だけだったということ。

「なんで母ちゃんが『どうしてもスカートをはいてほしい』って言ったのか、理由は覚えていないんですよ」

「買ってきちゃったから」「お願い」「1回だけはいて」と母に頼み込まれた。

「で、根負けして、はいたのを覚えています(笑)」

「でも、母ちゃんはそれから二度と『スカートをはいてほしい』とは言いませんでした」

「その1回が見納めだと思っていたのかもしれませんね」

小学生の低学年までは、その記憶のほかに “スカートとズボン” のような男女の違いで嫌なおもいをすることはなかった。

呼び名は、友だちからも家族からも “楓” と呼び捨て。
妹ともお姉ちゃんとも呼ばれることはなかった。

03どうして男女で分けるの?

断る権利のない男女区別

「小学校高学年になると、男女の区別がはっきりしてきて、それが嫌でしたね」

「男子はソフトボールだけど、女子はキックベースをしなくちゃいけない、みたいなこともあって」

「当然のように強制されて、断る権利もない」

「ボールを投げるスピードとか、明らかに男子と女子で力の違いが出てきたりして、そういうのも納得いかなかった」

それでも、「まぁ、ボールを蹴るのも楽しいし、キックベースでもいいや」「決まってるから仕方ない」と考えることはできた。

中学生になると、成長とともに自分の体にも変化が現れる。

「胸が膨らんできたときは、何? なんだこれは! って焦りました。もう、これ以上膨らむな、すぐ止まれ、って思いましたね」

「母ちゃんが、胸が大きいほうだったので、自分もそうなるのかと思うと怖かった」

キスをする仲の女の子

そしてもう一つ、体の大きな変化として、月経が始まった。

「勉強が好きじゃなかったので、性教育の授業もちゃんと聞いてなくて、最初は病気か怪我かと思いましたよ(笑)」

「びっくりしてしまって、母ちゃんに、血ぃ出てんだけど、どっか切れとるかもしれんって伝えたら、『それは違うよ、生理っていうのがあって』と教えてもらいました」

あ、そうなんだ、自分にもそういうの、くるんだ・・・・・・。

予想外なことが起き、すぐには腑に落ちなかったが、そういうものなのだと次第に受け入れていった。

胸の成長も、心配していたほどには大きくなることもなく、気にならない程度にとどまったようだった。

そんな自分の体を「不便だ」とは思っていたけれど、嫌悪感を抱くほどではなかった。

それは、体のことよりも夢中になれることがあったからかもしれない。

中学3年間はバレー部に所属し、練習に明け暮れる。
同時に、特別な関係の相手もいた。

「休みの日は一緒に遊んで、会うたびにキスする女の子がいて」

「あの子のことが好きなんだよね、って友だちにも言ってました」

「友だちも『へー、そうだと思ったわ、めっちゃ仲良いもんね』って感じで、からかったりするような人はいなかったんです」

周りが自然に受け入れてくれたおかげで、女性同士で恋人のような関係になっていることに、それほど違和感を感じずにいられたのだ。

04 FTMという存在に出会って

モヤモヤの正体が分かった

「高校生になると、彼女は別の高校に行ってしまったんですが、放課後はいつも会うようにしてました」

「そしたら、たまたま彼女の友だちがFTMの人と付き合ってて」

その人を紹介されて初めて、トランスジェンダーやFTMという言葉を知る。

「この人もともと女の人なんだよ」って言われて、あれ、女の人なのに女の人と付き合ってる・・・・・・、つまり自分と一緒ってこと?

今までセクシュアリティについて深く考えたことがなかった。

女性同士で付き合っていることも、一般的ではないかもしれないと感じつつも、自分にとっては自然なことだった。

多少モヤモヤしたとしても、そのモヤモヤを追究することもなかった。

「まず、その人はすごいなって思いました。自分の知らないことを知ってて・・・・・・。先に進んでる感じ」

微かなモヤモヤの正体が分かった。

自分はトランスジェンダーなんだ。
“普通” じゃなかったんだ。

「その人と会った帰り道、彼女に『おれ、たぶんあの人と一緒だよね』って言ったんです」

「そしたら『違う』って言われたんですよ。『私がそう思わせたのならごめん』とも言われました」

それからしばらくして、その子との関係は終わった。

いま思うと、彼女はレズビアンだったのかもしれない。
だからトランスジェンダー男性であってほしくなかったのかもしれない。

それが初めてのカミングアウト。

受け入れられたのかどうかは、いまでも判断がつかない。

「自分はトランスジェンダーだ」

「それからは、セクシュアリティについて考える時間が増えました」

「ネットで、ホルモン治療とか性別適合手術のことも調べました。胸を隠すために “なべシャツ” を買ったのもこの頃ですね」

友だちにも「自分はトランスジェンダーだ」と伝えた。

「まぁ、ぽいよね」
「そうだとしても別に気にならないし」

あまり驚かれることもなかった。

受け入れられたことはプラスだ。
しかし、自分が “普通じゃない” と知ったショックは大きい。

自分の恋愛対象は異常だ。
性同一性障害という病気なんだ。

「この頃は、自分のセクシュアリティについてマイナスにしか考えられなかったですね・・・・・・」

自分はおかしい。

しかし、周りにはそんな自分を「おかしい」と言う人はいなかった。
そのおかげで、自分を見失うことはなかった。

「本当に自分は恵まれていると思います」

「ありがたいことですよね」

05生理も胸もなくしてしまいたい

家族に内緒でホルモン治療を

高校生の頃から下着は男性用を身につけていた。
人に見られたとしても、「あ、見えた?」程度だった。

寝るときには、下半身はトランクス一枚。
なべシャツを着ていることも家族に隠さなかった。

洗濯物に紛れたなべシャツを見た母に、「これ胸を隠すやつだよね?」ときかれたこともあった。

「そうだよ、着る? って言ったら、『お母さんの胸、入るかな?』って(笑)。いや、無理だわ〜とか、そんな感じでしたね」

テレビ番組でホルモン治療のことを知ったときも、筋肉質になれるからという理由で「ホルモン注射を打ちたい」と母に言ったら、「ちゃんと成人してからにしなよ」と答えるだけで反対はしなかった。

大丈夫。家族は自分を受け入れてくれている。
実際に治療を始めたとしても、大丈夫だ。

FTMと出会って、自分はトランスジェンダー男性であると自認してから、膨らんだ胸や月経が一層わずらわしく感じられる。

「そう思ったら、すぐやってしまおうと、高3でホルモン治療を始めました。声も低く変えたかったし、やっぱり筋肉もつけたかったし」

「卒業まで待てなくて」

「高校3年間は治療費のために、ずっとバイトしてました」

卒業したら就職する予定だった。
会わなくなれば、高校の友だちに体の変化を知られることもない。

「ひげが生えてきたり、腕が筋張ってきたりする体の変化がうれしかったですね」

「遅れてきた成長期って感じで」

地元を離れて名古屋へ

家族には、治療を始めたことを話していなかった。

高校2年生になった頃、些細なことで父と喧嘩して、家出していたこともあり、わざわざ報告することもないと考えていた。

「ずっと家を出たかったんです。高校も本当は全寮制に入りたかったくらい」

「いまでこそ、あの頃は親父に守ってもらってたと分かるんですが、当時は縛られている感じがすごく嫌で」

就職先は地元の派遣会社。

セクシュアリティについても伝えていた知り合いの紹介で入社したこともあり、改めて説明する必要もなかった。

しかし、あるとき実家に帰った際に、兄から「お前のことについて、周りからちょっと言われた」と聞く。

おそらくはセクシュアリティのことだろう。

「兄自身は、そのことで不快そうじゃなかったし、『俺のことじゃなくて、お前のことだし、気にしてない』って言ってたんですが」

「やっぱり地元だと噂が回るし、自分のことを誰も知らない土地に行ったほうがいいかもしれないって思ったんです」

「気づかないところで、自分のことが話されているのが嫌だったんです」

そして地元の会社を辞め、名古屋で暮らすことを決断。
新境地での生活が始まる。

 

<<<後編 2020/07/18/Sat>>>
INDEX

06 「性同一性障害なんです」「へぇ、そうなんだ」
07 家族への性別適合手術の説明は5分で終了
08 職場のスタッフ一人ひとりに向き合おう
09 僕の彼女は本当にかっこいい
10 やりたいことを見つけるのが大事

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