02 冒険ヒーローへの憧れ
03 初恋は、剣道部の先輩
04 校長先生が男子の制服を許してくれた!
05 進路を急転換。海上自衛隊を目指す
==================(後編)========================
06 自衛隊の古い制度のなかで生きる
07 レズビアンを自認。人を好きになっていることがうれしい!
08 新しいパートナーはフランス人
09 突撃! カミングアウト大作戦
10 シェフとして、新しい目標へ離陸する
06自衛隊の古い制度のなかで生きる
下総航空基地のレスキューに着任
入隊教育が終了。
一緒に頑張った仲間たちは、全国に点在するさまざまな部署に赴任していった。
赴任先は希望を出し、適正試験、身体検査、需給状況に応じて決まる。
「航空部隊は男性だけの世界で、女性の枠はありませんでした。せめて飛行機に関わりたいと思って、航空管制を希望しました」
しかし、航空身体検査を受けると血圧が低く、不合格になってしまった。
「結果的にレスキューに配属されて、千葉県柏市の下総航空基地に着任しました」
レスキューとは、遭難した自衛隊機を救助にいく部隊。自衛隊機には機密が多いため、専門知識を持つ隊員が出動する必要があるのだ。
「40人の職場で、女性は私と2人の先輩だけでした。完全な男性社会でしたね」
誰と誰がつき合っているなどのセクハラ発言があっても、止める人がいない。配慮もない。一般的な世間と比べると、旧式で遅れた社会だった。
上司に訴えても、「しょうがないよ」と流されて、悔しい思いをする。
「現時点で海自の女性隊員は7%で、10年後に10%を目指すとしてます。でもこれでは、昭和の時代に作られた制度は、簡単には変わらないと思います」
基地内の女子寮が住まい
住まいは、敷地内にある女子寮の一室だった。
「結婚するか、30歳以上で2曹に昇格していれば、基地外の住居に住むことが許されます。そういう人を営外者といいます」
条件を満たさない営内者は寮に住み、「外出」することになる。
「それも有事を考慮して、すぐに連絡がついて、2時間以内で帰れるところ、という条件つきでした」
任務の性格上、仕方がないが、特殊な世界であることは間違いなかった。
パイロットの夢を最後まで追い続けた
レスキューに配属されても、パイロットになる夢を捨てたわけではなかった。3回の受験チャンスがあるパイロット試験に合格すれば、道が開けるのだ。
「私、頑固なんです。こうと決めたら諦めたくない性格です」
しかし、その試験は、数百人が受験をして合格するのが2、3人という狭き門だった。
高校3年生の入隊前に1度、入隊後も2度、挑戦したが、あと一歩届かなかった。
「最終選考まで残ったんですけどね。もうパイロットにはなれない、と思うと、さすがに心が折れそうになりました」
次の目標に掲げたのが、哨戒機のオペレーターだった。
「せめて、飛行機に搭乗する仕事に就きたかったんです」
1年半のトレーニングを経て基礎課程を終了。5年間勤務した下総航空基地から、新しい職場に赴任することになった。
07レズビアンを自認。人を好きになっていることがうれしい!
ついに念願の機上勤務
新しい職場は、厚木航空基地第3航空隊に決まった。
「当初は、P-3Cに乗りました」
P-3Cは60年以上にわたって運用が続いているプロペラ機、P-3の改良モデルだ。
「領海内をパトロール飛行して、怪しい潜水艦などがいないか、探します。私はレーダーや赤外線カメラ、逆探知機を操作するオペレーターという任務でした」
コーディネーターと呼ばれる戦術士などと、数人から20人ほどのチームを組んで搭乗する。
「その後、ジェットのP-1の部隊に配属になり、女性初のオペレーターとなりました」
このときに、自衛隊の広報誌「MAMORU」の取材を受けたこともある。
「念願の空を飛ぶ仕事でしたから、やりがいがありましたね」
紆余曲折はあったが、ついに大空を舞う職務を手に入れたのだった。
初めての恋愛は10歳年上の先輩
厚木航空基地では、素晴らしい出会いが待っていた。
「整備部隊に所属する、10歳年上の先輩でした。仕事には厳しくて、見るからに恐い印象の人でした」
そして、女性が好きそうな人だと感じた。
「宝塚っぽい人で、歩くカミングアウトという感じでした(笑)」
なぜか、その先輩に惹かれていく。
「その人が歩いていると、つい目で追っちゃうんです。気になって仕方がありませんでした」
そして、首尾よく近づくチャンスに恵まれた。
「つき合ってみると、とても優しい人でした。職場でのキリッとした感じとのギャップがすごくて、それでまた好きになりました」
先輩は、基地の外に住むことが許される営外者だった。
「勤務が終わると、一旦、宿舎に戻って、先輩のアパートに “外泊” するようになりました」
レズビアンだと自認する
初めての女性とのおつき合い。分からないことだらけで、戸惑うことも多かった。
「先輩には経験があったので、いつもリードしてもらいました。一緒に新宿2丁目にも行きましたね」
何を着ようか、どこに行こうか。そんな他愛もないことを考えるだけで、ルンルンな気分になった。
「何よりも、人を好きになっている自分に安心しました」
人に興味がない? 感情がない? 自分が変な人間ではないか、と疑いながら生きてきたからだ。
「先輩とつき合って、自分がレズビアンだと確信しました」
実は、男性とつき合ったこともあった。
「男性との経験はあったんですが、それがあまりに辛くて、トラウマになってたんです」
もう、男性との行為はできない、と諦めていた。
「それもあって、レズビアンだと自認することに抵抗も感じませんでした」
中学生のときに「Lの世界」という海外ドラマを、深夜にこっそり観てドキドキしたことを思い出した。
08新しいパートナーはフランス人
周囲には隠し通した
自分ではレズビアンだと認めても、周囲には打ち明けられなかった。
「両親も、ザ・日本人的なところがあって、『結婚はしないの?』とか、聞いてくるんですよ」
それに対しては、「まだかなぁ」とはぐらかすしかなかった。
「職場でも、先輩との交際は隠し通していました」
狭い世界での “社内恋愛” は、バレていたかもしれないが、オープンにする気にはならなかった。
「先輩とは2年ほどつき合って、別れてしまいました」
プライドが高く、感情の上がり下がりが激しい人だった。
優しくしてほしくて近づいても、「今は、そんな気分じゃないから」と素っ気なくされることもあった。
「何度も、痛い目を食らっているうちに、傷ついてしまいました」
いい経験、辛い経験、いろいろな世界を教えてくれた人だった。
新しいパートナーとの出会い
先輩とのつき合いを通して、目の前に新しい世界が広がった。
「いろいろなイベントにも顔を出すようになって、友だちも増えていきました」
そんなときに都内のイベントで出会ったのが、現在のパートナーだ。
「初めは、彼女から話かけてくれました。あ、この人、しっくりくるな、って直感したんです」
飾らない性格で、人間味がある。一緒にいて安心できる人だった。
「私と同じで、自然が大好きなんです。初デートは山歩きでした(笑)」
彼女は交換留学生として12年前に日本に来て、今は日本のマンガをフランスで出版するための編集者として活躍している。
「フランスにいたときから、カミングアウトしてたそうです」
ごく自然に気持ちが通じ合い、彼女との交際が始まった。
09突撃! カミングアウト大作戦
まずは不意打ち攻撃
つき合って1年ほど経ち、彼女との関係は長く続くな、と感じ始めた。
「認めてもらえるか、拒否されるかは分からないけど、親にいわなくちゃ、と思ったんです」
横浜で彼女とお酒を飲んでいるときに思い立ち、ある行動に出た。
「わざと終電がなくなる時間まで飲んで、タクシーで一緒に実家に帰ったんです。酔っているフリをして、彼女に私の家に泊まってもらいました」
翌朝、彼女が帰ったあと、ソファに座っていた両親に切り出した。
「あの人とおつき合いをしている。私は、男性を好きになれない。好きになれるのは女性だけ。それを理解してほしい、といいました」
これまで男性の気配がまったくなかったから、うすうす勘づいていたかもしれない。でも、面と向かっての告白は、両親にとって不意打ち同然だった。
「父も母も『は〜』『そーなの』が、精一杯でしたね(笑)」
とりあえず、突撃カミングアウトはうまくいった。
家族の縁を切る!
突撃大作戦には、第2幕がある。
「両親がどれくらい私のことを理解してくれたか、チェックをすることにしました」
突然の告白から1カ月後だった。両親は彼女のことを「あの子、その子」と呼んでいたのだ。
「あのね、彼女にはちゃんと名前があるのよ。あの子、その子と呼ぶのはやめて!」と、切り出した。
そして、「もし、交際を認めてくれないなら家族の縁を切る。世の中には、こういうことに悩んで自殺する人もいるんだよ。分かってるの!」と、畳みかけた。
この一見、強引とも思える攻撃が功を奏した。
「ちゃんと、彼女を名前で呼んでくれるようになりました。対応もガラッと変わりましたね(笑)」
私たちの引越しを手伝ってくれたり、食事を持ってきてくれたり。今では、みんなで良好な関係を築いている。
10シェフとして、新しい目標へ離陸する
親身になってくれたカウンセラー
彼女とつき合い始めて2年。彼女との暮らしに不満はなかったが、改善したい問題点があった。
「私が営内者だったため、いつまでも “外泊” している状況が続いていたんです」
実際は、寮に戻って着替えると、すぐに彼女の元に帰ることができた。不自由はないのだが、どう考えても不自然だった。
「災害時には寮に戻っていなければなりません。つまり、一番、一緒にいたいときに別々なわけです」
なんとか、公に一緒に暮らすことを認めてほしい。
そんなとき、防衛省のカウンセラーが職場にやってきた。困ったことがないか、悩んでいることがないか、隊員ひとりひとりとのインタビューが目的だ。
「同性のパートナーがいる事情を話して、営外者として認めてほしい、とお願いしました」
カウンセラーは親身に話を聞いてくれ、「制度を変えるのは時間がかかるけど、部隊でできることから始めよう」と、前向きに約束をしてくれた。
やり切った感のある空の仕事
カウンセラーの反応に期待を寄せたが、結果は無残だった。
班長に呼ばれて、「まだ、そういう時代じゃないんだ。面倒な話を出さないでくれ」と、たしなめられてしまった。
「ガッカリしましたね。人を大切にしない組織にいても仕方ない。もう、辞めようと思いました」
しかし、それからさらに3年間、海自にとどまることになる。
「理由は仕事です。ようやく飛行機に乗り始めたばかりでしたから、心残りがありました」
幼い頃からの夢が実現したばかりだった。空から見下ろす海原は、子どもの頃に空想したままに広かった。
ついに自衛隊を去る決心をした。2019年9月だった。その間に、後輩を指導する立場にもなり、やり切った感があった。
「以前とは違う上司で、3年前の事情を知りませんでした」
引き止めてくれたが、状況を変える確約を求めると、やはり沈黙してしまった。
30歳での新しいチャレンジ
2020年4月、調理師専門学校の門を叩いた。30歳での新しいチャレンジだ。
「シェフは世界中を舞台に活躍できる仕事です。みんなに喜んでもらえる料理人を目指すことにしました」
学校を卒業したら、フランスに修行にいき、伝統ある食文化を学ぶことが当面の目標だ。そのときは、きっと彼女も助けてくれるだろう。
「スポーツのパーソナルトレーナーにも興味があります。スタジオを併設した健康食レストランができたら面白いかなって」
新しい夢は、パイロットに負けないくらい大きい。
藤沢市は、来年、パートナーシップ制の導入を計画している。制度には縛られたくないが、ひとつの選択肢として検討している。
「人をカテゴライズするのは好きじゃありません。一人ひとりが、その人として生きていける社会が理想です」
旧式の社会でもがいた12年間を糧にして、大きく飛び立つときを迎えている。