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“トランスジェンダーだからできないこと” なんて、ひとつもない。【後編】

“トランスジェンダーだからできないこと” なんてひとつもない。【前編】はこちら

2020/07/18/Sat
Photo : Tomoki Suzuki Text : Kei Yoshida
竹原 楓 / Kaede Takehara

1992年、愛知県生まれ。第二次性徴期を迎えた頃から、自分の体に違和感を抱き始める。それでも、あるがままの自分を受け入れ、前向きに学生生活を送っていたところ、高校1年生のときに初めてFTMと出会い、自分もそうであると確信。アルバイトをしながら貯金をして高校3年生でホルモン治療を開始し、その後就職して生活が安定した2019年5月に性別適合手術を受けた。LGBTへの理解を広めるために、自らの考えを発信する方法を模索中。

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INDEX
01 カミングアウトする必要がなかった
02 待望の “長女” として可愛がられたけれど
03 どうして男女で分けるの?
04 FTMという存在に出会って
05 生理も胸もなくしてしまいたい
==================(後編)========================
06 「性同一性障害なんです」「へぇ、そうなんだ」
07 家族への性別適合手術の説明は5分で終了
08 職場のスタッフ一人ひとりに向き合おう
09 僕の彼女は本当にかっこいい
10 やりたいことを見つけるのが大事

06「性同一性障害なんです」「へぇ、そうなんだ」

職場でのアウティング

名古屋に拠点を移して最初に就いた仕事は塗装業。

男性が多い職場で、仕事の量も内容も他のスタッフと同じように与えられ、同様に扱われてはいた。

「仕事の面では良かったんですが、普段の会話で先輩から『コイツ実は女なんだよ』って、初めて会った人とかに紹介されたりするのが嫌でした」

「自分が話していいと思った人に話すならいいけれど、勝手に『女だよ』ってオープンにされて、ネタにされて・・・・・・」

「悪気はなかったんでしょうが、それがストレスになっちゃってましたね」

就職する際に自分の戸籍上の性別を伝えなければ良かった。
そんな後悔とともに塗装業の仕事を退職。

その後、ひとり暮らしをするようになって料理の楽しさを知り、レストランでの調理の仕事に興味をもつようになる。

ちょうど大手カフェバルがスタッフを募集しており、興味もあるし、生活も安定しそうだし、と面接を申し込んだ。

面接で、セクシュアリティについて伝えるか躊躇したが、意を決して自分がトランスジェンダー男性であることを明かす。

相手の反応が怖かった。
またネタにされるんじゃないだろうか。

「そしたら、『へぇ、そうなんだ。で、いつから出勤できるの?』って言われて」

「それだけ? いいんですか? って感じで『え?』ときき返すと、『え? すぐ働けないんだっけ?』って(笑)」

「いえ、すぐに働けます! と答えました」

男として不自由なく働ける環境

あまりにもスムーズに話が進み、肩透かしを食らったみたいだった。
そうなると逆に心配なこともある。

「保険証は女性になっているんですが、社員の健康診断とか大丈夫ですか? と確認すると、男女に別れて一斉に受けるシステムではなく、個人で病院に出向くとのことだったので、安心しました」

トイレも男女それぞれと共用があり、更衣室にはカーテンがあるので人目に触れられずに着替えられる。

「制服も男女共通だし、不自由なく働ける環境でした」

実際に働き始めても、社員や店長以下主要スタッフが不用意にアウティングすることはなかった。

男性として “普通” に働くことができた。

「だから、性別適合手術をしなくても生活するのに困ることがなくて」

「ホルモン治療を始めた18歳の頃は、二十歳過ぎたら手術しようと思っていたんですが」

ホルモン治療の効果もあってか、ごく自然に男性として生活できた。

「まぁ、困ることもないし、まだいいかなって感じで手術を先延ばしにしていたんですが」

「彼女との将来を考えたときには、さすがに困るな・・・・・・って」

その頃、出会って付き合いだした彼女がいた。
彼女と結婚するには、性別適合手術を受け、戸籍を変える必要がある。

そこでようやく、26歳で手術を受ける決心をする。

07家族への性別適合手術の説明は5分で終了

手紙でカミングアウト

ホルモン治療に関しては、「注射を打ちたい」発言に反対しなかったから親もOKだろうという判断。

家族の誰にもきちんと説明することなく高校3年生で始めた。

しかし、いずれ手術をするならば、親にはその意思をあらかじめ伝えておかなければならないという気持ちがあった。

「高校卒業と同時に、両親あてに手紙を書いて渡しておいたんです」

自分は性同一性障害で、男として付き合っている彼女もいます。
ホルモン治療はすでに始めています。ごめんなさい。
いずれ手術をして、本来の性別にもどそうと思っています。

「母ちゃんからは『分かっていたよ』って言われました」

「『一度もあんたを娘だと呼んだことないでしょ』って」

「母ちゃんは、僕がそうだと気づいてから、娘と呼ばないようにしてくれてたんです。本当に、ありがとうって思います・・・・・・」

父とは、高校2年生のときに喧嘩をして以来、家を出て独り立ちするときも、名古屋に引っ越してからも、口をきいていなかった。

「成人して、酒を一緒に飲むようになって、ようやく話すようになりました(笑)」

「でも、手紙については、何も言ってこないですね」

「へぇ、あぁ、そう」

両親には手術について、かなり前に伝えておいた。
父からは何の反応もないが、どちらにも反対はされていない。

あとは兄弟に伝えておかなければ。

「話があるから時間をつくってほしいって言って、兄2人と妹に集まってもらったんです」

以前、手紙に書いた内容を兄弟に直接伝えた。
そして、そろそろ手術をしようと思っていると。

「誰も驚きもしなかったですね。へぇ、あぁ、そう・・・・・・って(笑)」

「話は5分くらいで終わっちゃいました」

「質問も、性同一性障害のこととか、僕の体のこととかじゃなく、『手術っていくらくらいするの?』とか。え、そっち? そっちのが気になるの? って(笑)」

思えば、母だけでなく、兄弟たちも分かっていたんだろうと思う。

「高校の制服は、ブレザーにスカートだったんですけど、学校からの帰り道は兄のお下がりの学ランに着替えてました」

「そんな弟を見てたら薄々気付きますよね(笑)」

「何をいまさら・・・・・・って感じだったんだと思う」

「手術行ってくんね」「行ってらっしゃい」
そんな風にカジュアルな雰囲気のカミングアウトだった。

「母ちゃんなんか、手術終わったあとに実家に行ったら『良かったね。ちょっとどうなったか触らせて』って言ってきたくらい(笑)」

「痛いからやめてって感じでしたけどね」

父は、ただひとこと、「生きておるならいいわ」とだけ。

「父が心の中では、どう思っているのか分からないし、自分からはきかないです。ほかに言いたいことがあれば、言ってくるだろうし」

性別適合手術を受けて、戸籍を女性から男性に変えた。

でも、名前は「楓」のまま。

「体も戸籍も変わったけど、名前だけは変えませんでした」

「好きな名前だし、親父がつけてくれたから」

08職場のスタッフ一人ひとりに向き合おう

最年少で料理長を務めて

18歳でトランスジェンダーの存在を知り、自分がそうであると確信してから、すぐにホルモン治療を始めた。

性別適合手術も、成人したら早めに受けようと思っていた。

しかし26歳まで実際に受ける決心しなかったのは、手術しなくとも生活するのに困ることがなかったから。

特に、不自由なく男性として働ける職場環境だったということが多い。

「仕事が楽しくて」

「実はいま、料理長をやらせてもらってるんですが、僕、会社のなかで料理長としては一番若いんですよ」

「めちゃくちゃうれしいですね」

「がんばったぶん、認めてもらえたんだなぁって・・・・・・」

以前は、料理を考案して調理するだけの仕事だったが、現在は、原価計算やスタッフの教育までもが自分の責任となる。

「算数は苦手なんですけどね(苦笑)」

厨房のスタッフは全員で10名ほど。
自分より年上もいれば10代もいる。

「なんとか、うまいことやれていると思いますよ。みんな割と言うこときいてくれているし」

「やってほしいことはやってくれるし、頼るところは頼ってくれるし、いじってくれるし、いじるし(笑)」

いまは、料理と同じくらい、教育することが楽しい。

人と接するのが楽しい

「なかなか難しいところもありますけどね」

「こちらが思っていることを伝えるのに、怒ったら相手がめげてしまうし、でも怒らないと伝わらないときもあるし」

「でも、そこをうまく伝えるにはどうしたらいいんだろうって考えるのも、なんだか楽しくなっちゃって(笑)」

スタッフと接する上で、大切にしていることがある。

それは、スタッフ一人ひとりに時間を割いて向き合うこと。

「営業中にさらっと話すだけじゃなくて、数ヶ月に最低1回は1人30分くらい個別に会って、思っていることをお互いに話します」

「会社からそうしろと言われているわけではないです」

「でも、立ち話で話すのと、時間をつくって面と向かって話すのでは、話す内容も変わると思う」

「話の重みが違うと思うんです」

スタッフに元気がないと感じたら「今日どうしたの?」と声をかける。
自分が悪いと思ったら、立場が上でもきちんと謝る。

そうやってスタッフと接するのが、いまは楽しい。

「僕、ずっと『人が嫌い』って言ってたんです」

それは “人嫌い” という意味ではなさそうだ。

「その人と関わっちゃうと、入れ込んじゃうんですよね・・・・・・」

目の前の人を放っておけない性分なのだ。

09僕の彼女は本当にかっこいい

緊張してカミングアウトしたのに

「自分がトランスジェンダーだということで、誰かに『理解できない』とか『気持ち悪い』とか、否定的なことを言われたことがないんです」

「本当に、自慢したいくらい、僕は恵まれていると思う」

「親や彼女、職場の人、友だちには感謝しかないです」

「付き合っている彼女のご両親にも、お会いしたときにセクシュアリティについて伝えたら『そうなんだ』という感じでした」

彼女とは、勤め先のレストランで出会った。
同じ厨房で働く、社員とアルバイトという関係だった。

「社員や店長には自分のセクシュアリティについて話してたけど、バイトの子たちには言ってなかったので、彼女もきっと知らないだろうと思ってたんです」

2人でよく飲みに行き、自分が酔っぱらうたびに世話を焼いてくれていたのが彼女。特に仲のいい飲み仲間だった。

「最初は恋愛感情はなくて、お母さんみたいな子だなぁって(笑)」

「でも、だんだん、好きかもって思い始めて・・・・・・」

そこでまず、セクシュアリティについて伝えようと、改めて落ち着いて話す時間を設けた。

「その人には、本当のことを知っていてほしいと思ったので」

「で、『実は・・・・・・』って話したら、『うん、知ってる』って」

「めっちゃ緊張して話したのに!(笑)

知っているそぶりなんて、まったく感じられなかった。
自然に男性として接してくれていた。

「1年くらいはずっと友だちだったんですけど、ある日、一緒にいるときに『好きだわ、付き合いたい』って言いました」

彼女は、突然の告白を予想もしていなかった様子で、「は? ちょっと待って、考える!」と答えだった。

そして3日後、返事があった。

「彼女は、恋人っぽい雰囲気とか、性的なことが好きじゃないと」

「付き合うけれど、そういうのを求めないでほしい、と言われたんですが、そのときはうれしくて『分かった』と答えました」

それから3ヶ月後、キスが受け入れられ、一緒に暮らし始め、いまではすっかり正真正銘の “恋人” だ。

支えられているばっかりじゃダメだ

「彼女のおかげで、自分は強くなれたんだと思います」

「手術をするときに支えてくれたのも彼女です」

実は一度、25歳で性別適合手術を受けたいと思い、貯金を始めたのだが、遊ぶのが楽しくて手術資金が貯まらなかったことがある。

「そんなときにも『あんたが自分で決めたことなのに、何で遊ぶのを我慢できないの?』『手術したいって気持ちは本気じゃないの?』って叱ってくれて」

「本気じゃないの? って言われてカチンときたんですが、確かに彼女の言ってることは正しいので、『ごめん、自分の甘さが悪い』と素直に謝りました」

「それからは、遊びに行く回数を減らして本気で貯金しました」

彼女自身が、自分で言ったことは必ず守る人なのだ。
そして、自分にも人にも厳しい。

「めちゃくちゃかっこいいんですよね」

「自分は、このままじゃダメだって思いました。いつか彼女に捨てられるって」

手術を受ける直前にも一度大きな喧嘩をしてしまった。

それでも彼女は、たとえ別れることになって、恋人の関係ではなくなったとしても、手術には必ず立ち合い、ずっと自分を支えるつもりだったと言ってくれた。

それは、付き合うときに、心に決めたことだからと。

「支えられているばっかりじゃダメだ。彼女と同じくらいかっこいい自分でありたいと思っています」

手術を乗り越えたいま、彼女を想う気持ちが強まっている。

「最近は『変わってきたね』とか、ようやくお褒めの言葉をいただけるようになりました(笑)」

「自分にとって彼女は、メンターのような存在ですね」

10やりたいことを見つけるのが大事

手術を受けて、自信に気づいた

性別適合手術を受ける前でも、家族にも友だちにも、職場の仲間にも受け入れられ、大切な恋人もいて、あるがままで生きられた。

だから、早く手術をしなければと焦ることもなかったし、手術をしたとしても、生活も心境もあまり変わらないと思っていた。

でも、実際には、自分は大きく変わった。

「自信が出たのかな。いや、もともと自信はなかったわけじゃない」

「自信があることを意識できるようになったんだと思います。いまは、自分のことを発信していきたいという気持ちです」

どうしてもやりたい。
27歳になったいま、生まれて初めて本気でやりたいと思った。

「まずは、SNSのプロフィールにセクシュアリティのことを書いて、オープンにしました」

「LGBTERのインタビューに応募したことも、発信の第一歩です」

「以前は、人見知りで、相手の目を見て話すのが苦手だったんですが・・・・・・話してみると楽しいですね」

「そういうところも、彼女は『変わったね』と褒めてくれます(笑)」

やりたいことがありすぎる

自分の生き方と考え方を発信していくなかで、いま一番伝えたいことは、やりたいことを見つけるのが大事だということ。

「一生やり続けるとか仕事にするとか関係なく、自分は何をしていたら楽しいかを考えてみるんです」

「スポーツでもいいし、歌うことでもなんでもいい。そのなかで、性別が理由でできないものはあるかを考えてみる」

「きっと、そんなのはないと思う」

「男だからとか女だからとか関係なく、好きだからやりたいってことに本気に取り組んでみてほしいんです」

「好きなことに本気で取り組んでいる実感は、きっと自信につながる」

「FTMだからとか、トランスジェンダーだからとか、そんな理由でできないなんて悩んでいるなんて時間がもったいないって気づいてほしい」

自分を幸せにする方法を最優先する。
そのことにセクシュアリティは関係ないのだ。

「まずは自分のことを整理してみようと思って、ブログに自分史を書いてみたんですが、ほかにも書きたいことが出てきちゃって、もうこの際、順番はどうでもいいや、書きたいことを書こうと(笑)」

講演もしたいし、本も書いてみたい。

「やりたいことがありすぎて楽しいですね」

結婚も、数年後に実現したいと思っている。

「彼女からは『指輪は自分で選びたいから勝手に買わないでね』『サプライズとかやめて』って先に言われています(笑)」

「来年か、再来年かな」

その頃にはきっと、やりたいことのいくつかは実現できているはず。

「いままでの自分の生き方は正しかったと思えるし、自分で決めたことだから後悔はなにもありません」

「LGBTERのインタビュー記事が世に出て、いろんな人に読んでいただいて、どんな風に響くのかも楽しみです」

「そこから、自分の発信へと、どうつなげるのかは自分次第」

「いまはもうワクワクしかないです(笑)」

あとがき
楓さんは、インタビューの終盤に添えた。「どうしてこんなに恵まれてきたのかを、ずっと考えてます」。言葉にならない気持ちの中で確かな一点だ。そして「・・・できないことなんてひとつもない」は、楓さん自身にはっぱをかけるメッセージにも聞こえて、ただただ笑顔でうなずく■[自分らしく生きる]に加えたい言葉はなんだろう。楽しさ? 誰かの役に立つ? 第2のキーワードにも生き方が表れる。そう、できないことなんてないんだ。(編集部)

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