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一粒で2度おいしい(笑)!? 私のセクシュアリティは “中性”【前編】

心底愛せる相手は女性だけど、男性とのつき合いも可能だと思うこともあった。これって、おいしくない!? 自分のセクシュアリティをポジティブに解釈し、“中性・Xジェンダー” と公表する。LGBTQ、食、文化など「秋田県をもっと住みやすく!」と、秋田推し。マルチな活動を通して故郷をPRする。

2023/07/08/Sat
Photo : Yasuko Fujisawa Text : Shintaro Makino
五十嵐 育子 / Ikuko Igarashi

1983年、秋田県生まれ。4人きょうだいの末っ子として生まれ、自由奔放に育てられる。好きになる相手が女性ばかりだったことから、将来は男になると思い込んだ。航空自衛隊で11年間働いて故郷に戻り、秋田ブロガー、秋田プライドマーチ共同代表として活躍中。

USERS LOVED LOVE IT! 10
INDEX
01 マザー・テレサのような母さん
02 将来は男になることが目標
03 同級生の男子に初めてのカミングアウト
04 実らなかった恋、初めての告白
05 1年間の東京暮らし
==================(後編)========================
06 LGBTを知らず、自分を “中性” と定義
07 人生を再考。25歳で航空自衛隊に入隊
08 自衛隊を辞めようと思った矢先に大震災
09 セクシー女優を追っかける
10 共同代表として秋田プライドマーチに参加

01マザー・テレサのような母さん

仲のいい4人きょうだい

秋田県秋田市に4人きょうだいの末っ子として生まれた。
長女、長男、次女がいて、私は第三子(三女)だ。

「一番上の姉とは5歳半しか違わないんで、全員が同時に同じ小学校にいたことがあるんですよ。五十嵐きょうだいって呼ばれてました」

4人とも仲がよく、にぎやかな家族。ごはんのときは、おかずの取り合いで戦争みたいだった。

「一番下なんで、自由奔放に育てられました。とにかく走り回ってる子でしたね」

一家の中心にいたのはお母さんだ。

「幼稚園の保母さんをしていて、何があっても受け入れてくれるマザー・テレサみたいな人です」

「保育士をやりながら4人の子どもを育てるだけでもすごい。尊敬してます!」

大量の書類を職場から持ち帰って、子どもたちに食事をさせてから仕事をしていた。お母さんのその姿を見てきたからこそ、今は楽をしてほしいと思う。

「母は実母の介護が終わって、これからが私の人生だっていってます(笑)。かっこいいでしょ」

一方の父親は経理の仕事をしてきた、頭の堅いタイプ。子どもの世話はお母さんにまかせっきりだったと思う。

「父が家を出ようとしたことがあったんですよ。そんなときもお母さんが『あんたなんかいなくても大丈夫。私の子どもは私が育てる』って、はっきり言い切ってました(笑)」

リカちゃんよりドッジボール

3、4歳のころは、よく男の子に間違えられた。

小学校に入って髪を伸ばし始めたら、女の子らしくなったね、かわいくなったね、といわれるようになった。

「違和感じゃないんですけど、あんまりうれしくなかったですね」

男の子と一緒に歩いていると、「お前たち、つき合ってるの?」とからかわれることもあった。そんなことをいわれるのも嫌だった。

「家には姉ちゃんのリカちゃん人形なんかもあって、そういうもので遊ぶこともあったんです。でも、男子と一緒にドッジボールや鬼ごっこをして、走り回ってるほうが好きでしたね」

お母さんが保母さんなので、家にはピアノとエレクトーンがあった。

「やる気はなかったけど、習わされました。好きじゃなくてやめちゃいましたね。猫ふんじゃったしか弾けません(笑)」

02将来は男になることが目標

キムタクみたいに?!

小学校中学年までは、いずれ自分は男性になっていくと信じていた。

「テレビっ子だったんで、ドラマやアニメはよく見てたんです。特にキムタクが好きで、ロンバケ、カッコいい! ロンバケみたいな恋がしたい! って憧れてました」

しかし、キムタクみたいな男性と恋をしたいのではなかった。

自分がキムタクのようなかっこいい男性になって、女性と恋をする姿を思い描いていたのだ。

実際には「ライク」じゃなくて「ラブ」だったと思う女の子もいた。

「男とか女とかの概念が定まってなかったんでしょうね。成長したら、骨格が変わって男性になるって思ってたんですよね(汗)」

着るものは、祖母がすすめてくれたハーフパンツやズボン。スカートを履けといわれたことはなかった。

プールでは海パンを履いて、イエー!

「小学校4年生くらいのときに、近所の友だちとプールに行った写真があるんですけど、私、海パンなんですよ(笑)。海パンでイエー! ってやってました」

見た目が男の子みたいで、友だちも「そのほうが自然」と感じてくれていた。

おかしいな、と思い始めたのは小学校5、6年のときだった。次第に胸がふくらんできて、体の線も丸くなってきた。

「走ると胸がズキズキして痛いんですよ。2歳上の姉に相談したら、『スポーツブラをつけなよ』っていわれて、抵抗はあったんですけどつけるようにしました」

“自分は男になる” という信念が揺らぎ、あれれ? と思っていると、ついに決定的なことが起こった。

生理だ。

「中1のときでした。女だっていうことを突きつけられた感じでした」

姉に相談したくても言葉出てない

女の体も生理も嫌だ。
でも、女として生きていくしかない。

そう認めたものの、好きになる相手は自然と女性だった。

「中2のときに同級生の子が好きになりました。ちょっとミステリアスな感じの大人っぽい子でしたね。顔立ちがハーフみたいで、とにかくきれいでした。もちろん、告白はできませんでした・・・・・・」

自分はおかしいのか? 頭に浮かんだ言葉は「レズ」。ドラマやテレビ番組で聞いて知っていた蔑視的な言葉だ。

「私って世間一般からみたらおかしいのかな、女が女を好きになるって変なのかなって、悩みました」

一番仲のいい姉に何度も相談しようと思ったが、どうしても言葉が出てこない。

「反応が怖かったですね。気持ち悪いっていわれるんじゃないかと思って、勇気が出ませんでした」

そんなとき、テレビで見た一本のドキュメンタリー番組に衝撃を受ける。

「性同一性障害(性別異和/性別不合)に関する番組でした。歌舞伎町で働いている主人公が、体を変えて戸籍を変えて男として生きていくという内容で、見た瞬間に、これだ! って思いました」

将来、手術を受けて男になることが目標になった。

03同級生の男子に初めてのカミングアウト

男子同士の会話に憧れた

誰かに相談したくても相手がいない。そんなときに格好の相手が現れる。

「相手は仲のよかった同級生の男子でした。その人も男、男してないソフトな感じの人でした。私、何かシンパシーを感じたんでしょうね」

ゲームセンで遊んだあとの帰り道、駅前で一緒にバスを降りたときに、「この人なら受け入れてくれるかも・・・・・・」と直感した。

「ちょっと驚くかもしれないけど、私、女の人が好きなんだよね」。素直に話すことができた。

「それが初めてのカミングアウトでした。『なんとなくそんな気がしてた。話してくれてありがとう』って、すんなり受け入れてくれました」

話してしまうと、すっきりとした。

「その後は、あの子かわいいよねぇとか、男子生徒同志の会話ができました(笑)」

女子グループから排除される

本当は高校に進学したくなかった。東京に行って働いて、お金を貯めて性別を変えたいと思っていたからだ。

「でも、親に反対されてしまいました」

「世間は厳しいぞ。高校だけは行って!」と説得され、気が進まないまま私立の女子校に進学することになる。

「入学してみたら、思った以上に居心地が悪かったんです。話題がコスメとかジャニーズばっかりで、本当につまらなかったですね。友だちもできませんでした」

女子特有のカースト制度も性に合わなかった。

「6人グループに入ってたんですけど、話し方がおかしいとか陰口をいわれるようになって、シカトも始まって、排除されちゃいました」

そして、ついに「あなたのここが変」という内容をまとめた手紙を渡された。

「もう高校のことはいいやって思って、社会経験にもなるし、1年生の7月から飲食店でバイトを始めました」

学校をサボってアルバイト、早退してアルバイト。

高校時代はアルバイトがメインになっていった。アルバイトの楽しさを知ることで、学校がますます嫌になる。卒業のための出席日数はギリギリだった。

「でも、お金を稼ぐようになって、両親ってすごいんだなって、改めて実感できました」

04実らなかった恋、初めての告白

男性の “欲” がピークに達する

高校生の頃も、男になりたいという私の夢は継続していた。

「それだけじゃなくて、”男性の欲” も? ピークでした(笑)」

お兄ちゃんがベッドの下に隠していたエッチな本をこっそり拝借しては、妄想の世界に遊んだ。自分の役柄は、もちろん男だった。

「本当にヤバかったですね。自分が本当に男だったら、女の人に迫っていたかもしれません(笑)。布団を被って、マジで耐えてました」

同じアルバイト先の後輩に告白

好きになった子もいた。

「高校の後輩が同じバイトに入ってきたんです。その子がかわいくて、好きになってしまいました」

アルバイトが休みのある日、友だちの家に遊びにいった。後輩も休みだったことを知っていたので、電話をしてみる。

「そうしたら家でゴロゴロしているっていうんで、遊びにきたら、って誘ったんです」

3人で話しながら、「実は好きな人がいて・・・・・・。それはあなたです」と、その時に初めて告白した。

彼女の返事は、「うれしいですけど、つき合えません。やっぱり男の人が好きです」というものだった。

「がっかりはしましたけど、初めからオッケーをもらえるとは思ってませんでした。むしろ、人を好きになることを教えてくれてありがとう、っていう気持ちでした」

恋は実らなかったが、自分の気持ちを伝えることができたことで、何かが吹っ切れた感じを味わうことができた。

05 1年間の東京暮らし

閉鎖的な秋田を逃れて

高校卒業。形だけの就職活動はしてみたが、本気じゃないことを見抜かれて、すべて不合格になった。

「千葉県の浦安にいた姉が、自分のアパートに住んでいいから来てみたらって誘ってくれたんです。それで、遊び感覚で行ってみることにしました」

一方で秋田の閉鎖的な社会にうんざりもしていた。自分のセクシュアリティを考えれば、村八分になりかねない。東京に行けば、突破口が見つかるように感じた。

「2カ月くらい姉のアパートにいて、それからバイトを決めてアパートを借りて、一人暮らしを始めたんです」

しかし、東京での生活はバラ色ではなかった。焼肉屋やゲーセンで漠然とアルバイトをしていても、将来は開けてこなかった。

「誰かが私を見つけてくれないかな、っていう他力本願なんです。ぼうっと、フーテンみたいにその日暮らしをしていることに飽きてしまいました」

上京したときに抱いていた「お金を貯めて、体を変える(手術をする)」という目標も、時間が経つうちに薄れていく。

「気がついたらお金も貯まってなくて・・・・・・。ここにいてもチャンスは掴めない、と思って秋田に帰ることにしました」

そんなに仲がいいならつき合ってみなよ

結局、東京での暮らしは1年ほどだった。

秋田では、またフリーター暮らし。
将来の目標もなく、お金を貯めては遊ぶ気ままな生活だった。

秋田に戻ったことを、ことのほか喜んでくれた人物がいた。

「中2のときにカミングアウトをした同級生の男子です。また遊べるじゃん! って大喜びしてくれました。彼とは友人として、高校のときもときどき会ってたんです」

そして、成人式のときにみんなで集まったとき、思わぬ展開が待っていた。

「『ずっと仲がいいのにもったいない。そんなに仲がいいならつき合ってみなよ』って、みんなにいわれたんです」

考えてみたら、男性とつき合ったことは一度もない。試してみてもいいかも、という気持ちに傾いていく。

彼も私もフリーター。気ままなカップルが誕生した。

 

<<<後編 2023/07/15/Sat>>>

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06 LGBTを知らず、自分を “中性” と定義
07 人生を再考。25歳で航空自衛隊に入隊
08 自衛隊を辞めようと思った矢先に大震災
09 セクシー女優を追っかける
10 共同代表として秋田プライドマーチに参加

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