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20歳で死ぬ。そんな計画を吹き飛ばした一本の動画【後編】

20歳で死ぬ。そんな計画を吹き飛ばした一本の動画【前編】はこちら

2023/07/01/Sat
Photo : Yasuko Fujisawa Text : Shintaro Makino
井上 晴輝 / Haruki Inoue

1996年、神奈川県生まれ。両親と2歳下に双子の姉妹がいる5人家族。明るく社交的な性格で、学校ではいつも人気者だった。高校生で “女子化” を試みるも、生きづらさは払拭できず、19歳のときにyoutubeでFTM(トランスジェンダー男性)を知って自分らしい生き方を発見。現在、子ども向けのイベント会社で元気に活躍中。

USERS LOVED LOVE IT! 11
INDEX
01 運動はトランポリンを10年間
02 小学生の頃から、服装はボーイッシュ
03 女子トイレに入るところを見られたくない
04 諦めて女らしくなる努力を
05 Youtubeで同じ悩みを克服した人を発見!
==================(後編)========================
06 テレビのニュースを見ながらカミングアウト
07 悔しくて泣き続けた内定取り消し
08 新しい名前で再出発!
09 イベントで自分探し。FTMの友だちができた
10 居心地のいい会社でいい仕事に巡り会う

06テレビのニュースを見ながらカミングアウト

片っ端から動画を見て情報収集

ほっとすると同時に、今まで悩んできた時間は何だったんだ、と悔しくなった。検索をすると動画は次々と出てきた。

「むさぼるように動画を見まくりました。見るたびに、あー、これこれ、そうそう、そうなんだって思って、自分の世界がどんどん広がりましたね」

さあ、自分らしい生き方を見つけたぞ。
これで20歳で死ななくていいんだ。

そう思うと、すぐに行動に移したくなった。

「それからは早かったです。無駄にしてきた5年間を取り戻したい気持ちでいっぱいでした」

片っ端からyoutubeを見て、情報を頭に詰め込んだ。性同一性障害(性別違和・性別不合)の診断書をもらうための病院を検索。横浜にいい病院があることが、すぐに分かった。

「学校から電話をかけて、午前授業で、午後からのバイトがない日を狙って予約を取りました」

カウンセリング、染色体検査。そこまで、最初のyoutubeを見てから、わずか1週間。一刻も早く診断書が欲しくてたまらなかった。

なかなか親には言い出せなかったカミングアウト

20歳以前だと、ホルモン治療を受けるために親の同意書が必要になる。

「病院に通い始めたのが19歳の1月で、ぼくの誕生日は8月なんです。親に話して同意書をもらおうかとも考えたんですが・・・・・・」

反対されたらどうしよう? 親子の関係が悪くなったらどうしよう? そう思うと、不安になって、どうしても言い出せなかった。

「いろいろ悩んだ末、20歳になったらすぐに、黙って始めちゃおうと決めました。社会に出る前に治療を始めたい、という気持ちは強かったです」

しかし、カミングアウトは、思わぬ形で実現する。ホルモン治療を始めて間もない、秋のことだった。

「お母さんとふたりでテレビを見ていたら、東京レインボープライドのニュースをやってたんです。これはチャンスだ! って直感しました」

テレビを見ながら、「自分、これだと思うんだよね」と、さりげなく話した。すると、お母さんは「そんな気がしてた」と、すんなりと認めてくれたのだ。

「女の子の服を着たがらないし、髪は短いしって、いってくれて」

しめた! カミングアウト成功! と思ったが・・・・・・。

「その後に、でも、お母さんは『体にメスは入れないでね』って、釘を刺したんです」

「自由にしていいよ」とはいってくれなかった。

「なんとなくその場にいづらくなって、学校に行ってくる、っていって出かけました。それが今までで、親に対する唯一のカミングアウトです」

07悔しくて泣き続けた内定取り消し

面接では堂々とカミングアウト

春からは就活も開始していた。20歳で死ぬことはやめたので、本気の就活だった。

「入学式のときに買ってもらったレディーススーツがあったんですが、バイト代を貯めて自分で買ったメンズスーツを着て面接を受けました」

レディーススーツを着て家を出て、駅でメンズスーツに着替えて面接へと向かう。顔は女だけど服はメンズスーツ、というチグハグな出立ちだった。

「面接では、これから治療を始めるつもりです。入社したら男性社員として働きたい。性別も変えたい。という希望をはっきりと伝えました」

それが理由かどうかは分からないが、建設業、ホームセンター、不動産など、何社も受けた面接は、すべて不合格だった。

理解ある会社が内定を出してくれた

なかなか就職先が決まらなかったが、夏前についに内定を出してくれた会社があった。

「建設工事の足場を作ってる会社でした。たまたま家から近かったので、親がクルマで送ってくれることになりました」

これではメンズスーツに着替えることができない。仕方なく、レディーススーツのまま面接を受けることになった。

「まあ、面接で話せばいいか、と思ったんです。そうしたら、作文を書く試験があったので、作文の中で男性として働きたいと書いて、カミングアウトしました」

内定通知を受け取り、「受け入れてくれたんだ」と、ほっとした気持ちになった。

「それから毎週土曜日に、その会社に研修のような形でアルバイトに行くようになったんです。社員の人たちも理解があって、優しくしてくれました」

男女のユニフォームもないし大丈夫だよ、と気さくに声をかけてくれた。治療のこともオープンに話すことができた。

面と向かって「気持ち悪い」

年末が近づいた頃だった。その会社から携帯に電話が入る。

「今からすぐ来られますか? というので、出先から向かったんです。入社前の説明があるのかなと思いました」

事務所に行くと、まだ会ったことがなかった社長が待っていた。そして、面接のときに書いた作文が、何かの手違いで社長に届いていなかった、というのだ。

「ウチの会社には、そんな人はいりません。気持ち悪いって、面と向かっていわれました」

想像もしていなかった内定取り消しだった。

「ああ、そうですか。じゃあ、取り消しにしてください。お世話になりました、といって帰りました」

過去に、男性として入社して、飲み会の席でトランスジェンダーであることをカミングアウトした社員が、クビになったという話も聞いた。

「あんなに偏見がある人じゃ、しょうがないと諦めましたけど、悔しくて家の玄関で3時間、泣き続けました」

08新しい名前で再出発!

1年間、自分磨きをしようと切り替える

卒業が2カ月後に迫り、1年くらいフリーターをしてから就職先を探そうと気持ちを切り替えた。

「ホルモン注射は始めていましたけど、まだ中途半端な状態だったので、それがよくないのかなあ、とも思いました」

高校のときから続けてきたお菓子工場のバイトは、すでに辞めていた。

「カミングアウトして、男子更衣室を使わせてもらえませんか、と相談したんですが、変な目で見られるよっていわれて、いづらくなって辞めちゃったんです」

卒業後の進路が決まらないまま、ある日、お母さんとふたりでショッピングモールに買い物に行った。すると、一枚の求人のチラシが目に入る。

「子ども向けのイベント企画会社でした。やってみたいな、と思って、その場で電話をかけました」

即、採用。

よく行く商業施設の中を走るトレイン(汽車)は、子どもの頃からよく知っていた。そのトレインの運転手になった。

「ずっと運転してみたい、と思っていたので、いい仕事が見つかりました」

友人は、みんな受け入れてくれた

ホルモン治療を始めて、今まで関わった友人には、すべてカミングアウトした。みんな、「そうだと思った」「顔に出てたよ」「これからも友だちだよ」と、すんなりと受け入れてくれた。

「大学の同級生には、これから授業だというときにグループラインで伝えました。同級生も先生も認めてくれました」

ここまできたら、名前も変えたいと思った。

「元の名前が、晴夏と書くんです。真夏の晴れた日に生まれたからつけられた名前で、自分でも気に入ってました。だから、そのイメージは変えたくありませんでした」

新しい名前の読み方は、「はるき」と決めていた。ただ、「き」の漢字が決まらなかった。あるとき、幼馴染と一緒にいるときに、「き」の候補をたくさん出して、どれがいいか意見を聞いていた。

「そうしたら、その子が『輝』はどう? って、いったんです。ぼくが考えた候補にはない漢字でした。晴れて輝く。イメージもぴったりでした」

それにしよう! 井上晴輝。新しい名前が誕生した。

09イベントで自分探し。FTMの友だちができた

「お母さんも取りたい」

1年間のつもりだったフリーター生活が3年になってしまった。ホルモン治療で声は変わり、雰囲気も変わったが、家族には何もいわないまま同居を続けていた。

「そろそろ胸オペをしたいな、と思って、とりあえず、やるかっていう軽い気持ちで決めました」

病院の予約を取り、「ちょっと友だちの家に泊まりにいってくるね」と嘘をついて家を出た。

「体にはメスを入れないでね、という、あのときのお母さんの言葉が、頭から離れなかったんです」

手術は日帰りだったが、病院の近くにホテルを取って一泊した。

「手術の後は痛くて腕が上がらなくて、自分で髪が洗えないこともあって、家に帰ってすぐに、お母さんに話しました」

下を向いて、「胸を取ってきました」と白状した。さすがに怒られることを覚悟する。ところが、お母さんの一言は・・・・・・。

「お母さんも取りたい」だった。

「意外すぎて頭の中が真っ白になりました」

喧嘩になるかもしれないとまで思っていたのに、あっけらかんとしたお母さんの反応に思わず固まってしまった。

「その後で、今の生き方のほうが自分らしいよ、ともいってくれました。お父さんにはまだ直接、話せてないけど、きっと自由に生きろって認めてくれると思います」

大阪在住のFTMさんと仲良しに

イベント会社のフリーターで働いている間に、LGBT関連のイベントに参加するようになった。

「名古屋や大阪にもひとりで出かけて行きました。自分探しの旅っていう感じです」

イベントで友だちもできた。

「イベントで写真を撮るのをお願いしたのがきっかけで、大阪に住んでいるFTMさんと仲よくなりました。同じ歳で、治療を始めたのも同じ時期だったんで、すぐに意気投合しました」

プライベートでも遊ぼうよ、ということになり、やりとりが始まる。

「大阪にも遊びに行きました。もっと早く会いたかったね、とお互いに言い合ったり。ずっと悩んでいたことも共通だったんです」

10居心地のいい会社でいい仕事に巡り会う

バイトから正社員に昇格

トレインの運転手を3年間続けたとき、コロナの蔓延が始まった。

「イベントがなくなって、運転手ができなくなりました。会社自体も仕事が減ってしまいましたし。でも、とても居心地がよかったので、この会社を辞めたくないって気持ちが強かったんです」

すると、バイトリーダーにならないか、というオファーがあった。

「その会社では、アイススケートや夏の縁日など、いろいろなイベントを企画しているんです。リーダーになると、いろいろな現場に行くことになります」

ただし、運転手の仕事は毎日あったが、リーダーになると週末だけになって収入が不安定になる。

「話し合って、それから半年後に社員になりました。とても忙しくなりましたけど、仕事はすごく楽しいです」

同じ仕事を続けるうちに自信もついてきた。社長も自分のことを分かってくれている。職場の雰囲気もすごくいい。

「あの内定取り消しがあったから、今の自分がいる、と思えるようになりました。内定取り消しありがとう、です(笑)」

結婚を前提にしたパートナーが希望

イベント現場では、LGBT当事者としての経験が生きる場面もある。

「縁日の景品が、男の子用、女の子用に分かれているんですよ。でも、こちらで子どもの性別を勝手に判断しないで、どっち用の景品も見せて自由に選んでもらうように変えました」

自分のことを「ぼく」と呼ぶ女の子と楽しい交流をして、お母さんに「ありがとうございます」と、お礼をいわれたこともあった。

「アルバイトは100人以上いるんです。なかにはLGBTの子もいて、声をかけてあげることもあります。着替えなんかで困ることがあるかもしれませんから」

生理痛が辛い女子には、自分の判断でシフトを変えてあげる。

「フルオープンにしているから、男性も女性も、ぼくには相談しやすいんだと思います」

朝早く現場に行く仕事も増え、2年前から一人暮らしを始めた。あとは、素晴らしいパートナーを見つけるだけだ。

「これまで、本当に恋愛の経験がないんです。友だちは、マッチングアプリを使いなよってすすめてくれるんですけど、知らない人と会ってご飯を食べるなんて、ちょっと怖くて考えられません(笑)」

実は、ちょっと気になる人がいる。

「とても気配りができる人で、ぼくのこともよく分かってくれてます。もう少し生活の土台を作ってから、気持ちを伝えたいですね」

結婚を前提としたおつき合いが希望。自分の家族のように、仲がいい家庭を作ることを夢にみている。

あとがき
待ち合わせは坂を登った丘の上。緊張の面持ちはなく「おはようございます!」。晴輝さんは、終始笑顔だった。トレインのお兄さん!! 子どもたちに楽しい時間を提供する仕事は、晴輝さんの天職なのでは!?■「お母さんも取りたい」「・・・今の生き方のほうが自分らしいよ」は、胸オペ後に打ち明けられたお母さんの応答だ。整理のつかない気持ちより、未来につながる何かを言葉にあずける。晴輝さんのそれは、お母さんから贈られたものなんだね。(編集部)

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