02 今度、同性と結婚することになりました
03 快活で、鉱物が好きだった小学生
04 男性に頼ることなく生きなさい
05 惨めな思いと、獣医師になるという夢
==================(後編)========================
06 高3で巡り会えた初恋の人
07 自己肯定感を強めてくれた、ある授業
08 恋人でも友だちでもない「第3の好き」
09 カミングアウトについて考える
10 どう生きる? これからのレズビアン
01市井に生きる普通のレズビアンでありたい
感動したゲイカップルの結婚式
結婚式は、2015年に挙げた。
「関西レインボーフェスタ!」での平等結婚式だ。
「この人と、一生一緒にいるんだろうな。そう思ったんです」
「彼女といると、なぜだかわからないけど、心が安らぐし、癒されます。
たぶん、もう別れる気がしないんですよね」
パートナーは、そんなかけがえのない存在だ。
彼女は、自分のどこが好きなのか。
「初めて会った時から言われてるんですけど、『正直なところ、まじめなところだよ』って。『浮気しなさそう、誠実そう』とも言ってくれます(笑)」
前年のフェスタにふたりで行ったときに、ゲイカップルの結婚式を見ていた。
その場にいた人々が口々に、「おめでとう」と彼らに声をかけている。
中には、フェスタ会場となった公園を、通りすがっただけの人もいただろう。
「こんなに祝福してもらえるもんなんや。いいなあ」
フェスタ会場を包む温かい祝福ムードに、じわっと感動した。
同性愛者は、ここにいるよ
翌年のフェスタでは、レズビアンカップルを探していると聞いた。
顔を出したことのあるレズビアンのコミュニティからの引き合いで、
「結婚式を挙げないか」と、声がかかる。
心が動いた。
「結婚式なんて一生できないと思っていたから・・・・・・。やってみたい」
自分たちレズビアンカップルの挙式には、積極的な意義があるのではないかと考えるようになった。
「公開の場で結婚式を挙げることによって、自分たちのように一般人として生活している人のなかにも、同性愛者はいるんだよってことを、わかってもらえたら、という思いがありました」
「同性愛って、芸能人とか、新宿二丁目の飲み屋の世界に限った話じゃないですよね」
「レインボーフェスタで挙げる私たちの結婚式で、そのことが少しでも世の中に伝われば、それは意義のあることじゃないかと思うようになったんです」
しかし、ひとつ気がかりがあった。
それは、自分が副院長の獣医師として動物病院を運営する立場ということ。
病院の入り口に、さりげなくレインボーフラッグを掲げているとはいえ、
その意味を理解している人はまだまだ少ないと、日々実感していた。
「あそこの獣医さんレズなんや、気持ち悪いから行くのやめよ、とか言われたらどうしようかと、めっちゃ悩んだんです」
そこで相談したのが院長だ。
大学時代の同期で、彼女は信頼できるビジネスパートナーでもある。
もちろん、LGBTにも理解がある。
「気持ち悪いとか、そんなことを言う飼い主さんには、来てもらわなくていいから」
院長の一刀両断の答えに、背中を押された。
ほっとした。うれしかった。
迷いはなくなった。
同性愛者は、普通にこうして、存在しているんだよ。ここにいるよ。
肩肘張らずに、でも声をあげてみた。
大声ではなく、いつもの声の大きさで。
02今度、同性と結婚することになりました
結婚式がカミングアウトを促進
自分の性指向については、それまでも必要な時に、必要な相手に、
そのつどカミングアウトをしてきた。
「関西レインボーフェスタ」で、結婚式を挙げる。
図らずもこのことが、自身のカミングアウトの機会を拡大、促進した。
「結婚式をするにあたって、まずは高校や大学の友だちに話したんです」
「フェスタを見て知られるよりも、こっちからちゃんと知らせた方がいいって思って」
つながりのある友人には、メールや電話で知らせた。
フェイスブックも使った。
「今度、同性と結婚することになりましたってフェイスブックに書いたけれど、否定的な反応をする人は、ひとりもいなかったんです」
もっと早くカミングアウトすれば良かった
中学高校と、ヒトコと呼ばれていた。
「ヒトコ、おめでとう」という、祝福の声がうれしかった。
「すっごいヒトコらしいね。ヒトコが男性と結婚する感じが想像できひんかったけど、そういうことやったんや」と言う友人もいた。
「なんでもっと早く言ってくれなかったの」という声もあった。
同性愛を受け入れてくれる人が、自分で予想していたよりも、ずっと多かった。
必死に隠す必要は、なかったんだ。
カミングアウトして良かった。心もすーっと、楽になった。
「これなら、もっと早く言っておけば良かった、と思いました」
そんななか、ひとりだけ、きょとんとする友人がいた。
同性愛の概念を知らなかった彼女には、こう説明した。
「私、昔から男性には恋愛感情を抱かなくて」
「私が一緒にいて安心するのは女性やし、一生一緒にいたいと思う相手と、今度結婚するんだよ」
「たぶん、心の中で寝かせたんでしょうね。次に彼女と会ったときには『すごいわかったよ、おめでとう』と言ってくれました」
03快活で、鉱物が好きだった小学生
学業優秀、「天才」と呼ばれて
獣医師になって数年経つまで、レズビアンであることは公にしてこなかった。
女性が好きなんだと自覚するのは、高3のとき。
それ以来ずっと、どちらかというと、ひた隠しにしてきた。
幼稚園では、うさぎの飼育係。生き物が好きな子だった。
小学校では、よく走り回る、利発で快活なタイプだった。
「男子と遊んでたかなあ」
『おもいっきり探偵団 覇悪怒組』という、石ノ森章太郎原作の子ども向けの実写ドラマが大好きだった。少年たちが探偵団を結成し、悪と戦うというものだ。
「変身モノではないんです。金属探知器とか、トランシーバーとか、集音器とか、そういうアイテムが出てくるところが大好きでした」
「男子と探偵団を結成しました。ひとり悪役が必要だから、そのときちょっと好きだった男の子に『悪役やって』と声をかけたりしていました(笑)」
「その子のことは恋愛として好きだったのか、友だちとして好きだったのか、そのへんはよくわからなかったですね」
初恋はもっとあと、高3まで訪れない。
小学生らしい、屈託ない毎日を送っていた。
小3になると、母親の勧めで中学受験を念頭に、進学塾に通い始める。
周囲よりも目立って、ますます勉強ができるようになっていた。
そのため、クラスで「天才」と呼ばれるようになる。
地学者か考古学者になりたい!
チワワが好きで、井上家では、歴代4匹を飼っていた。
ねこを拾ってくることもしばしばあり、歴代5匹のねこを飼った。
小学生時代の愛読書は、学研の「科学と学習」。
もちろん、鉱物の標本や生き物の飼育セット、磁石や顕微鏡といった付録に魅せられてい。
家にあった壊れた時計を分解して遊んでいたほど、手先も器用だった。
ただ、この頃の夢は、地学者か考古学者になること。
獣医師にも憧れたが、「家業が動物病院でないと獣医にはなれない」と、なぜか強く思い込んでいた。
歴史や地理が大好きで、山脈や河川の名前を覚えるのがおもしろかった。
お母さんと一緒に出かけた地元の博物館で、化石や鉱物に魅せられる。
「恐竜も好きです。いや、恐竜というより骨が好き(笑)」
「アンモナイトもめちゃ集めてました」
鉱物や化石が静かに語る、何万年も前の地球内部の営み。
その仕組みを知ることが、おもしろかった。
自ら鉱物の採取旅行に出かけ、標本も作ったほどだ。
04男性に頼ることなく生きなさい
母から娘に、託された願い
受験を控えた井上家では、テレビのお笑い番組『オレたちひょうきん族』は禁止になった。
「こんなん見たらあほになるから、と母には言われましたね(笑)」
マンガは『ドラえもん』のみが許されるという状況。
「でも、自分のために博物館に連れて行ってくれたりする、どこか友だちみたいな母でした」
そういえば、母によく言われていたフレーズがある。
「男性に頼らずに、生きていけるようになりなさい」
母が自分を塾に通わせたのも、そのためだったのかもしれない。
娘には、よりよい学歴が必要だと思ったのかもしれない。
「今思うと、母の言葉は、ありがたかったです」
あの頃の父と母のこと
一方、父は寡黙な人だった。
「でも、なんかあったらしばいてくる、厳しい人」
「オセロゲームに何時間でも付き合ってくれる、優しい人」
「私は、父の大きな愛に包まれていたと思います」
母との結婚後ほどなく慢性腎炎を患った父は、自宅での療養を余儀なくされていた。
座敷で伏せる父に食事を運ぶのが、自分の役目となっていた。
思えば、父と母が仲良く語り合うところを、その頃しばらく見ていなかった。
自分が伝書鳩のようにメッセンジャーとなって、父と母の間を行き来していた。
振り返ればあの頃は、プチ家庭内別居のような状態だったのかもしれない。
「おそらく母は、まわりから『ちゃんとお世話するのよ』とめっちゃ言われたんだと思うんです。それを言われすぎて、しんどくなっちゃったのかもしれません」
自分らしい幸福な人生を送るためには、伴侶となる人の人生に、いたずらに振り回されてほしくない。
そのためには、経済的に自立した人生を歩んでほしい。
大切な娘の将来を案じる時、そんなふうに考えていたとしてもおかしくない状況に、母はいたのだろうか。
そして、念願の私立中学に合格した。
地元でも難関として知られる、一番の人気校だった。
05惨めな思いと、獣医師になるという夢
これが、いちばんの間違いやったんです
希望を胸に、中学校での学生生活が始まった。
大学までエスカレーター式のミッションスクールだ。
自由な校風に憧れて入ったその学校は、眩しくみえた・・・はずだった。
「これが、いちばんの間違いやったんです」
「どうしよう? って感じですね」
受験勉強の反動か、気の緩みか、中学に入って少し勉強の手を抜いた。
すると、みるみる成績が下がってしまった。
勉強は得意だったはずなのに、ついていけなくなってしまったなんて。
「こんなに勉強ができない自分が、ただただ、恥ずかしかった」
漫画『SLAM DUNK』の世界に憧れて、バスケ部にも入ってみた。
「でも、まわりはみんな、勉強も運動もどっちもできる子ばかり。みんながすごすぎて、でも自分はできひんから、なんだかやんなっちゃって・・・・・・」
結局、サイエンス部に入る。
ユーレイ部員だった。
今まで感じたこともない劣等感を、感じてしまう自分がいた。
獣医師になる夢を心に秘めて
中2のころが、特につらかった。
「歩いているだけで、後ろから笑われてる気がして。だいぶ病んでいましたね」
制服はなく私服だったため、高価なブランド服がもてはやされる風潮があった。
そのため、身につけているもので人をあざける、心ない生徒がいた。
時に茶化しの言葉を浴びたが、当時の自分は、じっと耐えるしかすべがなかった。
「しんどかったです」
「でも、相手とは、戦いませんでした」
お金持ちの家庭の子息たちが持つ、独特の偏狭な価値観に違和感を覚えつつも、
すでに熟成していた校風には、圧倒されるばかりだった。
自分のことをすごく惨めに思ったし、そう思う自分のことが恥ずかしかった。
恥ずかしすぎて、この窮状を、母には言えなかった。
惨めな気持ちを、自分ひとりで抱えていた。
心を開ける友だちとの出会いは、中3になって巡ってきた。
抱えていたしんどさが、少し軽減された。
同時にこの頃、ぼんやりとしていた憧れが、明確な目標になった。
中1の時に出会った、獣医師さん。
拾ったねこの避妊手術を、ボランティア価格で請け負ってくれた。
そのような活動をする獣医師の数は「まだまだ足りていない」と言っていた。
「自分も将来そういうことができたらいいなあと、思ってたんです」
中3になって、漫画『動物のお医者さん』を読んで、わかった。
なんだ、自分でも獣医師を目指せるんだ。獣医学部に、行けばいいんだ。
それなら、この学校から、出ることができる・・・・・・。
一時は単位制の高校に進学することまで考えたが、悩みに悩んで、最終的には内部進学を選んだ。
高校には、外部からの入学生も入ってくる。
きっと、空気がかわるはずだ。
<<<後編 2019/01/15/Tue>>>
INDEX
06 高3で巡り会えた初恋の人
07 自己肯定感を強めてくれた、ある授業
08 恋人でも友だちでもない「第3の好き」
09 カミングアウトについて考える
10 どう生きる? これからのレズビアン