02 自分の体に対する嫌悪感
03 女性になりたいという気持ち
04 ヨット漬けの学生生活から開放的な海外生活へ
05 性別を変える方法
==================(後編)========================
06 思いがけないアウティング
07 大学で立ち上げたLGBTサークル
08 ようやく受けた性別適合手術
09 AジェンダーもしくはXジェンダー
10 自分のなかのジェンダーバイアス
06思いがけないアウティング
うちの子に手術をしないで
「なっかなか診断書の話が出てこないんですよ、大学病院に行っても」
「見た目が男っぽかったからなのか、親が『診断書を出さないでくれ』って連絡してたからなのか・・・・・・」
「それで、なんとか自分でホルモン治療を始められないか、調べてみたんですよ。そしたら、診断書なしでもホルモン治療ができるクリニックが名古屋にあるのがわかって、さっそく行って、ホルモン治療を始めました」
大学入学と同時に親元を離れ、その頃は女友だち6人と古民家をシェアして暮らしていたので、両親が治療について知るはずはないと思っていた。
しかし、治療が進むのを阻むように、親からクリニックへ連絡がいく。
「名古屋のクリニックに『うちの子には絶対に手術をしないでください』って言ってたらしいんですよね・・・・・・」
同時に、仕送りがストップする。
親としては、仕送りを治療費にあててほしくはなかったのだろう。
SNSに投稿しないと周りにわかってもらえない
「そもそも、性同一性障害という言葉を出して、治療について話したときに、母は『あんたは違うんじゃない?』って言ったんです」
「小中高とずっと坊主頭にしてたし、いままでを見ていても、そんなふうには全然感じられなかった、って言うんですよ。だから、あんたは絶対に性同一性障害とは違うでしょう、って」
「いや、坊主はラクだから、いまでもしたいくらいですけど(笑)。髪型は性別とはあんまり関係ないって思うんですよね」
治療をする。
治療はさせない。
両親との話は平行線を辿るばかりだった。
それでも大学卒業直前の2016年2月、親の反対を押し切って、東京にあるクリニックで精巣摘出手術を受ける。
「そしたら手術を受けたその夜、東京のホテルにいるときに親がブチ切れて電話をかけてきたんです」
なぜ親は、ホルモン治療や精巣を摘出したことを知っているのか。
「確かにSNS投稿はしてましたが、友だちしか見られない設定にしてたんです」
「治療について投稿していたのは、自分の場合、投稿しないと周りにわかってもらえないから」
「見た目が女子っぽくて、いわゆる “パス” していける人は、わざわざ治療のことやセクシュアリティについて言わなくても、周りはわかってくれるだろうけど、自分は男子としてしか扱ってもらえない・・・・・・」
自分は男ではない。
だから治療をするのだと、周りに宣言する必要があった。
「その投稿を、実は従姉妹がスクショして、うちの親に送ってたんですよ・・・・・・。そのことを知ったのは、それから4年後くらいですけど」
そして3月。
大学の卒業式に母は出席してくれたが、父は姿を見せなかった。
07大学で立ち上げたLGBTサークル
アンケートやテスト用紙の性別欄は必要?
なんとか治療を進めようと苦闘していた大学4年間。
学校の環境に違和感を覚えることがあった。
「たとえば、学期が終わるたびに授業のアンケートを書くんですが、名前の横に性別欄があって、男か女か選択しなきゃいけなかったり、テスト用紙にも性別欄があって・・・・・・。それって必要ないんじゃないかなって」
「そういうのを変えていきたかったんですけど、自分ひとりの力ではどうしようもなくて、サークルを作ろうと思ったんです」
「それまで、APU(立命館アジア太平洋大学)にはLGBT関係のサークルがなかったんですよ」
2015年、大学4年生の春、LGBTをサポートするサークル「APU Colors」を友だちとともに立ち上げた。
「自分は1年しか活動できなくて、アメリカ領事館から領事を招いて講演会をしたりして、やっと取り組みを始めた感じだったんですけど、その後、後輩たちががんばってくれて、学内ではオールジェンダートイレが新設されたり、ダイバーシティ宣言が制定されたりしたみたいです」
LGBTフレンドリーな企業へ
そしてもうひとつ。
在学中に、性自認と性的表現に関わる部分で、自分のなかで変化があった。
「大学の図書館にいるときに、ちょっと離れたところからカシャッてカメラの音がしたんですよ。で、チラッとそっちを見たら、こっちにカメラを向けてる人がいて、あ、撮られたな、って」
「そのときは、まだ体が細かったし、デニムのショートパンツにレギンスはいて、もこもこの服を着て・・・・・・・髪も長くて、いわゆる女子っぽい格好をしてたんです」
「明らかに悪意のある撮影だな、と感じて、もうそういう格好をするのはやめようと思いました」
「ジェンダーのステレオタイプに合わせようとしていた格好だし、そもそも別に似合ってるわけでもなかったし、こういうイヤな思いをしながら無理にそういう格好して、生きていく必要ないなって」
それからは、ユニセックスな格好をするようになった。
そして大学卒業後、LGBT関連の事業を展開する旅行会社に就職。
LGBTサークルを立ち上げた功績を知っての引き抜きだった。
「総務と営業事務の仕事を手伝いながら、たまにLGBT関連事業については当事者として意見を言わせていただく、みたいなことをしてました」
「でも、もしかしたらビジネスでは、当事者は見た目がもっとわかりやすい存在であったほうがよかったのかもしれないですね」
勤務中の服装は、襟付きシャツと7分丈の黒いパンツにスニーカーといった、大学時代から変わらず、ユニセックスなスタイル。
MTFであれば、もっと女性っぽい髪型と服装の、“いかにも” な存在のほうが重宝されるのではと感じた。
「その会社は、自分の性自認を尊重してくれていて、女性トイレを使わせてもらってたんですが、本当に社員全員がそのことを受け入れてくれているかがわからなくて・・・・・・」
3年勤めて退職した。
08ようやく受けた性別適合手術
性別適合手術を目指して
自分の体の男性的な部分が、ずっとイヤだった。
男性というカテゴリーにいるのが不快だった。
大学病院に通い始めた2012年頃から、目指していたのは性別適合手術。
もうこれ以上、男性の体で生きていたくなかった。
「2021年に性別適合手術を受けることができましたが、もしも、もっと早く、8年ほど前に受けられていたら、自分が思い描いていた人生をちゃんと歩めていたんじゃないかって思うんですよね・・・・・・」
治療を進めたくても、両親の反対により阻まれてしまう。
「トランスジェンダーの幸福度って、親の理解度に比例していると思うんですよね」
「そう思うと、まったく理解してもらえず、思い描いた人生を歩めなかったこの8年を返してほしい。従姉妹と親が結託していたことを知ったそのとき、親に、そう言いました」
なにより、幼い頃から一緒に育ってきて、どんな友だちよりも信頼していた従姉妹によって、治療のことを親に告げられたことが悲しい。
それは自分にとっては “裏切り” だった。
「両親は、自分の生きたいように生きさせなかったことを謝ってくれて、手術費用を出してくれました」
「特に父親は本当に悪かったと思ってくれているようです」
「従姉妹も謝ってくれましたが・・・・・・。許すつもりはないですね」
ホルモン剤の影響で精神が不安定に
手術の前に、治療に向けて最初に訪れた大学病院で診察を受けた。
当時はなかなか診断書まで辿り着けなかったが、その時はなんとたった1カ月で診断書を受け取ることができた。
「最初から出してよって感じですが(笑)。病院の先生たちも、性同一性障害に対する考えかたも、初診からの8年間で変わったみたいでした」
「そんなにつらいんだったら、もうこれ以上悩まなくていいよ、すぐに診断書を出すからね、って感じで」
そうして、ようやく性別適合手術を受けた。
「めちゃくちゃ快適ですよ」
「うつ伏せで寝たときとか、夏の暑いときとかって、以前は不快でしかなかったんです、すごくジャマだったし」
「ジャマなものも生理もないし、いまの自分って最強じゃね? って思うこともあるんですよ。ものすごくポジティブに考えれば(笑)」
「でも、やっぱり、ホルモン剤の影響って本当にすごいあって」
「1カ月に1回とか2回、急な不安に襲われたり、急に泣いてしまったりします。それが治療を始めてから、ずーっと続いてますね」
そんなときは無理をしない。心と体に抗おうとしない。
「泣きたくなったら、自分は涙活をします。泣こうとしなくても泣けますが(笑)。泣いたら少しはスッキリするので」
「あとは、ひたすら寝る。寝て、時間が経つのを待ちます」
09 AジェンダーもしくはXジェンダー
Aジェンダー? シスジェンダーの女性と同じにはいかない
トランスジェンダーというよりも性同一性障害という言葉のほうが先に知り、自分を表す言葉としてしっくりくると感じた。
そしていまはAジェンダーという言葉が自分に近いと思う。
「大学の図書館で写真を撮られてから、ユニセックスな格好をするようになって・・・・・・。そのあたりから自分はAジェンダーとかXジェンダーかなって思うようになりました」
「男性でも女性でも、どちらでもないっていう」
「男性」から性別適合手術によって本来の「女性」になったわけではない。
「手術をしたいまだから、なおさら感じるのは、やっぱどうしても、シスジェンダーの女性とは、おんなじようにはいかないんですよね」
「どんなに見た目が女性的になったとしても、服を脱いでくまなく調べれば、明らかに違う・・・・・・。それはもう変えようがないんです」
「だから、どっかで 『女性』 になることをあきらめないと。そうしないと、トランスしていくことだけを考える人生になってしまう。自分の人生ってなんだったんだろうなって、なっちゃうと思うんですよ」
「むしろ、男性か女性かじゃなくて、性別 “自分” というのが一番しっくりきますね。ただ、社会のシステムとして男女どちらか選ばないといけないなら、自分は絶対に女性だと思います。男性ではないです」
鏡を見て気持ち悪くなる
どこか達観して、冷静に自分と社会を見通してはいるが、それでもやはり自らの性別について、モヤモヤと違和感を覚えることがある。
「ホルモンの影響で体重は増えていくし、歳もとっていくし・・・・・・」
「仕事が忙しいときはいいんですけど、ちょっと落ち着いたときに、改めて自分の姿を鏡で見たりすると、歳とったな、とか、もとは男だったんだな、とか、改めて考えてしまって、気持ち悪くなっちゃうんですよ」
「特に、同世代の女の子が、ふつうに楽しそうにしているのを見ると、自分と比較して、つらい気持ちになってくるんです・・・・・・」
2023年からは、地域おこし協力隊として北海道の羅臼で暮らしている。
「その点、羅臼は、そもそも若い世代が少ない。同年代もいないし、自分より若い子ってなると、高校生くらいで(笑)」
「歳が離れすぎていて、自分と比較したりはしないです」
「だから、年齢も性別も、ここにいるとあんまり気にしないで済むっていうか。ラクですね(笑)」
「街の人に『ちょっと、にいちゃん、にいちゃん』って呼ばれても、なんにも思わない・・・・・・。いや、思わなくはないですけど(笑)」
「特に自分から性別のことは言わなくていいかなって」
10自分のなかのジェンダーバイアス
「なんとかなるよ」
テレビドラマ『北の国から 2002遺言』を見て、その雄大な景色に惹かれ、羅臼に移住することを決意した。
地域の魅力を写真と文章で発信する仕事。
ソニーのミラーレス一眼を携えて、海へ山へと出かける毎日。
「めちゃくちゃ楽しいです」
「それでも、いまだにつらい気持ちになることもありますね」
そんなとき「なんとかなるよ」と言ってみる。
同じように、つらい思いをしている人にも伝えたい。
社会は、もっと進んでいる
「ほんとになんとかなる。意外と、ジェンダーとかセクシュアリティに縛られずに、自由に生きていけるよって」
「実は自分のなかにあるジェンダーバイアスやジェンダーステレオタイプに縛られてることって多いと思うんですよ。男性だったらこうじゃないといけないとか、トランスジェンダーはこうあるべきとか」
「でもそれは、意外と、自分だけが気にしていることかもしれない」
「社会は、もっと進んでるんだよって言いたいです」
自分も、ジェンダーステレオタイプを演じようとしていたことがあった。
性同一性障害の診断書を受け取るために、多少無理しながらも女性っぽい格好をして、病院へ通っていた。
「診察が終わったら、いつものユニセックスな服に着替えたり(笑)」
「そのときは、診断書のためにそうしたほうがいいと思ってましたけど、本当はそんなことしなくてもいいはず」
「わざわざ自分を苦しませなくてもいいと思います」
大丈夫、世界は変わり続けている。
だから自分も思うまま、変わっていっていいんだ。