02 女なのか、男なのか
03 性別という概念を持っていない
04 自分のセクシュアリティを他人に押し付けたくない
05 セクシュアリティは、単なる特徴のひとつ
==================(後編)========================
06 手話との出会い
07 ハンディのある人とない人の間に横たわるもの
08 対等な関係を結びたい
09 セクシュアルマイノリティ=弱者、ではない
10 マイノリティとマジョリティの間で ”通訳” として
06手話と出会う
「障がい」とは、どういうこと?
セクシュアリティがどうであれ、みな同じ人間。
そうした考えのベースには、障がいを持つ人たちとの交流によって得た知識や経験があるのかもしれない。
子どもの頃、通っていた小学校には特別支援クラスが設けられていて、身体的、精神的に何らかのハンディを抱えている人は、自分にとって身近な存在だった。
授業は別々の教室で受けていても、昼休みには一緒に遊んだり、修学旅行や運動会などには彼らも参加。
「障がいのある生徒もそうではない生徒も、いろいろな人がいて当たり前という環境でした」
だから後になって、ハンディのある人たちが社会では弱者と見なされる空気があり、不自由や不便を強いられていることを知って、驚いた。
ハンディを抱えるとは、どういうことなのか。
そうした人たちひとりひとりに適切な対応ができる社会とは、どういうものなのか。
障がいや福祉について、知りたい。
そう考えて、特別支援教育について学べる大阪の大学に進んだ。
手話って、めっちゃカッコイイ!
大学1年の夏休み、ひまを持て余していた。
自分はとくにやりたいこともなかった。
どこのサークルにも入っていなかったが、クラスメートのほとんどは何らかのサークルに所属していて、その活動で忙しい。
遊んでくれる相手がいなかった。
「退屈して、仲のいい子に『ひまやねんけど』とラインすると、『じゃあ、はるひも来たらええやん』と誘ってくれたんです」
彼が所属していたのは、手話サークル。
出かけて行くと、そこには彼のほかにもクラスメートが何人もいた。
彼らにとって手話は、特別支援や福祉への関心の延長線上にあったようだ。
「私はそんなこと、まったく考えていなかったのですが‥‥‥。実際に、彼らが手話を練習している様子を見て、自分も少しやってみたら、おもしろかったんです!」
即入部。
友だちと一緒にいられるのも、楽しかった。
そして2年生の春、サークルの先輩から声がかかる。
現在も所属してる「手話エンターテイメント発信団 oioi」が出演するイベントのお誘いだった。
前年のパフォーマンスの様子を伝える映像を、先輩が見せてくれた。
「びっくりしました。手や指を動かすだけの手話ではなくて、ステージの上では全身を使って表現するパフォーマンスが繰り広げられていたんです」
「それが、めちゃくちゃカッコよくて。ひとめぼれしてしまいました」
07ハンディのある人とない人の間に横たわるもの
イメージが変われば理解が進むはず
「手話エンターテイメント発信団oioi」は、手話歌や手話コントなどの手話エンターテイメントを発信する団体で、関西を中心に活動している。
活動理念は、「きこえる人ときこえない人の間にある、偏見や誤解といった心のバリアを壊すこと」。
「心のバリアが消えたら」とただ願うだけではない。
自分たちの手でバリアのない世界を作っていこうと、手話パフォーマンスの公演やワークショップを開いている。
「一般的には、手話は地味、聴覚に障がいのある人はあまりしゃべらなくておとなしい、というイメージが強いかもしれません」
でも、実は手話ってこんなにカッコイイんだよ、こんなに明るくておしゃべりな聴覚障がい者もいるんだよ、ということをパフォーマンスを通じて多くの人に知ってもらいたい。
「少しだけとはいえ手話を習っていた自分でさえ、oioi入って手話や聴覚障がい者のイメージがガラリと変わりました」
「イメージが変わればそこからもっと相手を知ろうとするし、理解も進んでいく。そこが私たちメンバーの狙いです」
聴こえる側からも思いを巡らす
手話と出会い、聴覚障がい者と交流する中で感じること、得ることはたくさんある。
「それまで、聴覚障がい者の存在も手話のことも、もちろん知っていました」
「だけど、聴こえない程度、あるいは聴こえ方も人それぞれだということや、手話にもいろいろ種類があるということは知らなかった」
「でも、そういうことがわかると、たとえば街を歩いているときに『こういう場合、聴こえなかったら困るな』とか、街のしくみが『こうだったらいいのにな』などと、いろいろ考えるようになったんです」
自分、つまり「聴こえる人」側からも「聴こえない人」の生きづらさをどうしたら解消できるのだろうかと、思いを巡らすようになった。
ハンディを持つ人たちが直面する問題を、他人事ではなく自分事としてとらえられるようになったのだ。
このことは、障がいを持つとはどういうことなのか知りたい、学びたいと思っていた自分にとってとても大きな意味がある。
想像以上に溝は深く大きく、バリアは高く厚かった
もうひとつ、気づいたことある。
聴こえない人と聴こえる人との間の溝は、想像以上に大きい。
「相手が聴こえないことについて、自分は何とも思っていなくても、その人が聴こえないことが原因でいじめられた経験があったりすると、あんたは聴こえるからいいよね、と心のシャッターを下ろされてしまうことがあるんです」
コミュニケーション自体を始められないことも。
「高齢のろうの方から初対面の際に、こちらが聴覚に障がいがあるのか、健聴者なのかをときどき尋ねられます」
「それによってコミュニケーションの仕方が変わってくるので、尋ねられて当然です」
「でも、こちらが健聴者だとわかると、たとえ手話ができていたとしても途端に興味をなくされて会話が成り立たなくなってしまう人もいるんです」
ハンディを持たない人が、ハンディを持つ人との間の溝を埋めようとしないだけでなく、その逆のパターンもあるということだ。
大きく深い溝を埋め、高く厚いバリアを壊すことは、思った以上にむずかしい。
08対等な関係を結びたい
心がけているのは「落ち込まない」こと
自分が「聴こえる」というだけで、どうしてそんなことを言われなければいけないのか。
「何でなんだ!!って思う時もありますよ。でも、よくよく考えるうち、それはお互いさまだと気づいたんです」
「あなたは聴こえるから(聴こえない人の気持ちは)わからないだろう」と言うが、逆に、聴こえない相手には、聴こえる私の気持ちがわからないこともあるかもしれない。
そう気づいてからは、何を言われても落ち込まないことにした。
「聴こえる人は、聴こえない人のことがわからない。聴こえない人は、聴こえる人のことがわからない」
「もっと言えば、聴こえる、聴こえないに関わらず、相手の気持ちがすべてわかるなんてことはないと思うんです」
「相手のことがわからない」が前提なのだから、「わかってもらえない」「わかるはずがない」などと言っている場合ではない。
相手のこと知ろう、わかろうとする。
「お互いにそれができれば、偏見や誤解から生まれる壁は越えられるだろうし、バリアもぶち壊せると思うんです」
助けを求められればサポートするけれど
聴こえない人との交流の中で、自分自身は「落ち込まない」ようにしているが、逆に聴こえない人たちには「やりすぎない」ことを心がけている。
「基本的には、こちらからわざわざ何かをしよう、という気はないです」
「できなかったら『できない』、わからなかったら『わからない』、力を貸してほしければ『力を貸してほしい』と言えばいい、と思っているので、お互いに」
困っていて、助けを必要としていればもちろん出来る限りのサポートをする。
でも、先回りをしてあれこれやってしまうのはかえって失礼ではないか。
「その時点で、対等な関係ではなくなってしまう気がするんです」
聴こえなくても聴こえても、障がいを持っていても持っていなくても、みんな同じ人間。
だから、あくまでも対等な関係でいたいと思っている。
09セクシャルマイノリティ=弱者、ではない
環境さえ整っていれば
この国では、聴覚障がいやLGBTを含め何らかのハンディを抱えている人たちのことを「マイノリティ」と称することが多い。
そして、その「マイノリティ」という言葉が、社会的弱者とほぼイコールで使われることも少なくない。
「マイノリティはそもそも少数、少数派という意味で、必ずしも弱者ではないと思うんです」
「繰り返しになりますけど、聴覚に障がいのあってもおしゃべりな人はたくさんいますし、明るくてポジティブな人もたくさんいます」
「今、一緒に暮らしているパートナーも聴覚障がい者ですが、みんなから『うるさい!』と言われるくらい、よくしゃべります(笑)」
だから、マイノリティ自体が弱い存在だとは思わない。
「マイノリティといわれる人たちが弱者となってしまうのは、社会の環境が整っていなくて、彼らひとりひとりに適切な対応ができないからだと思うんです」
聴こえなくても、視覚情報があればいいのかもしれない。
「だとすると、社会の中に視覚情報がじゅうぶん整っている環境が用意されていれば、聴こえない人も聴こえる人と同じくらい情報が得られるでしょう」
当事者からの発信も大切
セクシャルマイノリティに関しても同様ではないか。
現在のところはまだ、この社会においてLGBT当事者は弱い存在かもしれない。
「それは、自分を含めLGBT当事者が人間として弱いからではなく、社会にLGBT当事者に対応できる環境が整っていないから、ですよね」
では、LGBTに適切な対応ができる環境を整えるために、何が必要なのか。
多目的トイレの増設? たしかに、それも重要だ。
「でも、何よりもやはり、ひとりでも多くの人にLGBTに対する正しい知識を持ってもらうことだと思うんです」
「理解してほしい、とまでは言いません。なぜって、誰にでも『これはうどうしても受け入れられない』ということはあるでしょうから」
LGBTのことを「キモい」と思うなら、それはそれで仕方がない。
「ただ、LGBTとはどういうことなのか、どんな人たちなのかを知った上で、嫌うなり批判するなりしてほしい」
「だから、まずは世の中に、LGBTのことを知るきっかけがたくさん落ちていればいいなあと思っているんです」
そのためには、当事者から発信することも大切だろう。
当事者でない人からすれば、どこまで触れていいのか、どれくらい突っ込んだ話をしてもいいのかということは、やはりわからないと思う。
「たとえばゲイの人に『好きな男性のタイプは?』と聞いていいのかどうか、とか」
「そういうことも、どんどん聞いていいよ!とか、これについては聞かないでほしいな、とか」
自分から何も発信しないでいて「私たちのことを、わかってよ!」というのは、ちょっと話が違うような気がしている。
発信すると言っても、別にLGBTの啓発活動をするとか、そういうことでなくてもいいと思う。
自分に合った、自分らしい発信をしていけばいいのではないか。
「私自身、ただSNSなどで自分のセクシュアリティを表明しているだけですから」
でも、人間関係の中でもし何か不都合が生じたら「これは困る」「それは嫌だ」という意思はきちんと伝えるつもりだ。
10マイノリティとマジョリティの間で ”通訳” として
手話を続けていきたい
手話を始めて5年。
「聴こえない人と聴こえる人との間で、かけ橋のような役をしていけたらいいなあと」
まだまだ知らない手指の動きもある。
また、手話独特の表現もあって、これはどんな日本語に相当するんだろうと悩むことも。
「学べば学ぶほど、手話は奥が深いです」
そして何より、楽しい。
聴こえない人との間のバリアはなかなか難敵だが、それを少しでも壊すことができたときは、うれしい。
手話パフォーマンスは何度見てもカッコイイ。
パフォーマーとして自らステージに立ったときの高揚感は、何ものにも代えがたい。
「この先もずっと、続けていきたいと考えています」
「こういう人もいるんだ」という素材の一つとして
LGBT当事者としては、これからも声高に何かを主張するということはないだろう。
でも、セクシュアリティを聞かれたら何も恥じることなく「Xジェンダーです」と答えようと思う。
人に何か言われたとしても気にしない。
「性や性対象がどうであれ、他人が口出しするものではないですから」
Xジェンダーは、セクシュアルマイノリティの中でもマイノリティ。
でも、だからといって弱い人間ではなく、自分も普通に暮らしている。
「男でも女でもない、ということは理解しづらいと思うので、『ふうん、こういう人もいるんだ』と受け止めてもらえたら」
もし、孤独感を深めているXジェンダーの人がいたら、「ここにもいる」ことを知ってほしい。
Xジェンダーだって、人によってあり方はさまざま。他に惑わされず、自分らしくしていればいい。
「当事者もそうでない人も、どちらもが『LGBT』という言葉を意識することがなくなるような、そんな世界になれば幸せだと思うんです」