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生まれ変わっても自分がいい、といえる人生に【前編】

家庭でも道場でも、父親はいつも大きな壁だった。その壁を乗り越えながら、進路を決め、FTMと自認し、男性として生きる決心をした。目標は「生まれ変わっても、自分がいい」と思える人生。将来は、悩みを持つ人に居場所を提供したいと夢を語る。

2022/08/17/Wed
Photo : Yoshihisa Miyazawa Text : Shintaro Makino
石丸 初來 / Hatsuki Ishimaru

1996年、奈良県生まれ。父が師範を務める道場で4歳から空手を始める。自分のセクシュアリティに疑問を感じていたときに、TwitterでFTMの人の投稿を読み、自分も同じではないかと気がついた。新たな「やりたいこと」をもちながら、858床の大病院の手術室に勤務し、仕事にもやりがいを感じている。

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INDEX
01 4歳から空手。父親が師範
02 初めて好きになった相手は女の子
03 性同一性障害は病気で悪いもの
04 だんだん居心地がよくなった女子寮生活
05 ストイックな練習が開花。空手で好成績
==================(後編)========================
06 再び、看護師への道を目指す
07 FTMの友だちができて、初のオフ会へ
08 おお、ついに彼女、できたぞ!
09 思わぬ形でのカミングアウト
10 みんなが集まれる居場所を提供したい

01 4歳から空手。父親が師範

自然とお母さんっ子に

生まれも育ちも奈良県天理市。
父親が師範を務める道場で、4歳から空手を習った。

高校1年でインターハイ予選優勝、全国ベスト16という好成績もある。空手2段を習得した有段者だ。

「お父さんからは大学まで空手をして欲しいっていわれていたんですが、いろいろ考えて看護師の道を選びました」

3人いる弟たちは、全員、大学まで空手を続けた。

「自分の子どもだから、道場ではていねいに教えてくれないんですよ(笑)。周りに話してることを、自分がいわれていることと思って聞きなさい、という指導法でした」

ところが、声が出てない、練習がダラダラしているときは、他の子じゃなくて真っ先に怒られた。

「稽古のときは、いつも怖かったです。それでも続けられたのは、空手が好きだったからだと思います」

お父さんは、縦社会を大切にする考え方で挨拶、しつけにも厳しかった。

「道場だけじゃなくて、家でも厳しかったですね。ご飯を食べるとき、子どもたちは正座なんですよ。いっぱしに稼げるようになったら、あぐらをかいてもいい、といわれてました(苦笑)」

気に入らないと、すぐに手が出る。子どものころはよく殴られた。

「お母さんは子どもをかばってくれるんでけど、結局、一緒に怒鳴られちゃうんですよ。だから、いつもお父さんの機嫌をうかがうようにしてましたね」

「お父さんなんか、きらーい」という子で、自然とお母さんっ子になった。

スカートが嫌い

保育園の頃から男勝りの性格で、自分のことを「オレ」と呼んでいた。

「オレを使っているのは、ぼく一人だけでした(笑)。でも、親からも先生からも注意されたことはなかったですね」

小学生のときからスカートが嫌だった。

「よく、よそから服をもらってたんですよ。そのなかにはズボンが多かったんで、親も、じゃあ、スボンを履くのも仕方ないなって感じでした」

遊ぶ相手も男の子ばかりだった。

「休み時間はどーっと校庭に出ていって、男の子たちとドッジボールやキックベースをしてました。運動神経はいいほうでした」

ズボンは履いていたが、髪はボブくらいの長さで、パッとみて女の子と分かる風貌だった。

「小学校のときはテストの成績がよくて、その頃から看護師になりたいと思ってました。理由はなんだったんでしょう、覚えてません」

「医者って、なんか冷たい感じがするじゃないですか(笑)。子どもだから、ぼんやりと看護師のほうがいいなあ、と思ったんでしょうね」

02初めて好きになった相手は女の子

片側刈り上げで目立ちたい

「小学校のクラブ活動は、陸上、水泳、オーケストラをかけ持ちしてました」

オーケストラが異色だが、小学校4年生のときに、仲のいい子がトランペットを吹いていたのに影響を受けて、やってみたいと思った。

「目立ちたがり屋なんで、トランペットをやるなら、絶対にメロディを吹くファーストがやりたいと思って、先にやってた子からファーストの座を奪い取りました(笑)」

中学はエスカレーター式に進学。小学校からの友だちが、引き続き同級生という、居心地がいい環境だ。

「中学のときは、部活には入らなかったんですけど、高校の空手部の練習に参加していました」

負けたくない、目立ちたいという気持ちは中学生になっても人一倍強かった。

「学級委員、ハイ、ハイ、ハイ、やります! ってタイプでした。合唱コンクールは、中学、高校の6年間、ずっと指揮者でしたよ(笑)」

目立ちたがりの真骨頂が髪型だった。
片方だけ刈り上げて、アシンメトリーに決めた。

「髪の長い子はおさげにするって決まっていたなかで、刈り上げたんで目立ちましたね。先生に何かいわれたら、校則にアシンメトリーはダメって書いてないですよね、っていうつもりでした(笑)」

周りの子たちは、「出た、出た! はっちゃん、またやっとるで」と面白がっていた。

それはいけないことだと気がついていた

クラスメイトの女の子たちは、男子やアイドルの話をよくしていた。「嵐、かっこいいよね。誰が好き?」と聞かれると・・・・・・。

「大野君! って答えるんですけど、それはカモフラージュで、本当はまったく興味ありませんでした」

そんなとき、好きな子ができた。

「ほかのクラスの女子でした。最初、廊下ですれ違って、かわいい子だなあって思ってたら、3年で同じクラスになったんです」

[やった! ラッキーって感じでした」

速攻で話しかけて、すぐに仲よくなった。最初は顔立ちに惚れたが、やさしい性格や柔らかい物腰にも好意を持つ。

「その子が生徒会の会長に立候補するというので、ぼくも副会長に立候補しましたよ。一緒に選挙活動をできたのがいい思い出です」

話す機会が増えると、次第に好きという感情がふくらんだ。それが「仲良しの好き」じゃなくて、「恋愛の好き」だと自分でも気がついていた。

「でも、それがいけないことだと分かってましたから、結局、本人にもいえなかったし、今もつながりはあるんですけど、いえないままです」

03性同一性障害は病気で悪いもの

性同一性障害を全否定

中2のときに友だちから、「はっちゃんって性同一性障害じゃないの?」といわれたことがある。

「そのときは “障害” ってつくんで、性同一性障害は病気だと思ってたんです。それで、絶対違うよって否定しました」

否定するだけでなく、周りに病気だと思われるのは嫌だ、と警戒する気持ちが起こった。

小学校では登校するときだけスカートを履いて、学校では体操着に履き替えていた時期もあったが、中学ではセーラー服で過ごすようになった。

自分の性別のことは、話題にならないように気を使ったのだ。

「なんだか、人と違う、悪いもののような気がして・・・・・・。女の子たちの輪に入って、せいぜいボーイッシュな女の子、って思われるように気をつけてました」

男子とつき合ってはみたけれど

中学生のときは勉強をしなかったため、成績も上がらなかった。

「その頃は、看護師の夢をいったん、あきらめかけてましたね。空手を続けようと思って、空手部のある高校に進学することにしました。入ったのは、全寮制の共学の私立高校でした」

当然、女子寮での生活になる。女ばかり300人の生活だ。

「この中で自分のことを『オレ』って呼ぶのは無理だなって思いました。世間体的にダメかって薄々、勘づいていたんですけどね(笑)」

中学まで使っていた「オレ」をやめて、「私」「自分」を使うようになった。頑張って、同級生の男子とつき合ってみたこともある。

「手をつないだり、チューをするときに、やっぱりダメだ、違う、ごめんって感じてしまいました」

「友だちとしては好きだけど、そういう意味での『好き』には、どうしてもなれなかったんです」

04だんだん居心地がよくなった女子寮生活

お風呂で体を見られるのが恥ずかしい

初めての寮生活は、最初、刑務所かと思うほど不自由だった。

「3人部屋で、3年生、2年生、1年生の組み合わせなんです。1年生は一番下ですから、15分前行動が当たり前でした」

上下関係が厳しい社会だが、幸運なことに、成績が優秀な生徒が入る6組に編入され、同じ部屋の先輩たちも6組の生徒だった。

「先輩はふたりとも真面目なガリ勉タイプでした。それで、ある程度、自由も許されました」

困ったのがお風呂だった。自分の体を見られるのが、とにかく恥ずかしかった。

「目立ちたがりなんですけど、すごくシャイなんですよ(笑)」

ふたつある浴槽は、3年生と2年生が使う。浴槽の周りにあるシャワーも同様だ。

「1年生はシャワーも使えないから、小さくなって、浴槽からお湯をすくって体にかけるしかないんです」

自分が高学年になったときは、さすがにそれが理不尽に思えて、空手部の後輩には、「入りい」といって湯船に入れてあげた。

「なんで1年生にそんなことしてあげるの、って非難する同級生もいるんですよ。そんなときは、練習して疲れてねんやんか、試合が近いんじゃ、分かる? っていって黙らせました(笑)」

超健全な寮生活

「刑務所」と感じたもうひとつの理由は門限だった。

「6時半が門限で、7時からご飯なんですよ。無茶苦茶、健全な高校生活でしょ」

ときどき、女子を送ってくる男子がいたが、門限までに男子寮に戻るため走って帰っていった。学校まで歩いて30分、男子寮はさらにそこから10分離れていた。

「空手部の練習もありましたから、放課後に遊ぶ時間はほとんどなかったですね。部活がない子は町でプリクラしてきた、とかいってましたけど、遊ぶといってもその程度でした」

土曜日も昼まで授業があるうえ、昼の給食を食べるための門限があった。

「それでもだんだん慣れてきたし、その頃はお父さんが嫌いだったんで、家に帰るより寮生活のほうがいいと思えるようになりました」

もうひとつラッキーだったのは、中学生のときからその高校の空手部に練習に参加していたため、先輩に強い知り合いがいたことだ。

「先輩には挨拶をしなさいって厳しくいわれていたんですけど、逆に挨拶を返さない先輩には、それ、おかしくないですか? 挨拶はきちんとしますけど、そちらも返してくださいねって堂々といえる環境でした」

05ストイックな練習が開花。空手で好成績

厳しいお父さんも満足

高校の部活の顧問は、男性の厳しい先生だった。

「部活に入ってくるのは、初心者が多いんですよ。経験のない初心者軍団を全国大会に連れていくわけですから、厳しくて優秀だったんだと思います」

女子は女子同士で練習をして、経験者の自分は男子と練習をすることが多かった。

「空手には組み手と型があって、ぼくは組み手が専門でした。昇段試験を受けて、2段を取りました。もちろん、部長にもなりました」

幼い頃から続けてきた空手に満足がいく結果がともなったのも、高校生のときだった。

「小学生のときは県で2位、中学でも県で2位でした。どうしても1位になれなかったんです。でも、高1のインターハイ予選で、ようやく優勝できました」

その勢いで全国大会に出場し、ベスト16。近畿大会でも5位という好成績を収める。

「勝ちたい、目立ちたいっていう気持ちもありましたけど、空手に関してはストイックに練習を続けた成果だと思ってます」

いつもは厳しいだけのお父さんも、そのときばかりは「うちの娘はすごい」と鼻を高くした。

ふたりめのボーイフレンド

ふたりめのボーイフレンドは、空手のつながりで知り合った子だった。

「ほかの学校の空手部が、うちの学校にきて合同練習をしていたんです。そのときに相手の女子がダラダラしてちゃんと練習をしていないんで、文句をいったんです」

「やる気がないなら帰ってよ」「ウチの練習にならないから帰ったら」と、かなり厳しい口調で抗議をした。すると、相手高校の男子部員が「うちの後輩が失礼しました」と謝りにきた。

「その男子がたまたま、弟の知り合いだったんです」

「きちんと謝りたいからお姉ちゃんのLINE、教えてほしいんだって」という話になり、「いいんちゃう」と答えたところからやりとりが始まる。

「それで告白されて、1年くらいは形式上、つき合いました。でも、男子に求められる女にはなれないっていうことが、だんだん分かっていきました」

そもそも寮ではケイタイが禁止。

隣に先生の部屋があったので、深夜、声が聞こえないように布団に潜って電話する状態だった。門限が厳しく、寮から自由に出ることもできない。

「その気になれないし、中途半端に続けるのも悪いな、と思って、お別れしました」

 

<<<後編 2022/08/24/Wed>>>

INDEX
06 再び、看護師への道を目指す
07 FTMの友だちができて、初のオフ会へ
08 おお、ついに彼女、できたぞ!
09 思わぬ形でのカミングアウト
10 みんなが集まれる居場所を提供したい

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