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LGBTを抜きにした自分でこれからも発信していく【前編】

切れ長な目が印象的な田代悠さん。初々しい笑顔と話しかけやすい親しみやすさに溢れている。ブログの文章や話す言葉は明確で、知的だ。中学2年で自分の性自認に悩み始めてから、考えて考えて、考え倒したという思春期。その後、一直線にSRS(性別適合手術)まで突き進んでいった。24歳の今、フラットな軽さを身に纏う “たっしー” として、企業や当事者に向けて中立的な目線で発信をしている。

2020/06/25/Thu
Photo : Tomoki Suzuki Text : Shinobu Aoki
田代 悠 / Yu Tashiro

1996年、埼玉県生まれ。両親と3歳上の兄の4人家族の末っ子として生まれる。幼少期から自分の性に違和感を感じていたが、中学3年生の時にトランスジェンダー(FTM)であることを自認。高校1年生でSRSを受けることを決意してからは、アルバイトで資金を貯め、全て個人手配でタイに渡航して手術を受ける。現在、会社員として勤務のかたわら、自身のブログやツイッター、企業セミナーなどで発信を続けている。

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INDEX
01 スポーツ万能のいい子
02 頑張ってこの性を演じる
03 僕はFTMだったんだ
04 高校時代のカミングアウト
05 母親の涙と理解
==================(後編)========================
06 ゴール、そして発信へ
07 企業セミナーに登壇して
08 性別適合手術の前と後
09 ツイッターでアウトプット
10 これからの自分

01スポーツ万能のいい子

いかにマジョリティに染まるか

他人からどう見られているかをすごく気にする子どもだった。

「いかにマジョリティに染まるか、普通を装うかっていうのを、いつも考えてましたね」

「親や先生に反抗することもなく、部活も勉強もちゃんとやってたし、めちゃめちゃいい子だと思われてました」
「めちゃめちゃ優等生(笑)」

幼い頃からスカートや長い髪、おままごとの母親役など、女性性にはまるのが嫌だった記憶はある。

「それでもやっぱり、お母さんが女の子として育てるじゃないですか。だから、髪の毛長くしなくちゃいけないな、って」

「周りに縛られてる感は強かったですね」

「女の子として生まれてきて、女の子として育てられてると、頭では理解してたから、頑張ってこの性を演じるしかない、って考えてましたね」

幼稚園から小2ぐらいまでは、園や学校に行くのが嫌で毎日泣いていた。3歳上の兄に連れていってもらって、やっと教室に入れる。

かといって、園や学校が嫌いで引っ込み思案な子だったのかというと、そうでもない。

クラス全員とみんな友だちで、誰とでも仲良くしていた。

「クラスの中心で騒いでいるタイプですね」

「ボーイッシュさも影響してたのか、男女隔てなく仲良くできてたので、何かっていうと『田代!』って呼ばれる便利な仲介役(笑)」

「自己主張するより、聞き役でした。平等そうに見えるからか、打ち明け話を聞いたり、相談に乗ったりすることが多かったですね」

皆に頼られる存在だった。

ドッヂボールと野球

父、母、3歳上の兄との4人家族。家族や周囲の人からは「かわいい、かわいい」と言われることが多かった。

低学年の頃一番はまっていた遊びは、ドッヂボール。下校時間ギリギリまで校庭に残って遊んでいた。

「ドッヂボールって道具もいらないし、誰でもできるじゃないですか。やろう! って言ったら大抵の子が集まってきました」

「ボール1個で延々とみんなで遊べる、それが好きだったんでしょうね。もう毎日ガンガン、ボール当てまくっていました(笑)」

小4からは学校のクラブで野球を始める。きっかけは学校の体力測定だった。

「僕、運動能力の成績がめちゃめちゃ良くて、それを見た友だちが僕を野球に誘ってきたんです」

「お父さんが野球好きだったから多少はやってたんだけど、じゃ、本格的にやってみよっかなーって」

そこからは野球一色の生活になった。

「男子は低学年と高学年で出られる試合が分かれるんだけど、女子はどっちも出られたんで、選手としての需要が高かったんですよ」

「ポジションもいろいろやらせてもらえました」

「足も早かったし、筋力もあったから、男子にも全然見劣りしなくて、小学校の間は負け無しでしたね(笑)」

それまでも家族全員でスキーに行ったり、アウトドアを楽しむ仲の良い家族だった。

「野球を始めたら、お父さんは同じチームのコーチになって、お母さんは欠かさず試合を見に来てくれました」

同時期に中学に進学した兄も野球を始めて、家族ぐるみで野球に没頭する野球一家になった。

02頑張ってこの性を演じる

「4月からどうしよう」

野球を始めたことで、髪を短く切って、Tシャツと短パンで過ごす言い訳ができたのは嬉しかった。

「雪降ってても、『野球やるから』って半袖短パン。学年に一人二人はいるじゃないですか」

「とにかく半袖短パンで外で遊びたい子。まさにそのタイプ(笑)」

ところが中学に進学する段階で、制服という壁に直面する。

卒業式の後、春休みにセーラー服が家に届いてからは、入学式まで家で毎日泣いていた。

「もう地獄。僕は4月からどうしようって。好きな女の子に制服姿を見られて『あ、田代ってやっぱり女の子なんじゃん!』って思われるのもたまらなかった」

相談できる人もいないので、一人で悶々とする毎日。

「それでもしゃあないな、って3年間着ているうちに耐性がつきました(笑)」

スカートの下に短パンをはき、ヒラヒラしているけれどこれはただの飾りだ、と折り合いをつけた。

「高校でも、そのままスカートをはいて通いました」

もともと人にあまり相談もしない。他人に影響を受けることは少なく、全て自分で考えて自分で解決するタイプだ。

「制服に対する違和感はありましたけど、これが普通なんだろうなって」

頑張って女性を演じる毎日だった。

「レズビアン?」いや違う

中2ぐらいから体が女の子らしく変わっていく。
体に対して、違和感や嫌悪感が増す日々だった。

「これって何なんだろう、ってセクシュアリティについて考え出すようになりました」

「それまでは、僕は女の子の体だけど、みんなのように女の子として成長はしないんじゃないかなと、ちょっと勝手な期待をしてました」

「でも現実は厳しくて・・・・・・。周りの男子は身長が伸びて体もたくましくなって、僕がたどりたかったストーリーをたどってて」

現実を知り、また一人で泣いた。

「その頃すごく好きな女の子もいたんです。だから最初は、自分はレズビアンなんだろうと考えてました」

当時は性同一性障害、GIDという言葉をまだ知らない。

「“同性愛” は知っていたので、携帯で一生懸命検索したり本を読んだりして調べましたね。でも何か自分とは違うって感じるんです」

03僕はFTMだったんだ

性同一性障害、「これや!」

ある日、テレビドラマ「3年B組金八先生」の再放送で、上戸彩演じる “鶴本直” を観る。

「これや!」

そこで初めて性同一性障害を知った。

「それまでは、自分がおかしいだけで、他にこんな人はいないと思ってたんです」

「いろいろな情報を調べるうちに、ああ、こういう言い方もするんだ、こんな人もいるんだ、ってだんだん知識を増やしていきました」

金八先生を入り口に、とことん調べ倒して自分の頭でひたすら考えた。

中3の頃には、自分は性同一性障害なんだ、とスッキリ納得するに至る。

「人に相談するのが苦手だから、自分で解答を探さざるを得ないんですね。人に言えないからこそ、自分で考える癖がつきました」

「それがいい方向に行ったから、迷いがなかったんだと思います」

計画立てて一直線

「高1時には、SRSをすることをもう自分の中で決めてました」

決めてからは一直線。迷いはまったくなかった。

「大学卒業するまでにSRSを終わらせようと決めて、じゃ費用の100万円はバイトして貯めなきゃって」

― 手術をするには、カウンセリングを受けなければならないんだな。
― 親の同伴がいる? じゃあカミングアウトしなければならないな。
―18歳ぐらいからカウンセリングに通おう。
―20歳にはホルモン注射を始めたいから、高校卒業までには親に言おう。

逆算して計画を立てた。

「とりあえず今の自分にできることは? って考えて、高1の冬に一旦は入部した陸上部をやめて、バイトを始めました」

朝は4時半に起きて、週6日マックでアルバイト。

高2から部活でソフトボールを始めたが、週6回ある部活の参加を3、4回にして、下校後もバイトをする毎日だった。

「それでも僕は、ソフトボールでレギュラーの座を譲らなかったんです。部活もやるって決めたからには、やっぱり絶対レギュラーじゃないと」

「今振り返ると、ちょっと部員に迷惑かけたかなとも思うけど、その頃はお金もレギュラーも、欲しいものは全て欲しかったんです(笑)」

親には、部活費用を稼ぐためのアルバイトだと説明した。

部員たちとは元々仲が良かったし、ソフトボールの実力と持ち前のコミュニケーション力のおかげで、活動回数が少なくても文句を言われることはなかった。

「技術がすべてで、周りより上手ければいいんだって思ってたので、一歩間違えば嫌な奴ですよね(笑)」

「でもそんなことは悟られないように、周囲の目を気にしながら生活してました」

「それに、僕、女子にはなんせモテていたので。ファンの子らからは “神対応の田代” って呼ばれてました(笑)」

04高校時代のカミングアウト

「ありがとう」と言った先生

アルバイトで部活を休む都合上、顧問の先生に最初にカミングアウトした。

「僕はこういう理由で将来手術するんで、その治療費を貯めることが今一番大事なんです、って言いました」

「先生は初めてそういう子に出くわして、最初は戸惑ってたと思いますよ。でも最終的には『ありがとう』って」

「『俺は今までそういうの知らなかったけど、これからまた同じような子に出会うかもしれない。だから田代がいろいろ教えてくれて良かった』って言ってくれました」

同じ頃、すごく好きな子ができた。
高2の時に告白して付き合うことになる。

トランスジェンダーの場合、好きな子への告白は性自認のことと、好きだという気持ちを同時に伝えなければならないことが多い。

「もう、両方一緒に直接言っちゃいました」

「話しても大丈夫な子じゃないかな、って感じてたし、僕のことを性別関係なく、人として好きでいてくれるような気がしたから」

「めっちゃいい子で、100%受け入れてくれました」

「小学校の時に、FTMの子が学校にいたらしくて、ある程度理解があったんだと思います」

「あまり男・女とか言わなくて、『田代は田代だから。そんな田代が好きだから』って言ってもらえたのは、すごく嬉しかったですね」

「その子への気持ちは、愛があふれちゃって(笑)友だちにもばれていました」

しかし付き合っていることまでは、どうしても周囲に言えなかった。

「友だちと恋バナになったら、『恋愛? 僕はソフトボールが恋人だよ』ってごまかして(笑)」

初めての彼女とは、その後2年半ぐらい交際を続ける。

「付き合っていればいろいろあるんで、まあ最後の方は・・・・・・(笑)」

「いい思い出しかないですね。その子に傷つけられたような思い出は、まったくないです」

カミングアウトは自分だけのためじゃない

女の子が好きだということは皆に知られていても、セクシュアリティについて自分から告げるのは怖さがあった。

「友だちにFTMだってカミングアウトするのは、高3になってからでした」

仲の良い幼なじみや部活の子に話した。

「ほとんどの子は「田代は田代だしね。関係ないよ」って受け入れてくれました」

「男同士だとおちゃらけてて、真面目な話をするのは気恥ずかしかったんです。だから打ち明けたのは、主に女の子の友だちでしたね」

態度が変わる子はいなかった。
逆に治療のことなど、たくさんの質問をされた。

それがお互いにとって、とても良かったと思っている。

「結局カミングアウトは、自分一人のためだけでなかったんですね。その子たちの理解につながるならいいな」

「次にまたトランスの人に会った時に、僕っていうモデルを知っていれば、その人の味方になってくれるだろうって」

カミングアウトには、そんな期待も込めていたのかもしれない。

05母親の涙と理解

大泣きした母親

友だちの次は親だ。

高校卒業の頃に、まず母親に打ち明けた。

「まったく否定的。大泣きされました。なんかボーイッシュな女子ぐらいに思ってたって」

「孫の顔も見たいし、体にメスを入れるなんて、そこまでする必要があるのかとも言われました」

「お父さんはいまだに、いいとも悪いとも何にも言わないんです。お父さん、何考えてるんだろう(笑)」

兄は薬学部だったこともあり、むしろ好奇心のほうが強かった。

「ホルモン注射の話なんかすると、すごく食いついてきちゃって、『何それ、どうなんの? 副作用あるの?』なんて、学問的興味が強い(笑)」

母親には思春期の気の迷いかもしれないから、カウンセリングに行ってみればと言われる。

「こっちは、よしよし、これで病院に行ける。病院に行けばこっちの勝ちだって」

「それで『じゃ、お母さんがそう言うなら病院に行って、先生と相談してちゃんと考えるね』ってカウンセリングに通い始めました」

「方便ですよ(笑)」

すぐに理解されないのは当たり前

大学入学と同時にカウンセリングに通い始める。
20歳で、性同一性障害と診断が下りた。

「その間に親との関係が気まずくなって、家を出て1年間くらい一人暮らしもしました」

「家に戻った頃には、お母さんもだいぶ折れてくれてました」

「離れ離れで生活してお互いの存在の大切さもわかったし、お母さんもLGBTの映画を見たりいろいろ勉強して」

「うちの子はうちの子らしくしていてほしいと、思ってくれたんじゃないかなと思います」

「診断書が出る頃には『どうせあなたは好きに生きていくんでしょ』ってなかば諦めてました。ただ治療自体は20歳から始めてほしいって言われました」

今では母親もママ友に僕のことを話しているようだ。
職場にMTFらしい人が来たよ、なんて教えてくれることもある。

やはり、時間をかけて理解してもらうことが何よりも大事だなと思う。

「僕らがこんなに悩んで時間をかけて自分の答えを出しているのに、他人に速攻で理解してもらうのが難しいのは当然なんです」

「ただ当事者になると自分の気持ちばっかり先走っちゃうから、『なんでマジョリティは』とか『なんで親は』とかになりやすいんです」

「でも、自分が自分の性自認を理解するまでに、どれだけの時間がかかったか、よく考えればわかるはずですよね」

 

<<<後編 2020/07/02/Thu>>>
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06 ゴール、そして発信へ
07 企業セミナーに登壇して
08 性別適合手術の前と後
09 ツイッターでアウトプット
10 これからの自分

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