02 初めて好きになった相手は女の子
03 性同一性障害は病気で悪いもの
04 だんだん居心地がよくなった女子寮生活
05 ストイックな練習が開花。空手で好成績
==================(後編)========================
06 再び、看護師への道を目指す
07 FTMの友だちができて、初のオフ会へ
08 おお、ついに彼女、できたぞ!
09 思わぬ形でのカミングアウト
10 みんなが集まれる居場所を提供したい
06再び、看護師への道を目指す
冷やかされるのが怖い
男子とのつき合いに2度チャレンジしたが、2回ともワクワクする気持ちがないまましぼんでしまった。
「好きになったのは、やっぱり女子で、寮の同級生でした。でも、やっぱり気持ちを伝えることはできませんでした」
「受け入れられなかったらどうしよう」
「いったら、気持ち悪いっていわれるんじゃないか」
中学の頃と変わらず、臆病になるばかりだった。
「よく、その子の部屋に遊びにいっていたんですけど、なんの進展もなく、告白もできないままでした。周りにも女子同士のカップルはいなかったんですよ。だから、余計に冷やかされるのが嫌で、隠していました」
ところが、卒業してから、「絶対、はっちゃんはあの子のことが好きだったよね」と同級生にいわれ、バレていたんだ、と知った。
父の反対を押し切って医療系コースへ
高校に入って学力上位の6組に編入され、成績が安定すると、再び看護師への道が現実的になってきた。
「お父さんは大学まで空手を続けてほしいって、ずっと思っていたんです」
空手はもういい。
医療系に進みたいと相談すると、「お前、小学校のときに、大学まで空手をするって約束したやろ」と怒鳴られた。
「小学生時代の話やろ? こっちも大人になってるからさ、っていい返しました(笑)」
殴る、蹴るの乱暴を受けた。
「大学まで空手をやっても、学歴に箔がつくわけでもないし、教師になるくらいしかないんですよ。それなら手に職をつけたほうがいいと思って、自分の考えを通しました」
空手が強くても、それでご飯を食べられるわけではない。お母さんも自分の考えに賛成して応援してくれた。
「お父さんの反対を押し切って、2年から医療系コースに入りました。弟たちは、みんな大学まで空手を続けたんですよ」
07 FTMの友だちができて、初のオフ会へ
奨学金を使って進学
望みどおりに医療系の専門学校に進学することになったが、問題は学費だ。
「お父さんが反対でしたから、自分で学費を出すから行かせて、ということになったんです。高校の先生に相談したら、奨学金のことをくわしく教えてくれました」
卒業後に就職したいと思っていた病院から補助が出ることも分かった。お父さんもその病院の関係の仕事をしていたので、あの病院ならいい、と珍しく意見が合った。
「ぼくが大学に行くために貯めていてくれたお金があったらしいんですけど、いらなくなったといって、それを使って立派な道場を建てたんですよ。あいつ、ホンマに建てよった、って感じでした(笑)」
オレ、FTMじゃない?
セクシュアリティに関する前進があったのは、高3のときだった。
「ちょうどTwitterが流行り出して、何気なく見ていたら、似たような感じの人がいるなぁ、と気がつきました。奈良県に住んでいる、知り合いの知り合いで、こういうのもアリなんや、と思いました」
実家に戻って専門学校に通い始めると、トランスジェンダー、FTMという言葉に出会った。
いろいろと調べるうちに、「これ、オレのことじゃない?」と思い当たった。
「女の子なんだから、っていわれるのが、ずっと嫌だったし、女性らしい振る舞いをしたり服を着たりするのも苦手でした。そこに、FTMがすっぽりハマったんです」
Twitterを通じて、初めてFTMの友だちもできた。
「2つ年上で、看護師をしている人でした。年も近くて仕事も一緒なんで、気が合いそうやな、と思ってメッセージを交換するようになりました」
大阪に住んでいる人で、会って一緒にご飯を食べるようになった。
その後、大阪でオフ会があることを知り、その人に「行くの?」と聞くと、「行くよ」と返信があった。
「それが初めて参加したオフ会でした」
08おお、ついに彼女、できたぞ!
自分の家で泣きながら告白
専門学校の同級生に気になる女性がいた。
「最初の半年は、そういうふうには見ていなかったんです。でも、急にかわいくみえてきました」
ときどき、自分の家で一緒に勉強することがあり、その日も家に泊まりに来ていた。そこで、初めて「好きなんだ」ということができた。
「泣きながら話しました。彼女も、いつかいわれるんじゃないかと思っていた、と受け入れてくれました。おお、ついに彼女、できたぞって感じで、うれしかったです」
すでに、FTMであることは、友人たちにじわじわとカミングアウトしていた。打ち明けた友だちに「はっちゃんは、はっちゃんだから」といってもらったのが自信になった。
「お酒の席なんかで、人に聞かれると話すようになってました。女性として生きていくつもりはないからさ、っていう感じで話しました。心配していたほど、変な目でみられないことも分かりました」
TwitterのプロフィールにもFTMと書くようになった。
「だから、家で告白したとき、彼女はもう、ぼくが性同一性障害だってことを知ってたんです」
男性として生きるために手術もしたい
大阪での初めてのオフ会には、彼女と一緒に参加した。
「オフ会でいろんな人の話が聞けて、すごく視野が広がりました。オナベの子とか、そのパートナーとか、治療をしてる人とか、いろんな人に会えました」
最初は治療をしなくてもいいかな、と思っていたが、手術をした人の話を聞くと、自分もやりたいな、と思うようになった。
「声が高いのがコンプレックスだったんです」
後ろから声をかけられて、返事をした途端に『女の子やったんか、ごめん』と謝られたこともあった。
「生理も嫌だったし、お風呂に入って、自分の女らしい体を見るのも嫌でした。オフ会に行くようになってから、男性として社会的に認められたいと思い始めました」
男性として生きていくなら、戸籍も変えたい。いずれ、男性として結婚もしたい、と少しずつ夢が膨らんでいった。
「手術までしよう、と気持ちがまとまりました。自分の中での受け入れは、とてもスムーズでしたね」
卒業式の日の別れ
彼女にとっても、FTMとつき合うのは初めてだった。一緒に恋愛を楽しんだ。
「つき合いは、同級生にも、家族にも隠したままでした。でも、卒業してから、みんな気がついていたんだって分かりました(苦笑)」
しかし、この恋は終わりが決まっている恋だった。
「彼女の親に偏見があったので、卒業までという条件でつき合い始めたんです。どうしてもいい方法が見つかりませんでした」
彼女の妹が彼氏を家に連れてきたとき、両親がとても喜んで迎えた話を聞かされた。
「申し訳ないけど、私たちは堂々とつき合えない。親からも祝福されない。それは悲しすぎる、といわれました」
結局、約束通り卒業式の日に別れた。つき合いは2年間だった。
「嫌いになったわけではないし、一緒に勉強をして励まし合ってきた仲間でもあります。彼女にはいま彼氏さんがいますけど、今でも友だちです」
09思わぬ形でのカミングアウト
医師の診断前にホルモン剤を飲み始める
専門学校に在籍しているときから、ホルモン剤を自分で買って飲み始めていた。
「体つきは変わりませんでしたけど、生理が止まったり、それなりの効果はありました」
卒業を控えた1月に受けた健康診断で、血液検査で引っかかってしまう。
「ホルモン剤が原因だとすぐ分かりました。国家試験が2月にあって、その2日後に病院から電話がありました」
ところが、ちょうど電話に出られず、夕方にかけ直そうと思っていたら、お母さんから「病院に電話しいや」とその前に連絡が入った。
「なんで知ってんの? って聞いたら、お父さんが病院の人に娘さんと連絡が取れない、といわれたっていうんです。しかも、血液検査に異常があったって話しちゃったんです」
これは一種のアウティングではないか。「そんなこと、親に勝手にいわないでください」と、電話で厳重に抗議した。
クルマの中でカミングアウト
その日、お母さんが運転するクルマの後ろの席でカミングアウトをした。
「将来、男性として生きていきたいからホルモン剤を飲んだ。肝臓の数値が悪かったのは、そのせいだと思う、と話しました」
お母さんは、「20歳を超えてもメンズの服なんか着ているし、もしかしたらそうかと思っていた。自分から聞くのは怖くてできなかった」と、受け入れてくれた。
「娘と一緒にご飯作ったりしたかったって、運転しながら泣いてました。ごめんなって謝りました・・・・・・」
夜、当然、お父さんから「血液検査、どうしたんや」と突っ込みがあった。
「ちょうど生理やったから、貧血、貧血ってごまかしました。そうか、それならいいけどな、でその場は収まりました」
職員名簿の男の欄に名前があった
3年間通った専門学校を卒業し、予定どおりの病院に就職する。
「採用面接にはメンズスーツを着ていきましたけど、落とされると嫌なんで、男性として就職したいということは、まだ伝えていませんでした」
内定が決まり、ナース服採寸のときに、「女性のナース服は着れない」と対応してくれた看護部長さんに話した。
「過去にぼくみたいな人がいたということで、すんなり男性職員として扱ってくれました」
当然、食堂に張り出された職員名簿では、男性の欄に自分の名前が載った。
「病院の仕事をしているから、お父さんも食堂でご飯を食べるんですよ。そのときに、ぼくの名前を見つけて、『なんだ、これは』ということになっちゃったんです」
その翌月からカウンセリングも受ける予定になっていた。
「ここまできたら、もう話したら」とお母さんにアドバイスされ、「今晩、話があるから」とお父さんに伝えた。
「話ってなんや。お母さんは聞いているのか」
「名簿のこととちゃうん?」
「性同一性障害か?」
「本人の口から聞き」
そんな会話が夫婦の間であったと、後で聞かされた。
「その晩、お父さんに話しをすると、心と体が違うことは分かった。だけど、注射とか手術はするな、といわれました」
しかし、もう決心はついていた。「もうすぐ診断書も出て、注射も始めるから」と言い切った。
「それ以来、腫れ物に触るように、お互いにその話はしなくなりました」
10みんなが集まれる居場所を提供したい
器械出しという責任ある業務
入職以来、病院ではオペ室所属だ。手術中にドクターが使うメスやハサミなどを渡す、器械出しという業務を担当している。
「本当は外傷が見たくて、緊急性が高い救急に興味があったんですけど。今の仕事に就いて、もう4年経ちました」
2、3人のドクター、血圧などをチェックする外回りなどとチームを組んで手術に当たる。
「手術が始まる前に手順をしっかり確認して、器械をそろえておくことが大事です。手際よく器械を出せれば、手術時間を短くして、患者さんの負担を減らすこともできます」
お腹、心臓、脳など、手術をする部位によって使用する器械が異なる。次にドクターが何を必要とするか、予測することも重要だ。
「手術前と後で、器械やガーゼの数がきちんと合っているか、体内に残してすような間違いがないか確認するのも大切な仕事です」
お父さんと大げんか
ホルモン治療を始めて半年ほど経ち、リビングでお父さんと空手の話をしていたときだった。
「声がおかしいけど、風邪でも引いたのかって聞かれたんです。前にホルモン治療の話、したたやろ、といったら、オレの前でその話はするなー! って押し倒されたんです」
それから、殴り合い、蹴り合いの大げんかになった。
「お酒を飲んでいるから、余計にタチが悪いんです。こっちもキレて本気になりました」
最後はものの見事に投げ飛ばして、決着をつけた。
「出ていけー! 帰ってくるな! って怒鳴ったんで、はい、分かりましたといって、友だちの家に泊めてもらいました」
「しばらくおったら?」という友だちの好意に甘えて、居候させてもらい、そのままアパートを見つけて一人暮らしを始めた。
22歳のときだった。
「もともと、家を出たいと思っていたんですが、お父さんに反対されていたんです。ちょうどいいタイミングでした」
それ以来、おばあちゃんのお葬式で顔を合わせたほかは、会っていない。
「解決する気がしてないですね。無理と思いつつ、どうにかしたいという気持ちもあるんですけど・・・・・・」
先日、父親の誕生日に、久しぶりにメッセージを送った。
文面は「誕生日おめでとう。体に気をつけてね。これから夜勤なんで、返信はできません」だった。
あなたの健康に乾杯!
就職してから一人、つき合った相手がいたが、1年ほどで別れてしまった。それ以来、3年間、パートナーはいない。
「たまにオフ会には、いってます。彼女がほしいという気持ちはあるんですけどね」
月に1回ほど、バーを借りて友だちが集まれる場を作っている。バーの名前はフランス語で「santé」。「あなたの健康に乾杯!」という意味だ。
「キャバクラのボーイのアルバイトをしてたことがあるんですよ。お酒も好きだし、みんなで話ができる居場所を提供できればいいと思ってます」
自分自身が、人にいえなくて辛かった時期を経験している。そんな悩みを持つ人の助けになれれば最高だ。
「奈良県はLGBT当事者でSNSに参加している子が少ないんです。人口が少ないのは分かりますけど、10人から13人に一人はいるはずなのに、それより少ないのは、いえない子が多いんじゃないかと思ってるんです」
30歳までに天理でバーを経営したい、という夢がある。
「セクシュアリティに関わらず、誰でも来れる、健康を考えたバーをやってみたいですね。看護師の仕事は好きなんで、バイトや派遣で続けられればと思ってます」
カミングアウトすることを恐れて、自分の殻から出られない子が多い。
「カミングアウトがすべてじゃないけど、伝えても変わらずそばにいてくれる人は必ずいます。今の自分だからこそ出会えた、と思える人がいるはず」
「生まれ変わっても、自分がいい。最期にそう思える最高の人生を目指したいですね」
たくさんの人に支えてもらい、背中を押してもらったと感謝している。今度はその恩を返す番だ。
そしていま、家族へ伝えたいおもいがある。
家族へ
いつかこの記事を見たとき、なんて言うやろ。
自分がトランスジェンダーであることを伝えるときも、全く同じことを考えて、カミングアウトが怖くて仕方なかった。大切やからこそ、伝える勇気が出るまでにかなり時間もかかってしまった。
全ての人に理解されることは難しいけど、やっぱり家族だけは自分の味方でいてほしかったってのが本音です。
ありがたいことに僕の周りには、カミングアウトしても「はっちゃんは、はっちゃんやで」って、今までと何も変わらずそばにいてくれた人がたくさんいました。
それは他人やから、家族じゃないからそう言える・・・そうかもしれんけど、実際に僕自身は、その言葉に、そういう人たちに何度も救われ、支えられてきました。
LGBT当事者で、たった1人で悩み苦しみ、自ら命を絶ってしまう人は少なくありません。そんな中、僕が今もこうして生きていれるのは、家族はもちろんのこと、そばにいてくれる人が周りにたくさんいたから。そしてこうして自分を発信することで、救われる人がいることも知りました。
だから僕は、自分がトランスジェンダーであることを胸を張って言い続けます。これだけは絶対に譲れない気持ちやから。
自分の信念を曲げずに貫き通す。この性格は父親譲りで、ずっとそばで父の背中を見てきたからなんやなって思います。
僕はどこまでいっても父の子なんやって、あなたの子どもでよかったって、本当におもいます。
今の自分やったからこそ出逢えた、素敵な人がたくさんいます。
生まれ変わっても自分がいい。死ぬときに心からそう言える人生にします。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
僕の夢の1つである、家族で笑ってご飯をたべれるときが、いつかまた来ますように。