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自分事に置き換えて想像してほしい【後編】

自分事に置き換えて想像してほしい【前編】はこちら

2022/12/10/Sat
Photo : Tomoki Suzuki Text : Chikaze Eikoku
河上 りさ / Lisa Kawakami

1982年、大阪府生まれ。3人きょうだいの長男として生まれる。高校生でニューハーフという職業を知り、その世界に飛び込むが “暗黙の了解” に息苦しさを覚えた。女性として生きる道を発見した今、同じ境遇の人々のロールモデルとしてYouTubeなどで発信を続けている。

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INDEX
01 「女性の体に戻りたい」と考えていた幼少期
02 男ぶることで身を守った思春期
03 TVで観たニューハーフに「これや!」
04 失敗したカミングアウト
05 ニューハーフの世界への違和感
==================(後編)========================
06 「女性として生きれるんや」
07 業界のボスが性別変更、風向きの変化
08 日本語教師を志す
09 両親との和解、夫との出会い
10 MTF当事者として発信する理由

06 「女性として生きれるんや」

「女性として生きている人」との出会い

22歳のときに、自分の素性を明かさず移行後の性別で生きるいわゆる「埋没」をしている人がたまたまお店に遊びに来た。

当時埋没しているMTFはめずらしく、ニューハーフからは基本的に「気持ち悪い」「勘違い野郎」と目の敵にされる傾向があった。

「でも私は仲良くなりたいなと思って、接客について友だちになって、いろいろ話聞いてたんですね」

夜のお店に属さない人の生き方など、それまでは想像すらできなかった。

しかし女性として生きられることを知って、「自分はこれや!」と思い直す。

ボイストレーニングと同僚からの嫌がらせ

埋没しているMTFの友だちに誘われ、低い声を矯正するために大阪から東京までボイストレーニングに通い始めた。

「その先生はいろんなMTFの方に指導してはるんで、埋没して生きてる人がいっぱいいるってことを教えてもらったんです」

戸籍上の性別を変更する方法も知り、大阪医大にかかる。

「そのことをポロッとママに言ったら、思いっきり怒られたんです。『また自分のこと、女と思ってんのか!』って」

「女性として生きる」ことは、当時のニューハーフからすれば最大の裏切りだった。

全体集会で糾弾されてしまう。

「もうボイストレーニングやめろ! って言われて・・・・・・」

「すいませんでした、もう病院行きません。自分はニューハーフで、女じゃありません。ニューハーフとして生きていきます」
こんな宣言をさせられてしまう。

「そこまでする必要あったんかな、って思うんですけど・・・・・・」

しかしながら当然気持ちは収まらない。ボイストレーニングはその後も黙って通い続けた。

性別移行に反対する同僚からの嫌がらせ

「お店では低い声でしゃべって、普段はボイストレーニングで習得した高い声で練習してました」

「性別変更とか改名するために病院にも黙って通って・・・・・・」

しかし、お店の同僚からの嫌がらせは激化していく。

「裏切られたわ、信用してたのにがっかりや、とか言われて」

「ときには暴力も振るわれました。ナックルの入ったカバンで殴られたりとか、首絞められたりもしたんです」

店内では暴力も当たり前のようにあったが、私に対する当たりはどんどん強くなっていった。

「壁に体を押し付けられて首絞められて、体が浮いたんです。あんときはもう、死ぬのかなって思いました」

「騙されたとか裏切ったとかって感じたんでしょうね・・・・・・」

もうお店では言わないでおこう、事後報告にしよう。
そう決めるも、お客さんにまで言いふらされてしまった。

「こいつ自分のこと女やと思ってん、気持ち悪いですよね〜って、お客さんにも『おまえ男やないかい、勘違いしてんちゃうぞコラ!』って言われて・・・・・・」

「それがけっこう辛くて、精神的にもおかしくなって、ショーが終わったらトイレで泣いたりしてました」

ショータイムの幕間に楽屋で殴られ嫌味を言われ、それでも笑顔で戻らなければならない。

当時の自分には、そこしか生きる世界がない。
店を辞めるわけにもいかず、しがみつくしかなかった。

07業界のボスが性別変更、風向きの変化

命の恩人との出会い

店内でつま弾きにされ苦汁をなめるが、業界の重鎮であるカルーセル麻紀が性別変更したことにより、風向きが一気に変わる。

「うちのオーナーママの繋がりで、うちのお店で麻紀さんの性別変更のお祝いパーティーがあったんですよ」

テレビ局が入るような大々的なパーティーだった。

「うちらは下っ端なんで端っこにいたんですけど、麻紀さんがそばに来てくれたんです」

「あんた、若いころの私にそっくりやな。ちゃんと頑張りや」。温かい言葉をもらい、胸がいっぱいになった。

「それで乗り切れたんですよ。だから麻紀さんは、私の命の恩人なんです」

性別変更、昼の世界へ

重鎮が性別変更を遂げたことによって、性別変更がおかしいことではないという考えが浸透する。

「今まで私を『気持ち悪い』って言ってた同僚とかが、『私も名前変えたいねん、やり方教えて』とか『通ってる病院、私も連れてって』とか聞いてくるようになったんです」

そこから私が戸籍上の性別を変更するのに、時間はかからなかった。

「24歳でお店を辞めるときはみんなに『頑張れや』って、送り出してもらいました」

嫌がらせをしていた人たちは、私が店を辞める前にみんな辞めてしまっていた。

「オーナーも言ってたんですけど、本心では手術がしたいと思っていても、やれない人たちの嫉妬もあったんでしょうね」

08日本語教師を志す

誰かの役に立つ仕事がしたい

ニューハーフとして働き続けた6年間、その後の人生については漠然としていた。

「ニューハーフしかないって思ってたんですけど、ずっとダンサーができるのかは不安で。私、膝の関節が強くないんですよ。若いうちはいいけど、年とったらどうすんやろとか・・・・・・」

「場末のバーに落ちぶれていく人の話なんかも聞いたりしてて、自分もそうなっていくんかなとか」

「でも自分にできることとか、自分の武器って、何も見つけられなかったんです」

芸能プロダクションからスカウトも受けるが、ママからの助言もあり、辞退する。

そんな不安を抱える中、あるお客さんとの会話が将来像を固めるヒントになる。

「せっかくこの平和な世の中に生まれてきたんやから、誰かの役には立てよ」。この言葉が心に刺さった。

「自分でも誰かの役に立てんのかな、自分に何があるのかなって考えたときに “日本人” やってことが浮かんだんです」

今から20年前は、海外から日本へ働きにくる人も多かった。

「語学は好きだったし、そういう人のために日本語を教える仕事をしようって思ったんです」

タイとフィリピンで日本語教師に

日本語教師は、短大卒や大卒などの条件を求められることが多い。
高卒で日本語教師をできるのは、タイやフィリピン等に限られていた。

「日本語の先生になるために、1年間はOLとスナックの掛け持ちでお金を貯めたんです。現地の言葉は、自分の授業内で自力で覚えました」

1年ずつ、計2年間2つの国で日本語教師として勤めるが、当時付き合っていた彼氏が体を壊し、看病のために帰国する。

「帰ってからすぐ別れたんですけどね、喧嘩して(笑)」

「それから日本で福祉関係の仕事に就きました。精神保健福祉士の資格を取るために学校行ったんです」

「ついでにアルバイトでまた日本語教師したかったんで、大学に1年だけ編入して、大卒になりました」

09両親との和解、夫との出会い

絶縁をした両親との雪解け

高校卒業時に物別れしてしまい絶縁に至った両親が、20歳のころニューハーフのお店に遊びに来てくれた。

「はっきり覚えてないんですけど、たしか親戚が両親を連れてきてくれたんです」

それをきっかけに両親とは和解、SRS(性別適合手術)の際には母親が付き添ってくれた。

母親に当時の気持ちを聞くと、「人並みの幸せは望めへんのちゃうかとか、ちゃんと生きていけるんか不安やった」と心配からくる感情だったと教えてくれた。

「当時、母は『自分の育て方があかんかった』とも言ってましたね・・・・・・」

「カミングアウトのときは、突然すぎたから驚きの方が大きくて、突っぱねてしまったんやと思います」

15歳離れた下の弟が物心つくころには絶縁していたため、帰って来たときには私はすでに「女性」だった。

「だから弟からしたら、私はお姉ちゃんなんですよ。お兄ちゃんっていう印象がないんです」

婚約破棄を経験、父からのアドバイス

恋愛は基本的に、相手からのアプローチを待つタイプだ。

「18からモテてモテてしゃあなかったです(笑)。自分から告白するとうまく行かない気がして」

そのため片思いで終わることもあった。

「31歳のときに浮気されて、一方的に別れを告げられたんですよ。九州の人だったんでそっちに引っ越して、親も紹介されて、家も決まってて、結婚前提で向こうに移住するつもりやったんですけど・・・・・・」

「引越しの3日前くらいになって、『やっぱり子どもがほしいから別れてくれ』って言われたんですよね(苦笑)」

彼氏の要望で看護師になろうとしていたために、通う看護学校も決まっていたし、制服まで届いていた。

「しゃあないので全部キャンセルしました。お金も返ってこないですよ(苦笑)」

SRSも終え、戸籍上の性別を変えてから、それまでは万事うまくいっていた。

「そこで初めて、埋没してからセクシュアリティや体のことでつまずいたんですよね」

そのときまでは埋没後に苦労している人の気持ちがわからなかった。

「今考えると最低ですよね(笑)。我が身で思い知りました」

もうこの先ずっと一生1人かもしれない。
悲しむ私に、父が意外なアドバイスをくれた。

「同じ痛みを知ってる人じゃないと、おまえのことはわからへんのちゃうか」

それを聞いて、自分とは逆のFTMの人のことが頭をよぎった。

今の夫との出会い

「出会い系でFTMの相手を探しても、FTMの人にとってMTFはあんまり恋愛対象に入らない気がして。もうええわって諦めたときに、今の夫がメッセージをくれたんです」

その後、タイへ性別適合手術の再手術を受けるため血液検査を受けに医大へ行ったとき、運命の出会いを果たす。

「夫も同じ日に同じタイミングで、性別変更のための診断書を受け取りに同じ医大に来てたんです。そこから何回かデートして、お付き合いしました」

結婚までは半年と、時間はかからなかった。

「父親の一言もあったし、自分も夫も結婚願望はずっとあったし、もうタイミングかなって」

「電話で突然プロポーズされたんです。唐突だったんで、詐欺の類いか何かと思いました(笑)」

結婚後は鹿児島や大阪、淡路島を転々とし、3年ほど前から義両親と同居を開始した。

10 MTF当事者として発信する理由

焼き芋の移動販売をしつつ、MTF当事者として発信

基本的に生計を立てているのは夫で、それを補助する形で現在は焼き芋の移動販売をしている。

「もともとうちの両親がお店をやってたんですけど、のれん分けして独立しました」

「韓国のコグマダイエットっていう3食のうち1食を芋に置き換えるダイエット法とか、あとは健康志向が流行ったりしたんです」

体を壊したことをきっかけに自営業へ転身したが、今の働き方は自分に合っている。

「結果は良くも悪くも、ぜんぶ自分に返ってくる。それが逆に、私にとってはいいのかな」

MTF当事者として発信を開始したきっかけ

本業のかたわら、MTF当事者としてYouTube等で発信を続けている。

「2020年の11月ごろから発信を始めました。元々は同じMTFさんとかに情報提供できたらいいなってところからだったんですけど、友だちがトランスヘイトにさらされて・・・・・・」

自分にも飛び火が来たが、そこで気がついたことがある。

「悪意を持ってる人は別として、『なんとなく怖い』って叩いてる人もいるんですよね」

「ネタ的にYouTubeで発信してる人はいるけど、ただ生きてるだけのトランスジェンダーについての発信をしてる人は当時あんまりいない気がしたんです」

「誰もいいひんのやったら私がやろうって思って、Twitterで『取材させてください』って呼びかけたんです」

最初は機材も何もなく、がむしゃらに取材を続けて発信をした。

「ちょっとでもヘイトに流される人を減らしたいっていうのと、自分たちトランスジェンダーはあなたたちと同じでただ生きてるだけなんですよ、っていうのを知ってもらいたい。そういう気持ちでやってます」

積極的に他者と繋がることが、何よりも大切

「活動を通じて、私自身がトランスジェンダーについてあんまりわかってなかったんだなって思いました」

人口にトランスジェンダーと言っても、いろんな人がいる。一筋縄ではいかないし、価値観は多様だ。

「たとえばSRS(性別適合手術)に関してだと、私みたいに何の迷いもなくやった人もいるし、抵抗のある人もいる。だから手術するのが当たり前みたいに言わないでくださいって、お叱りを受けたこともあります」

それから、性自認を自覚するタイミングも、人それぞれ大きく異なる。

「私はニューハーフの業界にたまたま繋がれたんですけど、性同一性障害って言葉が出てくるまで苦しみの正体に気づけなかった人もいる」

他にも細分化されるトランスジェンダーコミュニティや、その中での抑圧や差別など、分断があることも知った。

「私はSNS上で議論しないんです。私にできるのは人の話を聞いて、それを1本の動画にして、文章にして、誰かに伝えるってことだけです」

「悪意のある人には何をしても無意味ですけど、それに乗せられる人は1人でも減らすことができる。だから私は、淡々とリアルを伝えます」

トランスジェンダーをよく知らない人に対しては、ただ知ってほしい。

「LGBTQ+とかSOGIとか、その単語をぜんぶ覚えなあかんって捉えてる人がいるけど、そうじゃない。一個一個覚える必要はないんです」

そもそもあの言葉は、その当事者じゃない人が覚えるためにあるものじゃない。当事者がおちいりやすい『自分は何者なのだろうか』という自問自答に対して、当事者自身が自分の存在や答えを見出すためにある言葉なのだ。

「赤の他人が他人を分類するためにある言葉じゃないんです」

「もし今後、あなたの隣に当事者が来たときに、その人を詮索したり分類するんじゃなくて、そうなんやって、ありのままを受け入れてあげてください」

また、今まさに苦しんでる当事者の人たちには、「焦りなさんなよ」と言葉をかけたい。

いい状況も悪い状況も、ずっとは続かない。
だからこそ、主体的に行動して他人と繋がり、さまざまな可能性を知って、自らの未来を切りひらいていってほしい。

「とにかく、殻に閉じこもらない。インターネットを通じたりして、いろんな人と繋がる。各都道府県の団体に繋がる。それが大事やと思います」

 

あとがき
待ち合わせ場所は、一瞬でりささん色にそまった。場の空気をつくる人だ。真剣な眼差しもせつない表情もおどけたポーズも、みんなりささんを表す、輝く■“いまの自分でどうやって生きていこう?” を寸暇を惜しんで考えてきたのか。りささんは、どこかで〔あたり障りなく生きることを手放した〕ようにも感じた■やめることもやめないことも選択できる。まずは自分が選んだ場所も人も大切にしたい。今日のこのときも、自分で決めたことの続きだと認めていきたい。(編集部)

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