INTERVIEW
等身大の「私」を、まだ出会っていない人たちへ届けませんか?
サイト登場者(エルジービーター)募集

挫折もつらいこともあったけど、今までの選択に後悔はない【後編】

挫折もつらいこともあったけど、今までの選択に後悔はない【前編】はこちら

2022/12/31/Sat
Photo : Yoshihisa Miyazawa Text : Hikari Katano
大塚 浩麻 / Haruma Otsuka

1990年、埼玉県生まれ。身体を動かすことと人体への興味が高いことから、高校卒業後は理学療法士を目指すものの、父の他界などをきっかけに一旦ドロップアウト。その後、フィットネストレーナーへの道を進む。ボディビル・フィットネスモデルの大会で優勝後、ホルモン治療を開始。2021年にSRS(性別適合手術)を終え、戸籍上の性別を男性に変更。 

USERS LOVED LOVE IT! 4
INDEX
01 「人体」がとにかく大好き
02 寝たきりの父、山岳ガイドの祖母
03 転校したら明るくなった!?
04 卓球部にいた、FTMの先輩
05 なにか違う、男子とのお付き合い
==================(後編)========================
06 念願の女子サッカー部でセクシュアリティもオープンに
07 父との別れ
08 健康とは正反対のやけくそ生活
09 母へのカミングアウトと女性として生きることへのチャレンジ
10 身をもって証明できる、トランスジェンダーと健康の関係

06念願の女子サッカー部でセクシュアリティもオープンに

ずっと途切れなかった、サッカーへの熱意

高校は、女子サッカー部のある学校を選んで進学した。

「高校では絶対にサッカーをやりたいって思っていました」

小学校の頃からずっとサッカー好きだったのは、引っ越した環境の影響も大きい。

「浦和に住んでるんですけど、浦和レッズってめちゃめちゃサポーターが多くって。中学のときも、浦和レッズが好きな友だちと一緒に2週間に1回は埼玉スタジアムに行って応援しました!」

だが、女子サッカー部の部員は、小さい頃からサッカーを続けてきた精鋭たちばかり。

「サッカーを長くプレイしている同級生のほうが上手いのが当たり前で。高校から始めた私は、付いていくだけで超大変でした」

「筋トレは、入学前から一人で続けてきたから走ったりするのは付いていけるけど、パス練なんてお遊びでしかやったことなかったから。毎日が精いっぱいで、しんどかったですね」

なかなか上手くいかない日々が続いたが、腐ることなく練習に食らいついた。ベンチ選手だったが、交代で大会に出場することはできた。

セクシュアリティについてオープンに話せる環境

高校では、部活に忙殺されて、恋愛どころではなかったが、憧れの先輩を心のなかで愛でるだけで十分だった。

「ライバル校にいる素敵な先輩がかわいいなとか、自分のサッカー部のなかでもあの先輩かわいいなとか、そういう憧れはありましたけど、恋愛として好きではありませんでした」

「かっこいいなと思う男子の先輩もいました」

一方、セクシュアリティについて包み隠さず話せる環境のおかげで、自分の性別違和や性的指向に心を振り回されることはなかった。

「進学先が元女子校で女子の割合が多くて、しかもサッカー部やバスケ部の半分くらいは自分のような女子だったんですよね。だから、好きな女子の話をするのは当たり前で、隠す必要はありませんでした」

身体に対する違和感もなくはなかったが、部活が激しすぎて生理が来なくなってしまったこともあり、今すぐどうにかしたいほどにつらく感じてはいなかった。

そんな環境で、SNSでLGBTやFTMについて調べたこともあった。治療やSRS(性別適合手術)という手段も、このときに知った。

「自分はFTXなのかな? バイセクシュアルかな? とも思ったんですけど、サッカーが忙しすぎて恋愛しなくなっちゃったから(笑)。自分のセクシュアリティが分かんなくって」

「周りからも『麻衣のセクシュアリティは、バイセクシュアルだよね』って言われて、そうかもな? って思ってました」

当時、自分のセクシュアリティは判然としなかったが、大きな悩みにもならずひとまず脇に置いておくことにした。

07父との別れ

理学療法士の道に進むはずが・・・

高校卒業後は、理学療法士を目指して専門学校への進学を決めた。

「父のことや、部活でたくさん怪我をしたことをきっかけに、理学療法士になりたいって思いました」

もともと人体への興味が高いこともあり、専門学校での学びはとても充実していた。

「筋肉や骨のことを学ぶのがすごく楽しかったです」

空き時間にはアルバイトも始め、自分で自由に使えるお金を得ることもできた。働く楽しさ、お金を得られる嬉しさも実感する。

だが、病院での実習で見た医療業界の実態は、理想とかけ離れていた。

「理学療法士さんが、休憩時間にタバコをいっぱい吸ってたんですよ。病院に行ったら看護師さんもタバコを吸っていて・・・・・・」

「健康になるための場所なのに、なんでそんなことしてるんだろうって、18歳で衝撃を受けて。実習には何回か行ったんですけど、自分のやりたいこととは違うかもなって思い始めました」

就職先が主に高齢者施設であることも、違和感のひとつにつながった。

「当時はスポーツ関係の理学療法士をやりたかったんですけど、専門学校側にウチはそういう職場と提携してないって言われてしまって」

「理学療法士の世界が、思ってたものと違う」と母親に愚痴る日々が続いく。

父との別れ

父の容体はずっと良くも悪くもならなかった。

「父のリハビリは、身体が固まらないように動かしてあげるっていうことが主でした」

「意識はあって、しゃべれないけど笑ったりすることはできたので、そういうところでコミュニケーションを取ってました」

高校以降はあまりの部活の忙しさで、お見舞いの頻度は3か月に1回程度にまで減っていく。

専門学校進学後も、学業やアルバイトに明け暮れていた。

そんななか、父親が老衰でこの世を去った。

「ある日突然家に帰ったら、父が亡くなったって伝えられました」

「私は知らなかったんですけど、実は父が亡くなる少し前に、お医者さんから余命を宣告されてたってことを、あとから聞きました。私が楽しく過ごしているようすを見て、母は私に伝えなかったようです」

父親が亡くなったことも悲しかったが、母親が悲しんでいる姿を見ることがつらかった。

「母はなにも言わなかったですけど、体重落ちてるだろうなとか、見てわかる状態になってました・・・・・・」

それまでは外で遊んでばかりだったが、母親や家族のことを大事にしなければと思うようになった。

08健康とは正反対のやけくそ生活

専門学校中退

理想と現実の違いにショックを受けて理学療法士の道はかすんでいたが、父親の死をきっかけに、自分のなかの糸がプツンと音を立てて切れた。

専門学校を中退することにした。

「夢が全部なくなった感じでした。初めての挫折だったと思います」

人一倍健康に気をつかっていたことが嘘のように、不健康と言われていることに片っ端から手を出し、自堕落に過ごすようになる。

「タバコを1日に2箱も吸う、クラブで酒を夜通し飲む・・・・・・何もかもどうでもよくなってました」

アルバイトを転々とし、夜はクラブで遊んで酒を浴びる生活を1年ほど続けていた頃だった。

クラブから帰ってきた翌朝、腹部に激痛が走った。

「病院に行ったら、腸に穴が開いて出血してるから入院です、って」

入院を機に、それまでの自暴自棄な生活習慣をきっぱり絶った。

天職との出会い

専門学校を中退してからは、様々なアルバイトを経験していた。

「興味のあるものは全部やってみようと思って。子どもたちにサッカーを教えるコーチ、バーテンダー、いろいろと始めては辞めてを繰り返してました」

「そのなかで、フィットネスクラブが自分には一番合っていて。そのときの上司から、もともと理学療法士の勉強してたんだから、トレーナーをやったほうがいいんじゃないってアドバイスをもらって、今の仕事を始めました」

アルバイトとして働き始め、個別に教えるトレーナー、複数人に教えるインストラクター、水中で運動するアクアビクスと、働きながら様々な経験を積んでいく。

09母へのカミングアウトと女性として生きることへのチャレンジ

母へのカミングアウト

20代半ば、性別不合(性同一性障害)の診断書をもらう前、母親に初めてセクシュアリティをカミングアウトした。

幸いにも、母親は冷静に受け入れてくれた。

「びっくりしたとは言われました。でも当時はLGBTがニュースとして取り上げられつつあったので、多分薄々気づいてたんじゃないかなと思います」

しかも母の口から、治療をしたいのかと問われたほどだった。

「もし治療したいなら、妹が就職するまでは待って欲しいと言われました。家族構成を説明するのに戸惑うかもしれないからって」

母親の言うことにも納得でき、カミングアウトは無事に終了した。

自分を納得させるために、フィットネスモデル大会出場

当時、性別不合の診断書をもらってから、すぐに治療を開始したいと思っていたわけではなかった。

「当時付き合ってた彼女が、治療しなくてもずっと一緒にいるって言ってくれてたので」

「仕事も楽しいし、治療する必要も特にないかなって」

仕事を優先して性別への違和感に目を向けてこなかったが、20代後半になって、再び向き合うきっかけが出てきた。

「サッカー部の同級生が、続々と性別を変えたり結婚したりし始めて。自分の進むべき道に進んで幸せそうな友だちを見ていて、自分もたしかに幸せな家庭を持ちたいなと思ったんです」

だが、自分は健康のプロでもある。治療に疑念を感じるところもあった。治療の健康被害に調べてみても有用な手掛かりを得られないことも、不安につながったのだ。

「ホルモン注射の副作用とか、健康な身体にメスを入れる影響を考えると、本当に治療したほうがいいのかな? とも思って」

そんななか、自分を納得させるためにボディビル大会への出場を決意する。

「出場を決めたのは、本当に自分は女性の身体が嫌いなのか、身体を鍛え上げて腹筋がシックスパックに割れれば満足するのか、確かめるためです。納得してから治療を始めたかったんです」

一般的な女性ボディビル大会では、小さくてキラキラと輝く派手なビキニを着用し、ハイヒールを履いて歩かなければならない。

それはなんとしても避けたかったので、「フィットネスモデル」という、スポーツブラにショートパンツというスポーティな格好で出場できるカテゴリーにエントリーした。

大会出場に向けて、食事やメンタルについても勉強し、さらに健康や体に対する知識を深める機会にもなった。

見事優勝! しかし・・・

ボディビル大会出場経験のある同僚のサポートもあり、大会では見事優勝した。

鍛え上げられた完璧な身体。腹筋も見事に6つに割れた。
でも、ここまで頑張っても、結果を出しても満足できない自分がいた。

「結果自体はすごく嬉しかったし、みんなにかっこいいと言われてすごく誇らしかったんですけど、女性と比べられても嬉しくないなって・・・・・・」

「どんなに鍛えても、女性の身体のままじゃ自分を好きになれないなって気づきました」

ボディビルで頂点を極めたうえで、自分で納得して治療を決意する。

治療を始めるにあたって、母親には「事後報告」した。

「母に治療するって言ったら絶対に心配すると思ったので、ホルモン注射を打ったあとに『治療を始めたから、これからどんどん変わると思う』って伝えました」

母親は、自分の働いたお金で治療するのなら、と了承してくれた。

現在、胸オペとSRSを終えて、ホルモン治療を定期的に続けている。

「胸オペをしたあと、Tシャツを1枚で着れたときは感動しました!」

治療を終えた今の姿が本来の自分であると実感している。

10身をもって証明できる、トランスジェンダーと健康の関係

2人で幸せになる決意

2022年8月に、現在付き合っているパートナーと結婚。自分と同じくフィットネストレーナーの仕事をしている女性だ。

「同じ仕事をしてるけど、考え方も得意分野も全然違うトレーナーなんです」

パートナーとは、依存的ではなく持続可能な関係を構築したいと思っている。

「お互いに好きなことをやっていて、正直、一人でも生きていける。でも、一緒にいたらもっと楽しいし、一緒じゃなかったらさみしいっていう関係が理想です」

これからも2人で幸福の溢れる日々を築いていく。

納得して治療を始めることが大事

SRSまで終えて戸籍の性別を変更したのは30代に入ってから。決して早い治療とは言えない。

それでも、納得して治療を始められたから、後悔はまったくない。

「私の経営してるジムにも、これから治療したいっていうFTMのお客さんが何人かいらっしゃっていて、相談されることもあります」

そのときの感情に振り回されるのではなく、物事を見極め、納得してからスタートするほうがよいと伝えている。

治療をしたくても、健康被害に不安を覚えて一歩を踏み出せない人には、こう声を掛けたい。

「治療を始めても、心の在り方と、食事、運動。これらを整えることで、健康はなんとかなります!」

なにより自分自身が経験しているからこそ、自信をもって言葉にできる。

健康と向き合い続けてきたいま、思うこと

「もしこの先、たとえ無一文になったとしても、自分の力で立ち上がれるって信じています」

健康に向き合って、これまで様々な知識を得て、自ら実践してきた。その自信が、丈夫な木のように根を張っている。

ずばり「健康」とは、一生好きなことができる心と身体が備わっていることだと考えている。

「旅行でも、友だちとお茶することでも、なんでもいいんです。好きなことができる心と身体、これが大事」

そして、心の健康とは、ありのままでいること。

「偽りの自分でいることが一番しんどいと思うんです」

ありのままの自分の感情を包み隠さず伝えられる社会になれば、みんな健康でいられるはずだ。

これからも健康を軸に、あらゆる人を幸せにするお手伝いをコツコツと続けていきたい。

 

あとがき
浩麻さんから醸し出される骨太なたたずまい。それは、鍛えられた体幹とぶれないお考えゆえとわかった。目標にむかって自分を追い込める強さもひめている。日頃から内面に向き合っているからこそ、己の導き出した道を突き進んでいけるんだ。途中から、インタビューが人生の教えを受ける場に変わった■2022年もあとわずか。今年、成功や失敗から学んだことは? 今年の自分の好きなところは? 今年いちばん「ありがとう」を伝えたい人は? 2023年、今年よりちょっといい年になるよ。(編集部)

関連記事

array(1) { [0]=> int(25) }