02 空手との出会い
03 楽しいことが好きな家族
04 今あるものでかっこよく
05 初めての彼女
==================(後編)========================
06 再び男子とのお付き合いに挑戦
07 体育の先生ではなく上京へ
08 FTMとの出会い
09 家族へのカミングアウト
10 カレー屋、バーと講演会
01かっこいい服を選んだ幼少期
川を泳いで友だちの家へ
大分県豊後高田市で生まれる。国東半島の付け根に位置する、自然豊かな場所で育った。
「家の周りには田んぼしかないようなところでした」
周囲からは、幼少期から活発だったと言われている。
「友だちの家に行くのに、小川を渡ってから遊びに行ってました。少し先に行けば川を渡れる道もあったのに、わざわざ険しい方を選んで(笑)」
女子の間では体育館でバレーボールをするのが流行っていた頃も、自分は外で遊ぶことを好んだ。
「小さい頃から、女の子より男の子と遊ぶことの方が多かったですね」
キックベースなどの球技を男子と一緒になって外で遊ぶ、元気な子どもだった。
ネズミの衣装のほうがかっこいい
記憶はないが、幼稚園のお遊戯会では、男児用の衣装を着ている写真が残っている。
「多分、女の子の衣装を着たくない、男の子の衣装がいいっていうよりは、男の子用の衣装がかっこいいから着たかったんだと思うんですけど」
結果的には幼稚園が配慮してくれたが、母親からの話では、自分のわがままを押し切ったようだ。
「お母さんからは『あのときは本当にわがままだったよね』って言われてます。かなり駄々をこねてたようです(笑)」
でも、周りの大人が理解してくれたおかげで、写真のなかの自分からは、お遊戯会を楽しんでいるのが伝わってくる。
そのとき着たいものを
幼稚園でのお遊戯会では、自分の意思を通して男児用の衣装に身を包んでいた。でも、それはあくまで「男子の衣装を着たいから」ではなく、「かっこいいほうを着たい」から。
だから七五三など、女子の服を抵抗なく着ているときもあった。
「七五三のときに、真っピンクのドレスを着てる写真もあります(笑)」
自分で好きなものを選んで、自分の意見が通ればそれを着るようにしていただけのこと。
「服装に関しては、いつでも女子のものが嫌だってわけではなくて、選べるというときは選ばせてもらってました」
性別ありきで選ばないことは、小さい頃からずっと変わっていない。
02空手との出会い
「流れ」で空手道場に入門
小学校に進学してからも、基本的にボーイッシュな見た目を好み、男女ともに仲よく遊んでいた。
「クラスのなかでは、男女両方と仲が良かったと思います」
そのようななか、空手に出会う。
「友だちが空手を習っていて。そこに見学に行ったら、いつの間にかそのまま入門してました(笑)」
オリンピックとやりたいことの狭間で
なんとなく始めた空手だったが、大学卒業まで続けることになる。
「そのうち、バスケしたい、サッカーしたい、ダンスしたい、とか思ったこともあったんですけど、結果が出てると親も続けて欲しいって。僕も簡単に辞めたくないという気持ちで続けました」
県大会では常に優勝。小学生のうちから全国大会にまで勝ち上がるほどの成績を収めた。
そのため、オリンピック出場を目標にしていた時期もある。
「でも、たびたび怪我したことと、体育の先生になりたいとか、ほかにやりたいこともあったので、空手より別のことに意識がいってましたね」
最終的には、大学で空手部主将になるまで極めた。
03楽しいことが好きな家族
安定型の姉弟と、自由人の僕
両親、姉、自分、弟の5人家族。
4つ上の姉、2つ下の弟は今も大分で暮らす「安定型」だと思う。
小さい頃から自分だけ自由人だった。
その理由は、兄弟3人で映っている写真のなかで、自分だけおちゃらけたポーズをしていることからもうかがえる。
大きくなった現在は、兄弟仲は良いほうだが、幼少期はよくケンカした。
「お姉ちゃんと弟はそんなにケンカしなかったんですけど、僕がいつもどっちかとケンカしてました(笑)」
年の近い兄弟とのケンカとなれば、幼い頃はつい手が出てしまうもの。でも、自分は空手の実力者でもある。
「一回だけ、お姉ちゃんとバチバチにケンカしたときに、お姉ちゃんの手を蹴っちゃったら、剥離骨折しちゃって・・・・・・」
「そのときは、本当にすいませんでしたって謝りましたし、後悔しました。手を出したら本当にダメだって」
そんな姉とは、大学時代には一緒にフェスに出かけるほどの仲になっている。
旅のテーマはパステルカラー
母親は、見た目こそごく普通の主婦だが、中身は若々しい。楽しいことが好きな “ギャルマインド” を持っている。
「お母さんとお姉ちゃんが姉妹みたいに仲良いんですけど、その2人から『今度の家族旅行のテーマはパステルカラー』って通達されたことがあって。それぞれパステルカラーの服を着て旅行に行ったりしてました」
父親は、公務員でお堅い側面もあるが、家族のなかではいじられキャラ。
「お父さんは、僕の友だちが家に遊びに来たときに、よく分からないタイミングで話しかけて来たりとか、天然なところがあります」
大きくなってからは年1で旅行に出かけていた時期もあるほど、仲の良い家族だ。
現在、通称名として使用している「春」も、親からもらった元の名前「春菜」をなるべく残したかったから。
「『春』は変えたくなかったんですよね。『春』だけなら、男女どっちでも取れるなって」
今は、自分だけ東京に住んでいるため、家族旅行に頻繁に参加することは難しいが、定期的に実家に帰省したいと思っている。
04今あるものでかっこよく
セーラー服をかっこよく着るには
中学に進学すると、男女で分かれることも増える。
たとえば、制服。自分の通っていた中学校では、女子の制服はセーラー服だった。
「本当は、セーラー服は着たくなかったです。着れないことはなかったけど、男子のほうがかっこいいから、選べるならそっちがよかった」
「でもその頃は制服を選べないし、声を上げる勇気もなくて。その頃から自分の意見をおさえて周りに合わせるようになりました」
着たい服を選べない分、セーラー服をどれだけかっこよく着れるかを考えるようになった。
「空手をやってたから腕が結構たくましかったので、袖をまくって腕を見せたりとかしてました(笑)」
自分の主張をおさえて周りに合わせることは、なかば無意識のうちにやってきた。そのせいで精神的に窮屈に感じたこともあまりない。
そして、周りに合わせながらも、そのときの状況下でベストを尽くす姿勢は、今も変わっていない。
男子と付き合ってみたけど
運動ができて、空手で優秀な成績を収めてはたびたび朝礼で表彰されるようなボーイッシュな子。
当然、周りからの注目を浴びる。男子から告白を受けることもしばしばあった。
中学1年生のとき、告白された男子と付き合ってみることにした。
「付き合ってみても、仲のいい男友だちといる感覚でしたね」
「仲がいい延長線で付き合ってるけど、別にデートしたいとも思わなかったし、会えるときに会えればいいと言うか・・・・・・相手には申し訳ないんですけど(笑)」
でも、恋愛している友人たちと感覚が違うことにも気づかず、相手にときめかない自分に思い悩むこともなかった。
「そのときは、これが恋じゃないってことに全然気づいてなくて」
友人の延長線上の関係が恋愛なのだろうと考えていた。
05初めての彼女
親友からキスされて
小学校までは男女ともに仲良く過ごしていたが、中学に入ってからは周囲に合わせ、女子と一緒に過ごしていた。
そのなかに、よく2人で一緒に帰っていた女子の親友がいた。
中3のある日、2人で下校中のとき。いきなり親友からキスされ、恋愛感覚で好きだと言われた。
「そのときまで、僕はその子を恋愛対象として見ている自覚はなかったんですけど、相手にそう言われて、僕も一緒だと思ったんです」
「その子が僕のことを恋愛感情で見てくれてたんだって知ったら、すごくうれしくなりました」
こうして親友が彼女になり、お付き合いが始まった。
これが恋愛か!
初めて付き合った女子とは、男子と付き合ったときとはまるで感覚が違った。
「会いたい、いつも一緒にいたいという気持ちがすごく強かったです」
「学校に行くときも迎えに行ってあげたいし、帰りも送ってあげたい」
男性としての自覚が芽生えたのかは分からないが、自分のことを頼って欲しいと思うようになった。
「その子からかっこいいと思われたいなって。男の子と付き合ってきたときとは違う感覚でしたね」
当時、彼女から男子として見られていたのかは分からないが、誰とでも分け隔てなくコミュニケーションができること、見た目がボーイッシュでかっこいいことは褒められたことがあり、とてもうれしかったことを覚えている。
ひた隠しにしたお付き合い
男子と付き合っていたときは、家族を含めて関係性をオープンにしていたが、女子と付き合ったときには隠すことにとにかく必死だった。
当時、「付き合うのは男女」という固定観念が自分のなかに強く根付いていた。
「同性同士で付き合ってるって人は周りにもいなかったし、言ってもどうせ受け入れてもらえないだろうなって」
彼女との関係性が公になれば、いじめられる可能性もあった。それが怖くて中学時代には隠し続ける。
彼女とは高校で1回別れ、再度付き合うものの、彼女側の当時の人間関係を考慮し、高校の途中で別れた。
<<<後編 2022/10/29/Wed>>>
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06 再び男子とのお付き合いに挑戦
07 体育の先生ではなく上京へ
08 FTMとの出会い
09 家族へのカミングアウト
10 カレー屋、バーと講演会