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「性同一性障害」という言葉を知らなかったから、自分を知るための旅に出られた。【前編】

明るく豪快な笑顔が印象的で、まるで昔馴染みかと思う安心感で包んでくれる河本直さん。ポジティブを絵に描いたような人柄だが、「今みたいにさっぱりしたのは、ここ2~3年くらいのことなんです」と話す。その過去は、暗闇の中を1人でさまよい続けるような心細さにあふれていた。長いトンネルから抜け出すきっかけをくれたのは、大好きな家族の存在。

2018/06/03/Sun
Photo : Mayumi Suzuki Text : Ryosuke Aritake
河本 直 / Nao Kawamoto

1973年、鳥取県生まれ。幼い頃から自身の性別に違和感を覚えたが、その理由がわからないまま、高校中退後に結婚し、息子を出産。専業主婦として家事や子育てをこなす生活の中で、「性同一性障害」という言葉を知り、違和感の正体に気づく。その後、離婚し、息子が高校を卒業したタイミングでホルモン治療を開始。現在は、女性のパートナーと結婚。カウンセリング事業「魂のスクール」を展開中。

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INDEX
01 性別を変更した後の苦悩
02 “普通” を重んじる教育
03 現実から逃れるための手段
04 何者かわからない自分
05 幸せになれるはずの “普通の道”
==================(後編)========================
06 「性同一性障害」かもしれない私
07 自分の気持ちに従うという選択
08 自分自身を家族にさらけ出す時
09 不器用に積み上げてきた親子の関係
10 自分の中にしかない “答え”

01性別を変更した後の苦悩

思考のクセを直す仕事

現在の仕事は、人の話を聞き、より良い方向に導いていくもの。

「カウンセリングになるのかな。潜在意識の書き換えのお手伝いです」

無意識に持っている思い込みや、思考のクセを直すために、とことん相手と向き合う。

「日常的に、これまでとは違う選択肢を取っていけば、人ってかなり変わるんですよ」

「私自身が44年間、 “人のため” って選択肢ばかり取ってきたから、わかるんですよね」

偏った考え方では、視界に入らないものも多い。

同じ事象でも、別の角度から見れば、新たな気づきがある。

「私は他人の目を気にして生きてきたから、自分のためには動いていなかったんです」

「でも、自分のために動いてみたら、周りの人が知らない世界を教えてくれていることを知ったんです」

「人っていろんな見方ができるんだな、って実感しました」

目標を達成した後

自分自身が変わったと確信したのは、2年前。

それまでは、ことあるごとに人生を悲観していた。

6年前からホルモン治療を始め、その数年後に性別適合手術をした。

戸籍を変え、長年連れ添ってきたパートナーとも籍を入れた。

「目標が性別変更だったので、そこですべてが終わってしまったんです」

「2年間ぐらい、目指すものが見つけられなくて、落ち込んでしまったんですよね」

当時は、女性から男性になったことを、公にはしていなかった。

「家族以外には、気心の知れた友だちにしか話していなかったんです」

妻が営むカフェで働いていたが、客のほとんどは女性だった過去を知らなかった。

「隠していることが、自分と妻の中でずっとモヤモヤしていました」

「結婚しているのに、結婚していないような感覚になっていったんです」

世間へのカミングアウト

夫婦で切り盛りしていたカフェは、いつしかお悩み相談室のようになっていた。

「悩みを持ちかけてくるお客さんが多かったから、お話し会みたいなものを開いたんです」

「でも、そのイベントの伸びがいまひとつだったんですよね」

どうしたら集客が見込めるか、知り合いと話していた時に「カミングアウトしてみたら?」と言われた。

「なんとなくだけど、周りに言った方がいいんじゃないかな、って考え始めました」

「自分のことを言わないと、これから生きていくのがしんどくなると思ったんですよ」

「グレーどころかブラックにして、全部をないものとしていたけど、弊害が出てくるなって」

Facebook上で、性別を変えたことを打ち明けた。

「仲は良かったけど打ち明けられていなかった友だちが去っていって、ゼロくらいになりました」

「でも、翌年に行った結婚パーティーには、その頃の倍以上の友だちが来てくれたんです」

「自分が気を使わない選択肢を取れば、気の置けない友だちができるんだって知りましたね」

02 “普通” を重んじる教育

話せなかった自分の核

初恋は、幼稚園の女性の先生。

「小さい頃は、どちらかというと女の子の方が好きって感じでした」

「自分は多分男の子っぽいな、とは思っていて、ときどき周りに言ったりしていました」

「でも、みんながちょっと引いているような気がしたから、言っちゃダメなことなんだ、って思ったんです」

自分の思考は、おかしいものなのだと思った。

まだ性同一性障害という言葉も知らず、表現する術がなかった。

「自分の核の部分を、隠している感覚はすごくありました」

「そのまま大人になったから、結婚もしたし、子どもも生んだんです」

活発なお姉ちゃん

生まれも育ちも鳥取。

43歳で大阪に引っ越すまで、一度も県外に出たことがなかった。

幼い頃、1歳下の弟とは常に一緒に遊んでいた。

「弟はずんぐりむっくりで、私の方が活発でしたね」

「両親は2人とも教員で、家にいないことが多かったから、いつも弟を誘って外で遊んでいました」

しっかり者のお姉ちゃんは、弟にとって頼りがいのある存在だったようだ。

両親には、比較的自由に育ててもらったと思う。

「『これをしなさい』って、何かを強制されるようなことはなかったですね」

「普通にしなさい」

ただ一つだけ、母親がよく言っていた言葉があった。

「普通にしなさい」

「私はいわゆる女の子の遊びをしなかったし、言葉遣いも荒かったから、おかしいと思ったんでしょうね」

「でも、『女の子らしくしなさい』ではなくて、『普通にしなさい』だったんです」

「お袋の目から見て、私が普通じゃなかったから、出てきた言葉だと思います」

幼心に、母親の言う「普通」が理解できなかった。

「普通って何?」と、何度か聞いたことがある。

「お袋は『だから、普通だよ』としか言ってくれなかったです」

「全然わからなくて、小学校に上がってからは何回もケンカしました」

「今思えば、弟には『普通にしなさい』って言ってなかったんですよね」

03現実から逃れるための手段

楽しめなかったガールズトーク

小学校中学年までは、男子と遊ぶことの方が多かった。

「男の子と一緒にいると、すごく楽しかったんです」

「でも、高学年になって男の子と遊んでると、『あの子のことが好きなんじゃない』ってからかわれるんですよ」

「『違う』って言っても茶化されることが、嫌になっていったんですよね」

「だから、徐々に女の子と一緒にいるようになりました」

「本当は男の子たちの方に行きたかったんだけど」

同級生の女子たちと遊んでいても、楽しめなかった。

「『この服いいよね』とか話していても、良さが全然わからないんですよ」

「話を聞いてはいるけど、一歩引いて『ふ~ん』って相づちを打ってました」

休み時間や放課後に、女子たちが興じていたゴム飛びも、楽しさがわからなかった。

「ときどき、女の子たちを無理やり野球に誘ったりしたんですけどね」

完璧に一人相撲だった。

いるけどいない “幽体離脱” 状態

女子たちのグループの中にいても、そこに意識はなかった。

「女の子と一緒にいれば、誰にもからかわれないし、『変だ』とも言われなかったです」

「でも、楽しめないから、意識だけを飛ばすクセがついていました」

中学校に上がっても、同級生の顔ぶれはほとんど小学校と変わらなかった。

「地域の小学校2~3校が一緒になって、人数が増えただけなんですよ」

「だから、女の子の中で意識を飛ばす “幽体離脱” 状態は続いていましたね」

保健体育の授業が、男女で分けられることも嫌だった。

授業中は、完全に意識を飛ばし、記憶もほとんどない。

女子の中にいる自分が嫌だった。

そして、本当にいるべき場所ではないという思いもあった。

「女の子と一緒にいる自分を認めたら、自分でなくなるような気がしました」

「この違和感は、みんな感じていることなのかな? って思ったこともあります」

「でも、みんなを見てもそんな感じはしないし・・・・・・って、人には違和感のことを話せなかったです」

打ち明けたら、幽体離脱をやめて、現実と向き合わないといけない気がした。

04何者かわからない自分

人に話したくない悩み

中学時代は、悩んでいるというより、闇の中にいるような感覚だった。

なるべく自分自身のことを考えないようにしていた。

「自分のことがわからなくて、考え始めたら抜け出せないと思っていたんです」

「自分自身のことを、もっとも見なかった時期ですね」

しかし、塞ぎ込んでいることを、周囲に気づかれることも避けたかった。

「小さい頃、何かで落ち込んでいた時に、お袋に『どうしたの?』って聞かれたのが嫌だった記憶があるんです」

「心配してくれてありがたいんだけど、いろいろ聞かれるのが嫌だったんでしょうね」

「自分が何者かわからないから、悩みも言語化できなかったです」

どんなに落ち込んでも、表面的には常に笑顔で、一見すると活発で明るい子だったと思う。

男の子との交際

「自分探しのために、中1で男の子に告白したんです」

やさしくて印象の良かった男子と、交際することになった。

「彼のことはなんとなく好きな気がしていたけど、今思うと憧れだったんだと思います」

「実際につき合い始めて、ここじゃないな、って思ってしまったんです」

中1でつき合ってみた男子とは、中学卒業まで交際が続いた。

長くつき合えば、何かが変わると思った。

しかし、余計に自分がわからなくなってしまった。

しっくりこなかったワード

小学生の頃から、女子のことが気になっていた。

「公表したら “普通じゃない” ってレッテルを貼られてしまうから、気持ちは伝えなかったです」

「気持ちを隠すには、男の子とつき合うしかないんだ、と思っていました」

辞書で “レズビアン” の項目を調べたことがある。

「でも、そこに書かれていたことは、何か違うと思ったんですよね」

「女の子のことは好きだけど、レズビアンの感覚とは違うかなって」

自分は新種のレズビアンなのではないか、と考えていた。

05幸せになれるはずの “普通の道”

彼氏とともに見据えた未来

高校を中退して、事務の仕事を始めた。

仕事にも慣れた頃、職場近くの喫茶店の男性店員に告白された。

「男性から告白されたことが初めてだったから、ちょっとパニックになりました(笑)」

高校に入学する頃、母親に言われたことが頭をよぎった。

「お袋がポロッと『 “普通” っていうのは、普通に結婚して、普通に子どもを生むこと』って言ったんですよ」

「ずっと曖昧にされてきた “普通” が明確になったんです」

「それからお袋に『その道を通れば幸せになれる』って言われ続けてきたから、この出会いがそれなのかなって」

普通ではないと思っていた自分が、ようやく普通の道を歩めるかもしれない、と思った。

何回か話しているうちに仲が深まり、出会って半年で結婚した。

「結婚式もウエディングドレスも嫌だったけど、これも普通の道なんだ、と思って乗り切った感じでしたね」

人生で一番辛かった時

籍を入れてから間もなく、妊娠した。

「結婚しても、何か違う、って感覚は持ち続けていたから、子どもを生めば自分のことがわかると思ったんです」

「でも、子どもがお腹の中にいる間が、一番辛かった・・・・・・」

徐々に大きくなるお腹も、膨らんでいく胸も、見ていたくなかった。

「妊娠中に鏡を見たのは、1回くらいですもん」

「なんでこんなに嫌悪感を抱くかわからなかったけど、この状態を早く抜け出したかったです」

「でも、うれしいんですよ」

お腹の中で子どもが動くと、愛おしくてたまらなかった。

「苦しさと喜びのバランスが保てなくて、意味もなく泣いてしまうこともありました」

「初めて自分自身を軸において思考したから、しんどかったんですよね」

夫に「辛い」と言ったら、ようやく辿りつけた普通の道が崩れてしまうと思うと、相談できなかった。

「十月十日の間、自分はよく死ななかったなって思います」

子どもに出会えた喜び

出産してから、思考の軸は息子に移った。

息子と出会えたことが、うれしかった。

自分自身に、「よく頑張った」と言ってあげたい気持ちにもなった。

「母乳をあげる行為が嫌だったから、授乳中は再び “幽体離脱” 状態でした(苦笑)」

「でも、ママって呼ばれて、母親の役目を果たすことは、嫌じゃなかったんですよ」

「何をするにも、息子のことを考えて行動していましたね」

息子が幼稚園に通い始めた頃、「弟か妹がほしい」と言い出した。

「時期が来たらね」と、その話題はかわしていた。

「妊娠中の状態は、もう二度とくり返したくなかったです」

「苦しいんだけどうれしくて、人生の中で一番しんどかった時期だから」

「でも、子どもを生んだこと自体は、すごくいい経験でした」

 

<<<後編 2018/06/05/Tue>>>
INDEX

06 「性同一性障害」かもしれない私
07 自分の気持ちに従うという選択
08 自分自身を家族にさらけ出す時
09 不器用に積み上げてきた親子の関係
10 自分の中にしかない “答え”

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