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性同一性障害の治療再開は、自分の体を好きになってから考える【後編】

性同一性障害の治療再開は、自分の体を好きになってから考える【前編】はこちら

2021/06/30/Wed
Photo : Mayumi Suzuki Text : Shintaro Makino
倉富 えりか / Erika Kuratomi

1997年、栃木県生まれ。ブラジルで生まれ育った日系2世を両親に持つ。幼少期は男の子たちと走り回る元気な女の子だった。中学生のときに元SKE48の松井珠理奈に憧れ、「自分も芸能人になればスターに会える」という動機で芸能事務所に所属する。叔父さんの仕事でネパールでの生活を経験。次のステップを目指して、今、力を蓄える。

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INDEX
01 ブラジル生まれのやさしい両親
02 いつも走り回っている元気な子
03 自分が生きている意味って何なんだ?
04 目標はSKE48の松井珠理奈ちゃん
05 芸能事務所に合格。タレントを目指す
==================(後編)========================
06 最初の仕事でAKBと共演。夢が叶う
07 恋愛シミュレーションゲームで初体験
08 大切な人に子どもを産んでほしい
09 性同一障害の治療を開始
10 ネパールに電波塔を建てて名を残す

06最初の仕事でAKBと共演。夢が叶う

メンバーと肩をぶつける

芸能事務所に所属すると、さっそくテレビのエキストラの仕事が回ってきた。AKBのメンバーが出演する「豆腐プロレス」というドラマだった。

残念ながら松井さんは別の現場にいて会えなかったが、何はともあれ、同じドラマで共演することになった。

「ぼくは陸上部の選手の役で、反対から走ってくるメンバーと肩をぶつけてくださいって指示されました」

何度も撮り直しがあり、ガンガン肩をぶつけた。

「いやぁ、本当にうれしかったですね。最初の仕事で夢が叶っちゃった感じでした(笑)」

その後もエキストラで何度かドラマに出演した。

「弓道の選手の役もありました。高校で弓道部に入っていたんで、ちょうどよかったんです」

弓を射るシーンもあり、2級を取った腕前が生きた仕事だった。

埋もれていきそうな不安

その事務所には1年半ほど在籍したが、いろいろと考えて辞めることにした。

「一番大きな理由はレッスン代ですね。1カ月に3万円くらいかかるんです。那須から通う交通費もバカになりませんでした」

冷凍の魚を箱に詰めるバイトをしながらの挑戦だったが、割が合わなかった。

「電車も片道2時間かかるんです。それもダルくなってしまって」

目の前の壁も感じた。「とにかく目立つ」を目標にしていたが、タレントを目指す子はみんな自分以上に目立っているのだった。

「一緒にレッスンを受けていたのは6、7人だったんですけど、そのなかで目立つのも難しい状況でした」

やっていることは楽しいが、次第に埋もれていきそうな不安に取り憑かれた。

「タレントになる夢は捨ててませんけど、今すぐじゃなくてもいいかな、と。栃木で働いてお金を貯めてから東京に出よう、と気持ちを切り換えました」

「AKBと会うという夢も叶ったし、いい思い出も作れました」

役者は将来の目標と割り切り、とりあえずに時給のいい仕事に専念することにした。

07恋愛シミュレーションゲームで初体験

恋愛に憧れる

お母さんの紹介で派遣会社に就職。いろいろな工場で仕事をするようになる。

「自動車のワイパーを作る工場に勤めているときに、ひとつ年上の先輩と知り合いました。彼女はフィリピン人なんですけど、中学の先輩だということが分かって仲良くなりました」

一緒に旅行に行きたいねなど、次第に将来の夢を語り合う仲になった。

「そのとき、ぼくは恋愛に憧れていて(笑)。どうしたら恋ができるのか、その先輩に相談してました」

今まで恋愛らしい恋愛を経験したことがなかった。

「高校のとき、すごく変な女の子がいたんです。隣に座って、ぼくの肩に頭を乗せて、上目遣いで見るんですよ。後から考えると、その子のことが好きだったのかもしれないなって」

ドキドキ感はあったが、それが恋愛だとは気がつかなかった。

「それ以来、好きになる相手がいなくて、誰かとつき合ってみたいなぁ、という願望ばかりが大きなっていました」

お母さんがくれたコンドーム

ある日、同じ職場にひとつ年下の男の子が入ってきた。別の工場で1カ月ほど一緒に働いたことがある、顔見知りだった。

「その子が、ぼくのことを好きだっていうんですよ。先輩に相談したら、その子でもいいんじゃない、というんで、とりあえず、つき合ってみることにしました」

言い方は悪いが、当時は恋愛ができるなら相手は誰でもいい、という心境だった。

「恋愛シミュレーションゲームをしているみたいな感覚でしたね。どこにデートに行ったらいいか、デートで何をしたらいいか、全部、先輩のいうとおりに行動してました」

ゲームのような恋愛に慣れていくように、「そうか、恋愛ってこうするんだ」と覚えていった。そうこうするうち、お母さんからあるものを渡された。

「ゴムだったんです」

すごく素直だったんで、それを彼に見せて、「これ、もらったよ」といった。

「そのまま、その日に初体験をしました」

家に帰って、お母さんに「やってきたよって」いったら、「もうやってきたの!?」と驚かれた。

「だって、ママがやってこいっていったんじゃない。ママがあれを渡さなければやらなかったよっていったら、呆れてましたね(笑)」

これって労働じゃない?

恋愛ゲーム的に行った性行為の第一印象は、「全然、面白くないじゃん」だった。

「でも、彼のほうは楽しくなったみたいで、ネットでゴムを大量に買い始めたんです」

それから、毎週、彼の家に行っては、「やって帰る、やって帰る」が続くようになった。自分では楽しくもないことを繰り返しているうちに・・・・・・。

「これって労働じゃない? 仕事じゃない? って思うようになりました」

我慢してつき合っているうちに、だんだん気持ち悪くさえなってきた。

「もう無理。別れたいって、はっきりといいました。ゲームに飽きたような感じでしたね」

ところが、彼のほうは納得がいかない。直接、会って話しても、ラインでも「別れたくない」の一辺倒だった。

ある休みの日、ベッドの中で猫とまったりしていると、お父さんが部屋に来て、「誰か来た」という。

「彼だったんです。勝手に部屋に入ってきて、ベッドにまで潜り込もうとするから、お父さんのいるリビングに逃げ込みました」

それが最後だった。
先輩にもすべて報告し、恋愛ゲームは「ジ・エンド」となった。

08大切な人に子どもを産んでほしい

本当は男なんじゃないか

職場が変わり、おにぎりのシールを作る工場で働いているときだった。

「同じ職場の女性がどんどん太っていくのに気がついたんです。何を食べたら、あんなに太るのかなって不思議に思ってました」

ところが、ある日、「明日から産休に入ります」と告げられた。

「あ、そうか、妊娠していたんだってそのとき気がつきました(笑)」

それを知ると同時に不思議な感覚が降りてきた。

「自分の大切な人が、子どもを産んでくれたらうれしいだろうな、と思ったんです」

「自分が産みたい」ではなく、「産んでほしい」だった。

「そのとき、自分は本当は男なんじゃないかって気がついて、性別のことを考えるようになりました」

お母さんにカミングアウト

自分は男かもしれない、と思うと、納得がいく出来事が次々に蘇った。

「高校の弓道部で女の子扱いされてムッとしたこと、子どもの頃に立ちションがしたかったこと、海パンを履いて上半身裸になりたい、と思ったことなど、本当にたくさんありました」

アンケート用紙の性別欄に丸印をつけるとき、「どっちにしようか?」とクラスメイトに訊いたら、「えりかは、真ん中でいいんじゃねー」といわれたこともあった。

働いて自分で服を買うようになってからは、ボーイッシュな格好をするようになっていた。髪も短髪にし、憧れていた金髪に染めていた。

「モヤモヤしていたものが、一気に晴れた感じでしたね。それから数日間はめちゃハッピーでした。でも、だんだん現実を見つめると気持ちがダダ下がりになってきました」

一番、落ち込んだのは、お母さんに孫の顔を見せてあげられないことだった。

「泣きながら、お母さん、ごめんねって謝りました。お母さんは、よく意味が分からなかったのか、すっきりしない表情で聞いていました」

09性同一性障害の治療を開始

新しい呼び名はエリック

トランスジェンダーやFTMという言葉は知っていた。クラスメイトには、バイセクシュアルを自認している子もいたが、セクシュアリティについて深く考えたことはなかった。

「自分は男になりたいっていうよりも、女じゃないっていう気持ちが強い気がして・・・・・・。いろいろと調べると、『中性』があることも知りました」

知識がついてくると、逆に「このまま生きていけるのか」という不安が大きくなる。

「フィリピン人の先輩に相談してみました。交友関係も広いし、海外のLGBT事情も詳しいと思ったので」

神妙な気持ちで打ち明けると、「別にいいんじゃねー」と笑い飛ばされてしまった。

「まったく偏見がない人もいるのかと思ったら、気持ちが楽になりました」

「いろいろな人に自分の話を聞いてもらったら?!」と、アドバイスをされ、誘われるままにお酒を飲む席に参加した。

そこで会った女の人に、「最近、自分のジェンダーを考えるようになったんですよ」と話しかけた。

「そうしたら、金髪のぼくを見て、『えりかよりエリックが似合ってるよ』といったんです。それ以来、エリックって名乗ってます」

性同一性障害の診断

自分のセクシュアリティはFTMだと自認し、診断書をもらうことにした。お母さんを誘い、ふたりで東京の病院に行ってカウンセリングを受けた。

「お母さんは不満な様子でしたけど、お医者さんに『娘さんが幸せなら、いいんじゃないですか』と説得されて、渋々納得してました」

「診断はついたんですけど、お母さんはもうちょっと考えてほしいな、と思っていたみたいです」

これから性別も変えるからね、名前も変えるからね、と話したが、ふたりの間のモヤモヤはなかなか消えなかった。

「言葉で伝わらない部分がどうしてもあるんで、自分らしく元気に生きている姿を見て理解してもらえれば、と」

服装や髪型、自分のことを「ぼく」と呼ぶ姿を見せるのが一番だと思っている。

家族の理解は今後の課題

診断書が出て、すぐにホルモン注射を打ち始めた。

「生理が嫌で、胸が大きいのも嫌でした。将来、性別を変えるなら、ホルモン治療は絶対に必要だと思っていました」

話をしても、いいとも悪いともいわない、微妙な反応だと思ったので、親には内緒でホルモン治療を始める。

声が低くなったことに、お母さんが気づいたのは、6、7本の注射を打った頃だった。

「え? あ、打ってるけどねって、軽い感じで伝えました。それ以来、治療の話はしていません」

従兄弟と弟と3人でいるときに、従兄弟が急に、「ホルモン、打ってる?」と訊いてくることもあった。

「あまりに突然だったんで、返答に戸惑っていたら、弟が『打ってたら軽蔑するからね』っていったんですよね。弟はまだ話しちゃいけない相手だな、と直感しました」

10ネパールに電波塔を建てて名を残す

ネパールで実習生を支援

2019年8月、叔父さんからあるオファーがあった。

「叔父さんは知り合いと共同で、ネパールのカトマンズで、日本に来る技能実習生のための日本語と介護実習の研修所を運営してたんです。その手伝いに行ってくれないか、と声をかけられました」

1カ月間の限定で、という話だった。同じ年の10月からは生命保険会社で働くことになっていたので、それも好都合だった。

「いいよ、と返事をしてネパールに行きました」

滞在中、半分はホテル住まい、半分はスタッフの家にお世話になった。

「ネパールの人は家族を大切にするな、という印象でした。日本に行く夢を持って頑張っている人を見たら、応援したくなりました」

一方で電力や通信の環境がよくないことも知り、日本の技術の高さを再認識する。

「ネパールから戻って、予定どおり生命保険会社の営業として働き始めました。トランスジェンダーであることも理解してもらって、職場環境はとてもよかったんですが・・・・・・」

保険のことを勉強してみると、自分にとってはまったく必要がないものに思えた。

「なんでこんなもの売るんだ。いらんやろ、という気持ちになってしまったんです」

自分が良いと思えないものを売ることが苦痛になり、半年ほどで辞めてしまった。

ホルモン注射を中断

ちょうどその頃、フィリピン人の先輩にスピリチュアル・カウンセラーを紹介され、話を聞いてもらう機会があった。

「もともと自分の体が嫌いで。でも、それをよくするために治療をするのではなくて、自分の体を好きになって、もっとよくするために治療をしたほうがいい、といわれました」

好きなことをやる、という勢いだけでホルモン注射を始めてしまったのではないか、と反省した。

「もっと自分の体を好きになって、よく考えてから治療してもいいような気がしました。もっといえば、恋人やパートナーができてから決めてもいいのかな、と」

2020年5月、ホルモン注射を中断することにした。

「それからは仕事もしていないし、自分自身と戦っている感じでしたね」

YouTubeに動画を上げたりしながら、やりたいことを探す日々が続いた。

新しい夢と目標を再設定

自問自答を繰り返すうちに、小学校の頃、「歴史に名を残す人物になる」という目標を立てたことを思い出す。

「お世話になったネパールの人たちに恩返しをしたいという気持ちもありました。それで、ネパールに電波塔を建てることを目標にしました」

そのためには、まず自立して、いろいろな勉強をすることが必要だ。

「お母さんに、家を出て勉強がしたい、と頼みました。許可をもらって、去年の12月、東京に出てきました」

目の前の目標はテレビ局か芸能事務所に就職をして、今、できることで生計を立てることだ。

「1、2年、しっかり働いて、叔父さんに何をやりたいか、プレゼンしたいですね。LGBTERの記事も読んで欲しい。そして、ネパールに行って、結果を残したいと考えています」

パートナーもいればいいが、必須ではない。

「あふれるように愛し合える相手が理想です」

素晴らしいパートナーと一緒に、ネパールに立派な電波塔が建てる日が来るといい。

あとがき
取材後もたびたび心地よいメッセージを届けてくれた。倉富さんは、素直に “してみたい” のおもいを言葉にかえる。格好つけようとか、達成できなかったらと、よぎることはあるのかな? インタビューのときと今では、まったく違う夢を描いているかもしれない。それもいい■「あふれるように愛し合える」って、素敵だな。ちっとも恥ずかしがらないでいった。倉富さんの穏やかさは、あふれるように注がれた近しいおとなからの愛で育まれてる。(編集部)

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