02 探し続けた “苦痛から逃れる術”
03 “働く女性” に厳しい時代
04 私を求めてくれる場所
==================(後編)========================
05 親として子どものためにできること
06 末っ子はトランスジェンダー
07 子どもたちとの向き合い方
08 私があなたに伝えられること
05親として子どものためにできること
男でも女でもない子
「3人目が産まれる時は、妊娠中も働いてて、陣痛7分おきの状態でも会議に出てました(笑)」
分娩台に移り、20分というスピードでスムーズに産まれてきた末っ子は、女の子。
「よく遊ぶ友だちはほとんど男の子で、人形を渡しても落書きしちゃうような子でした」
「女の子なのに、という思いはなくて、またちょっと変わった子が生まれたなって(笑)」
ちょっと目を話すと、電信柱に上っているようなやんちゃな子。
「3歳の七五三の時に『袴を着る』って、言ったんですよ」
「その時に何かが違うと感じて、制服のズボンが選べる中学校を探しとかなあかんな、って思いましたね」
その時点で、LGBTやトランスジェンダーの知識があったわけではない。
ただ、この子は男でも女でもないのではないか、と感じた。
「私の価値観の中では、男か女かってどうでも良かったんですよ」
「上2人の子育てが大変だった分、3番目は手もかからなくて、すごくラクだったし、性別での不安はなかったです」
ズボンを選べる私立中学をリサーチし、受験させたが、不合格。
「地元の中学はスカートやから、イヤやったら学校に話すよ」と、末っ子に聞いた。
「本人が『スカートをはく』って言ったから、それなら一度通わせてみようかなって。もし、学校に馴染めないようなら、海外に行く手もあるな、とか考えてましたね」
「途中でスカートがイヤになるだろうから、中学は卒業できないと思ってたんです」
自信をつける方法
末っ子に対しては、性別よりも心配なことがあった。
「字の読み書きが苦手で、ディスレクシアって診断されたんですよね」
小学生の頃は、1カ月に1回、通院していた。
「行くたびに、お医者さんから『これができない』『あれができない』って聞かされて、悔しかったです」
「だから、一度『この子ができることを教えてください』って、聞いたんです」
医師から「それは医者の仕事じゃない。障害は、病気じゃないから治らない」と、告げられる。
「だったら病院に行く意味はない、と思って、できる方法を考えるようになりました」
自分自身の人生のテーマは “できないじゃなくて、どうやったらできるか考える” 。
「漢字を部首ごとに分解する方法で教えたら、漢字テストで100点が取れるようになったんです」
例えば「暴」なら、「ある日、お姉ちゃん(長女の名前の頭文字がサ)が1人で8回水かけて暴れてた」と覚える。
「そういう成功体験を重ねて自信がついたのか、スピーチコンテストにも出るようになりました」
「もともとしゃべるのが得意な子だったし、『成績は悪くとも、できることを伸ばせばいい』って、言ってきたんです」
兄は学者肌で姉は成績優秀、末っ子はコミュニケーション能力に長けている。
同じ子は1人もいないから、それぞれに得意な分野を伸ばしていけばいい。
06末っ子はトランスジェンダー
トランスジェンダーとの出会い
末っ子が中学生になってから、同年代のFTMの子と会う機会があった。
「知り合いから『お子さんと同じような子がいるから、会わせたい』って、紹介してもらったんです」
「私自身、トランスジェンダーの当事者と会うのは、初めてでした。でも、偏見はなかったので、会った時も違和感や特別感はなかったですね」
末っ子も会いたがったため、2人でFTMの子が住む九州に向かう。
その子は学ランを着て中学に通い、男の子として過ごしていた。
「その姿を見て感化されたのか、末っ子が『私は男だ』って、言い出したんです」
「ずっと『男でも女でもない』って感じだったので、ちょっとびっくりしましたね」
そして、末っ子から「私が男やったら、なんて名前にしたかった?」と、聞かれた。
「『ひなた』って答えたら、『名前を変えて、ひなたになる』って言われたんですよ」
末っ子の名前は、もともと漢字も読みも、性別を感じさせないもの。
「だから、名前に込めた意味と一緒に、『今の名前を女らしいと思うのは、あんたの思いこみや』って、話したんです。私としては、名前は親から子への最初のプレゼントやと思ってたから」
「でも、子どもが押しつけられてると感じるなら、親の自己満足になってしまうから、『イヤなら変えてもいい』って、言いました」
名前について考え抜いた末っ子は、「今のままでいい」という選択をした。
話しやすい環境
中学の途中で、末っ子は学校を休む日が出てくる。
「たまに『行きたないねん』って言うから、『ええんちゃう』って休ませてました」
中学の先生からの連絡もあり、制服のスカートを嫌がっていることを知る。
「中学に入る時点で、字が読めないこととトランスジェンダーであろうことは、学校に伝えてあったんです」
「中学はすごくいい先生ばかりで、うちの子にすごく配慮してくれてましたね」
校長先生が積極的に動いてくれたことで、在学中に制服のズボンとスカートが自由に選べるようになった。
2年生の途中から、末っ子はズボンをはいて登校するようになる。
「私の勝手な思い込みかもしれないけど、私の子ならなんとかなる、って思ってました」
理由の1つは、産まれた時から、子どもたちの思考力を養ってきたから。
「質問されても答えずに自分で考えてもらう。その考えを認めて、まずはやってみてもらうこと。これが子どもの思考力を育てる方法の1つですね」
もう1つの理由は、自分自身のイケてない部分を、すべてさらけ出しているから。
「子どもにも『お母さんこんな失敗しちゃった』『こんなにダメなんだ』って、全部話します」
「不完全な私をさらけ出すことで、お母さんならなんでも受け止めてくれる、と思ってもらえるんじゃないかなって」
話しやすい環境を整えている。だから、何かあれば打ち明けてくれると信じている。そして実際、色々なことを話してくれる。
07子どもたちとの向き合い方
コミュニケーションは “質”
「仕事で家を空けることは多いですが、コミュニケーションって時間の長さじゃなくて質だと思ってます」
子どもと顔を合わせた時に、どんな話をして何を伝えるか、何を引き出すかが大事。
短い時間でもしっかり向き合い、子どもの思いを知っていきたい。
「親が働きに出ると子どもがかわいそう、って感じる人もいるけど、そうではないと思うんです」
「ずっと一緒にいて、子どもをイライラのはけ口にしてしまう方が、ツラいですよね」
「それに、常に親が危険を排除してしまったら、子どもは自分で何もできなくなってしまいます」
一緒にいる時間が長いことが正しいのではなく、離れている時間にも意味があると考えると、見え方は変わってくる。
外で働く姿を見せてきたからか、末っ子は「お母さんみたいに働きたい」と、言ってくれる。
「私は私でやりたいことをやってるから、子どもにも子どものやりたいことをやってほしいですね」
「安全な道は行くな」
子どもたちには、「失敗は若いうちにしておけ」ということも伝えている。
「幼い頃の私が暴力を振るわれていたことも、自分が周りに意見が言えなかったことも、私の人生においては失敗だと思ってます」
「でも、あの経験があったから気づけたことがあるし、今の仕事につながる部分もあります」
「だから、子どもたちにも『安全な道を行くな』って、話してます」
若いうちにいろいろ試し、時に挫折することで、きっと成長していけるから。
「そして、自分で道を選択して、納得して、進んでいってほしいんです。誰かに押しつけられると、失敗した時にその人のせいにしてしまうでしょ」
親としての役割
「こんな私でも、主人からは『子どもに関わりすぎや』って、言われます」
「主人も、私と同じように『自立しろ』って、子どもたちに話してますね」
研究者の夫は、 “言行一致” を地で行く、器の大きな人。
「感情的にならず、威厳がある人なので、子どもたちは父親を尊敬してると思います」
「主人は、私には毎日朝昼晩『大好きだよ』って、言ってくれるんですけどね(笑)」
話しやすい母親と頼りがいのある父親。親としての役割も、住み分けができている。
08私があなたに伝えられること
親が抱える不安
もし、あなたの子どもがLGBT当事者だとしても、1人の人間として見てあげてほしい。
「男であろうと女であろうと、あなたの子どもであることに変わりないですよね」
「性別がなんでも、その子自身は何も変わらないし、そもそも人はみんな違うから」
最近は、ファッションの表現として、スカートをはく男性もいる。
それぞれがその人らしさであり、そのままでいいはず。
「“男と女” って見ると二極化してしまうから、どっちでもええやん、っていうのが本音かな」
性別違和を抱える子どもを持ち、不安を感じる親の気持ちもわかる。
「不安になってしまうのは、親が考えたレールに乗せようとしてるからだと思うんです。子どもが、親にとっての正解から外れたら、心配で仕方なくなるでしょうから」
「でも、親が考えている道以外にもたくさんの道があって、正解も不正解もないんですよね」
「親も視野を広げて、いろんな可能性を想像することができれば、怖いことはなくなっていくと思います」
心が軽くなる場所
将来的に、マイナスの感情を抱える人の居場所を作りたい、と考えている。
「一時期、近所の子どもが『ごはん食べさせてください』って、うちに来てた時期があるんですよ」
「これはどこに引っ越ししても起こったんです。近所の子どもがやってくるんです」
「子どもたちから聞いたわけではないけど、きっと幼い頃の私と同じだと感じたんです」
パーティー好きな我が家では、多くの人を招いて誕生日会などを開催する。
その時に、息子や娘が、たまたま近所にいた名前も知らない子を誘うことがあった。
だから、近所の子どもたちが、日常的に来るようになったのかもしれない。
「私自身が虐待サバイバーだし、子どもの学習障害や性別違和と向き合ってきた経験もあるから、いろんな人の気持ちに寄り添えると思うんです」
「大人も子どもも関係なく、話を聞いて、ラクにしてあげられるような居場所を作れたらな、って思ってます」
家族にも話せないような悩みや不安を打ち明けられる場所があれば、きっと心は軽くなる。
自分の経験のすべてを糧にして、あなたの明日をつなげていきたい。