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FTMとして生きる! 大切な人との出会いが、本当の自分を教えてくれた【後編】

FTMとして生きる! 大切な人との出会いが、本当の自分を教えてくれた【前編】はこちら

2019/10/12/Sat
Photo : Rina Kawabata Text : Shintaro Makino
佐々木 千維 / Chiyuki Sasaki

1990年、岩手県生まれ。5人姉妹と末っ子の男の子の6人きょうだいで育った。中学、高校はソフトボールに打ち込み、高校は介護コースを選択。卒業後、千葉県の福祉病院に就職した。ボーイッシュな服装を好み、男子に興味を持てない自分に違和感を感じながらも、悩みはいつも押し隠した。転機は、ある女性との出会い。彼女に励まされ、SRS、戸籍変更、結婚と自分の道を切り拓いた。ファッションブランド『Colors Edge』代表。

USERS LOVED LOVE IT! 21
INDEX
01 5人姉妹の真ん中にボーイッシュな子が一人
02 喜びを教えてくれたソフトボールとの出会い
03 初めて気になった人は、部活の先輩
04 就職先は千葉県の福祉病院
05 次第に大きくなった性の違和感
==================(後編)========================
06 ついに出会った運命の人
07 ブログの2人に憧れて、FTMとして生きる!
08 同棲、ホルモン治療、FTM。すべてがバレた!
09 両親の反対を押し切って手術に踏み切る
10 入籍直前に両親と和解

06ついに出会った運命の人

3年ぶりに実家に戻る

21歳のとき、3年勤めた病院を退職して、実家に帰ることになった。

「3年したら帰るって、最初から両親と約束してたんです」

戻ってみると、故郷は東日本大震災で被災。実家も床下浸水の被害を受けていた。

実家に帰っても、就職先が用意されているわけではない。することのないプー太郎になってしまった。

「運転免許を持っていなかったので、とりあえず、自動車学校に通い始めました」

そうこうするうちに、介護施設で働いているお母さんの知り合いが、声をかけてくれた。

「バイトでもいいって言ってくれて、とりあえずお世話になることにしました」

通い始めると、いい職場で、やりがいを感じることができた。もちろん、今までの経験を生かすこともできた。

「お年寄りと接するのも、好きでした」

しばらくバイトをしてから、正式に採用されることになる。

強烈にプッシュされて、ようやく言葉にできた

職場には、笑顔が素敵な先輩がいた。
5つ上の女性だ。

「とても気になる存在だったんですけど、やっぱり気持ちを伝えることはできませんでした」

恋愛に対して臆病になる、いつものパターンだった。

「そのうち毎晩のように電話で話すようになって・・・・・・。自分から言わなければいけなかったんですが・・・・・・」

ついに、相手から「もう! 何で早くいわないのよ!」と、しびれを切らしたように強烈にプッシュされた。

そして、ようやく自分の気持ちを言葉にすることができた。
20年以上生きて、初めての告白だった。

「彼女からは、セクシュアリティに関係なくつき合おう、って言ってもらいました」

とりあえず始まったふたりの生活

「そのとき、彼女は実家から通勤していて、自分は職場の近くにアパートを借りて暮らしてました」

「お互いの両親には、女友だちと一緒に住む、ということにしておきました」

こうして、小さなアパートでふたりの生活が始まった。

「素直にうれしかったですね。ようやく自分を理解してくれる人と一緒に暮らすことができたんですから」

彼女にとって、同性の自分とは初めての付き合いだった。

「一緒に暮らし始めてから、お互いの実家にあいさつにいきました。もちろん、ただのルームメイトとして紹介し合いました」

当面の幸せは手に入れたものの、将来、どうするのかという問題はどっしりと居座ったままだった。

特にセクシュアリティのことは大問題だ。
一生、このままでいいわけがなかった。

「僕も彼女も、インターネットやブログでいろいろと調べました」

そのなかで、心を鷲掴みにするカッコいいブログがヒットした。

「コレだ! と、直感しました。自分もこうして生きていけばいいんだ!」

07ブログの2人に憧れて、FTMとして生きる!

前へ進みたい。再び、千葉へ

心を奪われたのは、 FTM2人組の『男より強く、女より優しく』のブログだった。

「あのふたり、本当にかっこいいな。あんな風になりたいな」と憧れる。

「彼女もまたまた、同じブログを見ていたみたいでした」

同時に、今まではっきりしなかった自分自身の本当の姿を発見した気持ちだった。

「オペのことも真剣に考えるようになりました」

目標が決まると、前へ進みたい気持ちが募った。

「治療のためには、お金も必要になります。岩手にいてはダメだ、って思ったんです」

地元の職場は、居心地はいいが、貯金をするのは無理だった。考えた末、3年前まで勤めていた千葉の病院に戻ることにした。

「彼女もついていく、って言ってくれました」

両親に伝えれば、反対されるに決まっている。
それならば、先に話を進めてしまおうと、自分の判断で面接を受けてしまった。

こうして、24歳のとき、再び岩手を出た。

そして、今度はふたりで千葉に住むことになった。

憧れのFTMと話ができて、感動

千葉に戻ると、すぐに茅ヶ崎の海の家でSOLUNA ESPERANZAのイベントが開かれることを知る。

「どうしても会いたい。会わなければいけない、って切羽詰まった気持ちでした」

事前に連絡はしていたものの、根っからの人見知り。

きちんと話をできるか自信はなかったが、とりあえず行ってみることにした。

「僕らからしたら、ソルーナエスペランサのふたりは芸能人みたいな存在ですよ。生で見られただけで感激しちゃって・・・・・・」

どうしたらいいか分からず、海の家の椅子に座ったまま、彼女とふたりでじっとしていた。

「海にも入ろうとしないし、あいつら、おかしいなと思ったんでしょうね(笑)。あちらから声をかけてくれました」

辛かったことや、オペを考えていることなど、思いつくままにいろいろな話をした。熱心に聞いてくれて、アドバイスももらうことができた。

「本当に感動しました。行ってよかったね、ってふたりで頷き合いました」

普段は自分からアプローチをすることなどないが、イベントから戻って、ブログの2人にメッセージを送った。

「もっと話をしたい、もっと知りたい、って気持ちが強かったですね」

その甲斐あって、今は本当に仲よくさせてもらっている。

08同棲、ホルモン治療、FTM。すべてがバレた!

職場の上司にカミングアウト

千葉に戻ってからは、彼女も同じ病院で働くことになった。

「ふたりの関係は隠していましたから、同じ女子寮に別々の部屋を用意してもらいました」

たまたま上下の2部屋だったため、下の部屋を物置に、上を住まいにして、事実上、一緒に暮らした。

ほどなくして、ホルモン注射を開始。声が低くなり、変化が出てきた。

そろそろ上司に打ち明ける時期がきたと判断した。

「とても話しやすい人で、すべてを素直に相談できました」

その頃、ホルモン治療の副作用で、顔がむくむことがあった。上司は、ちょうどそれを心配していたところだった、と言ってくれた。

「ちょうど、別の部署に、カミングアウトをしたFTMの人がいたんです。それで、手続きがスムーズに進みました」

前例があると話が早い。男性として働くこと、ロッカーや制服を変えることをすんなりと認めてくれた。

「もうひとりのFTMは胸だけオペをしていました」

その頃、すぐ下の妹は退職し、横浜に移っていた。それと入れ違うように一番下の妹が岩手から出てきて、同じ病院で働いていた。

「FTMの子は、一番下の妹と部署が近かったので、それから話すようになりました」

オペのことなど、いろいろと役に立つ情報を教えてもらった。

すべてがうまくいきかけたときに・・・・・・

上司には、彼女との関係も打ち明け、寮を出てアパートに住むことも了承してもらった。

すべてがうまく進んでいた、ある日のこと。

「その頃はクルマで通勤していたので、出勤も退社も彼女と一緒だったんです。それを見た妹が、おかしいじゃないか、と勘づいて・・・・・・」

「『なんで、いつもあの人と一緒にいるの? それにお姉ちゃん、最近、声がおかしいよ』と問い詰められました」

そして、両親に漏らされてまった。

バレた!!

もちろん、いつかは自分でカミングアウトするつもりだった。まさか、こんな形でバレるとは思ってもいなかった。

「遡って、岩手で一緒に住んでいたときからの関係ではないか、と追及されました」

親にしてみれば、何年にもわたって騙されていたことになる。しかも、知らされずにホルモン治療まで始めていたとは。

「裏切られた、と言われてしまいました」

09両親の反対を押し切って手術に踏み切る

お互いに譲らない

両親の怒りは凄まじかった。
彼女と会っても、目も合わさず、完全に無視。

「さすがにそのときは、『私、嫌われているのね。私と一緒にならないほうがいいんじゃないの』と、彼女も弱音を吐きました」

しかし、後戻りする気は一切なかった。

「手術を受けて、戸籍が変更できたら結婚する。その気持ちは固まってました」

黙っていたことは、帰省のたびに何度も謝った。そのうえで、将来の計画も正直に話した。

「でも、受け入れてはくれませんでした」

父さんには「勝手にしろ!」と、にべもなくあしらわれてしまった。

戸籍変更。晴れて男性に

両親と和解できないまま、ついに手術の日がやってきた。

「お母さんにだけは、これから行ってくる、ってLINEをしました」

「そこまではしてほしくない」。母親の願いは最後まで変わらなかった。

手術は無事に終了。その年の11月には、戸籍の変更も終えた。

「やっとここまでくることができた。感無量でした」

戸籍変更のときに名前を変えるつもりはなかったのか、と聞かれることがある。

「千維(ちゆき)という名前、ちょっと中性的でしょ? 気に入っているんです」

改名しなかったことには、もうひとつ理由がある。

「5人姉妹の名前が、みんな千と糸偏の字なんですよ」

ちおり、ちひろ、ちゆき、ちすみ、ちのぶ。

きれいにそろった名前を維持することは、両親へのリスペクトでもある。

10入籍直前に両親と和解

7年の交際を経て、ゴールイン

2019年5月26日。ついに入籍を果たした。

「つき合い始めたのが、8月26日だったので、26日にはこだわがありました」

本来なら、8月26日がよかったが、「少しでも早く」という思いから3カ月の前倒しとなった。

ほぼ7年間の交際を経て到達した、ふたりだけのゴールインだった。

改めて、彼女と出会わなければ、今の自分はなかったと感じている。

「奥さんには、本当に感謝です。僕を変えてくれました。背も小さくて、いつも周りを気にして、何をするにも自信がなかったけど、今は違います」

周りのことばかりを気にしていた自分は、すでに過去の存在だ。

どんなときも、「気にすることないよ、大丈夫」と励まし、支えてくれた。飾り気のない小さな言葉が、自信につながることを教えてくれたのだ。

突然の容認に拍子抜け

実は、もうひとつ、とてもうれしい話がある。

「入籍の直前に、結婚の報告するために岩手に帰ったんです」

もちろん、許してもらえるとは思っていなかった。それでも、一応、話の筋を通してから、という気持ちでの帰省だった。

「ダメだ、と反対されても、結婚はするつもりでした」

ところが、話を切り出すと、あれだけ反対していた両親が、あっさりと認めてくれたのだった。

「いいよ、わかった。という感じで。逆に拍子抜けでした」

妹の話によると、両親はテレビでLGBTの特集番組を見たり、両親なりに理解を深めたのだとか。

真相は謎のままだが、とにかく入籍の前に両親との和解も叶った。

「バラされたときは、妹を恨みましたけど(笑)。今はとても感謝してます」

「前に進むきっかけを作ってくれたわけですから」

誰にも辛い時期はある。でも、諦めないで頑張れば、いつか道が拓けていく。

「なんとか危機を乗り越えた僕の経験が、悩んでいる人たちの少しでも参考になればうれしいです」

アパレル・ブランドを立ち上げる

1年前『Colors Edge』というアパレルブランドを立ち上げた。

「FTMの人には、小柄な人が多いと思います。僕はその中でも稀な小ささですが」

「サイズがない、着たい服がない・・・・・・と、僕と同じ思いやストレスを感じている方も少なからずいるだろうと」

「それなら自分で作ってしまえばいい! という発想の転換ですね(笑)」

現在は、Tシャツやキャップ、ショートパンツなどを販売しているが、今後は様々なアイテムをラインナップする計画だ。

ブランド名には、メッセージが込められている。

「Colorsは、一人ひとりの個性です。LGBTに限らず、誰もが違った個性(色)を持ってます。Colors Edgeが、それを輝かせて、たくさんの方に幸せを提供できる近道になれたらいいなって」

そして、Edge は「繋がり」だ。

いろいろな人に助けられてここまで来ることができた。その感謝を表している。

「ロゴに使っているチェーンの絵は、人と人との『繋がり』『繋ぐ』って意味なんです」

SOLUNA ESPERANZAとのコラボも実現。レインボープライドでは、SOLUNA ESPERANZAのブースの一角を借りて、PR活動を行なった。

「たくさんの人と話をすることができました」

以前と比べて、誰に対しても自分を出せるようになった。そして、Colors Edgeという表現手段も得た。

あとは自分で拓いた道を進んでいけばいい。

「少し遠回りはしましたけど、今は本当に幸せです」

あとがき
「人の目を気にしていた」というが、千維さんの生き方は大胆さが何かを示してくれる。[思い切ったこと]を支えるのは、慎重な決断力。5,6年という単位では、石橋叩くコツコツ系。忍耐、努力、ときには静観だ。この時間は、千維さんが自分らしく道を拓く原動力なのだと感じた■たとえ、望んだまま、が手に入らなくても、変化も違いも恐れない。「少し遠回りはしましたけど、今は本当に幸せです」。シャイな千維さんの顔がほころんだ。(編集部)

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