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聴覚障害をもつゲイとして、自分はどう生きたいか。【後編】

聴覚障害をもつゲイとして、自分はどう生きたいか。【前編】はこちら

2020/09/19/Sat
Photo : Tomoki Suzuki Text : Kei Yoshida
前田 晃生 / Akio Maeda

1987年、東京都生まれ。家族とともに1歳で山梨へ引っ越し、3歳からは福岡で育つ。幼い頃に聴覚障害があると診断されたが、手話とともに口話(ろう者が口の動きを読み取って会話すること)を習得し、一般の小中学校、聾学校の高等部へ通う。筑波大学附属聾学校専攻科の造形芸術科デザインコースを卒業したあとはメーカーの事務職として5年間働き、その後、外資系のファッションブランドに転職。絵を描くことが好きで、2019年には個展を開催した。

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INDEX
01 自閉症ではなく “難聴”
02 健聴者と同じ小学校へ
03 ひとりで絵を描くほうが好き
04 自分はゲイかもしれない
05 高校卒業と同時に上京
==================(後編)========================
06 いつかはデザインの仕事に
07 いろんな人との出会いが楽しい
08 カミングアウトよりも大切なこと
09 自分らしい生き方って、なに?
10 自己認識の大切さ

06いつかはデザインの仕事に

両親が教えてくれたこと

「仕事は、正直楽しくはありませんでした(笑)」

「入ってみて、やっぱり合わなかったかな・・・・・・と思いながらも、5年間勤めました」

職場で周囲とコミュニケーションをとるときは、基本的に口語で。

「たまたま手話に興味がある同僚がいたので、ちょっとだけ教えてあげることもありました。でも、いつもは口話だけでしたね」

業務の上で、最も困難だと感じたのは電話でのやりとり。
口を読めないため、少しだけ聞こえる耳に頼ることしかできない。

「上司や同僚からの話しを誤解して、結果ミスしてしまうこともありました。でも、社会に出てからも、普段の生活で困ることはあんまりないですね」

そう思える大きな理由のひとつは、幼い頃から兄弟と同じように、分け隔てなく育ててくれた両親のおかげだと言えるかもしれない。

「母からは、とにかく社会に出て働いて、経験を積んだほうがいいと言われました。いろんな人に会って、いろんなことを感じなさいと」

「マナーに関しても、厳しく教わりました」

「小さい頃から、相手に失礼なことは言わないようにとか、社会のルールみたいなものを教えられてきました」

「本当に基本的なことばかりですけどね。挨拶をきちんとするとか、失礼のない言葉遣いだとか」

母は、社会人として健聴者と食事をすることもあろうかと、食事中のマナーについても教えてくれた。

我が子が親元を離れても、ひとりの大人として、社会で生きていけるように、心構えを築いてあげたいと思っていたに違いない。

本当の自分を堂々と

「東京で働いて5年経つ頃、そろそろ自分を変えたほうがいいという気持ちが芽生えました」

「大人になって、自分がゲイであることは自認できていたんですが、それをずっと周囲に隠していることも苦しかった」

「なにより、自分に合っていないとわかりきっていることをこのまま続けていくよりも、本当に自分がやりたいことを目指したほうが、将来につながるんじゃないかと思ったんです」

「前の仕事だと、まるで自分じゃない自分がスーツを着て、毎日同じ時間に会社に行って、働いているみたいだった」

「それが苦痛に感じられたんです」

やりたいことを堂々と目指し、本当の自分を堂々とさらけ出したかった。

「大丈夫かな・・・・・・と思いながらも、とにかく仕事を辞めました」

「いまの仕事は、前の仕事を辞めたあとに見つけたんです」

「またデザインの仕事ではないんですが(笑)。自社ブランドの商品の入荷や出荷を管理したり、たまに接客したりしています」

「この仕事も楽しいですが、やっぱり絵を描くことを仕事につなげたい」

「いつかはきっとデザイナーとしての仕事をやりたいと思っています」

07いろんな人との出会いが楽しい

暗い自分に戻りたくない

以前の事務職と違って、現在の仕事は人と接する機会が多いのが楽しい。
外国人の来客も多いので、それだけ刺激も大きい。

「実は、今でも英語の勉強を続けているんです。自分で参考書を買ってきて、英文を読んだり書いたり」

「海外で働きたいとか、特に目的があって勉強しているわけではないんですが、もっと英語が話せたら、それだけたくさんの人とコミュニケーションがとれるなぁと思って」

「英語で普通にコミュニケーションをとれるようになりたいんです」

いまでも、いじめられていた記憶が残り、人を信じることが怖くなることもある。でも、それは誰でも同じかもしれない。

信じることは、ときに怖い。

「いじめられていた頃の、暗い自分に戻りたくない」
「だからこそ、できるだけ明るく生きたい気持ちが強いんです」

誰かとつながりたい、コミュニケーションをとりたい。
誰かを信じたい。

それは、明るく前向きに生きるための自分なりの術なのだ。

ひとりでハワイ5日間

「いまは信頼できる友だちもいます。ずっと長い間、ほぼひとりぼっちでしたが(苦笑)」

「この前、初めて海外旅行に行ったんです。行き先はハワイ。友だちと一緒に行こうと思ってたんですが、予定が合わせられなくて」

「結局ひとりで5日間行ってきました(笑)」

完璧に英語を話せるわけではなく、完璧に耳が聞こえるわけでもない。
でも、大きな問題もなく、ひとり旅を楽しめた。

「ホテルスタッフのひとりが、すごい早口でいっぱいしゃべってきたけど、なに言ってるのかわからないってことはありました。忙しいのか、なにやらキレた表情で(笑)」

「ハワイに行ってみて、改めて、いろんな人がいるんだなと思いました」

「カカアコ地区のウォールアートを見に行ったとき、知らない男性が近づいてきて『向こうにもアートがあるよ』って教えてくれたりとか」

「こっちも『教えてくれてありがとう』って自然なコミュニケーションができて。日本だと、知らない人に話しかけることも、話しかけられることもあんまりないから新鮮でした」

もっと、いろんな人に出会いたい。
さまざまな文化に触れたいという気持ちが強くなった。

「次は台湾に行きたいと思っています」

「本当は今年友だちと行こうと思っていたんですが、コロナのせいでキャンセルしました。今度こそは友だちと一緒に行きたいです」

08カミングアウトよりも大切なこと

ゲイコミュニティで当事者の話を聞いて

福岡から上京したのは18歳の頃。
東京に来て、初めてゲイコミュニティに足を踏み入れる。

「自分自身がLGBTについて、あんまり知識がなかったので、いろんなことを知りたいと思って参加してみたんです」

「ゲイだけでなく、いろんなセクシュアリティの人の話を聞いて、改めて、自分とは、ゲイとは、どういうものかを再確認しました」

さまざまな当事者の話を聞くなかで、やはり両親にカミングアウトしようという想いが強くなっていく。

話を聞いた人のなかには、カミングアウトした人もしなかった人もいる。
カミングアウトすることでリスクを負うことも知った。

それでも、自分はカミングアウトしようと思った。

「カミングアウトしてみて、誰かとの関係がダメになっても、いつか少しずつでも理解してくれたらいいなと思って」

「リスクを恐れる気持ちよりも、自分を誤魔化したくないという気持ちのほうがずっと強かったんです」

そこで、最初に話そうと思ったのが高校時代からの女友だち。
27歳のときだった。

じっくりと自分の気持ちを整理してから、カミングアウトにのぞんだ。

「いままでずっと、自分がゲイだということは隠してきたので、カミングアウトしたときは、友だちも少し抵抗があったみたいです」

「え、なんで? って、すぐには受け入れられない感じで」

「僕は、ゲイとはどういうものか、自分はどう生きたいと思っているのか、丁寧に詳しく説明して、どうか理解してほしいと伝えました」

「そのうちに、理解してくれたみたいです」

「これからはゲイとして生きていきたい」

以前は、好きな人に想いを告げることができなくて、そのもどかしい気持ちを誰かに相談することもできなかった。

いまは、好きな人の話を聞いてもらえる相手ができた。

ゲイコミュニティで友だちもできた。
自分を誤魔化さなくても生きられる時間が増えていった。

「次に、両親に手紙を渡したんです」

「自分はゲイなんだってことを書いて、同性愛に関する本も同封しました」

「いままでは隠してきたけど、これからはゲイとして生きていきたい、とはっきり書きました」

両親の反応は、意外なくらいに早かった。

「父のバンドにもゲイのメンバーがいたそうで。他にもHIVで亡くなったゲイの友人もいたと・・・・・・。僕がゲイだと知っても『別にいいんじゃない』って、すぐ理解してくれました」

「母も、そんなに驚きはしなかったみたい(笑)」

「あんなに悩んで、がんばって手紙を書いて、渡す前は否定されるかもと思って、すごくドキドキしたのに。こんなにすぐ受け入れてもらえるもんなんだ・・・・・・ってこっちが驚きました(笑)」

兄弟にはLINEでカミングアウトした。
否定する人は誰もいなかった。

「こんなに簡単だったなんて。もっと早くに言えばよかった」

そんな風に思うこともある。

でも、カミングアウトをする前に、悩んで悩んで、じっくりと自分の気持ちを整理したことこそが、本当に必要で、大切なことだったのだろう。

09自分らしい生き方って、なに?

“決めつけ” による息苦しさ

「いまの職場では、僕がゲイだということは隠していません」

「社内で好きな人はいるのか、いないのかって話をしているときに、先輩に『あんた、もしかしてゲイなの?』と聞かれたんですが、『まぁ、そうだね』と答えて、否定しませんでした」

いまはもう、自分を誤魔化して生きているような苦しさはない。
しかし、オープンにしたことで、まったく問題がなかったわけでもない。

「社会においてLGBTに関する理解が十分ではないように感じています」

「職場の人と話していても、LGBTってこういうもの、ゲイってこういうものって、決めつけが強いなと感じることが多いですね」

「あなたはゲイだからジャニーズが好きなんでしょ? みたいな感じで」

当然のことながら、ひとりとして同じ人間がいないように、LGBTにもいろいろな人がいて、いろんなゲイがいる。

せっかくオープンにしたのに、周囲からの決めつけによって、望まない型に無理やり当てはめられると、また新たな息苦しさを感じてしまう。

「オープンにするときも、相手はちゃんとLGBTに対して知識のある人か、正しく理解できる人か、見極めて慎重にしないと、と思いました」

明るく生きるために

今回、LGBTERのインタビューに応募したのは、聴覚障害をもっていて、ゲイである自分の人生や考え方を、多くの人と共有したいと思ったから。

それが、誰かにとってLGBTの理解を広めるきっかけになるかもしれない。

「自分自身、LGBTERの記事を読んで、こんな人生があるんだ、こういう考え方があるんだって、いろんな発見がありました」

「自分と同じゲイの人の記事だけでなく、レズビアンとかXジェンダーとか、いろんなセクシュアリティの人の記事を読みました」

「実は、トランスジェンダーFTMの友だちがいるんですが、記事を通して、公衆トイレの使い方とか、戸籍の変更とか、深刻な問題を抱えていることを知り、なにか協力したいとも思いました」

自分でカミングアウトすることを選び、ようやくオープンに生きられるようになったいまの人生に自信がもてたからこそ、今度は誰かの力になりたいと思う。

「以前、クローゼットのゲイの人に、『どうやってカミングアウトするの?』って聞かれたんですよ。でも僕は、『無理にしなくてもいいんだよ』と答えました」

カミングアウトするよりも、まず自分の気持ちを整理することが先だ、と。

「カミングアウトしなくても、自分らしく生きられるのであれば、リスクを冒してオープンにすることはないんです」

「まずは、自分がどう生きたいかを、ちゃんと考えたほうがいい」

自分は、とにかく明るく生きたいと思った。
カミングアウトは、前へ進むための一歩だった。

「明るく生きるために、好きなことを我慢せずにやるようにしています」

「例えば、見たい映画があったら、すぐに映画館に行きますし、体を動かしたいと思ったら、すぐ散歩に出かけます」

「好きなことをやって、楽しかったという経験を積み重ねていくことで、また明るく楽しく生きていけると思うんです」

10自己認識の大切さ

自分を知り、人と比較しない

恩師に教えてもらい、いまも大切にしている言葉がある。

「自己認識という言葉。自分がどういう人間なのかを知ることです」

「自分を知るために、相手が自分をどういう人だと思っているのかをきいてみるのも、自己認識のひとつの助けになります」

「いいところも悪いところも、いろいろ見て、自分を知ることが大切」

「自己認識ができていたら、カミングアウトするかどうか、いつするか、どうするか、自分で決められると思うんです」

そしてもうひとつ、大切にしているのが、「人と比較しない」こと。

例えば、男女のカップルを見て、「どうして自分は、あんな風にできないんだろう」と考えても答えはないし、考えること自体が意味のないことだ。

周りのみんなは聞こえるのに、なんで自分だけが聞こえないのか。

幼い頃は、何度も周りと自分を比較して、答えが見つからないまま、ずっと苦しい想いを抱えていた。

「そんなことは、もうやめようと思ったんです」
「誰かと同じように生きるのは難しい」
「僕は自分らしく生きたい」

いままで経験したことを

自分を隠すことも誤魔化すこともなく、好きなことは好きと言って、やりたいことをやって、明るく前向きに生きる。

それが自分なりに見つけた、自分らしい生き方だ。

「いまも絵は描き続けています」

「今年も個展を開きたいと思っているんですが、まだ下絵の段階で。どんな作品にするのか、考えを巡らせているところです」

学生のときとは違って、働きながら絵を描き続けることは簡単ではない。

「仕事から帰ってきて描いたり、なにか思いついたら描いたり。少しずつ、つくっていこうと思っています」

そしていつかは、やはりデザインの仕事に就きたい。イラストレーターの夢も捨ててはいない。

「デザインの授業で学んだこと、いままで経験したことを活かしていきたいです。僕の挑戦はこの先も続きます!」

言葉だけでなく、絵で伝えられることはたくさんある。
ゲイとして、難聴者として、広く伝えたいこともたくさんある。

自分らしく。

その表現が、きっと誰かの心に響くと信じている。

あとがき
「暗い自分にもどりたくない」。くもった時代は通過した一点。手話通訳さんの丁寧なコミュニケーションに助けられ、晃生さんのエピソードがいっそう躍動した。「誤魔化さないで生きる」。その対象は、まわりの誰かから、自分の心に向くように。教科書も、正解もない■ドライブがかかって、いっきに動き出した晃生さん。やりたいことは山ほど。自分の気持ちを忠実に写し取る毎日は、24時間では足りなさそうだ。さて、まずはなにから描こうか?(編集部)

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