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自分が「性同一性障害」だと知ってから、扉が開けた【前編】

スタイリッシュで、どこか飄々とした雰囲気を持つ出口茜さん。撮影時は堂々とポージングをしつつ「LGBTERの表紙になれますか?(笑)」と、場を和ませてくれた。直感的なセンスを大切にする一方で、どこまでも自然体。確固たる自分の軸を持ちながらも他者にけっして威圧感を覚えさせない、稀有な魅力を持つ。そんな出口さんの、自分の心に素直に従い続けたこれまでに触れていく。

2022/03/19/Sat
Photo : Mayumi Suzuki Text : Chikaze Eikoku
出口 茜 / Akane Deguchi

1994年、北海道生まれ。6歳上の兄と2歳下の弟に挟まれ、やんちゃな真ん中っ子として育つ。幼少期からアイスホッケーに打ち込み、17歳のときにはユースオリンピックに出場したことも。女の子に恋心を抱く思春期、「自分は変なのでは」と苦悩するが、高校生のときにあることがきっかけで自分が「性同一性障害」だと自覚。2021年4月にタイで性別適合手術を受け12月に彼女と結婚した。現在の目標は、子どもを持って幸せな家庭を築くこと。

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INDEX
01 3人兄弟でいちばんやんちゃな真ん中っ子
02 男子のチームに入れない悔しさと、アイスホッケーの楽しさの狭間で
03 好きな女の子から教えられた「性同一性障害」。FTMだと自覚
04 「男性になる」決意は固めたけれど
05 家族と職場、周囲へのカミングアウトのタイミング
==================(後編)========================
06 性別移行のためにアイスホッケーを辞める決意
07 性別適合手術へ。家族のそれぞれの反応と、支えてくれた彼女
08 9月に沖縄でプロポーズ。12月に結婚し、幸せ絶頂の今
09 男性として移籍、アイスホッケーは継続
10 情報収集が大事! 自分以外にも同じような人がいるって知ることが自信につながる

01 3人兄弟でいちばんやんちゃな真ん中っ子

とにかくやんちゃでじっとしていられない子だった

いちばん小さいときの記憶は、4歳くらい。兄弟の中でもとにかくやんちゃで、毎日父親に怒られていた。

「両足にティッシュの箱を靴みたいにつけて遊んだり、家の柱登ったりとか、チラシばら撒いてその上走り回ったりとか(笑)」

おとなしめなお母さんと、叱り役のお父さん。父親はルールには厳格だが、けっして理不尽に怒るタイプではない。「女の子なのに」などという言い方はしない人だった。

「ずっとガミガミ言うわけじゃないけど、危ないことをしたときにガツンと怒られて泣く、みたいな」

「ご飯食べきれないんだったらお菓子は食べるなとか、ジュースを飲むなとか」

「幼稚園でも基本男の子と一緒にいるから、口も悪かったんですよ(笑)」

北海道弁で男性特有の「なんとかだべや」のような言葉を使っていると、「その口の悪さ辞めなさい」とたしなめられた。

お兄ちゃんと弟とは、お風呂が別。どうしてなんだろう?

性別に対する違和感は、幼少期からあった。

銭湯や温泉はお父さんとお兄ちゃんと弟、自分は常にお母さんと一緒で男湯には入れない。

「なんで一緒に入れないんだろう? なんで分けられるんだろう? みたいな。兄弟との違和感がすごいあった」

お兄ちゃんや弟との違いを払拭したくて取った行動で、強く記憶に残っているものがある。

「立ちションができない・・・・・・。小学校のとき試しました。ちなみに結果はズボンべちゃべちゃです(笑)」

女の子らしい服を、泣いて嫌がった

小学校のころから男の子・女の子で分けられるのが嫌がったが、母親はきょうだいの中の唯一の女の子に女の子らしさを求めてくることもあった。

「スカートとかピンク色の洋服は、毎回泣いてましたね。ちっちゃいときから。弟と一緒がいいって言って」

その訴えを聞いた母親は、無理に押し付けることはしなくなった。意思を尊重し、それっきりスカートを着させることはなくなる。

「泣いてるんで、無理に着させるわけにはいかんって言って、基本的に弟と同じものを買ってくれました」

「幼稚園の制服とかも嫌でしたね、青い服を着たがったりとか。髪もショートで過ごしましたね」

02男子のチームに入れない悔しさと、アイスホッケーの楽しさの狭間で

アイスホッケーは好きだったけれど

アイスホッケーを始めたのは5歳のとき。兄の影響で始め、弟も一緒にやっていた。

「幼稚園生に向けたチームもあって、そのころは週2くらい通ってたんですけど、小学校はほぼ毎日でした」

「学校前に朝6時からリンクに行って、7時半までやって、そっから学校行って、学校終わって16時半から18時半までやって・・・・・・」

幼いときからアイスホッケー中心の生活。

他の習い事をする暇も、友だちと遊ぶ暇もなかったが、これといった不満はなく、アイスホッケー自体はとても楽しかった。

でもその一方で、チームの男女分けにはどうしてもモヤモヤを拭えなかった。

「小学校に上がると、男子だけ入れるクラブに自分は入れなくて。それがめっちゃ嫌でした」

しかし、スカートやピンクが嫌だと訴えたようには、母親に訴えることはしなかった。

「男子のクラブに入りたい! って言っても入れないのはわかっていたので、口にしなかったですけど・・・・・・」

無理なのはわかっていたから、最初から諦めてしまっていたのだ。

将来の夢はオリンピックで金メダル。アイスホッケーに打ち込む日々

小学校1年生から6年生までは、男子も女子も一緒に入ることのできる「同好会」に所属。

「同級生が強かったんで、苫小牧と全北海道内の大会は優勝してました。子どものころの将来の夢は、オリンピック出て、金メダル獲る、みたいな(笑)」

第二次性徴の始まる時期が遅かったために、小学生のあいだは男子との力の差をそこまで実感することもなかった。

「成長もそこまで早くなかったから、6年生くらいまでは男子とそんなに変わんなかったですね。胸とかも出てなかったんで」

中学校の制服に違和感。スカートを履きたくなかった

性別に感じるモヤモヤは、中学入学後から一層強まっていく。

小学生のあいだはずっとズボンで通学していたが、「制服」のせいでスカートを避けられなくなった。

「中学校の制服のスカートを、着たくなくて。もう、まわりに見られたくないし」

それでも「そういうものだからしょうがない」と諦めていた。

そしてなにより「性同一性障害」「トランスジェンダー」「LGBT」という言葉も知らなかったため、スカートを嫌がる自分自身が変なのでは、と不安を覚えるようになる。

「『そういう人がいる』ってことを、中学生のころはまったく知らなくて。自分のことを『頭おかしい人』なんだと思ってました」

また、ずっとボーイッシュな格好を好んでいた自分のスカート姿を周囲にからかわれることも、苦痛だった。

「いじられて、すっごい嫌でした。冗談抜きで嫌でしたね・・・・・・」

男子は学ラン、女子はブレザー。「学ランを着たい」という気持ちよりも、「スカートが嫌」という気持ちの方が強かった。

スラックスの選択肢は用意されておらず、下にジャージを着ることも禁止されていた。

それが毎日続いた3年間、スカートに慣れることはなく、ただただしんどかった。

「スカートが嫌だってことは、誰にも言えなかったですね」

03好きな女の子から教えられた「性同一性障害」。FTMだと自覚

バレちゃいけない「女の子を好き」な気持ち。カモフラージュで男の子と付き合った

周囲は自分が感じていた性別への違和感に気づくことはなかった。それはひた隠しにし続けていたからだった。

初恋は中学生のとき、相手は親友の女の子。

「同じクラスの陽気で明るい感じの女の子でした。何人かのグループでずっと一緒にいて、いちばん仲が良かったんです」

「チューしたいって気持ちがあって。でもそれって頭おかしいからダメだよな、ってずっと思ってて」

本当は、前から女の子が好きだった。

しかし『女の子に恋をする人間ではないこと』を周囲に示すために、カモフラージュとして男性と付き合った。

「女の子が好きだなんて、そういうのを周りに知られちゃいけないって思ってたから、男性と付き合ったりしました」

付き合った男性は人間としては好きだったけれど、それは「恋心」ではなかった。手をつなぐこともキスも、嫌ではなかったけれど。

「でも付き合ってる人とチューしたいって気持ちより、好きな女の子とチューしたいって気持ちが強すぎて(苦笑)」

それゆえに長続きせず、基本的に男性との交際はいつも1ヶ月前後で終了していた。

高校入学後に好きになった女の子から教えられた「性同一性障害」

高校生になると、新しい恋をした。
ある日、好きな女の子から「性同一性障害」について教えられる。

「こういう病気あるの知ってる? 性同一性障害っていうものがあるんだよって教えられて、『これとは違う?』って訊かれました」

「絶対これだ! って、めっちゃ当てはまる! って思ったんです」

幼少期から感じていた違和感が、腑に落ちた瞬間だった。

「その子はけっこう受け入れてくれるタイプの子で、そのあと付き合いましたね。初めての彼女です」

その子に対して特段、性別への違和感について相談することはなかった。ただ彼女は、自分の振る舞いを見て、「これとは違う?」と訊いてくれた。

性同一性障害だと自覚した瞬間、一気に扉が開いた

「『そういう人もいるんだ、僕もそれかな』って、『自分以外の人もいるんだな』って思いました」

自分の性別に違和感を感じている人が、FTMが自分以外にもちゃんと存在すること。

それがなにより、心強かった。

「性同一性障害だとわかったおかげで『あ、女の人を好きになってもいいんだ』って思って、そこからその子に猛アタックしました(笑)」

「変なことじゃない、いける! ってなって」

思考回路はとにかくシンプル。そこで悩むことはなく、わかったことで自信につながった。

「何もおかしいことじゃない、もう男らしく生きるんだ! って思って、『どうやったらモテるか』とかケータイで調べてました(笑)」

カモフラージュではなく、生まれて初めて本当に好きな人と付き合えた。その喜びは大きかったが、一方で別の苦しさも生まれる。

「付き合ってることを、誰にも言えなかったですね。友だちとかにも」

周囲に堂々と言えないことにもどかしさを感じていたが、ひょんなことから知り合いの女性も女の子と付き合っていることを知る。

「その人には相談してました。それからは二人で、けっこういろいろ悩みを共有できました」

話せる人が、たった一人だけできた。
それがとても心強かった。

04 「男性になる」決意は固めたけれど

彼女ができたことで、性別変更の決意を固める

「性同一性障害」のキーワードを手に入れてからは、ケータイでとにかく毎日調べまくる日々を過ごす。

高校生のときにはすでに、戸籍や身体を変えることについての知識は得ていた。

「彼女ができた段階からもう、『男性になる』っていうのは決めてました」

「レズビアンって思われるのがすごく嫌だったんですよ。高校の時とかは、裏でそう言われたりして。それがすごい嫌で。心は男なんだよって」

レズビアンではなく、男性として女性が好きなんだと確信を持つ。そして彼女もまた、自分のことを「女性」としてではなく「男性」として接してくれた。

「男性になる」決意の裏で、心配事も生まれた

自分が「男性」であると自覚してからは、急に扉が開いた感覚はあった。楽になったその一方で、やはり不安や心配事も生まれた。

「どうやって今後生活していったらいいのか・・・・・・。地元を離れた方がいいのかな
って」

自分のことを誰も知らない環境に身を置いて、そこで最初から男性として生活をするべきか。

「それと、親に言えなかったです。反対されるのが怖いし、怒られるのも嫌だし、心配かけるのも嫌だったし、高校生のころは絶対親に言えないと思ってました」

「でも、彼女がいるっていうのは、親もきっと察していたんでしょうけどね」

オリンピック選手になる夢と、女子チームに居続けることの葛藤

チーム内の女子と一緒に着替えることにも、抵抗が増すようになっていく。

「一緒にチームメイトと着替えたりしなかった。絶対僕、一番最初に着替え終わって、更衣室出るんですよ。見たいけど・・・・・・(笑)」

異性に対する興味は、もちろんある。でも、だからこそ「見てはいけない」という意識も強く働いた。

そのころの将来の夢は、オリンピック選手になること。しかしそのためには、女子のチームに在籍し続けなければならない。

「高校3年生まではホントに、ホッケー漬けの生活だったんで。ちょっとモヤモヤはありましたけど、男子としてオリンピックには出られないんで仕方ないと思ったり、でも、今までやってきたのもありますし・・・・・・悩みました」

アイスホッケーと彼女。

それだけで日常が完結するほど、アイスホッケーが生活の中心だった。
幼少期からの夢を諦めるか、自分らしく生きるかで、揺れ始める。

05周囲へのカミングアウトのタイミング

「女性」として就活をした理由

高校2年生で、彼女とは破局。

卒業後は、車を作る機械の精度を確認する仕事に就いた。就活はセーラー服を着て、女性として臨む。

入社した職場ですぐにカミングアウトしなかった理由は、アイスホッケーの実績で縁あって入社したからだ。

「社会人になってからは、わりと早い段階で性別移行したかったんですけど」

「会社の人たちと信頼関係を作れていない状態で移行したら、ひとり浮いちゃうんじゃないかっていう心配があって。誰にも言えない状態で、女性として働いて生活してました」

「一応アイスホッケーで入った会社なんで、入ってすぐに『性別変更してホッケー辞めまーす』って、ちょっと言えないなって(苦笑)」

母親から「成人式は何を着るの?」と問われて

高校時代、親には話せないと思い悩んでいたカミングアウトのタイミングは、思いもよらぬときに訪れる。

「ハタチのとき、成人式で、『何を着る?』って母親に訊かれたんですよ」

振袖を着るのか、スーツを着るのか。

母親からの問いかけに、ここが言うタイミングだなと確信した。そして「自分は男だから、スーツを買って欲しい」と打ち明ける。

今日こそ言うぞ、と言う心構えは特になかった。

「実は・・・・・・母親も、もしかしたら茜は男なのかもって、感じてたんですよ。『そうだと思ったよ』って言われて」

「僕はめちゃくちゃスッキリしました。言えてよかったーと思いました」

しかし、父親の反応は母親とは少々異なっていた。

「父親には最初『病院に行って、診断出てから、もう一回話ししよう、お前の勘違いかもしれないから』って言われてしまって。最初、認めてくれなかったんです」

ルールを重んじる父親らしい反応は想定内だったものの、「シンプルにうざいなって(苦笑)」

複雑な気持ちになった。

2016年、このタイミングでジェンダークリニック(GID外来)へ赴き、性同一性障害の診断書を取得。2019年にホルモン注射も開始するが、父親への報告は特にしなかった。

職場の飲み会で「お前って彼女いるの?」

迷っていた職場へのカミングアウトのタイミングも、予期せぬときにやって来た。

「同じ職場の人に、ある日、飲み会の場で突然『お前って彼女いるの?』って訊かれて。そのときカミングアウトしました」

信頼関係が築けていた先輩からの問いかけだったため、それは不快に感じなかった。

「僕、いじられキャラなんで。いじられるのすら幸せって思っちゃうんです(笑)」

性別移行とホルモン注射開始を決意したタイミングで、アイスホッケーを辞める決意は固まった。

また、一番可愛がってくれた先輩に言えたことで、職場へのカミングアウトも無事クリア。

高校生の時点ですでに「男になる」と決心をしていたが、人との関係性を大切にした上で性別移行のタイミングも慎重に検討した。

 

<<<後編 2022/03/26/Sat>>>

INDEX
06 性別移行のためにアイスホッケーを辞める決意
07 性別適合手術へ。家族のそれぞれの反応と、支えてくれた彼女
08 9月に沖縄でプロポーズ。12月に結婚し、幸せ絶頂の今
09 男性として移籍、アイスホッケーは継続
10 情報収集が大事! 自分以外にも同じような人がいるって知ることが自信につながる

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