02 男女を分けることに感じ始めた違和感
03 誰にも止められない、取っ組み合いのケンカ
04 バレーボールに捧げた高校生活
05 トランスジェンダーという言葉から目を背けた
==================(後編)========================
06 初めての交際。こういうことなんだ!
07 配属先は町役場の定住対策室
08 想像もしない流れでのカミングアウト
09 前提なしに男としてみてくれた人
10 LGBTQの課題に積極的に取り組む町へ
06初めての交際。こういうことなんだ!
トランスジェンダーだと話さないまま、つき合った
同じようにバレーボールに打ち込んでいても、高校と大学では雰囲気がまるで違った。
「高校のときは部則が厳しくて、先輩のいうことがすべてでしたけど、大学では男女の部員が仲良くて、よく一緒に飲んでました」
「夜遅くなると、学校の近くに住んでいる仲間の部屋に泊まって、みんなで雑魚寝をしてました」
そんなときにひとつの出会いがあった。6歳年上の女性だった。
「とても気が合う人で、ときどきふたりで飲みにいくようになりました。そうこうするうちに、彼女の家に泊まるようになって、自然につき合いが始まってました」
自分のセクシュアリティを明かさないままの、初めての交際だ。
「自分がトランスジェンダーだとは、一度もいいませんでした。自分のセクシュアリティがなんなのか明確に分からなので、なんと表現していいか言葉が見つからなかったんです。でも、相手はぼくを男性として接してくれていたと思います」
外から見れば女性同士かもしれないが、自分は男性のつもりになれた。つき合いは楽しく、とてもしっくりきた。
「無理せずに一緒にいられるのが心地よかったです。つき合ってもいいんだ! 付き合うってこういうことなんだ!! って実感できました」
交際は1年半ほど続いたが、就職をきっかけに会う機会が減り、自然に関係は消滅してしまった。
就職先は地元の役場
就活は、改めて自分のセクシュアリティを見つめる機会にもなった。
「レディーススーツは嫌だし、お化粧なんかしたことがなかったから最悪でした。化粧品を買うのも嫌だったので、お母さんのを借りて済ませました」
スポーツ関係の仕事に就きたいと思って選んだ学部だったが、悩んだ末、公務員になることにした。
「そのころ、スポーツインストラクターで正規職員は少なかったんです。アルバイトの延長のような感じで、何の補償もないし、若いときはいいけど、後で苦労しそうな気がしました。親のアドバイスもありました」
トランスジェンダーであることで、将来、自分はどうなるか分からない。そんなときも公務員なら職を失うことはないと思った。
「消防と役場の内定をもらいました。本当は消防が第一希望だったんですが・・・・・・」
よく考えてみると、消防の仕事は男女の役割の違いがはっきりしている。内勤など、女性らしい仕事に回される可能性が高いように思えた。
「自分の可能性が、性別で否定されるのが嫌だったんです。それで、滑り止めだった町役場のほうにしました」
07配属先は町役場の定住対策室
仕事は山積、忙しい日々
22歳で就職。初めから仕事は忙しかった。
「定住対策室という部署に配属されました。移住者を増やしたいという考えで、町営住宅の管理や空き家の紹介、変わったところでは婚活イベントもやってました」
減り続けている人口をなんとかしたいと設置された特別室で、毎日、夜10時まで仕事をする日々だった。
「課員は4人で、50代のベテランがふたりと、40代の人がひとり、それにぼくでした」
年配の職員やお客さんからは、スカート履かないの? 女の子らしい服を着たら? など、セクハラまがいの言葉をかけられることもあった。
「そんなときは、似合わないんですよ、って受け流してました。そのほかにも、女子職員が、朝、机を拭いたり、お茶出しをする風潮も残ってましたね。新米なんで、それも率先してやってました」
カミングアウトは遠い道のり
セクシュアリティの違和感は募ったが、古い体質の町役場はカミングアウトをする雰囲気ではなかった。
「親からは、ボーイフレンドはどうなの? って聞かれることがありました。う〜ん、別に、って答えてました(笑)」
治療をして戸籍を変えることができると知ったのは、24歳くらいのときだった。
「親とテレビを見ていたら、トランスジェンダーの当事者が出ている番組があって、あ、これだと思いました。ただ、親にいう気にはなりませんでした。踏み出すのが怖かったんですね」
治療を始めると体がいろいろと変わってきた。
職場のこと、友だちのこと、親のことを考えると恥ずかしい気持ちが、何よりも先に立った。悩みを紛らわせたのは、ここでもバレーボールだった。
「役場にチームがあって、そこに参加してました。実は、バレーボールチームがあるのも就職のときに役場を選んだ理由でした」
仕事は忙しかったが、できるだけコートに向かうようにした。
08想像もしない流れでのカミングアウト
つき合っている人の夫が怒鳴り込んできた
就職してから、おつき合いをする相手が見つかった。25歳のときだった。
「男性ともつき合っている人で、結局、その人と結婚したんです」
ところが、のちに猛反省したことだが、彼女が結婚してからも裏で交際が続いていた。
「ぼくは職場の近くで一人暮らしをしていたんですが、その日はたまたま実家に帰っていたんです。そこに、彼女の夫が、早朝、乗り込んできたんです」
ラインのやり取りなどを見られて、不倫関係が発覚してしまったのだった。押し問答になったが、とにかくその場は帰ってもらった。それなりの騒ぎになり、「何があったんだ」と親に問い詰められるハメになった。
「実は、女性が好きで、さっき来た人はつき合っている人の旦那さんなんです、と素直に告白しました。これがカミングアウトでした」
お母さんは、もちろんびっくりした。しかし、福祉系の仕事をしていたので、トランスジェンダーに関する知識はあった。
「もしかしたら、そうかもしれないと思ったこともあったそうです。今まで気がつかなくてごめんね、って泣いてくれました」
思いがけないカミングアウトを経て
お母さんは、落ち着くとぼくのセクシュアリティについて納得してくれた。
「小さいころから女の子の服を嫌がったことや、兄との激しいケンカなんかが腑に落ちたといってました。逆に、理由がわかって安心したといってくれました」
お父さんはお母さんから話を聞いて、「子どもであることは変わらない。いいんじゃないか」と認めてくれた。それからは、息子として接してくれている。
思わぬ形でのカミングアウトだったが、セクシュアリティに関して、気持ちは一気に楽になった。
「いつかは両親に話をしなくちゃ、と思っていたので、結果的にきっかけになりました。あの一件がなければ、まだ治療していなかったかもしれません」
テレビ番組などでも、「親に縁を切られた」などの事例が紹介されている。両親に否定されたらどうしよう? そんな不安からいつまでも切り出せないままだったかもしれない。
「いろんな人に迷惑をかけてしまいましたけど、親にカミングアウトできたことはよかったです」
09前提なしに男としてみてくれた人
彼氏として紹介される喜び
22歳のときに知り合った女性がいた。
「でも、その人は留学してしまったので、何年も空白の時間があったんです」
数年ぶりに再会すると、「本名はなんていうの?」と聞かれた。「愛だよ」と答えると、「どういうこと??」と目を丸くした。
「そのころ、ぼくは『あいっぺ』って呼ばれてたんで、彼女はぼくのことを男性だと思い込んでいたんです(笑)」
友だちから、次第に恋人へ。飲みにいくうちに徐々に関係は変わっていった。
「この人の存在がとても大きかったんです。彼女は、ぼくのことを完全に男性としてつき合ってくれました」
彼女の友だちには「彼氏」と紹介された。これまでは、「女性」という前提があって、男っぽい人と認識されていたが、その面倒くさい前提が取り払われてスッキリした感じだった。
「社会的に男として接してくれた最初の人です。男としての自信がついたというか、男になった、という感じでした。彼女といると、オドオドすることもなくて、気持ちがよかったです」
自然と性同一性障害(性別違和/性別不合)の治療のことや結婚のことが話題に出るようになる。
「彼女は体や戸籍の性別は関係ない、どっちでもいいといってくれてました。むしろ、性別適合手術をすることで、体のダメージを心配してました」
親と恋の板挟み
つき合い始めて2年が経ったころ、彼女がご両親につき合っていることを話した。
「そうしたら、急にご両親の態度が変わったんです。それまでも、ときどき遊びにいって仲良くしてもらっていたんですが、もう来ないでくれ、といわれてしまいました」
友だちならいいけど、自分の娘がトランスジェンダーとつき合うのは許せない。ましてや、結婚などありえない、という話だった。
「それからも2年くらい、隠れてつき合ってました。彼女は、ぼくと両親の板挟みになって、すごくつらかったと思います」
彼女はこの状況に疲れ果て、結局、4年間の交際のあと別れてしまった。
「そのときはお金もなかったし、仕事の休みを取るのも大変だったので、性別適合手術に踏み切れなかったんです。もし、あのタイミングで手術してたらどうだったのか、と思うと悔いが残りました」
カウンセリングを受ける決意をした
彼女と別れたあと、心に残った気持ちは明確だった。
「自分が何なのか、知りたいと本気で思いました。どうしても白黒をつけたい、って覚悟でした。もしかしたら、性同一性障害とは違いますよ、といわれるかもしれないとも思ってました」
インターネットで調べた病院に電話をする決心をした。29歳のときだった。
診断書をもらって治療したいというより、自分が何者なのかはっきりさせたいと、カウンセリングの意図を素直に伝えた。
「先生に会うと、すぐに『あなたは性同一性障害ですよ』といわれました」
「そうにしか見えない。メンタルも安定している」。それが医師の診断だった。
「やっぱりそうなんだ、と安心しました。ようやく自分の正体が分かりました」
普通は診断が下りるまで6カ月かかるといわれたが、3カ月で済んだ。
「診断書をもらって、すぐにホルモン注射を始めました。親にはいいましたが、職場には黙ってました」
徐々に声が変わっていったが、もともと低い声だったので大きな違和感を感じる人はいなかった。
「それから所属長と班長に事情を話して、30歳のときに胸の手術をしました。胸がなくなって快適でした」
「最高でしたね(笑)」
10 LGBTQの課題に積極的に取り組む町へ
LGBTQの課題はぼくのミッション
2023年1月、32歳のときに性別適合手術を受け、6月に戸籍の性別も変更した。新しい名前は「逢人(あいと)」にした。
「『あい』という呼び名は変えたくなかったんで、『逢』を先に決めました。それとお母さんが、もし男の子が生まれたら『直人』という名前にする予定だったいうので、両方を合わせました」
戸籍の性別を変えたタイミングで、職場にもすべてをオープンにした。
「どうやって職場に周知させるか、人事の人が一緒に考えてくれました。結局、課長会で名前が変わったことや男性用トイレを使うことを、一斉に知らせてくれることになりました」
「そうだったんだ」と声をかけてくる人もいたが、嫌な反応もなく公のカミングアウトも、万事うまくいった。
「役所の仕事で扱う書類には、性別を書かなくていいものがたくさんあるんです。今、僕の担当業務については、不要な性別欄をなくす作業を進めています」
自分が生まれ、育ててくれた町をLGBTQの課題に進んで取り組む町にする。それが、自分に課した使命だ。
「最近、LGBTQに関する講師もしています。LGBTQ当事者だけでなく、そうじゃない人に向けても分かりやすく話しているつもりです。最終的には、“当事者” と呼ぶ垣根もなくしたいですね」
悩みを乗り越えてゴールイン
2年半前に知り合った女性と婚約し、2024年4月に結婚式を挙げることになった。
「仲間たちと体育館を借りて、バレーボールやバスケットボールをして、そのあとBBQをする遊びをしているんです。ぼくたちは合宿って呼んでいるんですけどね(笑)」
その合宿に新宿二丁目で働いているFTMの知り合いが、友だちの女の子を連れてきた。
「初対面の日からずっと一緒にいて、2日後には、その子に『ぼくたち、つき合うと思うよ!』っていってました。みんなは、絶対にぼくとその子がくっつくって、思ってたらしいんです」
「みんなの予想は当たりました(笑)」
それから1カ月後にはつき合い始め、コロナ禍で会えない期間が思いをいっそう募らせた。
2023年8月にプロポーズ。つきあい始めた記念日だった。
「ぼくがナイトプールに行きたくて、そこでサプライズでプロポーズをしました。プールにいた女の子たちにビデオを撮ってほしいと頼んで、その瞬間も映像に残りました。大成功でした」
知り合ったのは、ちょうど胸の手術を受ける直前。彼女は男性としかつき合ったことはなかったが、FTMのぼくと結婚することに抵抗はなかったという。
「ご両親にも早いうちに話してくれました。最初は少し反対されたようですが、すぐに理解してくれたそうです」
セクシュアリティの悩みを乗り越え、先日の4月19日に挙式を挙げた。ついに最愛のパートナーとゴールインだ。
「もっと早く手術をしておけばよかったと思うこともありますけど、今はこれがぼくの運命なんだなって感じてます」