INTERVIEW
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生きるって大変だし、つらい。でも楽しいことがあって、ここにいるだけで素晴らしい【前編】

クールな表情、キュートな雰囲気・・・・・・憂いを帯びた視線。カメラの前でコロコロと表情を変える貝瀬さんは、まるでプロのモデルのようだ。インタビューでは、悩んでいる人に “ひとりじゃないよ” と伝えたい気持ちが終始垣間見えた。優しくて繊細すぎるその一面が自身を壊してしまったこともあったけれど、貝瀬さんの笑顔は、キラキラと光を放つ。その光はただ明るいだけでなく、人生のものがなしさを内包し受容した、力強い光だった。

2020/04/22/Wed
Photo : Tomoki Suzuki Text : Rio Homma
貝瀬 知邑 / Shiou Kaise

1991年、新潟県生まれ。小学校6年生の頃に女の子を好きになったことがきっかけで、自分の性別について考え始める。学生時代は体調不良に悩まされながらも、大好きなファッションとクリーニング屋さんでのアルバイトとの出会いにより、少しずつ回復。現在はファッションコーディネートなどを載せたブログの運営や、心理学の勉強に勤しむ毎日を送っている。宝くじや競馬も好きで、とても多趣味。

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INDEX
01 “ファッション” という魔法
02 優しい母、怖い父、正反対の兄
03 一人称は自然と「僕」だった
04 体調不良で学校を休みがちに
05 ゆらぐ性別。自分は何者なのか
==================(後編)========================
06 女性らしいファッションに違和感
07 運命を変えたクリーニング屋
08 FTMでパンセクシュアルという自認
09 ありのままで生きていい
10 悩んでいる人に伝えたいこと

01 “ファッション” という魔法

多趣味な中でもファッションが大好き

「一番好きなのはファッション。できればファッション関係の仕事を目指したいな、って思っています」

今気になっているのは、ファッションセラピストという職業。

パーソナルスタイリストのような仕事で、相談者の人と一緒に買い物に出かけて話を聴きながら、服選びをサポートする仕事だ。

「ファッション関係のほかにも、心理学を独学で学んだり、公務員試験の勉強もしています」

好奇心が強いため、良くも悪くもあらゆることに興味が出てしまうのだ。

ファッションと出会って前向きになれた

「学生時代は不眠症や体調不良に悩んでいました」

「最初は絶望的なことしか考えられなかったんですけど、その時にたまたまファッション雑誌を読み始めたんです」

それを見て服に興味を持って、お小遣いの中で自分で買える服を着た。

「それが楽しいなって思えた時に、少しなんですけど気持ちが明るくなってきて」

服をきっかけに、だんだん外に出て人としゃべれるようになった。

「少しずつ前向きになって、人見知りも徐々に直っていきました」

「人はもちろん見た目だけじゃないけれど、見た目に自信を持つとちょっと変わるんだな、って気づいたんです」

当時読んでいたのは、ポップティーンやグリッターとか、少し海外セレブの要素が入ったギャル雑誌。

「カッコイイ系のギャルファッションに興味があったんです」

「自分は女なんだから、女の子らしくしなきゃいけない、と思っていたので、自然と女の子の読む雑誌に手が伸びました」

けれど、スカートはあまり履かなかった。

02優しい母、怖い父、正反対の兄

優しい母と、怒ると怖い父

「母は怒ると怖いですけど、いつもはとても優しいです」

聞きわけが悪くしつこくねだったり、機嫌が悪くなってぐずったりといった、ごく普通の“子ども的なこと” で怒られた記憶がある。

「母は気をつかう人間だったので、とにかく人に会ったらまず挨拶しなさいとか、人の家に行ったら靴を脱いだ後揃えなさいとか」

しつけには厳しかった。

「最低限のこと以外は、特にあれこれしなさいとは言わない、自由にさせてくれる柔和な人ですね」

「父はすごく根が真面目で、怒るとものすごく怖くて。最近になってやっと気さくに話せるようになりました」

小さい頃のイメージは、“とにかく怖いお父さん”。

休みもあまり外に出かけることはなく、父親と遊ぶということがまずなかった。

「小1くらいまで行っていた家族旅行も、祖父が亡くなって家の中が忙しくなって、翌年からはなくなってしまいました」

「さみしかったですね。毎年夏休みに出かけるのを楽しみにしていたので」

父は公務員。

「すごく安定していて、そのおかげで衣食住に一切困らなかったです。それはすごく幸せだったし、感謝しています」

一家の大黒柱として生活を支えてくれた父には、感謝の気持ちでいっぱいだ。

自分とは正反対の兄

「3つ上の兄がいるんですけど、そんなに仲が良くなくて。全然口きかないんですよ」

「結構意地っ張りなんで、大人になってからもあんまり心を開かない。接し方が難しいですね。ちょっと冷たい感じです」

私と兄とは正反対の性格だった。

「兄は学校でも中心にいて、容姿も良いので女の子にちやほやされ、男の子の友だちもクラスの中心にいるようなタイプですね」

「その頃の私は、表情がとにかく暗くて。目が悪いのに眼鏡かけないから、目つきも悪くて(苦笑)」

兄と仲が悪いきっかけなどはなかったが、気づいたら嫌われていた。理不尽に怒られる、ストレスのはけ口のような存在になっている時期もあったと思う。

「兄のせいで自信をなくす、まではいかなかったけれど、小学校の頃、自分の性別で悩み始めた頃に、両親と話すのを『うるせえ』と妨害された時は、少し落ち込みました」

03一人称は自然と「僕」だった

人見知りだけど “スペイン産ゴリラ”

「小さい頃は、本当に人見知りで。初めて会った人と、気軽に話すのは考えられないくらいふさぎこんでいたんです」

「仲のいい友だちとか、家だとペラペラしゃべるんですけどね」

「性格がラテン系なのとゴリラっぽいっていうので、仲のいい友だちには “スペイン産のゴリラ” ってあだ名をつけられるくらい(笑)」

小学校の時はだいたいいつも一緒にいる子がいて、その子とばかり遊んでいた。

いろんな子が声をかけてはくれていたが、あまりうまくしゃべれなかった。

「小学校3年生の頃から、自分のことを突然 “わし” って言い始めたんです。それまでは “僕” で、4年生では “俺” に変わりました」

“わし” になった理由はよく覚えていない。

いずれにせよ学生時代には、女の子が使うような一人称を使ったことがなかった。

「僕とか俺とか言っていても、両親は “男みたいだな” と言うくらい。やめなさいとは言われませんでした」

学校の先生もまわりの友だちも同様だ。

自分と言えば、“俺”。それが当たり前になっていた。

自分は男の子だと思っていた

「そもそも保育園くらいの時、自分は男の子だと思っていて・・・・・・」

「父や兄とお風呂に入った時に “なんで生えてないの?” って聞いたら、“大きくなったら生えてくるよ” って言われて(笑)」

小学生になったら生えてくると思っていた。

「自分を女の子だと意識したことはなかったので、一人称はごく自然に “僕” でしたね」

しかし、小学校6年生くらいになると、更衣室を分けられ、女性として身体も成長する。

「その時に、性別っていうのを見せつけられた感があって。執拗に男女を分けられて、そうなった時に自分って女に分けられるんだって思って」

「なんで勝手に決められるんだって」

腹立たしかった。

04体調不良で学校を休みがちに

フラッシュバックと不眠症

一番嫌だった記憶の始まりは、小学2年生の夏休みくらいの出来事だ。

「男の人から性的暴行みたいことをされて、言葉の暴力もかけられた事件があって」

両親にも言えず、それがきっかけとなり精神的に不安定になってしまった。

「フラッシュバックに悩まされて、不眠症になりました。それも両親に言うことができなくて、夜は現実を忘れるために、ゲームをして過ごしていましたね」。

当時のことを思い出そうと思えばきっと、顔や声も事細かに思い出せる。けれど、恐怖とショックがあまりにも大きかった。

「自分の記憶からほぼ消えて、その嫌な瞬間だけが胸に残っています・・・・・・」

そして精神不安定のまま、小学校6年生を迎えた頃、自分の性別について悩み始めた。すると不眠症は、ますますひどくなってしまう。

「小学6年生の3学期には、学校を休みがちになって。でも、なんとか卒業して、中学に上がりました」

中学に入学したものの、人見知りもあって、登校するのには不安がいっぱいだった。
何かが起きる前から、余計なことを色々と考えてしまう、自分の性格もあるかもしれない。

「入学した町立の中学校では、バトミントン部に入りました。だけど、眠れず食べられずの状況なので激しい運動がしんどくて」

夏休みになると毎度熱中症のような症状に悩まされ、部活にはほとんど行かなくなってしまう。

「朝起きて学校に行くのが、その時の自分にはつらかった。身体が重くて、気持ち悪くて。頑張っていかなきゃっていうのが、すごく負担になっていました」

体調不良について、親はその原因を夜更かししてるゲームのせいだろうと言った。

「寝られなくて怖くて、何していいかわからなくて、とりあえず画面をつけてコントローラーを持って、ただ見ていただけっていうところもあって」

一刻も早く、現実から逃げてしまいたかった。

診断された発達障害

「学校は、なんとか中1の3学期まで行きました。あまりにも具合が悪すぎたので、その頃のことは自分でもよく覚えていないんです」

具合が悪い時期の記憶がごっそり抜けてしまっているのだ。

休んで、横になって、布団の中にもぐっていたり、それでも眠れなかったりするけれど、ゲームをつけてみても面白くなくて・・・・・・きっとそんな毎日だったと思う。

「そのうち本格的に体調を崩してしまい、精神科に診てもらうことになりました」

“精神的なもの” と診断され、薬をもらう。

「診断はされたけれど、その時は、事件のことも、自分が性別で悩んでいることも、何もしゃべれませんでした」

「今みたいに自信もないし、初めて行った病院だったし」

病院に行って学校と距離を置くようになってから、心を休ませる時間が増え、少しずつ症状も落ち着いてきた。

「でも、学校に行っていない自分への罪悪感はありました。小さい頃から、ズル休みとかしないように厳しく言われていたので」

回復はしていたものの、学校に行けないことが悪いことのような気がして、ずいぶんと悩んだのも事実だ。

5~6年前、病院を変えた。

「そこの病院の先生がすごくいい人で。初めて会った時から、あなたはその病気じゃなくて、すごく軽いんだけど発達障害の疑いがあります、と言われました」

この先生にだったら話せそうだなと思い、性別の悩みも打ち明けた。

「発達障害を持っている人で、そういう人が結構来ることを教えてくれたんです。自分と同じ人たちがいることに、少し安心しました」

05ゆらぐ性別。自分は何者なのか

初めて好きになったのは女の子

「小5、6の時、ずっと仲良く遊んでた子のことを見た時に、なんか変な気持ちになってきたんですね。たぶん好きだったみたいなんですけど」

その気持ちにハッキリ気付いたのは、中学に上がってから。その時に、やっぱり自分は何か人と違うんだなと感じた。

「ふたりでいる時に、触りたい、それも普通の触りたいじゃなくて、くっつきたいなとかキスしてみたいなとか、そういう風な感情が芽生えたんです」

自分は一体何者なんだろうと悩んだ。

当時「金八先生」のドラマを観て、性同一性障害のことは知っていたが、自分が同じ当事者だとは思いもしなかった。

「なんで女の子が好きなんだろうなと、すごく不思議だったのを覚えています」

制服のスカートも、元々スカートが好きじゃなかったので嫌だったが、履きたくないから学校に行かない、というほどではなかった。

「好きな子が履いていたから自分も履く、みたいな。そんな感じでした」

当時、レズビアンのことは知らず、周りからそう指摘されたこともなかった。

「“男みたい” とか “ジャニーズみたい” とか、“イケメンだね” とか、言われたことはあります」

「でも、それは差別的ではなくほめ言葉だったので、すごく嬉しかったです」

一致しない心と身体

中学校に上がって、好きだと気付いた女の子に好きな人が出来る。その相手は、男の子だった。

「ああ、そうだよなって。そこですごく悩みました。自分が男に生まれていたらどうなっていたんだろうとか」

結局自分の気持ちを伝えられないまま、片思いは終わった。

その後、中学時代に告白された男の子と付き合ったりもしてみたが、なんだか情がわかず、ドライな感じがあった。

「女の子だと嫉妬心とかもすごく強く出るんですけど、男の子だとあんまりそういうのがなくて」

「仲が良い大親友みたいな感じで、ドロドロした感じは出てこないんです」

心と身体の性別は、まだ一致しないままだった。

 

<<<後編 2020/04/25/Sat>>>
INDEX

06 女性らしいファッションに違和感
07 運命を変えたクリーニング屋
08 FTMでパンセクシュアルという自認
09 ありのままで生きていい
10 悩んでいる人に伝えたいこと

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