02 学校や勉強に、なんの意味があるんだろう
03 空気が読めず、いじめのターゲットに
04 芸能界への憧れ
==================(後編)========================
05 仕事ではミスの連発
06 男の子が好き、でも「ゲイ」という言葉は知らなかった
07 ゲイだけど、一番好きなのは自分
08 「ゲイレポーター」としての活動
05仕事ではミスを連発
理想と現実のギャップ
高校卒業後は、工場でアルバイトをしながら生計を立てた。
もちろん、アルバイトに行くのもかなり気が重かった。
「自分の好きなことじゃないから『夢がない』って思ってたし、『やらされてる』感が強かったんです」
目指している芸能界とはまったく関係のない業界で、毎朝起きるのも苦痛だった。
とにかくすべてが嫌なことだらけだった。
ただでさえ好きな仕事ではない上に、職場で怒られることも多く、ストレスが溜まっていく日々。
そうして、工場での仕事は半年ほどで辞めてしまった。
その後、いろいろなアルバイトを転々とする。
「どの仕事も嫌だったけど、ニートになろうとは思いませんでした。レコードを買うにも資金がいるので」
徐々に、芸能人になるのはあくまでも理想の世界での話で、自分が実際にその道を進めるとは思えなくなっていった。
それなら今後の身の振り方をどうしようかと考えていた時、メディア業界にも興味を持った。
「自分の名前が載った記事が全国に広がっていくことが、いいなと思ったんです」
その頃は、とにかく「有名になりたい」という思いが強かったのだ。
「自分がこれまでいじめられてきたので、自分が有名になることで、同じような境遇の人たちに『夢を与えたい』という思いもあったんです」
周囲から「どうしようもない人間だ」と言われていた自分が有名になれたとしたら、いじめられっ子にとって、希望の星になるだろうと思ったのだ。
発達障害の疑い
「このままでいいのだろうか」とモヤモヤとした思いを胸に抱きつつも、これといって大きなアクションは起こせないまま、数年間を過ごした。
「正社員じゃなくてアルバイトだということへの焦りではなく、このままずっと好きじゃない仕事をしていくかもしれないと思うと、とにかく不安でした」
いろいろと仕事を変えてみても、どの職場でもミスを連発してしまい、「注意力がない」と怒られてばかり。
「どこに行っても、『君は普通じゃない』って言われていました」
その度に、仕事に行くのが余計につらくなっていった。
「ある時、知り合いに『発達障害なんじゃないの?』って言われたんです」
最初は、「そんなわけないだろう」とたかをくくっていた。
だが、次第に不安になって病院を受診したところ、ASD(自閉症スペクトラム)とADD(注意欠陥障害)だと診断された。
21歳の時だった。
06男の子が好き、でも「ゲイ」という言葉は知らなかった
発達障害だから何?
「発達障害と診断されて、多少ショックはあったと思います」
「でも、どちらかといえば、『だから何?』って感じでした」
診断結果は、両親には未だに話していない。
「引け目があって言いたくないっていうわけでもないんですけど、話すとめんどくさくなるかなって思うんですよね」
今でも両親と同居しているから、何かで揉めて実家を出るようなことにでもなってしまったらたまらない。
それだけは懸念しているものの、発達障害だと言われたからといって、特にこれといって考え方が変わったりもしなかった。
発達障害と診断されて、「これまで失敗続きだった理由がわかった」、「生きやすくなった」と感じる人もいるかもしれない。
だが、自分に訪れた変化は内向きのものではなく、どちらかといえば外向きのものだった。
「たとえば、発達障害の自分が有名になったとしたら、同じ発達障害の人たちに夢を与えられるだろうって思ったんです」
「だから、診断を受けてからは、どうすれば発達障害の人たちに勇気を与えられるかなって考えるようになりました」
その後もしばらくは特に生活も変わらず、嫌々ながらアルバイトで生計を立てていた。
相変わらず仕事は全然やる気もしなかったが、弁当屋でバイトしていた時には、職場に好きな男の子がいた。
「彼は高校生の子でした」
「僕、年下が好きなんですよ(笑)」
いずれ告白しようと思っていたものの、結局彼には何も伝えられないまま仕事を辞めることに。
同性を好きになったとはいえ、当時は自分がゲイだという自覚はまったくなかった。
「ゲイ」という言葉自体、そもそも知らなかったのだ。
ゲイタレント社長の芸能事務所
次に恋した相手も、やはり男の子だった。
「その子は音楽をやっていました」
音楽活動をがんばっている彼。
それに比べて、自分は好きでもないアルバイトばかりの生活を送っている。
いったい何をやっているんだろう・・・・・・。
「相手にはどうせ好きになってもらえないってわかっていたので、それなら、自分がその子よりも有名になって追い抜いてしまいたいと思ったんです」
そこから、一念発起して芸能事務所のオーディションを受けはじめたところ、知人の紹介で、2016年に晴れて念願の芸能事務所に所属することになった。
ずっと憧れていた芸能界。
「やっと業界に入れて、うれしかったです」
映画に主要キャストとして出演して、クレジットに自分の名前が載ったこともある。
「ただ、仕事はあんまり思い通りにはいかなかったですね・・・・・・」
人生、そううまくいくものではない。
だが、事務所に入ったことで、ほかにも変化があった。
事務所の社長自身、ゲイのオネエタレントとして、LGBTの地位向上のために活動していたのだ。
「その時も、まだ自分はゲイだとわかってなかったし、男の子が好きではあっても、この気持ちは何なんだろう?って、疑問に思ってたんです」
エイズ関連の仕事をしたこともあった。
その時はエイズが何かもよくわかっていなかった。
とにかく、セクシュアリティに関してまったく知識がなかったのだ。
「LGBTという言葉も知らなかったんです」
「でも、まわりに当事者がたくさんいたので、彼らと話しているうちに『こういう世界があるんだな』っていうことが少しずつわかっていきました」
07ゲイだけど、一番好きなのは自分
ゲイに生まれたのもひとつの個性
事務所の社長が東ちづると親交深かったこともあって、彼女が代表を務める社団法人「Get in touch」で、2017年の東京レインボーパレードに参加することになった。
自分は特にこれといったマイノリティだという自覚はないまま、当事者たちに囲まれてパレードする。
ふと気づくと、目の前には綺麗な夕景が広がっていた。
「そんな状況に、すごく感動して泣いてしまったんです」
一緒に歩いているパレードの参加者は、“仲間” なんだと思った。
うまく説明できないが、その時に、ようやく「自分はゲイなんだ」と気づいたのだ。
「もしかしたら、今までは無意識のうちに『自分がゲイであることを認めたくない』と思っていたのかもしれません」
パレード以降は、LGBTについて積極的に調べたり、当事者に会って話を聞いたりした。
「そしたら、ゲイの人の多くは、『好き好んでゲイに生まれてきたわけではない』って考えているんだとわかりました」
それは、言い換えれば「できるものならストレートに生まれたかった」ということになるだろう。
「僕は、ゲイであることを誇りに思っているし、ゲイに生まれてきてよかったなって思っています」
セクシュアリティもひとつの個性だと思っている。
だが、そうはいっても、周囲には悩んでいるゲイも多い。
そうした当事者たちの存在を知っていくにつれ、彼らを取り巻く社会環境をどうにかして変えられないだろうか、と考えるようになっていった。
自分のことが本気で好き
自分がゲイだと気づいて、まだ1年も経っていない。
幼い頃から違和感を抱えていたような当事者も多い中で、自分のようなタイプは珍しいだろう。
「小さい頃、男の子に対してドキドキするようなこともなかったので、僕は生まれた時からゲイだったわけじゃないと思うんです」
「でも、小学3年生の時にいとこと体を触りあいっこしたことがあって、今思えばそれがきっかけだったのかなぁ、という気はします」
だが、いとこに対しては恋愛感情を抱いていなかったし、当時は女子が好きだと思っていた。
「アイドルやアニメキャラの女の子が好きだったんです」
実際の友人で好きだった女子は、もしかしたらいたかもしれないが、パッとは思い浮かばない。
「というのも、基本、自分のことが好きだったんです(笑)」
「昔から自分のことが大好きで、自分はかわいいし、かっこいいって思っていました」
女の子になりたいと思っていたわけではなかったが、自分の中で「今日は女子を演じよう」と思って行動していたこともあった。
“かわいい=女子、かっこいい=男子” というイメージを持っていたため、「今日の自分はかわいいな」というスイッチが入った時には、女子を演じていたのだ。
女子っぽく振る舞うことがあったからといって、男という性別が嫌だったわけでもない。
「男の自分が好きだし、男に生まれたことを誇りに思っています」
「ただ、今はどちらかといえば『かわいい』って言われた方がうれしいですね(笑)」
気になる相手に出会うこともあるが、やっぱり今でも自分が大好きだ。
「いつか結婚できたらいいなとは思いますけど、本当は自分と結婚したいくらいなんです」
08「ゲイレポーター」としての活動
政治に対する興味
昨年より、事務所の社長にすすめられてウェブメディアで記者の見習いを始めるようになった。
そうして記者会見を取材しているうちに、徐々に政治に興味を持つようになっていった。
「会見の場に行ってみたら、テレビで見る政治家が目の前にいて、有名なテレビ局の記者もいて・・・・・・」
自分がした質問が、テレビで放送されたこともあった。
「去年の4月に開かれた浅田真央さんの引退会見では、僕の発言がいろんなニュースで取り上げられたんです」
記者会見の影響力は大きいと思った。
「だから、今後も記者会見で発言をすれば、もっとたくさんの人にLGBTを知ってもらえるんじゃないかと思いました」
LGBTについての質問を投げかける記者は、確かに稀だ。
そして、昨年9月から「ゲイレポーター」と名乗るようになった。
「僕は、世の中を動かしているのは政治家なんじゃないかって思っているんです」
だから、記者会見の場で政治家に直接質問をすれば、社会を変えるきっかけになるかもしれない。
一方で、そうした会見の場に出向くようになってからは、ネットなどで自分の行動や発言を批判されることも増えた。
「自分が目立ちたいだけではないのか」と言われたり、「ゲイレポーター」という肩書きに怪訝な顔をする人も多い。
「『ゲイをバカにしてる』って言われることもあります。さすがにそれは違うよ・・・・・・って思うんですけどね」
さらには、当事者から「そんな活動はやめてください」と言われることも。
「でも、周囲の人には自分を支持してもらえているんです」
だから、批判はさほど気にしていない。
同性婚の法制化が第一目標
ゲイレポーターを初めてからは、逆に幼い頃からの「目立ちたい」という気持ちは弱くなっていった。
「でも、もっともっと認められたいとは思います」
芸能界への憧れは依然抱いているものの、ただ「有名になりたい、目立ちたい」というよりは、「周囲に勇気を与えるために有名になりたい」という思いが強い。
ゲイレポーターとしての発言力を高めるためにも、影響力を持った立派な活動家になりたいと思う。
「まだまだ知識がないから、LGBTについてももっと勉強していきたいですね」
「ゲイの人の意見ももっと聞いてみたいです」
今後の目標は、同性婚が認められるように政治の場に足を運ぶことだ。
「今まで、会見でLGBTについて質問するような記者はあまり多くなかったんです」
「だからこそ、自分がやろうと思っています」
今のところパートナーはいないので、自分が同性婚をしたいというよりは、周囲の当事者のために、という思いが大きい。
というのも、同性婚が認められたアメリカの州では、自殺率が下がったという報告もあるためだ。
「それを聞いて、同性婚法制化のために動かなきゃって思ったんです」
日本で同性婚が認められていない裏には、LGBT認知度の低さが由来しているだろう。
自分に対しても、「ゲイは普通じゃない」という心ない言葉をかけてくる人がまだまだ多い世の中だ。
今後活動を続けていく中で、そうしたLGBTに対する差別や偏見が少しでもなくなっていけばいいと切に感じている。