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LGBTQへの関心をブームで終わらせないために【後編】

LGBTQへの関心を、ブームで終わらせないために【前編】はこちら

2023/10/07/Sat
Photo : Yasuko Fujisawa Text : Hikari Katano
五十嵐 ゆり / Yuri Igarashi

1973年、東京都生まれ。印刷所を営む両親のもと、三姉妹の末っ子として育つ。中学2年生のときに同性を好きになる。LGBTQ向けのライフプランセミナーや女性限定イベントを主催してきた経験から、2012年にLGBTQ支援団体Rainbow Soupを立ち上げ、2015年にNPO法人化する。現在はそのほかに、LGBTQ支援企業の代表、プライドハウス東京の共同代表を務めている。

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INDEX
01 お茶目なお父さんが恥ずかしい
02 ちやほやされるのも悪くない
03 いつも女の子を目で追いかけて
04 今でも喉が詰まる思いがする、初めてのカミングアウト
05 「レズビアン」との出会い
==================(後編)========================
06 まざまざと経験させられた「マイノリティ」
07 今につながる貴重な経験
08 職場での要らぬ苦労
09 とうとうセクシュアリティも名前もオープンに
10 世界は必ず明るくなっていく

06まざまざと経験させられた「マイノリティ」

なんで県外からわざわざここに進学したの?

1年浪人した末、沖縄県の私立大学に進学する。

「沖縄でこれをやりたいとか、ここで学びたいとか、明確な意思や目的があったわけじゃないんです。ただ、知り合いに『ここ、いい大学だよ』って勧められたからってことと、東京を離れたかったって理由で、進学先を決めました」

両親は内心かなり心配していたかもしれないが、快く送り出してくれた。

「子どものやりたいことに反対したり、これをしなさい、あれをしなさいと干渉してくるタイプでもなかったので、このときも両親は私をサポートしてくれました」

だが、沖縄での新生活で思わぬ現実にぶち当たる。

「私の見た目から、うちなーんちゅ(沖縄生まれ)じゃないだろう? ってまず聞かれるんです」

「国立の琉球大学なら県外生も少なくないと思うんですけど、うちの大学生のほとんどは県内から進学していて、しかも高校からすでにつながっている人たちばかりだったんです」

沖縄の方言や訛りで、同級生が何を話しているのかすら分からないこともしばしばあった。

セクシュアリティ以外のことで、初めてマイノリティを体験することとなる。

マイノリティの反骨精神?

大学生活は決して居心地が良いとは言えない始まりだった。でも、東京に帰りたいとは思わなかった。

「県外生扱いについては、私があしらい方に慣れたことが大きかったですね」

当時の沖縄はゆいレール(モノレール)がなく、完全な車社会。電車のない不便さも、だんだんと面白がれるようになっていく。

「東京に住んでいれば『駅から徒歩何分』って、駅を基準に考えるのが当たり前じゃないですか。『それがないってどういうこと!? みんな、どうやって生きているの!?』って最初は不思議でしたけど、そのうちバイクにハマって、行動範囲が広がりました」

もちろん、その時々で「しんどい」と思うことは、完全にはなくならなかった。

「でも、まあなんとかなるか! って思っていました」

逆境であるほど燃えるストレス耐性、ハングリー精神を持ち合わせているのかもしれない。

はじめての女性とのお付き合い

大学のときに、女性と初めてお付き合いした。相手は、大学生活の中で知り合った年上の人。

「自分のセクシュアリティもオープンにしてなかったし、相手が女性を好きになるかどうかも分からなかったんですけど、『昔、女性で好きな人がいた』って話を聞いて、自分にも可能性がないわけではないなと」

長いこと一緒に過ごしたうえで口説き、告白。見事成就した。

「有頂天でしたね(笑)。私も相手が好きで、相手も私が好きって、こんなに楽しいのかと!」

高校生のときに男子と付き合ってみたこともあったが、相手からの身体的な接触にどうしても嫌悪感を覚えていた。

でも、好きな女性相手なら、そういったネガティブな感情は芽生えなかった。

「女性と付き合うのは、こういうことなのか! と感動したことを覚えています」

07今につながる貴重な経験

沖縄でレズビアンバー開店

沖縄の歓楽街・桜坂には、ゲイバーを中心にLGBTQ当事者が集まっていた。

「私が通い始めたころにはビアンバーはまだなかったと思うんですけど、文通欄で知り合った相手と飲んだりしていました」

そんなさなか、空き店舗を使ってお店を経営してみないか、という話をもらう。

「マスターに事情があってできなくなって、店の準備はできているし、家賃もいらないから、女の子だけのお店をやってみたら? って」

「すぐに飛びつきました」

最初のうちは閑古鳥が鳴いていたものの、奇跡的な偶然が重なる。

「これまたグッドタイミングで、レズビアン向け雑誌に広告を掲載する話が舞い込んできたんです。広告にお店の電話番号を掲載したら、どこにあるの? いつ営業してるの? って問い合わせが殺到して」

繁盛し始めたころ、金銭トラブル回避のため、残念ながらわずか半年ほどでお店をたたむこととなった。

だが、このときにつながったメンバーとは、今でも連絡を取り合うほど仲が良い。

レズビアンバーの経営は、かけがえのない経験のひとつとなった。

大学生協の活動にのめり込む

県外生を中心に参加していた大学生協のサークル活動にも、全力で取り組んだ。

「組合員を集めるっていうミッションのために、組合員のメリットをプレゼンして勧誘したり、新入生に電話をかけたり、営業のようなことをしていました」

2年間大学を休学し、その間に福岡と東京にそれぞれ1年間住んだ。
全国大学生協連の一員としても活動を行うほど、サークル活動にのめり込む。

「全国組織で活動するようになって、大勢の人の前で話す機会がますます増えましたね」

「社会人になって講演活動を仕事にするとは、そのときには想像してなかったですけどね」

大学生協のサークル活動での経験は、LGBTQに関する今の事業や活動の源泉になっている。

08職場での要らぬ苦労

ライターとしてキャリアをスタート

大学を卒業後、福岡の小さな出版社に就職した。

「両親の趣味が読書だったこともあって、自分で文章を書いて発表することに興味があったので、出版社に就職しました」

「新しいパートナーを追いかけて、福岡で就職することにしたんです」

半年ほど社長秘書を務めたあと、編集部に異動。情報誌のライター業を務めた。

「音楽、ドライブ、グルメ・・・・・・。いろんなジャンルの記事を書きました」

ライター業は、退職・独立したあともフリーライターとしてしばらく続けていくことになる。

噂がすぐに広まる職場

ライターの仕事は楽しかったものの、セクシュアリティや私生活を職場でごまかしたり隠したりすることに一苦労した。

「就職当時からパートナーと一緒に住んでいたので、会社も同僚も、私がだれかと同居していることは知っていて。でも、相手が同性のパートナーとは知らないし、彼氏と同棲しているんだろうって、勝手に思われていたんです」

職場の雰囲気がかなり “ライト” だったことも、セクシュアリティを明かせないと考える理由のひとつだった。

「『昨日、どこでだれとだれが一緒に歩いていた』なんていう噂が、1日で広まるような職場だったんです。だから、私のセクシュアリティやパートナーのことが漏れたら、まずいと思っていました」

プライベートな話は適当にあしらったり、「同棲している男性」の設定を作り込んだりして対応した。

「とにかく、ばれずにやり過ごすことで頭がいっぱいでした・・・・・・」

「本当のことを話せていたら『この設定、どこまで話していたっけ?』とか考えなくていいはずなのに。当時、なかなかのエネルギーを使っていたと思います」

そもそも、プライベートな話を振られなければいいと考え、なるべく話を膨らませないように努めたこともあった。

「でも、本来、人との距離を縮めるには、プライベートな部分を話すことは大切だと思ってはいて・・・・・・。実際、私は本当のことを話せない、隠さなきゃいけないことに葛藤していました」

仲が良くなった取材先や同僚など、セクシュアリティを明かしても否定しないであろうと見込んだ、ごく少数にだけカミングアウトするに留める。

あくまでもクローズドとして生活を続けた。

09とうとうセクシュアリティも名前もオープンに

DJからNPO法人立ち上げへ

福岡に住んでいたころ、女性限定のクラブイベントをしばしば主催していた。

「大勢で集まって騒いで、DJのまねごとをして、ちょっとしたお小遣い稼ぎにもなって。すごく楽しかったです」

ただ、自分も周りもだんだん歳をとっていくなかで、楽しいだけでは済まされない現実にも向き合う必要が出てきた。

「親の介護とか、自分の病気がとか、そういった話題がよく出るようになって。それなら、一度ちゃんと勉強しておいたほうがいいんじゃない? って話になって」

そこで、LGBTQ支援に取り組む行政書士に話を聞きに行った。

「当時は『公正証書って、何それ?』っていうレベルの知識しかありませんでした(苦笑)」

「いろいろ知識を得ていくうちに、私たちのなかだけに留めておくのはもったいない、ほかの人たちにもシェアしたほうがいいなと思い始めたんです」

そこで、セミナーを実施することに。
ふたを開けてみると、多くの人が参加してくれた。

「LGBTQ当事者がより生きやすくなるための情報って、私たちが思っていたよりも需要が高いんだって、実感しました」

講演会などを重ねるにつれ、行政を巻き込んでいくには社会的信頼性を得るためにNPO法人を立ち上げたほうがいいと、行政書士からアドバイスを受ける。

2012年、福岡に拠点を置くLGBTQ支援団体としてRainbow Soupを立ち上げ、2015年にNPO法人化をした。

節目となった2015年

団体をNPO法人化したことがセクシュアリティをオープンにする契機となったが、それ以外にもいくつか節目となる出来事があった。

「2015年って、渋谷区と世田谷区でいわゆる『同性パートナーシップ制度』が始まった年なんですよね」

「日本で同性パートナーシップ制度が導入される時代が来るなんて! っていう驚きと同時に、世の中変わったな、LGBTQに関してポジティブなニュースが増えたなって実感があったんです」

アメリカ合衆国国務省主催のLGBTQプログラム「International Visitor Leadership Program」に参加したことも、熱心に取り組むきっかけの一つとなった。

「3週間ほど参加者と一緒に過ごしたんですけど、そこでドラマなどのエンタメの中に、LGBTQを含む多様なバックグラウンドを持った人たちが自然に登場することが重要だって話だとか、安心できる居場所づくり、社会への情報発信の仕方など、いろんなことを学びました」

「日本でも、まだまだやらなきゃいけないことがたくさんあるなって、決意を新たにしたことも大きかったです」

それまでは、顔出しはしていたが、本名を隠してニックネームで活動していた。

「そのときはまだライターとしても仕事をしていて。前の職場の同僚とのつながりも残っていたこともあって、本名でセクシュアリティをオープンにするのが怖くて、ニックネームで活動していました」

「でも、いろんなきっかけに背中を押されながら、腹をくくって顔出し・本名で活動することにしました」

さいわい、今のところ悪意のある個人攻撃を直接受けたことや、セクシュアリティに対してネガティブな反応を受け取ったことはない。

10世界は必ず明るくなっていく

全国を飛びまわる忙しい毎日

2015年にRainbow SoupをNPO法人化したあと、LGBTQに関する課題にもっと自由に取り組める基盤を持ちたいと、2018年にはレインボーノッツ合同会社を設立。

2023年4月からはプライドハウス東京の共同代表に就任するなど、様々な肩書を持ち合わせるようになった。

「寝る間もないほど、とまではいきませんが、ワーク・ライフ・バランスは、かなりバランスが悪いですね。ワーク・ワーク・ワークって感じです(苦笑)」

「本当はそれぞれ同じ分量で仕事をするのが理想なんですけど、プライドハウス東京:NPO法人:合同会社で、それぞれ4:2:4くらいの仕事量です」

現在は東京を拠点として仕事をしているが、時々福岡に出向くことも。

「乗り物に乗るのは好きなので、新幹線や飛行機に乗ることでモチベーションを上げたり、タイミングがあえば地方在住の知人に会いに行って、暇を見つけてちょっと観光したりして、息抜きしています」

若いうちから、社会を変えよう! 活動家になろう! という確固たる目標や意思のもと、現在の生活にたどり着いたわけではない。

「その時々に出会う人たちや仲間がいて、その人たちの困りごとを解決するためにまた人に会いに行く、ってことをずっと繰り返して、今があると思っています」

「まずは自分のため、それが周りの人にも役立ててもらえるならシェアしたい、そうしたらみんなハッピーになるのでは! という感覚です」

自分を含めたみんなが幸せになるために、と思って行動し続けることが、結果としては「社会変革」と表現されるものになるのかもしれない。

世界は少しずつ上向いているはず

実名・顔出しで活動を開始したのが、2015年のこと。それから現在にかけて、想像しえなかったほどの速さで社会が変わりつつあると実感している。

「東京オリンピックで多様性が特に注目されたから、オリンピックが終わればこの『ブーム』も落ち着いちゃうのだろうかと心配していたんですけど、関心が途切れていないことは嬉しい驚きですね」

「2015年から考えれば、LGBTQに関する議論が今のように国会で行われること自体、大きな変化です。変化のスピードが速すぎて、ちょっと戸惑っているくらいです」

LGBTQについて積極的に学びたいと考える人が増えているのはうれしい反面、気になるのがバックラッシュだ。

「特にトランスジェンダーへのヘイトはひどいですよね・・・・・・。自分にできることがないか、考え行動したいです」

「2023年6月から、いわゆる「LGBT理解増進法」が施行されて。中身については、心配なところはもちろんありますし、包括的な差別禁止法があるべきだと思いますが、法律ができたからには今までできなかったことをやって、使い倒してやるぞ! という思いです」

すべてを欧米の基準に合わせる必要はないし、社会変化のスピードに良し悪しもないと思っているが、社会が変わるには世代交代がキーになると考えている。

「ある小学校の先生が、LGBTQを知っているかどうかをクラスの生徒にたずねたら、全員が手を挙げたそうです。そういう子たちが10年、20年後に社会で活躍するようになっていくと、社会変化のスピードがさらに加速すると思います」

「未来のある子どもたちに寄り添って支えることが、大人である私たちの仕事ですね」

自分も周りの人たちもハッピーにしていくことをモットーに、これからも奮起していく。

変化に対する揺り戻しがあっても、この先にある世界はいまよりも明るいと信じているから。

あとがき
活動家といったらどんな人を思い浮かべるだろう。構えることなく、飾らない。カメラの前でも疲れをにじませず、ひょうきんなポージングで場を和ませた。それが五十嵐ゆりさんだ。つらかったはずの場面にも、あたたかいものが宿っていた■ビアンバー開店も大学生協もDJも NPO法人立ち上げも、だれかの顔が思い浮かぶとき、五十嵐さんは自分を差し出す。俄然、力がわく。活動家になろうと思ったことはない。「自分とみんなのハッピーのために」。これからまた新しいハッピーへとたどり着く。(編集部)

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